音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■中村洋子作曲「風宴」はピアノでも弾けます■

2021-07-11 21:29:09 | ■私の作品について■

■中村洋子作曲「風宴」はピアノでも弾けます■
 ~源氏物語の「お手紙」の意味するもの~
            2021.7.11 中村洋子

 

 

 

 

★前回ブログで、私の作曲しましたチェンバロ独奏曲「風宴」

ついて書きました。

その後、ピアニストの皆さまから「是非弾いてみたい」という

お問い合わせを、多数いただきました。

Bach の「平均律クラヴィーア曲集」は、当時、おそらくチェンバロで

弾かれたことでしょう。

もちろんオルガンやクラヴィコードでも可能です。


★Bachは、ゴルトベルク変奏曲やイタリア協奏曲について、

明確に「チェンバロで弾くように」と楽器指定しています。

しかし現代の私たちは、それらの曲をチェンバロはもとより、

ピアノで弾いたり、大ピアニストのすばらしいピアノ演奏で

楽しんでいます。


★このような訳ですので、私のささやかな作品、

チェンバロ独奏曲「風宴」もどうぞ、ピアノで思いっきり

弾いて下さい。

ご遠慮することなく、ペダルも十分に用い、現代のピアノの豊かな

響きを楽しんでいただきたいと思っています。

 

 

 


★前回ブログでは、私が通っていた保育園の先生が、卒園前に下さった

お手紙について、懐かしく思い出しながら、書きました。

私の通っていた保育園は、カナダの宣教師が戦前に開園されました。

自宅からはとても遠かったのですが、大変評判のよい保育園で、

人気があり、母はその評判を聞いて、私を入園させたのでした。

どの保母さんの言葉使いも、丁寧で優しく、明るく穏やか。

子供の目を見てゆっくり話をされ、、春のお日様のもとで

日向ぼっこをするような雰囲気でした。


★かつて、私のドイツ人の友人が、「僕の一番好きなドイツ語は、

"Kindergarten" です。

本当にきれいな言葉だ!」と言ったのを思い出しました。

「キンダーガルテン 子供たちのお庭」、きれいな言葉ですね。

その保育園も、「子供たちの楽しいお庭」という環境でした。

ただとても遠かったので、痩せっぽちでひ弱な私が通うには、少々

辛い面があり、生島先生もそれを案じて下さっていたのでしょうね。

雨が降ると、「保育園を休んでよい」という暗黙の了解が、

我が家にはできてしまい、「おうち遊び」も大好きな私は、

雨の日は家で絵本を読んだり、ステレオで童謡を聴いたり、

ピアノを弾いたり、きれいな千代紙で貼り絵をしたり・・・

楽しい一日でした。


★「三つ子の魂百まで」。いまだに雨が降ると、子供の頃の

習慣から、仕事の手を止め、長いすに寝そべって、本を読んだり、

サボっています。


★生島先生の優しいお手紙から、お話が脱線してしまいましたが、

梅雨空の、雨が多い毎日。

当然小さい頃からの習慣で、本を沢山読みます。

久しぶりに、円地文子訳「源氏物語」を紐解きました。

日本最高の古典文学≪源氏物語≫では、「お手紙」は最も重要な

恋の駆け引きの道具であり、差出人の才知の見せ所、そして

この物語の展開を牽引する、道具でもあります。

 

 

                                                                            モリアオガエルの卵

 


★物語の主人公光源氏は、最愛の妻の「紫の上」を亡くし、

生前に「紫の上」が書いた手紙を、女房たちに命じて焼いてしまう

場面を、少し書き写してみます。


★円地文子さん《1905(明治38年)-1986(昭和61年)》の訳です。

(源氏は)「あとに残っては見苦しいような人のお文なども、

破るには惜しくお思いなったのか、少しずつ残しておありに

なったのを、何かのついでに見出して、破り捨てさせなどなさる。

あの須磨にご退去の頃、あちこちの女君たちからさし上げたものの

ある中で、亡き紫の上の御手蹟(みて)のは、特に一つに

まとめておありになった。

御自身でこうしてお置きになったのだったが、それも遠い昔のこと

となってしまったと思召す。

しかし、今の今書いたような墨の色など、ほんとうに千年の形見にも

出来るものであるが、出家すれば見てはなるまいものとお思いになり、

是非ないことと、親しくお使えする女房たち二三人ほどに言いつけて、

お前で破らせておしまいになる」


★紫の上の一周忌を済ませ、出家を決意した源氏の心境です。

当時の仏教に基づいた世界観から言えば、出家するという事は、

「この世から、この世とあの世をつなぐ架け橋のような位置

(仏門に入る)に移動する」、という決意表明です。

もうこの世の人ではなくなる、という意味です。

 

 


 


★源氏は初めて、その時に、紫の上の手紙を破らせます。

このように生きていた(この世にある)ときに、最も大切に

保存するものが、手紙だということになります。


★もう一つここで重要なことは、「今の今書いたような墨の色など、

ほんとうに千年の形見にも出来るもの」という表現です。

紙が貴重品であった時代、これも高価な墨で書かれた手紙は、

まるで今書いたように見えるし、千年も持つことでしょう、と

紫式部は書いています。


源氏物語は2008年に、源氏物語が読まれていたことが記録上で

確認される時期から、ちょうど一千年を迎えました。

紫式部の心中は、手紙と同じく、「自分の書いた物語は、

千年の形見になるほど残るかもしれない」、という密かな

自負を持っていた事を、私はこの文章に嗅ぎ付けるのです。


★源氏物語を現代語訳した円地文子さんとは、面識もなく、

お会いしたこともないのですが、ご自宅と、私の実家の距離が近いので、

何となく親近感がありました。

源氏物語全訳に取り組んでおられると聞き、ご自宅前を通るときは、

「ここでお仕事をしていらっしゃるのだなぁ」と、お庭の木々の先の

お家を見上げていました。


★私は現代の作家たちの源氏物語訳も、時々本屋さんで立ち読み

してみるのですが、購入にはいたりません。

現代人にも親しみやすく、というのはわかるのですが、

やはり王朝文学ですから、源氏物語の世界は、市井の人々の

言葉使いや感覚とは違う、と思います。

王朝と現代感覚の庶民の暮らしを、峻別しつつ、王朝人と現代人に

共通する、人間観察と洞察をその訳によって探るのが、

源氏物語の翻訳の本来の姿勢でしょう。

この円地文子訳はそれに成功していると思います。


★そして大事なことは、私が購入する気になれない、いくつかの

現代語訳は、源氏物語を、今読まれている漫画のように、

プレイボーイ光源氏の恋愛模様の物語と捉えていることです。

確かに彼はハンサムで、もてるのですが、私には、

光源氏は大きな物語の「狂言回し」にしか過ぎないようにも、

思われるのです。


源氏を中心とする、さまざまな人間の、物語の中の有機的配列を

見ていきますと、人間とは何か、その人間を支配する、

「時」とは何か、という大命題が浮かんでくるのです。


★そう「時」と「時」を繋いでいくものが、手紙なの

かもしれませんね。

源氏物語は、バッハの音楽の大伽藍に似ている、といつも思います。

本物の芸術は、古今東西、その表現し、探求するものは、

音楽、文学の違いに関わらず、

案外、同じものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

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■中村洋子作曲≪チェンバロ独奏曲「風宴」≫の楽譜、取扱を開始■

2021-07-09 12:31:23 | ■私の作品について■

中村洋子作曲≪チェンバロ独奏曲「風宴」≫の楽譜、取扱を開始■
       ~作曲家の習性について~
                2021.7.9  中村洋子

 

 

麦秋:「 Debussy 亜麻色の髪の乙女」の髪は、そよ風に揺れる麦のこの黄金色でしょうか

 


★梅雨末期のうっとおしい雨が続いています。

それでも、灰空の雲の上には、きっと美しい青空が

広がっているのでしょうね。

私の作品、チェンバロ独奏曲「風宴」の楽譜のお取り扱いを

アカデミア・ミュージックで始めました。

この作品は1989年作曲、2000年1月に日本作曲家協議会(JFC)

から出版されました。

全5楽章の美しい曲です。


★私がここで自らの作品を「美しい」と書きましたことを、

不思議に思われた方もおいでになるかもしれません。

私は、作曲をしました後は、次の作品を書くために、

できるだけ過去の作品を、記憶から消去してしまう

習性があります。

もちろんすっかり忘れてしまうのではないのですが、

大まかな記憶にとどめて、細部の音などは、霞がかかった

ような記憶にとどめます。


★ある俳優のエッセーを読みましたら、上演し終わった劇の

シナリオを捨てる、と書いていました。

それと近い行為かもしれません。

(もちろん大事にとっておく役者さんも多いようですので、

一概には言えませんが)

バッハの作品は一音たりとも忘れまい、と身構えているのとは、

正反対です。

 

 

 


★このたび「アカデミアミュージック」さんで、この「風宴」の楽譜を

お取り扱いをいただくことになり、改めて弾いてみましたら、

とても美しくて佳い曲だなぁ、と素直に思えました。

 

 


第1楽章は 「Quasi improvisation あたかも即興のように」

楽譜に音は、きっちりと書き込まれているのですが、それをまるで

”即興で弾いているように聴こえる”、ような曲想と演奏を望んでいます。

 

 

 


★この「風宴」という曲の題名の由来について少しお話します。

この作品の初演はチェンバリストの及川真理子さんに

お願いするつもりでした。

及川真理子さんはフランスでロベール・ヴェイロン=ラクロワ

(Robert Veyron-Lacroix, 1922年 - 1991年)にチェンバロを

学ばれました。

帰国して意欲的な活動をされている頃、私は彼女に出会い、

及川さんが主催されていたバロック音楽研究会で、チェンバロの楽器の

歴史と特性を学び、通奏低音を試行錯誤し、時には来日した

ロンドンバロック(1978年、イギリスで結成されたオリジナル楽器

による演奏グループ)の皆さんと歓談したり、美味しい小川軒の

ケーキでお茶を飲み、楽しく実り豊かな時を過ごしました。


通奏低音に関しては、「あなたは作曲家だから、

自由に弾いていいのよ」

というお言葉通り、楽しく自由に和声をつけて弾いていました。

和声は決して堅苦しいものではありません。

必要最低限の知識と制約の上に、自由の翼を羽ばたかせればよい、

と私は思っています。


★私たちは21世紀に生きているのですから、干からびて、

灰色のほこりをかぶったような、「通奏低音」を学問のように

弾く必要はないと思っています。

そのような楽しい時は、及川さんの突然のご病気で終わって

しまいました。

ご入院先からお電話を頂き、「初演はご回復をずっと待ちます」と

申し上げたのですが、「もうできないの」とおっしゃった時の声を

忘れることはできません。

儚いですね。

 

 

 


★そのような経緯の後の作品完成です。

この1楽章は、天上で軽やかにチェンバロを弾いている女性の

イメージです。

その音は地上からは、風の音にしか聴こえないかもしれませんね。

「風の宴=風宴」のタイトルの由来です。

 

第2楽章 Lamentoso 悲しみに沈んだ、哀悼

ゆったりとチェンバロの豊かな音の響きを味わいます。

 

 

 


★私はチェンバロの作品を作曲するときは、

百瀬昭彦さんの工房スタジオをお借りしていました。

百瀬さんはいつも完璧に調律された銘器をご用意して下さり、

私はチェンバロの豊穣な響きに、一人で酔いしれていました。

ちなみに私はアルコールを一滴も飲めないのですが、

お酒に酔う、ってこんな感じかしら、といつもスタジオで

感じていました。

頭の中がふっくらとよい香りと幸福感で満たされた感じですね。


★第3楽章 Allegretto 快速に

20世紀(作曲したのは20世紀ですので)の軽やかな舞曲。

繻子のトウシューズをはいた踊り子が、軽やかに舞い踊ります。

まるで地球の重力から開放されたかのような舞曲。

 



 

★第4楽章♪=ca.52~60

8分音符をおおよそ52~60のテンポで

とてもゆっくりした楽章です、沈思黙考。音の思索を深めます。



 


★第5楽章 Grandioso  堂々と荘厳に

音でできた壮麗な大理石の階段をゆっくり上っていきます。

上りきった天上にはきらびやかな音の宝石の宮殿がそびえています。



 


★Yoko Nakamura
Fû-en for harpsichord JFC-9915

中村洋子 「風宴」ハープシコードのための
(社)日本作曲家協議会 JFC-9915 定価1,100円

お問い合わせは アカデミア・ミュージック 佐久間様
電話 03(3813)6751

アカデミアミュージック / 輸入楽譜の専門店 TOP (academia-music.com)

 

 

 


★ところで、今日は思い出話をもう少し。

お部屋を少し整理していましたら、

私が通っていた保育園を、卒園する前に、保母さん

(私はこの言葉の、なんとも優しい響きが大好きです)

からのお手紙が出てきました。

茶封筒に入っているのですが、昭和の時代の封筒は、現代より

少し縦横の幅が小型のようです。

茶色のブンブン紙のような封筒に透かしの線が縦に

平行して入っています。

「このごろのようこちゃんは とてもげんきでおしゃべりで
ほんとうに はるのこどものようですね。とてもうれしいです。
がっこうへいったら からだをもっともっとじょうぶにして、
よくあそび、よくべんきょうしてくださいね。

なかむらようこさまへ  さやうなら    いくしまえつこ」

と書いてありました。

 

★ひ弱で痩せっぽち、内気な(現在と全て反対です)私を、

優しく気遣って下さった生島先生のお手紙です。

生島先生お元気かしら。


遠い昔のお手紙も、紙で書かれた時代ですから、きちんと残ります。

パピルスの昔から、紙は無限に長い時間を生き延びてきました。

現代の通信手段、ネットのメールは、これからどうなるのでしょうね。

送信したメールも、マザーコンピューターに集約されてしまい、

人間の一番繊細でやさしい感情が、集約され、圧縮されていくような、

なんともいえない不気味さも感じます。


★昭和の時代の生島先生の、暖かく、優しい思いやり深い感情は、

何十年のときを経ても、色あせることはありません。

断捨離で、すっきり何もないお部屋、

思い出のお手紙の一葉もない生活には、

私は耐えられないのです。

 

 

 

 

※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
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