音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「フーガの技法」自筆譜冒頭の自由句《レミファソラ》が、全曲の屋台骨を形成■

2020-08-27 16:59:32 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■「フーガの技法」自筆譜冒頭の自由句《レミファソラ》が、全曲の屋台骨を形成■
~この自由句が平均律1、2巻との掛け橋、「フーガの技法」アナリーゼその3~

             2020.8.27  中村洋子

 

 

 

 


★酷暑が続いていますが、食卓に射し込む陽射しが、

いつの間にか長く、伸びているのに驚かされます。


★≪晩夏(おそなつ)の西日さし入る店頭に
         どれも発熱の黄なるオレンジ≫
             杉﨑恒夫「食卓の音楽」
 
★近頃はフルーツもスーパーで買うことが多いのですが、

街の八百屋さんの店先には、日除けのテントの下に、

西瓜(スイカ)が、ゴロンと並んでいたりします。

やや奥まって開け放たれたガラス戸の奥には、

オレンジが行儀よく、並んでいるのかしら。

晩夏の西日は、熱い舌先でオレンジを舐め回しているよう。


★今回は、Bach「フーガの技法」の続き、第3回です。

1742年のBach自筆譜には、Bachによる「表紙」は存在しません。

後に娘婿のAltnickol Johann Cristoph アルトニコル(1719-1759)

によって書き込まれた題名は「Die Kunst der Fuga」です。

この「Fuga」は、イタリア語またはラテン語ですが、没後出版の

初版楽譜は「Die Kunst der Fuge」と、なっています。

この「Fuge」は、ドイツ語です。


★このため当ブログでは、自筆に言及する時は「Fuga」、

初版譜の時は「Fuge」というふうに、厳密ではないまでも、

緩やかに区別していきたいと、思います。

 

 

 


★「フーガの技法」各曲について、自筆譜では順番にⅠ Ⅱ Ⅲ・・と

番号がふってあるのみです。

初版譜は、各曲に「Contrapunctus 1、2、3・・・」と番号があり、

「Fuga」「Fuge」の文字もありません。

Bachはこの立派なフーガ群に「Fuga(Fuge)」の題名を

与えなかったのは何故なのか。

「Counterpoint (Contrapunctus)」という言葉に集約された

「Bachの構想」は何かを、これからじっくり学んでいくつもりです。


★ところで、 Fuga の勉強というと「この声部には Subject 」

「この声部はCounter subject」、あるいは「この部分は提示部

(Exposition)、ここは嬉遊部(Episode)・・・」というように、

何となく図式のように全体を見渡して、それでよし、とされ勝ち

ですが、それだけではFugaの「探求」の入口にも、

立ったことにはなりません。


ヨーロッパのクラシック音楽は、単旋律でない限り、

2声であっても、あるいは、たった2つの音が同時に

存在するだけでも、そこに必ず生まれるのが

「Harmony(和声)」です。

和声と対位法は、表裏一体なのです。

 

 

 


★「フーガの技法」の勉強で、第1曲目のSubjectが2曲目、3曲目で、

どう変容して展開されていくか、その展開だけにとかく

目を奪われがちですが、この曲集の類稀な和声にも、

もっと注目すべきでしょう。


★Bachがこの曲集の各曲に、自筆譜では題名をつけず、

没後出版には「Contrapunctus 1 2 3・・・」としたのは、

フーガでありながら、フーガの範疇すらも超えた作品であることを、

自負したからかもしれません。


★前回ブログでお話しました自筆譜の1段目中央3小節目冒頭の

アルト声部について、もう一度思い出してみましょう。

ソプラノ声部は、Answer(応答)ですが、

このアルト声部「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹(レ ミ ファ ソ ラ)」は、

いわゆる自由句で、

フーガの中で Subject 主題と Answer応答、Counter-subject 等の

ことさら重要な役割は担っていません

このため「自由句」と言うのですが、この長大な曲集

Die Kunst der Fuga 第1曲1段目「中央」という位置は、

底知れない重要性をもっています。

 

 

 


★ここでハッと気づくことは、平均律1巻24番 h-Moll との関連です。

私は現在、コロナ禍で中断していますが、平均律1巻アナリーゼ講座を

1~8番まで開催しました。

https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture

その中で、1巻全24曲の中で、24番 h-Moll が特異な位置を占めて

いる事、即ち1~8番までの曲のほとんどが明確に、矢印を24番の

方に向けているとともに、24番ははっきりと平均律2巻を

指向しているということをじっくりご説明しました。

 

 

 


★これを言い換えますと、Bachは平均律1巻を作曲中に、既にかなり

はっきりとした平均律2巻の「構想」を描いていたであろうことです。

そして、平均律2巻の自筆譜は、1738~42年に書かれています。

平均律2巻と「フーガの技法」については、

私の著作《クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり》の

207ページを、是非お読みください。


「フーガの技法」の自筆譜も、1742年に書かれていますから、

この二つの曲集は、同時期に並行して作曲されたことになります。

2巻の構想を明らかに胸に秘めた上で作曲された「1巻24番h-Moll」の

プレリュードPraeludium24(自筆譜ではこのようにラテン語で

表記) は、このように始まります。

 

 


★試みにこの1巻24番h-Moll のPraeludiumを、

短3度下の 「d-Moll 」に移調してみましょう。



 


★「フーガの技法」3小節目のアルト声部冒頭「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」は、

驚くべきことに、「d-Moll」 に移調した1巻24番のプレリュードの

「d e f g a」に、見事に対応しています。



 

ここに平均律1巻→平均律2巻→フーガの技法の掛け橋を

読み解くカギがあります。


★ちなみに、平均律1巻24番 h-Moll の冒頭の「主音H」から

「主音h」に上行していく音階は、≪ Matthäus-Passion

マタイ受難曲 ≫ の第1曲目6小節目の e-Moll の上行音階と同様、

ゴルゴダの坂を上るイエスの歩みを象徴しているともいえましょう。

これにつきましては、

私の著作《クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり》の314ページ

≪調性をどう解釈するか≫という問いへの具体的な解答は

「バスのオクターブにわたる音階上行形」』を、お読み下さい。

 

 

 


★お話を戻しますと、「フーガの技法」自筆譜3小節目の

ソプラノ声部は、 Answer 応答 ですが、その冒頭2分音符の

「 a¹ d² 」は、これもまたd-Moll に移調した平均律1巻24番の

アルト声部「 a¹ d² 」と、一致します。



 


★まとめますと、「フーガの技法」自筆譜3小節目のアルト声部

「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」を、単なる埋め草として見落としますと、

「フーガの技法」の屋台骨に気付かない、という残念な結果

になります。

言うまでもないことですが、Bachは自筆譜をただ漫然と

書き連ねることなど決してしない作曲家です。

 

 

 


★試みに、自筆譜1ページ1段の《中央》に「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」

位置していますが、それでは自筆譜1ページ最下段の《中央》は、

どうなっているのでしょうか。

Bachの自筆譜は、1~8番まで1ページが5段で書かれています

(2番のみ追加の1段があります)。

ですから最下段は「5段目」となり、その中央の小節は19小節目です。

自筆譜は、ソプラノ、アルト、テノール、バス記号の4段譜ですが、

20小節前半までを、分かりやすいように、ソプラノとアルト声部を

ト音譜表に、書き換えてみます。

テノール声部はお休みですので、そのままにしておきます。



 


1段目の中央3小節目から、ほぼ真下に視線を落としますと、

5段目中央19小節目に行き着きます。

 

 


★そして、19小節目から20小節目にかけて、3小節目の

「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」が、見事に展開されているばかりではなく、

19、20小節目のソプラノ声部だけを見てみますと、

 

 

d-Moll 主音「d¹からd²」まで、オクターブにわたる音階上行形が

形成されているのです。

更に驚くべきことには、19小節目から20小節目前半のアルト声部の

2分音符を取り出してみますと、「c¹ e¹ g¹ ド ミ ソ」になります。

自筆譜は、この三つの音が、大変に目立ちます。


★その同じ部分のソプラノ声部を見ますと、アルト声部を

追い掛けるように、これもまた、「c² e² g²」があります。

「二短調 d-Moll」の曲なのに、なぜか「ド ミ ソ」なのです。

本来なら「d-Moll」の主和音「レ ファ ラ」をここに置きます。

そうしますと非常に、分かりやすくなります。

しかし、Bachはあえてそうしませんでした。

これについては、次回ブログでご説明します。


★この譜例は、自筆譜通り、ソプラノ譜表、アルト譜表で

書き写します。



 


★この「ド ミ ソ」が、いかに際立つように書かれているかも、

よく分かります。

これが「フーガの技法」1曲目冒頭左ページ最後の部分の音です。

ここでの和声については次回ブログでまた、ご説明します。

 

 

 

 

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■「フーガの技法」自筆譜冒頭5小節、ここでBachは「調性とは何か」を力強く説いた■

2020-08-16 20:02:40 | ■私のアナリーゼ講座■

■「フーガの技法」自筆譜冒頭5小節、ここでBachは「調性とは何か」を力強く説いた■
~この5小節、青白い炎の様に息を呑むエネルギーと緊迫に満ちた音楽~
                2020.8.16  中村洋子

 

                     蕎麦畑

 


★遅い梅雨明け後の酷暑です。

幼い頃の晴れやかな夏は、何処へ行ってしまったのでしょう。

この夏も記録的な集中豪雨が各地を襲いました。

最上川が氾濫しました。

ラジオニュースで「大石田町」という地名を聞き、はっとしました。

芭蕉は「奥の細道」の山寺・立石寺で、

「閑かさや岩にしみ入(る)蝉の声」を詠んだ後、

「もがみ川乗らんと 大石田と云処に日和を待(つ)」と、

記しています。

新暦の7月中旬から下旬にかけての紀行です。

 

★大石田の地には、かつてふとした縁から俳諧が伝わった後、

(しかるべき指導者のないまま)道しるべする人は

いなかった、と芭蕉は書いています。

それだけに芭蕉の訪問はどれだけ嬉しかったことでしょう。

「最上川は、みちのくより出て山形を水上とす」

 

★私の作品「もがみ川」は、この文章をmottoに作曲されました。

CDは、二台ギターにより演奏されていますが、

ドイツから依頼があり、ギターとチェロの二重奏でも

演奏されています。

CDはアカデミアミュージックで取扱中


★前回ブログでご紹介しました歌集「パン屋のパンセ」の著者

杉﨑恒夫さんは、生涯に一度、第一歌集「食卓の音楽」を

1987年に出版しただけでした。

 




★「パン屋のパンセ」は、2010年出版。

お亡くなりになったのは2009年4月ですから、没後出版です。

ご家族や友人、出版社の皆さまの熱意で完成されたのでしょう。

亡くなった翌年出版というのは、何やら、 

Bach「 Die Kunst der Fuga フーガの技法」

思い起こさせます。


Bachは1750年7月28日逝去。

「 Die Kunst der Fuge フーガの技法」の初版は1751~52年。

杉﨑さんの「食卓の音楽」は、私には確かに読んだことがある、

という(古い)記憶があります。


★何故なら、この歌集の題名は、

Georg Philipp Telemannテーレマン(1681‐1767)の作品

「食卓の音楽」1733年(独語ではターフェルムジーク

Tafelmusik ですが、テーレマンは Musique de Table

仏語で書いています)に、触発されたと思われるからです。


★歌集のタイトルに魅せられ、興味津々で読んだのでした。

しかし、当時「楽譜は買うもの、本は借りるもの」と思い、

読書はほとんど図書館から借りた本でしたので、

若い頃読んだ本は殆ど、蔵書にありません。

いま、断捨離が時代の風潮ですが、私は逆に、昔読んだ本が

手元にあったらと思うことが度々あります。

いまならもう一度紐解けば読み方、見方、そして評価も変わり、

また新たな、楽しい読書体験ができると思うからです。


★近頃は、楽譜はもとより、本も躊躇なく購入しています。

電子書籍は目も疲れます、ソファーに寝転んでの読書は「極楽」。

その分、部屋の空間が段々狭くなっていきます、

ままならないですね。





★さて「Die Kunst der Fuga フーガの技法」について

少し書いてみます。

1742年に清書されたBACHの自筆譜と、没後出版の楽譜とでは、

曲の順番が異なっているのですが、第1曲はどちらも同じです。


自筆譜には、各曲の題名は書かれていませんが、1751/52年の

出版楽譜には、第1曲は「Contrapunctus 1」と書かれています。

自筆譜も出版楽譜も、現代の実用譜のように、ピアノの楽譜で

使われるようなト音記号とヘ音記号(バス記号)による

2段の大譜表ではありません。


★どちらも、高い方からソプラノ、アルト、テノール、

バス記号の4段譜です。

Bachの Chorale コラールも、すべてこのような4段譜

書かれています。

そして、自筆譜ではこのようにアルト声部の Subject(主題・主唱)

から始まります。

 

 

3小節から Answer (応答・答唱)が、始まります。

 

 

自筆譜は、譜例で示したように5小節目の前半までが1段目です。

5小節目から、バス声部の Subject 主題が始まります。

BACHは何故、5小節目の主題が始まってすぐ、

段落を2段目に移したのでしょうか。

4小節目を終えた後、5小節目を2段目から始めたほうが

「きりが良い」ように見えますが、

そうしなかった訳は、3小節目前半アルト声部の

「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」にあります。

3、4小節目を分かりやすくト音譜表で書いて見ます。

 

 

3小節目アルト声部冒頭音の「d¹」は、1小節目から続く

主題の最後の音であると同時に、3小節目後半から始まる

Counter-subject ( 対主題・対唱)と、1、2小節目の

Subject 主題つなぐ「自由句」の始まりの音とも、

いえます。

 

 

★Bachはこの「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」を、単なる埋め草として

書いたのではありません

1小節目主題冒頭2分音符の「d¹ a¹」から、この「自由句」は

作られています。

 

 

★そして、この曲を聴く人、演奏する人にとって、この「d¹ a¹」は、

深く、心と耳に焼き付きます。

d-Moll の主音と属音である「d¹」「 a¹」はそれだけ力強いのです。

そのため、自筆譜1段目の右端は、何としても d-Moll の主音と属音

でなくてはならないのです。


自筆譜1段目右端の5小節目前半を大譜表に書き換えてみます。

 

 

このように、1段目両端に、どっしりと位置している

「主音」と「属音」の“エネルギー”を1段目中央にある

自由句の「d¹」「 a¹」が受け止めるという、盤石の構えで、

Bach「Die Kunst der Fuga フーガの技法」

幕が上がるのです。

 




★続く2段目冒頭は、当然ながら5段目後半の「不完全小節」から、

始まります。

 

 

バス声部は5小節目冒頭から始まった主題です。

アルト声部は、主題や対主題ではない「自由句」です。

これをよく見てみますと、バスの主題の反行形

(または逆行形、どちらも同じ形になります)となっています。

大譜表で書いてみますと

 

 


★更に目を凝らし、自由句のソプラノを見てみますと、

2段目冒頭の「d²- a¹」は、自筆譜1段目で畳み掛けるように

提示されたd-Moll の属音と主音です。

「d² a¹ c² a¹」の4音は、3小節目ソプラノの4つの2分音符

「a¹ d² c² a¹」の1、2番目の「a¹ d²」の順番を逆にし、

3、4番目の「c² a¹」は、そのままにした4つの音を

縮小したものです。

 

 


たった1~5小節の間に、これだけ息を呑むような、

緊迫した音楽を、Bachは創造しました。

2段目冒頭小節である5小節目後半で、アルト声部の「d¹ f¹」

バス声部の「f d」を、これほどまでに強調したのは、実は、1段目で

心にクッキリと焼き付けた d-Moll の「主音」と「属音」だけでは

d-Moll を確定するのには、少し力が弱いのです。


★もちろん、1段目には「f¹」音が5回、「fis¹(f#)」が1回奏され、

誰の耳にも、 d-Moll は分かりすぎる程分かるのですが、

調を確定する主音の音の第3音この場合、「f¹」と「f」を、

刻み込むように強調しなければならない、とBachは

考えたのでしょう。


それが2段目冒頭の「f¹」と「f」音なのです。

 

 


調性を決定するのは、音階の第3音と、主音との関係が

「長3度」か「短3度」かによりますが、これをBachは

「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の「序文」で、

簡潔に言及しています。

詳しい解説は、

https://www.academia-music.com/products/detail/159893

お読み下さい。

 

 


★Bachの自筆譜は、縦長の五線紙1ページ5段で、見開き2ページで、

記譜されています。

没後の初版譜は、横長の五線紙1ページ3段の見開き2ページで、

記譜されていますので、当然、初版譜の1段は長く

アルト声部の Subject主題、ソプラノ声部の Answer応答、

バス声部の Subject 主題に続いてテノール声部の Answer 応答 の

途中までが1段目に書き込まれているため自筆譜に見られるような

主音と属音による、エネルギーの凝縮、そこに割って入ってくる

3度の起爆剤は、見られません。


炎は、赤より青白い炎が高温です

Bach晩年の「Die Kunst der Fuga フーガの技法」には、

青白い炎が燃え盛っています。

壮年期の真っ赤な炎より、更に白く白く燃えさかる炎の結晶となり、

270年経ちました。

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
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