音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Schumannの言葉「名人の演奏家より、楽譜と付き合いなさい」

2018-12-22 13:13:56 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Schumannの言葉「名人の演奏家より、楽譜と付き合いなさい」
~シューマンの言葉を実感したドイツ・カンマ―フィルのSchubert「ザ・グレート」~
      ~上野の森美術館「Vermeer フェルメール」展

          2018.12.22   中村洋子

 

 


★≪シクラメン花のうれひを葉にわかち≫ 久保田万太郎(1889-1963)

シクラメンは春の季語ですが、年末クリスマスのお花屋さんを、

華やかに彩る紅の花は、寒さに縮こまりそうになる身体と心を、

ほのかに暖めてくれそうです。

今日は冬至です。


銀供出令出づ ≪かんざしの目方はかるや年の暮≫

同じく万太郎の句。

女性のおしゃれの楽しみである「簪(かんざし)」のわずかな銀でさえ、

戦争のために供出させられた年の暮れ。

こんな年の暮れが二度と、来ないことを願うばかりです。

 

 


★12月は心に残る展覧会とコンサートに出かけました。

上野の森美術館で開催の「Vermeer フェルメール」展。

https://www.vermeer.jp/pictures/

https://www.vermeer.jp/ 

氷雨に近い冷たい雨がそぼ降る夕方、会場は鑑賞者が少なく、

静かにじっくり、見ることができました。


★8点のVermeer フェルメール(1632-1675) のうち3点、

「リュートを調弦する女(1662~63年頃)」、

「真珠の首飾りの女(1662~65年頃)」、

「手紙を書く女(1665年頃)」、

それぞれ「メトロポリタン美術館」、「ベルリン美術館」、

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」所蔵作品です。


★並んだ3点を同時に拝見できるとは、またとない機会でした。

制作年代も、フェルメール30~33歳です。

光沢のある黄色い上着を身に着ける若い女性。

豪華な毛皮で縁取られ、フカフカと暖かそう。

3点とも、同一人物でしょう。

「真珠の首飾りの女性」については、私の著書「クラシックの真実は

大作曲家の自筆譜にあり」の95~96ページをご覧ください。

 


★「光あれ!Es werde Licht ! Und es ward Licht !」の

光の世界と、この3枚に共通している「ネックレスの輝き」、

「イアリングの真珠の輝き」、「光る椅子の鋲」、

それらによる点の「Composition」。


point counter point 点対点の対位法を楽しみました。

この若い女性が大切にしている真珠のネックレスやイアリング、

日本の女性の簪と同じでしょう。

戦争に使うという名目で、「供出」という名の、

事実上の強奪により、取り上げることは本当に呆れます。

アクセサリーは、女性を飾るためだけに使うものですね。

 

 


★「Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen

ドイツ・カンマ―フィルハーモニー管弦楽団」、

Franz Schubert フランツ・シューベルト(1797-1828)の

Sinfonie Nr.8 C-Dur D944  “Die Große”

シューベルト交響曲第8番「ザ・グレート(ディ・グローセ)」は、

名演でした。

指揮は、Paavo Järvi パーヴォ・ヤルヴィ(2018.12.12 東京オペラシティ)


★私の座席は、1階の前から3列目の左端でした。

この席は、舞台から聴こえる音のバランスは決して良くありませんが、

目の前は、3人のコントラバスの定位置でしたので、

シューベルトの bass バス 声部の凄さを、勉強できました。


チェロとコントラバスが分離して作曲された場合、

オーケストラがどのような和声の響きを形成するのか、

この答も、今回のような名演を聴くことにより、

会得できるものなのですね。


★例を挙げますと、まず第1楽章冒頭、7小節間はホルン二人のみで、

心を鷲掴みするような旋律が奏されます。

 

 


★この1、3、4小節の中から、モティーフである「c²-d²-e²-f²-g²」の

音階が形成され

 

 

2、3小節の中から、モティーフである音階「a¹-h¹-c²-d²-e²」が、

形成されています。

 

 

この1~4小節までの 4小節間は「二声」で書かれた、

とも言えます。

更に凄いのは、この2つのモティーフである音階を繋げますと、

「C-Dur」の音階が形成されることです。

 

 


★このように、「モチィーフを組み合わせることによって、

音階を形成する作曲技法」の源は、勿論バッハなのですが、

8月23日、9月11日の当ブログ、

『チャイコフスキー「四季」の真正な楽譜のみ分け方』の

「四季」にも効果的に、用いられています

是非、探求してみて下さい。

 

 


★お話をシューベルトに戻しますと、

この「二声」を読み解くカギは、アクセント記号「>」にあります。

シューベルトが何故、そこにアクセントを付けたのか ?

クラシックの名曲は、必ず豊かな counterpoint 対位法 によって

作曲されています。

シューベルトも、チャイコフスキーも例外ではありません。


二本のホルンが、ピアニッシモppで「c²」の全音符を

奏している8小節目、弦楽器が密やかにホルンに呼応します。

 

 

★チェロとコントラバスを、もう少し詳しくみますと、

8~16小節の間、両者はこのように全く同一です。

 

 

★コントラバスは記音(記譜された音)より、実音(実際に鳴る音)は、

1オクターブ低いので、

 

 

実は、チェロとコントラバスは互いに1オクターブ音程の幅がある

unison ユニゾンを形成しています。

 

 

★名曲のオーケストラスコアをご覧になりますと、

このように作曲されていることが、多いと思います。

しかし、シューベルトの「Die Große(ディ・グローセ) ザ・グレート」は、

チェロとコントラバスが分離して、各々独立しているところが

とても多いのです。

例えば、17~28小節目までは、

 

 

チェロとコントラバスだけで、これだけ美しい対位法を築いています。

大譜表に書き直してみますと、このようになります。

 

 


★このチェロとコントラバスの上に、更にヴァイオリンⅠとⅡ、ヴォオラが

加わるのですから、まさに“天上の美しさ”です。

皆さまも是非、スコアでチェロとコントラバスの「妙なるDuo」の数々を、

探し出し、楽しんでください。

この名曲を世に出すことに尽したRobert Schumannロベルト・シューマン

(1810-1856)が、「Musikalische Haus-und Lebensregeln

家庭と生活での音楽ルール」の中で、子供たちに語っているように、

「大きくなった時、名人の演奏家と交際するよりは、楽譜と付き合いなさい」

ですね。


Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)の

音楽評論については、私の著書

「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり」の256~258ページに、

最も大切な部分を、私が訳して掲載しておりますので、

どうぞ、お読み下さい。

 

 


★なお、Schumannシューマンの弟子ともいえる、 Johannes Brahms

ブラームス (1833-1897)が、この交響曲をどんなに深く、

勉強していたかが、聴いていて実感できました。

“あそこにも、ここにも”と、ブラームスが顔を出すのです。


★この「Die Große (ディ・グローセ)ザ・グレートは」、

「長い曲だ、長過ぎて繰り返しも多い」と、世に喧伝されていますが、

それは演奏が良くないからでしょうね。


★前回ブログで、オリ・ムストネンのPaul Hindemith パウル・ヒンデミット

(1895-1963)が素晴らしい名演で、一瞬のことのように思えた、と

書きましたが、この「Die Große ザ・グレート(ディ・グローセ)」も、

些かも飽きることなく、気が付いたら、終わっていたというような

幸せな音楽体験でした。

オーケストラの皆さんの顔も、音楽をする喜びに溢れていました。


★このシューベルトの「Die Große ザ・グレート」は、コンサートの第2部

でしたが、第1部は、 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) の

Konzert a-Moll für Violine und Orchester BWV 1041

ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調と、同第2番 BWV 1042 E-Dur ホ長調

を、2曲続けての演奏でした。


★大好きなこの2曲、楽しみに出掛けたのですが、

なんとも退屈で、長く感じられました。

独奏のヴァイオリニスト Hilary Hahn ヒラリー・ハーンは、

美しい容姿で、流麗にサラサラ演奏されるのですが、

和声の裏付けのある色彩感に乏しく、対位法による構成も貧弱。

 

 


Schumanの「大きくなった時、名人の演奏家と交際するよりは、

楽譜と付き合いなさい」とは、このことだと実感しました。

もし、この演奏で初めて、Bachを聴いたお子さまがいたとしましたら、

Bachを好きにはならない、のではないかと危惧しました。

まず「スコアで勉強することが大切」というのが、

Schumannの考えでしょう。


オーケストラメンバーのお顔の表情も、Bachのヴァイオリン協奏曲の時と、

シューベルト「Die Große ザ・グレート」の時とでは、

随分と違って見えました。

心の奥底から湧き上がる音楽を創り出すときには、人の顔は、

フェルメールの「真珠の首飾りの女性」のように、光に向かって、

幸福感に満たされた、輝く顔になるのですね。

 

 

 

 

※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■幸福感に満たされた「ムストネンのヒンデミット演奏」とインド映画「ガンジスに還る」■

2018-12-01 13:02:39 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■幸福感に満たされた「ムストネンのヒンデミット演奏」とインド映画「ガンジスに還る」■
    ~樹木希林「悟りとはいかなる場合にも平気で生きていること」~
            2018.12.1     中村洋子

 

 


★いよいよ師走です。

いつまでも心に残る映画を見ました。

Shubhashish Bhutiani シュバシシュ・グティアニ監督・脚本の

2016年/インド映画「ガンジスに還る  Hotel Salvation」。
                        
監督は、1991年7月生まれで、映画撮影時は24歳でした。


★Salvationは救済という意、年末の風物詩「救世軍鍋」の

救世軍は「Salvation Army」ですね。


★この映画は、キリスト教でなく、ヒンドゥー教のお話です。

死期を悟った老人「Daya ダヤ」が、息子「Rajiv ラジーヴ」に、

バラナシ(日本では、通称ベナレス)で死にたい、

付き添ってくれるよう頼みます。

 

老人「ダヤ」を演じた「Lalit Behl ラリット・ベヘル(1949-)の演技が

素晴らしく、この重いテーマの映画を、飄々と、とぼけた軽みの中に、

人間の優しさと存在感、生死の厳しさを演じていました。


★日本の役者さんに例えれば、お顔は似ていませんが、

森繁久彌さんでしょうか。


★ことし亡くなられた樹木希林さんの、おそらく最後のインタビュー、

雑誌「銀座百点」9月号の「百点対談」~平気で生きていく強さ~

(聞き手 山川静夫)で、森繁さんについて「満州へ行ったり、戦争で

子どもを抱えて苦労したこと、経験した生活が全部味わいになっていて、

それがアドリブにも生きているから、勉強になるの。

向田さんも、演出の久世光彦さんも私も、森繁学校の生徒で、

日常のなんでもないところ、むしろ、悲しい時にフッとおかしいことをする

人間というのを教わったのね」と、語っておられます。

 

 


★このインド版森繁老人の息子「Rajiv ラジーヴ」を演じるのは、

Adil Hussain アディル・フセイン(1963-)。

仕事に追われるビジネスマンですが、父の願いに応え、

ガンジス河の前にある、死を待つ施設「解脱の家」まで同道します。


★勿論、父の死を望んでいる訳ではないのですが、

この「解脱の家」の滞在期間は、15日間だけ、

という規則になっています。

"15日を過ぎて生きていたらどうしたらいいか"、真面目に悩みます。

しかし、施設の長はすました顔で「名前を変えて再登録するだけ」。

これには笑ってしまいました。

それを繰り返し、18年間滞在している品のいい老婦人もおいでになる。

この映画は、人生賛歌です。


★この映画は、良質のユーモアに満ち、鑑賞中、声を出さずに

笑いっぱなしでした。

希林さんの「悲しい時にフッとおかしいことをする人間」と、

相通じるものがあります。


人と人とが会話している際の画面の構図は、柱、戸、窓、などが

緊張感を孕んで、空間を切るように配置されています。

Bhutiani グティアニ監督が、どれだけ小津安二郎を勉強したか、

分かります。

天才を知るのは天才のみ、勉強勉強というのは、古今東西の鉄則。

岩波ホール「エキプド・シネマ」ロードショー、2018.12.14まで上映。

 

 


★映画の世界で、上記の Bhutiani グティアニ監督を楽しみましたが、

クラシック音楽では、フィンランドの Olli Mustonen オリ・ムストネンさん

(1967-)の、ピアノ演奏、指揮、作曲を楽しみました


★Mustonen ムストネンさんが、 Paul Hindemith パウル・ヒンデミット

(1895-1963)の「The Four Temperaments 4つの気質ー

ピアノと弦楽オーケストラのための主題と変奏」を、

ピアノ演奏しながら指揮もするコンサートを聴きました。


★Paul Hindemith パウル・ヒンデミット(1895-1963)が、

ナチス・ドイツに迫害され、アメリカ亡命直後の1940年作品ですから、

40代半ばの曲です。

ムストネンも50歳を超えましたので、作曲家も演奏家もインドの

映画監督の倍ほどの年齢です。


★ちょうど20年前の1998年10月、来日したムストネンの

埼玉でのコンサート。

Bach《平均律クラヴィーア曲集》第1巻と、

ショスタコーヴィチ《24の前奏曲とフーガ》を、

交互に弾くという画期的な試みのコンサートを聴きました。


★その時の会場がとても暑く、ムストネンは右腕で汗を拭き拭きの

演奏、好演でした。

面識は全くありませんが、久しぶりにステージを拝見し、

何かとても懐かしい思いがしました。

 

 


★今回も、リーディンググラス(老眼鏡)を外しては、

汗を拭いての演奏でした。

さて、そのHindemithヒンデミットの演奏は、

「素晴らしい」の一言に尽きました。

一般的に、Hindemith作品の良い演奏はあまりなく、

「硬く、知的で冷たい曲」になり勝ちです。


★何故なら、曲を見通す力がピアニストに乏しいこと、

やっと、曲の構造を理解しましても、演奏することで精一杯、

そのピアニスト固有の解釈に基づいた演奏のみが持ちうるであろう

詩情 poetic sentiment を表現するまでに、至らない。

これがHindemithの場合、好演が少ない理由でしょう。


★更に、この The Four Temperaments は、ピアノと弦楽オーケストラ

によるピアノコンチェルトと言っても、過言ではありません。

ここで、いくらピアニストが優れていても、今度は、指揮者が、

アナリーゼと演奏にアップアップでは、これもまた、

つまらないオーケストラパートとなります。


★今回のムストネンは、ピアノ演奏が現在望みうるベストと言えるほど、

完璧でした。

日本のホール特有の、ガラスが割れたような強音を発するスタインウェイは

残念ですが、それすらも欠点を上手に制御し、

弱音は、もの柔らかな、うっとりするようなビロードの音色でした。

もっと良い楽器で聴きたかったとも思います。

(私の著書「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり」のP214参照)


オーケストラは、弦楽器のみですが、私には何故か

金管や木管の音色すら、聴こえてきました。

彼の指揮の凄さでしょう。

30分ほどの大曲ですが、一瞬の夢のようでした。

このような演奏に出会え、幸せです。

 

 


★続く、ムストネン作曲「九重奏曲 第2番(弦楽合奏版 日本初演)

NonettoⅡ(2000年) String Orchestra Version,Japan Premiere」。

伝統的書法の作品、以前チャイコフスキーの「四季」について、

当ブログで書きましたように、この作品も何故か北欧の冷涼な風が

吹いてくるような音色。

そのような音色が、どこから形成されていくのか、

これから考えていきたいと思います。


★続く3曲目は、ムストネンの師である、フィンランドの作曲家

Einojuhani Rautavaara エイノユハニ・ラウタヴァーラ(1928-2016)の

「Cantus Arcticus Concerto for Birds and Orchestra

カントゥス・アルクティクス 鳥と管弦楽のための協奏曲」


★フィンランドで録音された様々な鳥の鳴き声と、

伝統的書法で作曲されたオーケストラの両者を、

協奏曲のように扱うというアイデアです。

鳥の鳴き声を単独、あるいは、オーケストラと組み合わせて

聴かせますが、私には何故か、映画のBGMにしか

聴こえませんでした。


★映画の最後の情景、すべてのドラマが終わり、

登場人物はもういない、森と湖の静かな情景が延々と映し出される、

聴こえるのは、鳥の鳴き声だけ。

そこにオーケストラの叙情的な音楽がかぶさっていく、

というような感じでしょうか。

という訳で、極めて類型的な手法と言えましょう。

映画館で聴きたかった音楽です。


★次に演奏されたJean Sibelius ジャン・シベリウス(1865-1957)の

「ペリアウスとメリザンド」組曲を聴きますと、

なるほど、作曲はこうやってするものだと、

ラウタヴァーラを聴いた後で実感する次第でした。

 

 


★映画やコンサートで楽しい時を過ごしましたが、

先ほどの樹木希林さんのインタビューで、

≪最近になって松尾芭蕉や正岡子規ってすごいんだなって

思えるようになったんですね。子規が書いているでしょ、

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ねる事かと

思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも

平気で生きて居る事であった」って・・・(略)

いつでも、どんな場合でも平気で生きていくという強さ、

それが悟りだと≫

 

★この希林さんの境地は、実は、映画「ガンジスに還る」に

つながっていると、思えます。

そして20代の監督の若々しい生命力が、この映画を明るくし、

見終わった後、何とも言えぬ幸福感に満たされました。

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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