音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ドビュッシー「Pour le Pianoのサラバンド」はチャイコフスキー由来■

2020-02-11 19:09:42 | ■私のアナリーゼ講座■

■ドビュッシー「Pour le Pianoのサラバンド」は、チャイコフスキー由来■
~サラバンドの「初稿」と「決定稿」との比較分析で、演奏法まで
 解明できる~
           2020.2.11      中村洋子

 

 

 


★先週の2月3日は節分、鬼遣い(おにやらい)でした。

鬼も豆つぶてをバラバラ投げ掛けられ退散したはずです。

(そうではない、まだまだ居るぞ、という声もあり)

≪白き皿に絵の具を溶けば春浅し≫ 夏目漱石

日本絵具を溶かした、白い陶器の皿。

ひんやりとした冬を思わせるその白に、

鮮やかな藍銅鉱(らんどうこう)、

孔雀石(くじゃくせき)、珊瑚、瑪瑙の色が載せられます。

春の予感です。


★豊かな色彩を、ピアノの音で聴いてみたくなり、

今日はClaude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)の

《Pour le Piano ~ピアノのために~》を、弾きました。

この曲は、Prélude、Sarabande、Toccataの三曲から成ります。

どれも、バッハでお馴染ですね。


★定評ある Bärenreiter ベーレンライター版、Henle ヘンレ版、

さらに
Durant デュラン版の三つを見比べながらの勉強です。


★まず、Bärenreiterベーレンライター版について、説明いたします。

少々複雑ですが、この版には《Images 映像 初稿》(1894年作曲)

収められていた『Sarabande』が、付録として、

そのまま全曲が
掲載されています。


★しかし、《Images 映像 完成稿》(1905~08年作曲)には、

『Sarabande』は入っていません。

『Sarabande』は、《Pour le Piano》の二番目の曲として

完成され、
出版されています(1901年)


★つまり、Bärenreiterベーレンライター版の実用譜で、

《Pour le Piano》の二番目の曲としての完成版『Sarabande』と、

《Images 映像 初稿》にあった初稿『Sarabande』とを、

比較しながら、勉強できるのです。

これは、Bärenreiter のお手柄です。

※ Pour le Piano ベーレンライター版
https://www.academia-music.com/products/detail/31344

 

 

 


★ちなみに、Wiener Urtext Edition(Schott/Universal Edition)での、

Debussy作品への、Michel Bérof ミッシェル・ベロフ校訂版での

【 Fingering and notes on interpretation 演奏に当たっての

フィンガリングと注釈】は、群を抜いて優れています

(残念ながら、この《Pour le Piano》の校訂はありません)。

※Beroff ベロフ ・フィンガリング
・2つのアラベスク
https://www.academia-music.com/products/detail/32627
・子供の領分
https://www.academia-music.com/products/detail/30871
・前奏曲集1巻、2巻
https://www.academia-music.com/products/detail/30843
https://www.academia-music.com/products/detail/32656
・ベルガマスク組曲
https://www.academia-music.com/products/detail/38830

なお、私の著作

《クラシックの真実は、大作曲家の自筆譜にあり!》の

269~274頁『ドビュッシー「子供の領分」は、どこの出版社

の何版を使うべきか』を、是非お読み下さい。


★さて、Bärenreiterベーレンライター版に話を戻します。

これはBachの作品についても、度々書いていることですが、

作品は、"現在確定している決定稿のみ、学べばよいではないか"

"初期稿は、学者に任せておけばよい"という考えをお持ちの方も

多いかもしれません。


★しかし、この『Sarabande』に限っても、1894年の初稿と、

1901年の決定稿とを比べ、Debussyが推敲を重ねていた場所を

分析することで、決定稿をさらに深く理解でき、作曲家がその間、

どれだけ変貌していったかを、目の当たりにすることができます。

 

 

 


★余談ですが、作曲家がどういう女性と愛情関係にあったかや、

借金の話が滔々と書かれている、つまらない伝記を読むことに

時間を費やすよりも、ずっと、大作曲家に近づくことができます。

大作曲家の手紙で残っているのは、大部分が借金依頼のものと

ラブレターです。

それらは、やむに已まれずに書いたものです。

普段は作曲で忙しく、手紙を書く余裕はあまりなかったでしょう。


★冒頭から、この1894年初稿『Sarabande』と、

1901年決定稿『Sarabande』との差異に驚かされます。

私たちの耳に馴染んだ決定稿は、こうです。

 

 


★ところが、初稿ではこうなっていました。

この1894年版は Le Grand Journal du Lundi, no.12

(17 February 1896)に、出版されています。

 

 


★1901年決定稿に、臨時記号は見当たりません。

1894年初稿では、2拍目「cis¹」は「c¹」に、3拍目冒頭の

「dis¹」は「d¹」に、それぞれ「♮」により短2度下げられています。

 

 

 


★両方を比べてみますと、決定稿は盤石の重みがありますが、

初稿は「何か変化したような感覚があります」。

この「変化したような感覚」とは、例えば、

提示部ー展開部ー再現部という三部形式の時に、

提示部冒頭主題を再現部で変化させ、再登場させる際に

使う手法です。

このため、1894年初稿は魅力的ですが、やや力強さに欠けるとも

思われます。


★例えば、提示部主題を1901年決定稿を使い、

再現部の主題を1894年初稿の主題を使うということは、

可能なような気もします。


★また、4、5小節目も、決定稿は

 

 

このように両声のユニゾンでした。

しかし、初稿では、厚ぼったい重々しい和音がついています。

 

 


★この曲の調号は、♯が4つの「cis-Moll 嬰ハ長調」です。

導音機能は極めて弱そうですので、

cis を主音とする 「Laの旋法」(エオリア旋法と同じ構成音をもつ

旋法)と、みてもよいでしょう。

 

 

これにつきましては、

私の著作《クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!》の、

266~268頁「ベルガマス組曲は、調性崩壊の一里塚」を、

お読み下さい。


初期稿でのバスの5小節目1拍目は「Ⅰ」、3拍目は「Ⅲ」、

6小節目1拍目は「Ⅳ」の和音です。

5小節目2拍目は、経過音 passing note です。

 




6小節目冒頭の右手「gis」と「gis¹」は、和声音「fis」と「fis¹」に

解決しない「倚音」です

 

 


★このように、1894年初稿は「cis-Mol または cisを主音とする

 Laの旋法」に、深く依存しているのですが、1901年決定稿は、

これら和声音をあえて取り除き、軽々とした単旋律にしています。


★それに伴い、「et trés  sostenu そして しっかりと音を保って)

という言葉も、消しています。

ここから分かることは、Debussy の他の作品に見られる、

シンプルな旋律の背後に、必ず豊かな和声が隠れている、

ということです。

 

 


★各小節すべてに言及したいほど、この両者を研究すればする程、

Debussyの作曲技法が分かってくるのですが、もう一つだけ

指摘したいと思います。


13小節目は、1901年決定稿ではこのようになっています。

 

 

1894年初稿と、どう違うのでしょうか。

 

 


★どちらもピアノで弾いてみますと、使われている音は、

まったく同じです。

しかし、1894年初稿を、例えば上からソプラノ、アルト、テノール、

バスとして歌った場合、各々の声部に各々の音色があります。

 

 

さらに、アルト声部は2度進行だけの、穏やかな旋律です。


★これが決定稿になりますと、内声はこうなります。

 

 

"plus pp decrescendo"と、どんどん声をひそめていきながら、

実は、内声は激しく4度跳躍、5度跳躍していきます。

見事です。

通常は、このような激しい動きが内声にある場合、

"plus forte crescendo"となるのですが、Debussyは逆です。

実際に、ピアノを弾いて体験して下さい。

ここがDebussyの天才たる所以です。

ピアニストの腕の見せ所でしょう。


★実は、このような書き方をした作曲家は、Debussyと大変に縁の深い

Tchaikovsky チャイコフスキー(1840-1893)なのです。

Debussyは1880~82年にかけて、チャイコフスキーの

パトロンであり、往復書簡で名高いロシアの von Meck

フォン・メック夫人(1831-1894)に、

家庭内音楽家として雇われていました、まだ20歳前のことです。

夫人との連弾のパートナー、子供たちの音楽レッスン、

室内楽(フォン・メックトリオ)や歌の伴奏者を務めました。

毎夏、スイスやイタリア、ウィーンなどを一緒に旅行しました。

 

 

 


★また、チャイコフスキーの「白鳥の湖」(1880年)の編曲も

しています、これはロシアで出版されました。

フォン・メック夫人は、Debussyの音楽について逐一、手紙で

チャイコフスキーに伝えています。

チャイコフスキーは、交響曲第4番を夫人に献呈しましたが、

それを真っ先に、夫人と連弾で演奏したのは、Debussyでした。

当時、もちろんレコードはありませんので、交響曲など

オーケストラ作品は、ピアノ連弾で楽しむのが一般的でした。


★Debussyはチャイコフスキーのみならず、Bolodin ボロディンや

Balakiref バラキレフなどの歌曲も学び、吸収しています。

Debussy音楽の底に、そこはかとなく流れる"甘さ"は、

これらロシア音楽に由来しているのかもしれませんね。


『Sarabande』の13~14小節のを解くカギは、

チャイコフスキー死の直前に書かれた交響曲第6番「悲愴」の

4楽章冒頭に、現れます。

是非、ご自分で探求してみて下さい。

 

 

 


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