のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

トヨペットコロナ

2017年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 衆議院選挙が始まりましたね。小池さんは出ないようですが、出てもでなくても「無責任!」の評判は免れないでしょう。

 「無責任」はリベラルの専売特許のような気がしますが、50年も遡れば「日本一の無責任男」と名乗る人物がいました。クレイジーキャッツの植木等さんですが、「そのうち何とかなるだろう」精神で「黙って俺について来い」がまかり通ったのだから上り調子の時代はいいもんです。

 NHKの土曜のドラマで「植木等とのぼせもん」と言うドラマを放送しており、録画したビデオを見させてもらいました。付き人をしていた小松政夫さんの目線で描かれており、弟子思いの姿が懐かしいドラマです。無責任男どころか仕事に、仲間に、弟子に大きな責任を背負った人でした。

 東京で定年を迎えてこちらで老後を過ごしている人がおり、博多の出身でお兄さんの同級生が小松政男さんだったそうです。ようやくテレビが一般家庭に入った時代で、シャボン玉ホリデーが始まるといつ小松政男さんが出るか?と近所の人たちがみな集まって画面に食いついていたそうです。

 ドラマの中に昭和30年代末期のトヨペットコロナが出て来ます。小松政男さんは付き人になる前に横浜のトヨペットでセールスマンをしていたそうですが、その関わりでこの車が出てくるのでしょう。

 昭和40年代の初めに父が同じ車に乗っていました。1500ccだったかな。

 昭和42年の12月でしたが、この車で兵庫県の母の実家に家族で出かけました。東名高速道路はまだ開通しておらず、名古屋から西宮あたりまで名神高速道路は全線開通していた時代。軽井沢を越えて中山道を名古屋まで行き、そこから高速道路に入る画期的なルートで、一昼夜かけて兵庫県に到達しました。トランクには予備のガソリンを積んでいましたが、一升瓶二本に入れたガソリンでした。

 まだ弟が2歳で、おむつやミルクで大騒ぎしながらの道中でした。母の実家についたのは朝7時ごろでしたが、「ようけ来たのう。ようけ来たのう。」と言う祖母の声は憶えています。

 関東から自家用車で来たと母の実家界隈では大騒ぎになり、フェリーに乗って淡路や香川の親戚の所まで車を見せに行く騒動でした。

 父の弟が京都で大学生を営んでいたので、母の親戚を案内人にその下宿に行き、しゃぶしゃぶなるものを食べてきたり、帰りは京都から北山を抜けて天橋立に行き、城崎温泉に泊まり、日本海側を帰ってきました。

 京都ではカーラジオからフォーククルセターズの「帰ってきたヨッパライ」がたびたび流れており、関東でこの曲が流れるようになったのは年明けの春近くだったと思います。

 関西から帰ってきてほどなくこのコロナを下取りに出してクラウンになりましたが、私が家族と旅行に行ったのはこの時が最後で、翌年の冬休みは禅寺に修行に出されていたし、その翌年は私だけ別で電車で行き、それ以降は家で留守番して勉強してました。

 ビデオで懐かしい自動車を見ながら、家族旅行に行きたくないと思うようになったのはこのクルマだったななんて思い出しました。

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