現在の中国東北三省(遼寧省・吉林省・黒龍江省)はかつて満州と呼ばれていました。戦前戦中の日本の傀儡政権満州国への憎悪もあって、中国では「満洲」と言う呼び名はタブーになっています。
中国の人々の認識の中には「満洲」と言う名前は日本人がつけた名前と誤解している人さえいます。それを言うなら中華人民共和国の「人民」が日本の造語で、文明開化後「People」の訳語として作られた言葉です。
万里の長城の東の端は渤海にまで到達しています。万里の長城の北は異民族の地と漢族は線引きしていました。東北三省を「関東」と呼ぶのも、万里の長城の向こうだから「関」の東側と区別しています。
清朝を樹立したヌルハチは万里の長城の東北から来た騎馬民族で、中国の主流を成す漢民族から見れば言語も異なる異民族です。ヌルハチは女真族という民族でしたが、そのほかにも多数の民族が現在の東北三省に存在していました。これらの民族をひとまとめにして満州族と改めたのはヌルハチの後継者ホンタイジの時代でした。
「満洲」の名の由来は仏教の「文殊菩薩」です。文殊菩薩はサンスクリット語で「マンジュシュリー」といいます。この「マンジュシュリー」の音韻が漢字に当てはめられ「満洲」と言う言葉が生まれました。はじめから文殊とでもしておけばもっとわかりやすかったのに。
ロシア語で満州を「Манчжурии(マンヂューリ)」といいますし、現在もそう呼んでいます。の黒龍江省の北西部ロシア国境近くに「満州里」と言う街があります。「マンチューリ」と発音します。
なぜこの地が文殊菩薩に由来しているのか?「3人寄れば文殊の知恵」で少数民族が集まって知恵を出し合ったわけでもないみたいです。
仏教の経典の一つ「華厳経」の中では、文殊菩薩の住む場所は東北の清涼山(五台山)にあるといわれており、文殊菩薩が崇められていたようです。各部族の首長がやがて神格化されていく中でそれぞれ文殊の生まれ変わりだったり、文殊の使いであったなど文殊菩薩に関わっていたようです。
同じ騎馬民族で「元」を作ったモンゴルはチベット仏教の国です、ダライ・ラマのダライは「海」を現すモンゴル語で、内陸のモンゴルにとって海は神秘の髪の地域だったために、ラマの高僧に「ダライ」の称号を賜ったのだそうです。チベット仏教のモンゴルでも文殊菩薩は特に崇められています。
満州が差別用語のごとく扱われるのは被害妄想もいいところで、本来はもっとありがたい意味合いを込めた言葉だったわけです。異民族支配清朝への恨み、日本の傀儡政権満州国への憎しみなどもあって、特に文化大革命の時代には満州族は徹底した弾圧にさらされます。その多くは東北三省以外の地に移民させられたり、名前を漢族式に変えさせられたそうです。
現在、東北三省に住むのは漢民族がほとんどですが、満州族にすれば「侵略者」に他ならないのではないでしょうか?
実態はさておき、相手が嫌がることをしないのは礼儀ですからあえて「満洲」を使わないほうが無難でしょう。誤解している人に対しては「かわいそうな人だな」と思えばよいことです。
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