のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

冬でも出る

2013年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日が幽霊の話題だったので、今日もその続きになりそうです。
 
 日本では幽霊話は夏物が多いのですが、これはぞっとして寒気を感じるのに夏がふさわしいと言うことや、幽霊の服装が寒い冬では不憫という思いやりがあるのだとか。幽霊にすれば暑い猛者無為もあまり関係ないと思うけど。
 
 ロシアでは一年のほとんどが冬みたいなものだからと言うこともありますが、幽霊話は冬を舞台にしたものが多いそうです。

 

 そういえば、私が極東大学のあい向かいの教会でみた不思議なおばあさんも10月末でしたが、分厚いコートを着ていました。
 教会の庭のベンチでピロシキを食べていたら、黒っぽい分厚いコートを着て、同じく黒いプラトーク(スカーフ)をかぶったおばあさんがあい向かいのベンチに座っており、何をしていたのかわかりませんがうつむいたままで、顔も陰になってよく見えませんでした。
 程なく、学生らしきカップルが来て、こともあろうか、そのおばあさんの座っているベンチに腰掛けましたが、既におばあさんの姿はそこにありませんでした。と言うより、若いカップルの陰になった時点でおばあさんの姿は見えなくなっていましたが、ありゃぁいったいなんだったんでしょう?

 

 この教会を越えて森を抜ければ大通りのパルチザンスキー・プロスペクトが近いので、時折利用していましたが、その後もここを通るときにベンチに腰掛けたおばあさんを一瞬目にしては、”あれ?”と、気がつくと姿がなかったことが2ー3回ありました。

 

 
 ウラジオストクの住宅地で呪いの人形をみたのも冬でした。日本ではわら人形を五寸釘で神社の杉の木に串刺しですが、ロシアでは布で作った人形に縫い針をさして木につるしておきます。
 てるてるぼうずかな?と私は何気なく通り過ぎていましたが、見る人が見ると事の重大さがわかります。後日、教会の司祭様が来てお払いをしていました。

 

 まだ混乱期にあった90年代半ばのシベリアの町、ノボクズネックと言う都市に行ったときのことですが、炭坑の町で各地からので稼ぎ労働者や真ファイアが暗躍する治安のよくない町でした。
 トンネル工法の日本の炭鉱でも落盤やガス爆発などの事故は頻発したものですが、露天掘りのロシアの炭坑でも石炭でできた壁が崩れて下敷き事故が起きたり、石炭でできた道路が陥没して重機が横転して死傷者が出たり、炭坑に事故は付き物でした。
 町の中のバーの隅っこの薄暗いテーブルに、真っ黒い男が座っているのを見たことがあります。”炭鉱労働者が仕事帰りに立ち寄ったのか?”それにしても、風呂ぐらい入ってからくればいいのに。程度にしか見ていなかったのですが、ちらちら気になってみていたものの、何も飲んでいる風でもないし、誰も注文を危機に行こうともしない。
 私が時折そちらを気にしていることに気がついたのか?バーテンダーのお姉さんが「あっちを見てはいけない。」と注意してくれました。なにやら訳ありなんだろうか?
 バーテンダーのお姉さんがボールペンで紙切れになにやら書いてくれたのですが、筆記体のロシア語わかりません。
 一緒にいたロシア人の友人が「昨年、このバーでマフィアの銃撃戦があって、あのコーナーにいた人が殺されました。だから、誰もあそこに近づかないし、誰かが見えても気がつかないことになっています。」”あなたは見えたの?”と聞くと「私には何も見えませんが・・・」。
 これも12月のことでした。

コメント
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