のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

ナイチンゲール

2013年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

130317  1853年から56年にかけて、ロシアとイギリス、フランス、オスマン帝国のあいだでおきたクリミア戦争。その現場となったクリミアは現在のウクライナ南部、黒海に突き出た半島です。この戦争には「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」などで知られる大作家、レフ・トルストイも従軍しています。クリミア戦争の勃発は1853年の6月26日でした。

 クリミア戦争では敵味方の区別なくけが人を献身的に看護したフローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)が活躍した戦争で、彼女の活躍とその精神は後の1872年国際赤十字社の創始者、アンリ・デュナンが高く評価し、赤十字にも大きな影響を与えました。

 今の時代ですが、あえて「看護婦」という言葉を使わせていただきます。ナイチンゲールは英国貴族の娘で宗教家でもあり統計学者でもありましたが、この時代の看護婦の地位は低いものでした。地位が低いどころか下層階級の人がつく仕事とされていたそうです。他人の汚物や血に触れる仕事でしたし、体力も必要な仕事です。女性の職業が少ない時代ということもあって社会の底辺の女性がこの仕事に従事していたそうです。

 ナイチンゲールの活躍は”博愛”に目が行きがちですが、貴族の娘が看護婦を志願したことも画期的ですし、野戦病院の衛生に注目し改善することで病院での死者の数を減らすことにも成功しました。

 衛生を改善することで死者の数を減らせることを彼女は統計を持って証明し、ビクトリア女王に報告しています。こうしたことができたのも、貧富格差がある時代に彼女が裕福な貴族の生まれで教養があったことが大きく影響しています。

130317_2  人々を納得させるために統計を用いて説明する手法が広まったのもナイチンゲールの手腕によるといわれていますし、統計をわかりやすく説明するために彼女が考案したグラフもあります。

 今日、ビジネスマンがプレゼンテーションに使うグラフを作るためにマイクロソフトのパワーポイントと格闘しなければならないのも彼女のおかげです。

 ナイチンゲールの活躍で看護婦という仕事が女性の仕事として地位を確立し、この仕事に対するプライドが生まれました。

 クリミア戦争の産物にはナースの地位のほかに、もうひとつ面白いものがあります。カーディガンです。

 当時の兵士が着ていた衣服の多くは頭からすっぽりかぶる毛糸のセーターでした。負傷して野戦病院に運ばれ、治療の時にはそのセーターを脱がすか切らなければならなかったので、これも大きな手間でした。すっぽりとかぶる服ですと治療のときに脱がすためには万歳をさせなければなりません。痛めた体がさらに痛みます。

 英国にカーディガン伯爵(1797~1868 年)という人物がおり、クリミア戦争に参加していました。この伯爵がボタンでとめた前開きの衣服を考案し、ボタンで前を開けられるようにしたところ、治療も楽になり患者への痛みも少なくすることができました。

 クリミア戦争以降カーディガンは医療目的以外にも広まり、いまやファッションの定番アイテムにもなっています。

 人を苦しめる新兵器はいくらでも出てくる昨今の戦争ですが、人を助ける新しい技術や概念は現れないものです。

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