のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

いじめっ子

2008年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 オーストラリア在住の一歳上の先輩が急死した訃報が入りました。船の上で心筋梗塞による急死だったそうです。
 親戚筋だったために、中学高校時代はよく周囲に比較されたこともあって、お互いあまり快く思っていない仲でした。

 教育者だったこの先輩の両親が離婚して「白い目で見られた」という負い目があったのか、妙にゆがんだところがあって、それがパワーになってがむしゃらになるようなところがある人でしたが、あの時代「離婚」は珍しいどころか何か悪いことでもしたかのような気配がありました。また周囲がそれに気遣うので、子供とすれば余計いたたまれない部分があったのかもしれません。

 世間的にはしっかりした躾を受けた優等生でしたが、裏の顔は無抵抗な後輩をいたぶるようなところがあって、幸い私はガタイも大きかったし、柔道部で腕っ節も強かったこともあっていじめられることもありませんでしたが、この先輩に痛い目にあわされた後輩も多いです。

 20代で日本を離れて海外での生活を選んだ背景にも、こうしたトラウマが根深く残っていた感があり、希望を持って海の向こうに出たというよりも、二度と帰るまいと恨み節で日本を離れたような感がありました。

 そういえば、先月の同窓会で市街地の小学校に子供を通わせている同級生が、その学校では「両親がそろっていない家庭や、父母のどちらかが実の親では無い家庭が45%を占めている。」と話していました。その予備軍も含めれば6割強がこうした家庭に含まれるようで、離婚が珍しくなくなるどころか、両親がそろっている普通の家庭が稀有になっていると語っていました。
 今の時代ならこの先輩も負い目など感じることなどなかったのでしょうが、親の不始末を背に負わされたような目線で見られた時代に多感な頃を過ごしています。

 見る角度を帰れば「家庭」は締め付けであり、足かせでもありますが、「家庭」に対しての「忍耐」が時代によって変化したのでしょうか?
 「家庭」があるから「我慢」して、それができないから白眼視された時代から、「我慢」するくらいなら「家庭」を捨てることが足かせではなくなった時代。

 「家庭」にか限らず「組織」の中では自分が「脇役」回らなければならないことは多々あるのですが、どんな「場」でも自分が主役でなければ気がすまない人が増えたということなんでしょうか?
 思えば、「ここは子供達の世界」と一歩引き下がることができない親たちがモンスターペアレンツと呼ばれ、人生終焉近い「後期高齢者」がいつまでも次世代のやることにちょっかいを出し、どこか歯車が狂っているようなご時勢です。

コメント
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