僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

わが家の連休は 「なぎなた」 づくし

2018年04月29日 | 日常のいろいろなこと

今日のタイトルは「何のこっちゃ?」と不思議がられる方も多いかと思います。何のことかと言いますと

世の中はゴールデンウィークでうきうきというところですが、わが家はどうかといえば、そういう雰囲気はほとんどありません。まあ僕自身は「大型連休」どころか「無期限連休」あるいは「死ぬまで連休」みたいなもので、「ゴールデンウィークで9連休の方もいらっしゃいますねぇ」とテレビから聞こえても何の感興も湧いてこない。

でもモミィがいるので、いろんな人たちから「連休はモミィちゃんを連れてどこかへ遊びに行くの?」と聞かれますが、どこも行きません。日帰り旅行もなし。というのも、今月から中学生になったモミィが学校のクラブ活動に入部し、連休中も全部登校することになっているからなんです。

で、そのクラブ活動のことですが

物事には「もののはずみ」というものがあります。思いもよらぬことから、思いもよらぬところへ進んでゆく。モミィを見ていると、まさにその感じがします。

小学生の時から近所の塾に通っていたモミィですが、その塾の女先生が趣味で剣道をされていて、土・日曜日には子供たちと剣道の練習をするのに体育館に行っているということでした。その剣道の横では、女の子らが「なぎなた」の練習をしているんだそうです。そこで女先生はモミィに「先生が送り迎えをしてあげるから、なぎなた教室に来ない?」と誘ったのがそもそものきっかけ。それが数ヵ月前のことで、むろんモミィはまだ小学生でした。

そんなことで数ヵ月前から、土曜日の夕方と日曜日の午前、モミィはジャージ姿で塾の女先生の自宅(わが家の近所です)へ行き、車に乗せてもらって体育館へ行って、「なぎなた」の練習をする、という生活が始まったのです。

成り行きとは言え、まさかモミィが「なぎなた」を始めるなんて、思ってもみなかったことでした。

そしてさらに驚きの展開が。

入学した中学校に「なぎなた部」があり、それが結構強いので有名なのだそうです。そこで、塾の女先生やなぎなた師範のおばさんたちから「あの学校のなぎなた部に入ればすごく上達するわ」と強く勧められたことで、モミィもその気になり、結局中学校の「なぎなた部」にも入部したのでした。入学当初は「吹奏楽部に入る」と言っていたのが、急転直下の転向でした。

そんなことで、昨日の土曜日は、学校で1時半から3時半までなぎなたの練習でした。ま、もともと土曜日は午前中に授業があるので学校には行きますが、授業が終わってから部活をして、そこから家に帰って、休む間もなく塾の先生の車で夕方のなぎなた教室へ行くというスケジュールでした。まさに「なぎなた」のハシゴです(笑)。

今日は堺市のほうで「府民体育大会」が開催され、その中学のなぎなた部も出場するので、モミィは今朝の8時頃に家を出て行きました。

モミィが学校からもらってきた「なぎなた部予定表」のプリントを見ると、明日はまた学校の「フェスタ」で「リズムなぎなた披露」というのがあり、5月1日、2日は平日なので学校の授業。そして3日は「春季大会・部内戦」というのがあり、3日~5日は「OG稽古会・交流大会」と予定がぎっしりと書き込まれていました。つまり、ゴールデンウィークは1日も休み無し、ということになります。

ま、こういうことが、今、わが家に起きているということです。

それにしても、中学校の部活で「なぎなた」。土・日はこちらの体育館でこれまた「なぎなた」。なんだか「なぎなた女子」みたいになりつつあるモミィ。

ホント、人生ってどう転んで行くのか、わからないものですね。

 

 

 
  イメージ写真です。 

 

 

 

 


 

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「山口達也メンバー」とアルコール依存症

2018年04月26日 | ニュース・時事

「TOKIO」の山口達也が女子高生に対する強制わいせつ容疑で書類送検されたことで、今日のTVニュースやワイドショーでは、このことで大騒ぎの様相を呈していた。

ところで、多くの報道で山口達也を「山口達也メンバー」という表現を使っているのに首をかしげた人も多いに違いない。

何なんだ「山口メンバー」というのは?

「TOKIOのメンバー山口」ならわからなくもない。でも「山口メンバー」ってねぇ。それを見て僕は「また、それかよ」と思ったのです。

「また」というのは、前例があるからです。2001年に、当時SMAPの稲垣吾郎が、駐車禁止の路上に駐車して、数人の女性警察官に免許証の提示を求められたところ、車を急発進させ、1人の女性警察官に接触し、怪我をさせて現行犯逮捕された。その事件を報じたテレビ各局は「稲垣吾郎メンバー」という呼称を使っていた。僕は当時「何それ? 稲垣メンバーじゃなく、稲垣容疑者やろ」と違和感を覚えた。理由は「ジャニーズ事務所からの圧力」があったので「容疑者」という呼称は使われなかった、とも言われていた(ジャニーズ事務所はテレビ局に絶大な権力を持っているそうですから)。

さらに2009年には同じSMAPの草なぎ剛が、店でビール・焼酎などを飲んだ後、ベロベロに酔い、真夜中に公園で全裸になって大声を上げたり叫んだりしたことで住民から通報され、公然わいせつの容疑で逮捕された。この時も多くの報道機関が「草なぎ剛メンバー」と呼んでいた。

ま、今回は山口達也も容疑を大方認め、そしてジャニーズ事務所と相手の女子高生との間で示談が成立しているということもあり、マスコミも、例によってジャニーズ事務所への配慮からか「容疑者」ではなく、「メンバー」という呼称をつけたのだろうと思われる。

でも、SMAPもTOKIOもグループだから、「メンバー」という不自然ながらも無理にそんな呼称がつけられるが、もしメンバーではなく(例えば稲垣クンも草なぎクンも今はメンバーじゃないもんね)、1人の芸人だったらどう書くのだろう。山田タレントとか、鈴木芸人とか、佐藤コメンテーターとか?

そういえば、島田紳助が女性を殴って怪我を負わせ、傷害罪で起訴され裁判で罰金刑が確定した事件があった。あの時のマスコミは「島田容疑者と」書いた新聞もあればテレビ局は「島田所属タレント」とか「島田司会者」とか「島田紳助さん」とか「島田紳助」という呼び捨てとか、バラバラな表現だったなぁ。

さて、
今日の午後2時から山口達也本人の記者会見があり、僕もその中継を生放送で見ていたけれど、話を聞いていると、彼はどうやらアルコール依存症だったように思える。一人暮らしの身で、仕事が終わったら、外で飲んだり、家に帰ってからも飲んだりの毎日だったようで、肝臓の機能が悪くなったので入院したそうだ。病院から仕事に出て病院に帰る。夜は病院食だから、もちろんアルコールは出ない。アルコールで疲弊した肝臓を治療するとともに、禁酒のための入院だったと想像できる。約1か月間、そんな入院生活が続いたそうだ。

そして彼は、事を起こしたその当日に退院をしたそうで、昼頃に久しぶりに仕事から自宅に帰り、よせばいいのに1人で焼酎を飲み始めた。飲み続けているうちに、たぶん寂しくなったのだろう。酔った勢いでか、自分が出ているテレビ番組で知り合った女子高生を電話で呼び出し、その子と同じ女子高生の友だちの2人が山口家にやって来た。そこですでに泥酔状態だった彼は、女子高生に無理やりキスしたり、酒を勧めたりしたという。

アホやなぁ。

酒さえ飲まなかったら、そんなことはやっていなかっただろうに。せっかく入院生活中は酒を断つことができたのに、そして肝臓も回復していただろうに、自宅に帰ったその瞬間から飲むなんて。しかも長時間飲み続けてね~。ほんまにアホや。まあ、根っからの酒好きは、そんなものかも知れませんけど。

と、他人事のように書いていますが、最後は自分自身の話です。

実は、お酒に関しては僕も人のことは言えないんですよね。

アルコール依存症といえば僕も、自分でもそうではないかと思うほど、お酒に関しては意志が弱い。ついズルズルと飲んでしまう。体に悪いということは十分わかっているので、朝起きた時は、「今日は禁酒するぞぉ」と固い決意をするのだけど、夕方になるとそれが崩れ、かなりの量を飲んでしまう。駄目ですね~。

こういう悪い生活習慣をつけているから、心房細動(不整脈)もよくならないし、耳鳴りも相変わらずうるさい。

「今日は禁酒するぞ!」の決意は固いのですが、意志が弱いのです(笑)。

最後は、なんのこっちゃ? という話でしたけど

ところで「山口達也メンバー」は、いずれまた復帰するに違いありません。

なにせ「権力の権化」ジャニーズ事務所の所属ですからね~

 

 

 

 

 


 

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衣笠さん死去と「江夏の21球」

2018年04月25日 | スポーツの話題

元プロ野球選手の衣笠祥雄さんが亡くなったというニュースがメディアで大きく報じられています。2215試合連続出場という驚くべき記録を持つ「鉄人」ですが、それだけの鉄人なのに、まだ71歳という惜しい命でした。

最近、テレビの解説で衣笠さんが出ていたけれど、ひどく声がかすれていたのが気になっていました。あれも体調不良からきていたのでしょうか?

その衣笠選手にまつわる有名な話として、「江夏の21球」というのがあります。これはノンフィクション作家・山際淳司さんの作品の題名で、僕も昔この本を買って読みました。昨日のテレビなどでも紹介されていましたのでご存知の方も多いと思いますが、1979年(昭和54年)のプロ野球日本シリーズでのこと。僕自身にとってもさまざまな思い出が刻まれています。

少し長くなりそうですが、今日はその時のことを。

この1979年は僕が30歳の時で、息子たちは小学生の低学年でした。僕たちはその当時から、大阪府の藤井寺市に住んでいたので、当然、息子たちは藤井寺球場を本拠地とする近鉄バファローズのファンで、僕も休日になると彼らを球場へ連れて行って一塁側スタンドで近鉄を応援していたものです。

そんな折。
プロ野球の歴史が始まって以来、まだ一度も優勝のなかった近鉄球団が、阪急ブレーブスとプレイオフを戦ったのがこの年の秋だったのです。

その年のある日の午後。僕は職場の仲間たちと作っていた野球チームの試合で、外野を守っていました。そこへ大きな打球が飛んで来て、僕は球を追って背走したのですが、雨上がりで地面が湿っていたこともあり、ズルっと滑って転倒。左足首に激痛が走りました。
「いててててて~」
立ち上がっても歩くことができず、そのまま友達に車に乗せてもらい、わが家の近くの医院まで連れて行ってもらいました。検査の結果は、骨折でした。

痛みをこらえながら、ふと、その医院でかかっていたテレビを見ると、まさにその時、近鉄が阪急を破ってパ・リーグ優勝を決め、西本監督が胴上げされているシーンが映っていました。近鉄が球団史上初めてのリーグ優勝を果たした瞬間でした。

それからしばらく、僕は仕事も休み、片脚だけで家の中を移動する生活が続きました。どこへも行けないので、仕方なくテレビばっかり見ていました。プロ野球は、近鉄と広島との日本シリーズが行われていました。

試合は本来なら近鉄の本拠地・藤井寺球場で行われるはずでしたが、この球場にはナイター設備がなかったため、当時の南海ホークスの本拠地である大阪球場が日本シリーズの舞台となりました。

第1戦、第2戦が大阪球場で行われ、近鉄が連勝。しかし、場所が広島球場に移った第3戦から5戦までは広島が3連勝。そしてまた大阪球場に戻り、第6戦は近鉄が勝ち、とうとう3勝3敗で、最後の試合を迎えることになりました。

これまで全部本拠地チームが勝っているので、この大阪での最終戦も近鉄が勝つとみんな思っていたことでしょう。

その試合で例の「江夏の21球」のシーンが生まれるわけですが、この日は日曜日だったので、2人の息子たちと一緒に最終戦をテレビ観戦していました。

試合は息詰まる展開の中、4対3で広島がリードし、いよいよ9回裏、近鉄最後の攻撃を迎えました。ピッチャーは7回から出てきた江夏。その江夏を近鉄が最後の執念をみせて攻め立てました。ヒットと盗塁、四球、四球でノーアウト満塁のチャンスを迎えたのです。逆転サヨナラ勝ちで日本一! と、近鉄ファンなら誰もが思った瞬間です。むろん、わが家のテレビの前でも、息子たちは息を飲むようにして「その瞬間」を信じ、じ~っとテレビを睨んでいました。

江夏がピンチを招いたことで、広島ベンチは次の投手を準備するため、ブルペンで他の投手を投げさせます。それを見た江夏が、「なにしとんねん。ここはオレに任せんかい!」ということでムッとした表情になったようです。その表情から江夏の心境を察知したのが一塁手の衣笠選手だったそうで、さっとマウンドに駆け寄りました。テレビを見ていた僕は、江夏の表情には気がつきませんでしたが、衣笠が江夏のところへ行って何か話したシーンはよく覚えています。

その時、衣笠は江夏に、「お前がやめるなら、俺もいっしょにやめてやる」と言った、とのことです。それによって江夏は平常心を取り戻した、ということなんだそうです。な~るほど。江夏が後続を0点に押さえ広島が日本一になったのは、衣笠選手の一言があったから、というのが今や伝説となっているんですね。

近鉄ファンとしてはそれよりとにかく「無死満塁から逆転サヨナラ勝ち」しか頭になく、次のバッター佐々木恭介が三塁ベース上を抜ける打球を放った瞬間に「やった~逆転サヨナラ!」と息子たちと万歳をしたものです。しかし惜しいことに、わずかにファールでした。あれがもう少し中に入っていたらなぁ、と今でも思ってしまうシーンでしたね。結局佐々木はそのあと三振に終わりました。これで一死満塁です。

そして次に打席に立った石渡がスクイズをした。が、江夏に外されてスクイズは空振りに終わり、飛び出した三塁ランナーは痛恨のタッチアウト。あぁ、一死満塁から二死2、3塁になってしまった。しかしまだヒット1本で逆転サヨナラのチャンスは残っていた。なのに、その石渡は空振りの三振に終わってしまい、試合は終了したのでした。江夏は飛び上がって喜び、広島が日本一になったというわけです。

と、球史に残る試合でしたが、近鉄ファンには残念無念な試合でした。

衣笠さんの訃報に接し、「江夏の21球」という懐かしい言葉を聞いて、今からもう39年も昔の話を、昨日のことのように鮮明に思い出した次第です。

 

 

★その時の映像はこれです。 

 https://www.youtube.com/watch?v=m1E4dTGyECM

 

 

 

 

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‘’世界最高齢‘’ こぼれ話

2018年04月22日 | ニュース・時事

今日の新聞に、世界最高齢者の田島ナビさんという鹿児島県の女性の方が、21日に老衰のため死去されたという記事が載っていました。

この方、なんと、117歳ですよ。117歳。

1900年(明治33年)生まれで、9人の子供を産み育て、子ども、孫、ひ孫、やしゃご、それと、やしゃごの子供である来孫(らいそん)という子孫まで合わせて160人を超える「子孫」を残されたんですよね。すご~い。

ちなみに、うちの母親は生きていたら90歳だから、僕はこの田島ナビさんから見たら、孫の年齢になりますね。つまりナビさんは、僕のおばあちゃんの年代なんですわ。

それと、やしゃごの子供のことを来孫(らいそん)というのは、きょう、初めて知りました。みなさ~ん、ご存知でしたか? 子供の子供の子供の子供のその子供です(わけ、わからんやん)。

ところで、

この「世界最高齢」という話題で、思い出したことがあります。

年配の人なら、たぶん、泉重千代(いずみ・しげちよ)さんというおじいちゃんのことを覚えている方が多いと思います。長寿世界一(推定120歳)として日本中で一躍有名人となり、1979年にはギネスブックでも世界最長寿と認定されました。もう40年近く前のことになりますけどね~

その泉重千代さんなんですが、このおじいちゃんが長寿世界一となったことで、いろんなメディアからインタビューを受けました。

で、これはその一つですが、

あるインタビュアーが「好みの女性は?」と質問したんですよね。

すると

泉重千代さんはこの問いに対して、こう言ったのです。

「年上の女ですかねぇ」

と。

こんな面白いギャグというかコメントは、
後にも先にも、聞いたことがありません。
 

いや~。
まいりました。

 

 

 


 

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次官も知事も、やっぱり辞めたか

2018年04月19日 | ニュース・時事

前回の続きみたいな形になりますが

今朝の朝日新聞を見ると、1面にデカデカと「福田財務次官 辞任」と大きな横見出しで、本人の顔写真が。そして縦見出しには「セクハラ報道 職責果たせぬ」と「発言否定・裁判で争う」というふうな見出しの紙面構成になっていました。そして、その1面の下のほうには「新潟県知事 女性問題で辞職」との記事が、これまた知事の顔写真入りで載っていました。

「こんなんばっかりやがな」というのが第一印象ですね。

訪米中の安倍首相がトランプ大統領と首脳会談を行ったという記事は、別のページに追いやられていました。

今日の読売テレビの早朝ニュースで、辛坊治郎も「そっち(日米首脳会談)のほうがよほど重要なニュースなんだけど、でもこっち(セクハラ問題・女性問題)のほうがオモシロいもんね~」と笑っていました。それがまあ、僕たちのような一般大衆のホンネなんでしょうね。

ところで、福田財務次官のセクハラ問題について、被害を受けた女性はテレビ朝日の女性記者だったということでした。昨夜の午前0時過ぎにテレビ朝日が会見を行ったそうで、これもなんで真夜中にしたのか、よくわからないところがありますし、テレビ朝日の女性社員が自社とは関係のない週刊新潮に事実関係を提供したというのも、ちょっと違和感があります。

さらに、1対1で飲食をしながら取材をした、ということですが、その場所はやはりバーだということでした。女性記者と1対1で、場所はバーでと、そんな形の「取材」もあるんですかね。知らなかった~。

もっとも、福田財務次官は「記者と飲食をした覚えはない」と言い、「相手はバーのホステスで単なる言葉遊び」みたいなことも言っているようですけど、相手がテレビ朝日の女性記者だというのが本当だったら、福田次官の言い分は苦し過ぎますね。裁判で争う、なんて言ってますが、まあ、次官の職も辞めたことだし、一連の騒ぎが収まったら本当に裁判で争うのかどうか、あやしいもんですよね。

一方で新潟県知事は「1回3万円」という金額で、援助交際つまり昔ふうに言えば売春で女性を「買った」ということで、こちらも辞職を表明しました。女性関係で身を滅ぼした、というケースは、古今東西、よ~くある話ですね。

財務次官も知事も、結局自らの行為の責任を取って辞めたわけですが、ま、そうする他に方法はなかったでしょう。

それにしても
高い地位の「公職」についている人たちってのは、
それだけ高い「好色度」をお持ちなのかも知れませんね。

というのが、今日のしょうむないダジャレオチでした。ごめんなされ。

 

 

 

 

 

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財務次官のセクハラやら 新潟県知事の「女性問題」やら

2018年04月17日 | ニュース・時事

朝とか午後とかのテレビの情報番組を見ていると、まあ、本当に感心するほどいろんなことが報じられていますね~。日本国にとって極めて大切なことから、どうでもいいようなことまでね。そして、いろんなニュースをテレビ局は実に興味本位に、緩急をつけたり大げさに報じたりと、実に面白おかしく、あるいはお涙頂戴物語ふうに、うま~いこと出していますね。それにつられて、こちらも何となく見てしまうんですよね。

ついこの間まで、大相撲協会と貴乃花親方との確執のあとに、レスリング協会の伊調選手へのパワハラとかね。それらがず~っとおいしいネタ、というか、話題のトップに挙げられていましたが、最近は再び相撲協会の「女人禁制」をめぐる問題で、相撲の話が再燃しました。

なんで土俵は女人禁制なんだ?

というのは、相撲は「神事」で、実はその神さまというのは女神さまであって、女性が土俵に上がると女神さまが「嫉妬」」するから女性は上がってはならない、というのが一つの有力な説なんだそうです。ほんまかいな?

でも、ま、ほんとに神さまが嫉妬するか? と言うと、これはもうイエスです(イエス・キリストではありませんよ)。

ギリシャ神話に登場する神々はご承知のように、すんご~く人間的で、男の神さまはすぐに女の神さまに惚れたりするし、お互い神さま同士嫉妬しまくっていますものね~。だから日本の女の神さまが嫉妬しても何の不思議もない、ということになるんでしょうね。

ま、そうは言っても、さほど説得力のある話ではありませんけど(笑)。

さて、
ここ数日は、それらの話から一転して、福田ナントカさんという事務次官のセクハラ問題が大きく取り上げられています。この人は今、特に問題となっている財務省の事務次官だけに、単なるセクハラ問題では済まない要素があるようで、ことは国会にも及び、なんだか大変なことに発展しそうな勢いです。

周知のように、この福田事務次官が女性記者に「浮気しようね」とか「おっぱい触っていい?」「抱きしめていい?」な~んてことを言ったということで、それが録音された音声もテレビで公開されています。僕も、何度も何度も音声を聞きました。

昨日も今日も、情報番組ではこれが断然トップで放映されています。

やはり、アメリカなどがシリアの化学兵器施設へ攻撃したというニュースより、こちらのほうが世間の人々の関心をそそるんでしょうね。

国内でも、愛媛県の刑務所から脱走した受刑者がいまだに逃走中で、潜伏しているとみられる瀬戸内海の向島のことも、気になります。早く捕まってほしいですよね。でも、そのニュースより、セクハラのほうを、はるかに詳しく報道していますね、テレビ各局は。

で、その事務次官の話に戻りますが、ご本人は全く覚えがないと言っています。音声があることについて「ご自分の声かどうか、わからないのですか?」と報道陣に言われても無言を通しています。まあ、黙っているしかないんでしょうけど。

この録音されていたセクハラ発言の音声のことですが、その音声の背景に聞こえる騒音などから、バーのようなところでの会話だったと言われています。女性記者が事務次官の「取材」を、バーでお酒を飲みながらするんだろうか? と少し不思議な気もしますが、そういうものなんでしょうかねぇ……

そして、これで財務大臣である麻生さんが矢面に立たされ、森友・加計で攻められている安倍さんも、さらにいっそう形勢不利な状況に陥り、遠からず安倍政権は沈没するのかな~という予感を、多くの人たちが持っていると思います。

そんな折も折、今日はまた、新潟県の知事が辞表を出す、というニュースが午後のワイドショーの冒頭に派手に出てきて、さっそく記者会見の様子が映っていました。

この50歳の知事さん。一体なんできょう辞意会見をしたかといえば、理由は「女性問題」なんだそうです。明後日発売の週刊文春に「女性問題」に関する取材を受け、何らかの記事が出るということを知り、それで知事を辞任したい、とのこと。なんで? 何があったん? というのは、今の時点ではわかりません。ただただ「女性問題」なんだそうです。

ただし、きょうの実際の会見では知事は「辞任する」とは言わず、「女性問題」がどんな問題なのかも言わず、ムニャムニャと、なんのことやらさっぱりわからない会見となりました。

「女性問題」と言っても、いろいろありますからね。
たとえば不倫とか
不倫で辞めた国会議員も何人かいましたし。

でも、この知事さんは50歳でも独身だから、自分は不倫じゃないだろし。そして相手も「チョー若い女性」だというから、たぶん独身。じゃぁ、何が問題?といえば、考えられるのは相手が未成年だったり、お金で女性を買うという、いわゆる「買春」の行為をしたとか、そんなことになるのかも知れませんけど、少なくとも今日の時点では、何が何だか全然わかりません。であっても、どうせこの知事は数日後には辞めるんでしょうね~

やっぱりね。男性側からすれば、セクハラも不倫もみ~んな、ひとことでいえば「女性問題」ということになりますよね。

「女性問題」ねぇ

こんなことばかり、トップニュースで出てくる今日このごろですが。

それをまた興味津々と見ている自分。

やれやれ…

 

 

 

 


 

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校外オリエンテーションへ

2018年04月16日 | 日常のいろいろなこと

モミィの中学校が始まって1週間が経ちました。先週13日~14日は、学校行事として1泊2日の校外オリエンテーションがありました。場所は貝塚市にある府立少年自然の家というところでした。

現地に着くと、布団の敷き方・畳み方を教わることから始まって、ウオークラリー、レクリエーション、そして夕食と続き、夜はキャンプファイヤー。

翌日のお昼はみんなで力を合わせて野外炊飯でカレーライス作ったそうで「これが一番盛り上がったわ~」とモミィが言っていました。相変わらずモミィにとっての最大の関心事は「食べること」ですね~

ともあれ、1泊の集団生活で新しい友達や先生方との交流を深め、これで中学校生活にも一層なじみ易くなったものと思います。

いつもあまり疲れを見せないモミィも、さすがに帰宅した時は心身ともに少し疲れが出ていたようでした。

しかし、2日間のあれやこれやのさまざまな出来事を興奮気味にしゃべりまくり、どうやら、口だけはゼンゼン疲れていない様子でした(笑)

 

 

  
去年の校外オリエンテーションのカレー作りの風景。
(学校のホームページより)

 

 

 

 

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13日の金曜日

2018年04月14日 | 映画の話やTVの話など

昨日は13日の金曜日でしたね。

僕がいつまで経っても忘れることができないのが、昔の映画「13日の金曜日」です。あの第1作は、本当に恐かった。今もあの映画を思い出すとぞっとする。

映画が上映されたのは1980(昭和55)年の8月でした。その後このシリーズは10作以上製作されたが、この第1作を超えるものはない。

そこでその時の話(例によって大昔の話)ですけど。

僕はこの映画の試写会を申し込み、運良く当たったので、一人で大阪御堂筋の会館へ出かけて、その映画を見ました。

試写会なので、映画の始まる前に舞台に著名な女性アナが出てきて、この映画の成り立ちや概要を説明してくれた。そして、最後に気になる言葉を残して舞台を下りたのです。

「皆様、この映画が完全に終わるまでお席を立たないでくださいね」と。

つまり映画のエンディングロールの途中で立ってはいけない、ということだ。僕はその言葉を、行儀よく最後まで見ましょう、という意味だと解釈した。

そして映画が始まった。

「13日の金曜日」シリーズは多いが、作品を重ねるごとにネタ不足になり、とにかくジェイソンが出まくったりするのだが、第1作目はジェイソンはほとんど姿を見せない。その不気味さが、ますます恐怖を募らせるのだ。

ご存知の方も多いと思うけれど、改めてストーリーを紹介しますと、

あるキャンプ場の近くの湖で一人の少年が溺れて行方不明になった。その事故が起きたのが、13日の金曜日だった。その後、そのキャンプ場では奇怪な事件が次々に発生し、あげくにキャンプ指導員男女2人が何者かに殺害される。そして、そのキャンプ場は閉鎖される…

そんなことがあってから何年か後、そのキャンプ場が再開されることになった。何人かの若い元気な指導員候補生の男女がこのキャンプ場を訪れた。そして、そこでまた、その男女が次々と殺されていくのだ。(この殺され方が、また恐い)

最後にたった一人生き残ったのが、アリスという女性だった。

震えながら恐怖の夜を過ごすアリスのところへ、一人の見知らぬ中年の夫人が現れた。その夫人は、以前キャンプ場の湖で溺れた例の少年の母親だった。彼女が言うには、息子が溺れかかっていたとき、キャンプ場の指導員たちは遊びほうけていて、結局、見殺しにされて息子は死んでいった。

それを恨んだ夫人は、2人の指導員を殺害した。そして今回の連続殺人も、自分の犯行である、と、恐るべき事実をアリスに告げたのだった。

ギャッ! この母親が犯人だったの? と驚くアリス。声も出ないほど、恐怖で身がすくんだ。そのアリスに、母親が襲いかかってきた。

すさまじい格闘の末、アリスはなんとか相手を倒す。どうにか一命をとりとめたアリス。そして、いよいよ映画はラストシーンに入る。

夜が開け、それまで暗かった映画の画面もパッと明るくなり、朝日を反射してキラキラ光る美しい湖に小舟が浮かんでいる。その小舟の中から、アリスがすくっと身を起こして微笑んだ。見ていてホッと胸をなでおろすシーンである。

犯人の女は死んでしまった。遠くにパトカーのサイレンも聞こえてきた。自分を助けに来てくれたのだ。

舟の中で「あぁ助かったのだ」という安堵の表情で両手を広げ、天を仰ぐアリス。そしてエンディングロール画面に変わった。

出演者、製作者らの名がスクロールされる。字ばかりのスクリーンを見ながら、そろそろ席を立つ観客もいた。

あぁ、恐かったなぁ。でも、最後の一人は助かってよかった。そう思いながら、バッグを持って席を立とうとした瞬間、スクリーンには、再び先ほどの湖の小舟の光景が映し出された。そして、

湖の中からいきなりガバっと、泥だらけの小さな子供のような生き物が飛び出し、舟にいたアリスに飛びつきギュっと首を締めたのだ。

「キャ~~~!」 と叫ぶアリス。同時に観客からも悲鳴が上がり、映画館全体がどよめいた。

僕も思わず「わぁっ!」と叫んでしまった。椅子から転げ落ちるかと思ったほどだ。いや~、このときは、本当に、本当に驚いた。

もう、映画は終ったはずだったのに、まさか、最後にそんな仕掛けが潜んでいたとは。

「皆様、この映画が完全に終わるまでお席を立たないでくださいね」と、試写会の最初に女性アナが言ったのは、このことだったのだ。

と、まあ、そのときのことを、今も生々しく思い出すのです。

僕はこれほど恐い映画のラストシーンを見たことがありませんでした。

試写会が終り、電車を乗り継いで帰途についた。最寄の駅から家まで歩いた。時間はかなり深夜に近かった。人影のない道路をテクテク歩きながら、どうしても、今見た映画のラストシーンが頭に浮かぶ。脳裏からそれを消そう消そうと思っても、浮かんでくる。

心臓が凍りつくような恐怖感に駆られる。
家に近づいてきて、溝のある薄気味悪い道に出た。そこを通るのが、もう恐くて恐くて仕方なかった。
(もともと、僕は大の恐がりなのである)

僕はそこから一目散に走った。なりふり構わず、思い切り走った。もしかして、溝の中から泥まみれの子供が自分の首に飛びついてくるのでは!

ぎゃぁ~
ぎゃぁ~

と、心の中で悲鳴を上げながら、一目散にわが家へ疾走したのです。


そんなことで、13日の金曜日が来る度に、必ず、その映画を見た恐怖の夜のことを思い出すのです。

どうやら、死ぬまで忘れられそうにはありません。

 

 

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日本人はサッカーには向いていない?

2018年04月11日 | スポーツの話題

サッカーのW杯を6月に控えたこの時期に、日本代表のハリルホジッチ監督が解任されました。選手とのコミュニケーションがうまくいかなかった、というようなことで、これはひと言で言えば監督と選手たちの仲が悪くなったということなのでしょうね。会社での上司と部下の関係もそうですが、仲が悪くなったら、組織としていい仕事はできませんよね。

ハリルホジッチ監督が求めていたものは、サッカーはデュエル(決闘)であり、1対1であっても、それ以外であっても、「強さ」が大事で、とにかく相手の球を奪い、力づくで押さえ、前に前に出る、というサッカーを推し進めようとしたいたわけなんですが、それがどうも選手たちと合わなかったようですね。

今回の監督解任劇を知って思い出したのは、作家の奥田英朗さんの「どちらとも言えません」という、楽しいエッセイ集に載っていた文章でした。

その本の中に、「日本人サッカー不向き論」という一章があり、それを読んだ僕は、な~るほど、日本人はやっぱりサッカーで世界の一流になるのは難しいんだなぁ、とその当時思ったものです。そしてそれが、今回のハリルホジッチ監督の解任劇にもつながったのかなぁ、という気もします。

奥田英朗さんのエッセイによると、日本人はとにかくおとなしいし、規律を重んじる人種である。具体的に言うと、つまりこういうことです。

外国人と日本人の根本的な違い、ということですけど。

たとえば、僕もニューヨークの街を歩いていた時に目撃しましたが、男の人が口笛をヒューっと鳴らしてタクシーを止めます。すると、近くにいた婆さんがさっとそのタクシーに乗り込む。男の人は「オレがタクシーを止めたんだぞ」と言うのだが、「知るか!」みたいな態度で婆さんはそのまま乗ってしまう、という光景でした。こういうのがザラにあるのです。

著者の奥田英朗さんもそんな光景を外国で何度か見たと言い、「ああ、日本に生まれてよかった」と胸をなでおろした、と書いていました。

そこから奥田英朗さんの「日本人サッカー不向き論」が展開されていきます。

待ってるだけだとタクシーに乗れない。「奪う」ということが世界の常識なのだ。だけど日本人は行儀よく待つ。ゆえに日本人はボールの奪い合いをする競技がとにかく苦手。サッカーに限らず、ラグビーもバスケもホッケーも。もちろん体格の差もあろうが、それ以前に妨害行為にことのほか弱く、メンタル面で負けちゃっているのである。

日本が野球を得意とするのは、ボールを持つ攻守が完全に分かれていること。打順とポジションがちゃんと決まっているから。相手を妨害するようなルールはない。観客も、日本人は自分の指定席しか座らないが、外国人は関係なくいい場所に座り、そこへ指定席の客が来れば別のいい場所へ移る。つまりルールは必要な時に適用すればいいのであって、あとはフレキシブルに対応すればいいじゃないかというのが外国人の考え。しかし日本人はポジションを堅持するということが何よりも基本。他人様に迷惑はかけないというのが、日本人の考え方です。

というような話が展開されていきます。

だから、日本人はボールを奪い合うサッカー等には不向きだというのです。

これを思うと、今回の解任劇は何となくわかる気がします。つまりハリルホジッチ監督は日本人の苦手な「ボールを奪う。相手を妨害する」ということを最大の戦略として進めてきたわけですが、結局それが最近の国際試合で勝てなかったことと絡んで、こういう結果になったということなのかなぁ、という感じです。

新しく就任した西野監督は、わが大阪の「ガンバ」の監督でもあったことから、僕たちにはとても親しみのある監督です。取材を受けた同監督は、個々に力強さを求めたハリルホジッチ前監督の戦略から、「日本が積み上げてきたもので勝負する」というふうに転換する考えを明らかにしました。つまり、改めて日本人が得意とする技術、規律、組織力を生かした戦術を探って行くという宣言で、「日本人らしい戦いに戻す」ということなんだと思います。

とにかく、本番のW杯まであと約2ヵ月。1勝するのも難しいかも知れませんが、悔いの残らない戦い方をしてほしいと思います。

 

 

 

 

 

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入学式でした~

2018年04月10日 | 日常のいろいろなこと

4月7日(土)はモミィの中学校の入学式でした。

モミィはその前日に学校へいろんな書類を持って行ったり、健康診断を受けたりし、また僕らも何やかやとバタバタしていました。

で、入学式の日はまぁいいお天気でしたが、ちょっと寒かったですね。

中学校がある駅に着くと、何しろ入学式なので、その学校の生徒と保護者の人たちがゾロゾロ。僕たちもその集団に混ざってゾロゾロ。

急な登り坂を上がって学校に入り、講堂に向かいました。すると、なんだか長蛇の列ができています。なんだなんだ? と思ってみたら、「〇〇中学校入学式」の看板があり、その前でみんな記念写真を撮っていました。それを待つ行列だったのです。でも、こんなの待っていたらどれだけ時間がかかることやら。

で、僕たちはそれを横目に見て、講堂の階段の下に行ったら、今度はそこも長蛇の列。階段の上にある講堂での入学式は受け付けをしなければならないので、そこに並んでいるのだと思って、しばらくはその最後尾に並んでいたのです。でも、あとから来た人たちの何人かが、横をすり抜けて上に上がって行くので、妻が念のためそちらへ行って見てみたら

僕らが並んでいたのは、階段を上がりきった所に、これまた「〇〇中学入学式」の看板があって、そこで写真撮影をするために、み~んな並んでいたのだということがわかりました。

妻が「ここは写真を撮る人たちが並んでいるみたいよ」と言ったので、「な~んじゃ、そら」と、僕はその列から離れて上に上がり、受付を済ませました。


 
皆さん、看板の前の写真撮影のために並んでおられたわけで。
それがわかった時点で、階段の左側を上がって行きました。



 
式場に入り、保護者席の一番右端の席に座りました。
キリスト教の学校なので、ここは礼拝堂です。
今日の入学式も「入学礼拝式」という名称でした。



 
しばらくして、新入生たちが入ってきました。
モミィを写したのですが、後ろから6人目ぐらいに写っています。
1年生は全部で4クラス。1クラス50人足らずの人数です。



 
先輩の生徒たちがコーラスで新入生を歓迎。



 
讃美歌やキリストの教えのお話があり、校長先生やPTAの会長さん、
学年主任先生のお話などがあって、そのあと、生徒たちが、
舞台の前にそろって記念写真を。これはモミィのクラスです。
モミィは最前列の一番右にいます。

 
入学式は午後1時半から始まって2時間余りで完了しました。 

モミィは、前日の健康診断のための初登校で早くも友だちをつくり、この日の帰り道は、3人の新しい友達といっしょに帰途につきました。僕たちは、その3人の生徒たちと、そのお母さんやお父さんたちと一緒に、駅まで歩いて行きました。

そして今週になり、昨日は始業式で、今日は初めての授業の日でした。

モミィは元気に行きましたが、こちらとしては、朝は早く起きなければならないし、お弁当も作らなければならないしね~。

ということで、新しい日常生活のスタートです。

 

  


 

 

 

 

 

 

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今年もアルゼンチンから

2018年04月06日 | 日常のいろいろなこと

アルゼンチンに住んでいる甥のヒロユキが、今年も愛妻のソルちゃんを連れて日本にやって来ました。8年前から、毎年3月から4月にかけて20日余りの長期休暇をもらって「里帰り」するのが習慣となっています。そして、そのときは僕たちも呼んでもらって一緒に食事をし、そのあとソルちゃんが好きなカラオケに行くのが、これまた恒例になっています。

これまで何度か書いたけれど、僕と妻と義姉の3人でアルゼンチン旅行をしたのが2009年(平成21年)で、僕が退職をした年だった。ヒロユキは首都ブエノスアイレスの郊外にある人気レストランでシェフをしている。ヒロユキとその母である義姉は、この時、十数年ぶりに会った。それがきっかけて、翌年から毎年欠かさず、ヒロユキはソルちゃんを連れて日本へ来るようになったのです。

↓ ヒロユキがシェフをしているブエノスアイレスのレストランです。 
http://www.rosanegraargentina.com.ar/

右のCHFF(シェフ)をクリックするとヒロユキが出てきます。

今年もまた、ヒロユキたちはやって来ました。そして昨日5日の木曜日に、ヒロユキの母親である義姉も交えて、6人で会った。場所は義姉の住んでいる京橋で、会うとまずソルちゃんは「モミィ~」と叫んで抱き合うのだが、ソルちゃんもヒロユキも、モミィが大きくなったなぁ…と驚いていました。

 


 
この写真は、6年前のもの。
モミィはちょうど幼稚園から小学校に上がる時でした。



 
これは昨日。ソルちゃんからお土産をもらって喜ぶモミィです。

昼食に入ったお店は、これも例によって京橋コムズガーデンにあるサイゼリア。ソルちゃんは和食はまったく駄目で、このサイゼリアのパスタやピザが大好きだという。モミィもそういうものが大好き。ソルちゃんとモミィは、お店の中でお互いにお土産を交換し合ったりして、はしゃいでいました。

昼食を終えて次はカラオケに。

歌うのはソルちゃんと僕とモミィの3人だけ。あとの3人は歌わない。

ソルちゃんは日本語がわからないが、母国語のスペイン語と同じぐらい英語に通じているので、英語の歌がほとんどです。そこで僕も、ソルちゃんが喜ぶので、半分ぐらいは英語の歌を歌うことにしている。とは言っても、英語の歌と言えばビートルズぐらいしか知らないので、50年以上も前の「イエスタディ」や「レットイットビー」「アンドアイラブハー」などを歌うのだが、それでも英語の歌なのでソルちゃんは楽しそうに聴いてくれる。モミィも「美女と野獣」や「イッツ・マイ・ライフ」を英語で歌ってソルちゃんを喜ばせていました。

スペイン語の歌では、これも大昔の「ベサメムーチョ」というトリオ・ロス・パンチョスの歌は僕も何とか歌えるので、これを歌うとソルちゃんは大喜びしてスペイン語の字幕を見ながら一緒に歌ってくれるのでした。

そんなことで、賑やかに過ごした午後の半日でしたが、時間が来て京橋駅の改札口でお別れ。ソルちゃんに「アスタ・ルエゴ(じゃぁまた)」と手を振って、僕たちは環状線に乗りました。次はまた来年の春ですね。電車の中でモミィは、「いつかアルゼンチンに行けるかなぁ」とつぶやいていました。

そうだね。
いつか行って、向こうでヒロユキとソルちゃんに会うことができたらいいね。

 

*9年前のアルゼンチン旅行は、このブログで書いています。

遥かなる国アルゼンチンへ

イグアスの滝

イグアスの小さな思い出

もう クエンタ …なんのこっちゃ

アルゼンチンタンゴのことなど

また会う日まで

 

 
アルゼンチンのブエノスアイレスで、ソルちゃんと。2009年9月。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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入学準備も大変です

2018年04月04日 | 日常のいろいろなこと

モミィの中学校の入学式を目前に控えているところですが、これまで妻も何やかやと忙しい毎日を送ってきました。

受験まで山ほどあった教材・テキスト・解説書をはじめ、受験予定だった他の中学校の関連書類などを少しずつ整理しながら、処分するのに何日もかけています。

そして一方で、中学校で必要なものの購入。え~っと、つまり、新しい学校の教材とか文房具や、夏・冬の制服、体操服、それと革靴・上靴・体育館シューズ、屋外での運動靴と、靴だけでも4種類。また、教科書を入れるカバンやそれ以外の荷物を入れるリュック、その他諸々と、購入するものが予想以上に多かったわけで。

さらに、これから学校に提出する書類もかなりあるようです。

昨日の夜、その書類の中で「これ、書いてくれる?」と妻から僕のほうに回って来たのは、次のような学校からの質問票でした。

★子どもの教育についての考え方
★中学で特に学びたいこと
★特に身につけたい力
★将来の希望
★性格の特徴

というような質問に回答していくわけですが、結構むずかしいですよね。答えのスペースが1~2行なので、長い文章を書くわけにはいきませんしね。最後の「性格の特徴」という欄だけは、かなりのスペースがあって、ここは5~6行の文章を書き込めるようになっていました。

人を笑わせるような文章なら喜んで書きますが、こういうマジメな質問への回答というのは得意ではありません。そこで僕も昨夜は発想を転換して、頭をヒネり、一つひとつマジメに考えながら、何とか各質問欄を埋めることができました。いくつか紹介しておきますと

★子どもの教育についての考え方 → 「読むこと」と「書くこと」の習慣を身につけることが大事だと思っています。
★中学で特に学びたいこと → 学業、友だち作り、部活などを通じて、いろいろ学びたい。
★特に身につけたい力 → いろいろありますが、まずは英語力。

というふうな感じですね。まぁ「いろいろ」ばっかりですけど(笑)。

さて、そのほかにも入学までにしなければならないことがありまして

モミィが通う中学校は電車に乗って行かなければならないので、まず自宅から駅まで自転車で行きます。毎日のことなので駅前の自転車預け所に登録をする必要があります。4月は申し込みが殺到するということを聞いていたので、3月に仮の申し込みをしていました。で、一昨日、正規の申し込みに行きました。4月分の料金を払って登録番号シールをもらい、それを自転車に貼り付けて登録は終了です。

そしてその次は、駅で定期券の購入です。

まだ生徒手帳のような身分証明書はありませんが、あらかじめ学校から定期券購入用に学校長の証明をもらっていたので、それを駅で示して、とりあえず6か月間の通学定期券を購入しました。今は通学定期も「ICOCA」のカードなんですね。知らんかったわ~

中学進学に伴い、結構あれやこれやと、お金もかかるものですね。

そんなことで、入学式まで、あと数日となりました。

 

 

 

 

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年度初め 緊張の時

2018年04月02日 | 思い出すこと

昨日からいよいよ4月に入りましたね。市役所で仕事をしていた頃は、やはり「年度初め」といえば、各職場にピンと張りつめた空気がありました。市役所というのは、部や課によって全く仕事内容が違うので、極端に言えば、別々の会社がひとつの屋根の下でそれぞれの仕事をしているみたいなところがあります。だから、人事異動は、まったく知らない仕事をする場所に行く感じで、職員にとっては最大の関心事なのでした。

4月1日付で人事異動があり、自分の職場に新しい上司や部下などが入ってきたり、それよりも何よりも、自分自身が新しい職場に配置されたりすることももちろんあるので、そんな時は僕も、さすがに何歳になっても緊張したものです。

僕は、採用されたときは秘書課の「市史編さん室」という、なんだか特殊な部署に配属されましたが、2年後の24歳の時に課税課に異動して多くの仲間ができました。その次はまた2年後の26歳の時に議会事務局という、これも少し変わった部署へ異動になりました。

ふむ。立て続けに2年ごとの異動なんて、僕は役立たずなのか? と少々ひがんだものでしたが、今度はその議会事務局に42歳までの16年間いました。なんだそれ? 短い時は短いし、長い時は長過ぎるほど長い(笑)。

その42歳の時、総務課の文書法規係というところへ配属されました。ここは市役所全体の法律や条例に関することを担当する部署で、これがまた難しい職場でした。僕はその時、各課からの法的な問題の問い合わせが集中してくるのに忙殺され、僕が法的にこうだからこうすべきと説明すると、各課の担当者は「法律だけでは物事は解決せえへんで! 硬いことばっかり言うな」と責められる始末。しかし立場上、硬いことを言わなければならない。それでストレスがたまり、ウツのような状態になり、思いあぐねた末、当時の助役さんに手紙を書き、正直に心情を述べました。「これ以上僕には務まりません」「どこでも結構ですので異動させてください」という意味のことを訴えると、有難いことに受け入れてもらいました。で、この部署も2年で終わりました。

そして44歳のその時に配属された部署は広報係で、ここはよかったです。少しでも市民の人に親しんでもらえる広報紙を作ろうと、見出しや写真を工夫したり、文章をなるべくわかりやすくしたりして、これは自分に向いている仕事でしたね~。ここでは6年間勤め、50歳の時に再び議会事務局へ異動しました。この職場は2度目ですから、まあ「出戻り」みたいなもんです。

ここで10年間勤めて、60歳で定年退職ということになったわけですが、この議会事務局は結局合わせて26年間務めたということになります。

市史編さん室 2年
課税課   2年
議会事務局 16年
文書法規係  2年
広報係    6年
議会事務局 10年

38年間のうちの26年間、議会事務局にいたことになります。

自分が新しい職場に配属されたのは、合計6回ということになり、それぞれの職場への初出勤だった4月の最初の日は、どんなだったろう、と思い出してみますと、細かいことは忘れましたが、それなりの緊張感を持っていたことは間違いありません。

今日は4月2日ですが、月曜日なので、新社会人を含め、今日から新しい職場での生活が始まる方が大勢いらっしゃると思います。自分の過去のことを思い出しながら、みなさん新しい職場で頑張ってください! と心の中でつぶやいています。

ちなみに僕自身は、伸びきったゴムのような、緊張のない毎日を送っています。
すみません。

 

 

 

 

 

 

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