僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

80歳で自転車日本一周

2021年02月27日 | ウォーク・自転車

年齢を重ねると体力も気力も衰えてくるというのは避けられないことですけど、僕もここ数年、そのことを身に沁みて感じています。そんなとき、いつも思い浮かぶのが、80歳で自転車の日本一周に挑戦した原野亀三郎さんという方です。

今から10年以上も前のことになりますが

自転車で長野県を出発した原野さんは、日本海側の道路に出て北上、北海道を巡った後、本州の太平洋側を南下、東北、関東、東海、近畿と走り、そのあと四国へわたり、さらに九州から沖縄まで足を延ばして、再び九州に戻ると、今度は日本海側を東へ走って出発地点の長野までペダルを漕ぎ続けたのです。

そして出発から1年2ヵ月が経った時、原野さんは長野県に入り、ついに自宅のゴールまであと20キロというところまで迫ってきた。

ところが、そこで信じられないことが起きたのです。

原野さんは、そこまで帰って来たところで、トンネル内でダンプカーに追突されて命を絶たれたのです。1万キロ近く走ってきたはずの原野さんが、自宅まであとわずか20キロというところで。なんという悲惨な出来事。

僕は事故があった翌日の新聞記事で、このことを知りました。読んで愕然としました。こんな形で自転車旅行が終わるとは、あまりといえばあまりです。残酷過ぎる!

その後、NHK総合テレビ「クローズアップ現代」で原野さんのドキュメンタリーが放送されました。僕はそれを見て、原野さんの旅行の詳細を知ったわけですが、番組は原野さんの旅行中の日記を紹介しながら、旅行の跡をたどって行く形で進められました。

出発の時、テントや食料で40キロも重さのある荷物を自転車に載せ、「よろめくようにスタート」した原野さんは、日本海の糸魚川に出た時、後部キャリアのビスが重みで外れ、荷物がずり落ち、難渋する。

風雨にさらされたテントでの宿泊。
1週間で疲労がピークに達する。
「身体がバリバリだ。重い」と日記に記した。

山形県内の国道でバランスを崩して転倒し、近くの診療所に駆け込む。
手首を2箇所骨折して、そのまま1週間の入院。

北海道をまわり、本州を南下しているとき、福島県内で大雨に遭う。
旅館に泊まって、原野さんはそこの女将さんと話す。
その女将さんが、テレビで原野さんの印象をこう語っていました。

「自転車でご旅行を楽しんでおられるんですね、と私が申し上げましたら、原野さんは『楽しくないですよ』と言われました。『楽しくない?』と私が聞き返しますと『足は痛いし腰は痛いし。今は苦しいだけです。あとから、楽しかったなぁ、と思い返せるから、一生懸命走っているのですよ』とおっしゃいました。その言葉が、胸に響きました」

まさにそのとおりだろうなぁ、と思います。

この言葉はそのまま僕自身の思いでもあります。自転車旅行の時、今はどれだけ苦しくても、家に帰ったら楽しい思い出になる、という一心で走り続けたし、それと同様、マラソンでも、走っている時は苦しいばかりで、走り終えた後に楽しい思い出となるということだけが力になっていたように思います。

それにしても、80歳で自転車日本一周旅行をしようという心身の逞しさは、どこから生まれてくるのでしょうか。

最近は、コロナ禍もあって僕も行動力が減退気味です。心身ともに活力が失われていくような気がしているので、今一度、原野さんの「踏み出す力」に思いを寄せようと、自分を刺激したくてこの話を書きました。

 

 

 

 

 

 

 

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ひとり7万4千円 の食事って どんなの?

2021年02月25日 | ニュース・時事

ひとり7万4千円の食事とはねぇ。
どういう店で、どういう料理を食べたらそんな値段になるの? 僕ら庶民には全く見当もつきませんわ。

 ………………………………………………………………

菅首相の長男が勤務する「東北新社」に接待された総務省幹部らが処分されたことが、今日の新聞・テレビで大きく報じられました。

「東北新社」というのは、名前からみて東北にある会社なのかな~と思ったら、東京の会社で、大手の放送事業会社だそうです。「映像に関するあらゆる事業を行っている総合映像プロダクション」とのことで、CMの制作とか、番組・映画の制作とか、BS・CS放送関連事業とか、その他いろいろと幅広い事業を展開している、とのことです。

その東北新社に勤める菅首相の長男が、衛星放送事業を所管する国の高級官僚を飲食に接待したのですから、そりゃぁ怪しいですよね。贈収賄を疑われても仕方ありません。

そんなことで今、日本中の関心を集めている菅首相の長男というのは、週刊文春に載っていた写真で見ると、こんな人です。

      

なんだかねぇ。ロン毛だし、首相の子息で大手の会社に勤務する社員、というイメージからはほど遠いですね(ま、見た目だけの話ですけど)。

それでその「東北新社」の食事接待の内容ですが、一番驚いたのが、冒頭で書いたように、1人7万4千円の話です。山田真貴子という内閣広報官が総務審議官だった2019年11月、1人あたり7万4203円の飲食接待を受けたとのことでした。場所は東京虎ノ門のどこかだそうですが、なんとまぁ、何度も繰り返しますが、1人7万4千円ですよ。すご~い!

どんな料理を食べたらこんな値段になるのかと思っていたら「和牛ステーキと海鮮料理」だったそうです。

一方、僕なんかは

去年12月に、当時モミィが受験を希望していた公立高校のひとつ大阪市阿倍野区の住吉高校へ、妻と2人で「下見」に行ったことがあります。その帰りに近鉄百貨店のすぐ近くにある「サイゼリア」でランチしました。(これがここ何ヵ月かで唯一の外食でした)。

そこで僕らが注文したのが、

*辛味チキン
 

*ムール貝のガーリック焼き
 

*シーフードパエリア
 

*ガーリックトースト
 


*ワイン・デカンタ(500ml)
   

*セットドリンクバー

などでした。

で、僕はワインを飲みながら、辛味チキンとムール貝をつまみ、妻はドリンクバーを楽しみながらパエリアを食べ、ガーリックトーストは半分ずつ食べました。

それでお値段は、2,000円きっかり。

2人で2,000円です。
つまり、1人1,000円!
僕はワイン500ml も飲んだのに。

菅首相の長男らが接待した食事代が1人7万4千円だったら、サイゼリアには74回行ける勘定です(笑)。

まぁ、それとこれを比べるのはおかしいかも知れませんが、それにしても1人7万4千円とはねぇ。

「くら寿司」やったら、このお金で、いったい何回食べられるねん!

ぶつぶつ。
(まだボヤいてる)

 

 

 

 

 

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天皇誕生日 ~あれから61年~

2021年02月23日 | 思い出すこと

今日、2月23日は天皇誕生日でした。
でも僕にとっての「天皇誕生日」といえば4月29日しかイメージが浮かんでこない。つまり昭和天皇ですよね。で、次の平成天皇(現・上皇さま)のお誕生日はいつだったっけ? と考えても、もう忘れちゃっている。調べると12月23日でしたが、そうなると今の陛下が2月23日なので、この二つの月日が頭の中でごちゃごちゃになります。う~ん、なかなか覚えられそうにありません。

しかし年月の流れの早さだけは、しみじみと実感せざるを得ませんね。

今の天皇陛下、つまり令和天皇は1960年(昭和35年)に誕生された。その当時僕は小学校5年生だったけれど、うちの両親や近所の人たちが、そのお誕生を心から喜んで、嬉しそうに語り合っていた。

「お名前は決まった?」
「浩宮(ひろのみや)・徳仁(なるひと)様とか」
「へぇ、なるちゃんねぇ」
みたいな会話が大人たちの間で交わされていたのを覚えています。

後にその「なるちゃん」の大きな写真が新聞屋さんによって各家庭に配られ、うちの両親はその写真を額に入れて部屋の上のほうに飾った。その横には、「なるちゃん」のご両親である皇太子殿下と美智子妃殿下のご婚礼の時の写真が飾られていたので、わが家に皇室の写真が2つ並んだわけです(当時はそういう家庭が多かった)。


  
  「なるちゃん」
です。
  こういう感じの写真でした。

 
  
  その前年の皇太子殿下・美智子妃殿下のご婚礼の写真。


僕はその可愛い赤ん坊の写真を毎日のように見上げながら、

「この子が天皇陛下の孫で、ほいで皇太子殿下の子供やから、いつかは天皇陛下にならはるんやろなぁ」な~んて思っていた(ような気がする)。

そして、歳月が流れ、時代が移り変わり

その「なるちゃん」が2年前の5月に、令和天皇に即位された。
そして今日、満61歳の誕生日を迎えられたのでした。
なんとまぁ、61歳!

きょうの朝、NHKで天皇の会見の様子がテレビに映っていたのを見ながら、あの可愛かった赤ちゃんがもう61歳にもなられたのかと思うと、じゃぁ僕はいま何歳なんだ? と、一瞬、自分の年齢がわからなくなりました。

というのはウソ。わからなくなるわけないじゃん(へへっ)。

でも、本当に月日の経つのは早いですねぇ。
このごろは何かあるたびに、心の中でそうつぶやくのが口癖になっていますが、今日もまた、天皇陛下の会見を見ながら、特にそのことを強く身にしみて感じた次第です。

 

 

 

 

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また中学校で新型コロナウィルス感染者が

2021年02月21日 | 日常のいろいろなこと

モミィが通う中学校でまた新型コロナウィルスの感染者が出ました。

2週間前の木曜日(2月4日)にも同じようなことがありました。教職員の方の感染が判明したということで、翌日の金曜日は学校が休みになり、そのことはこのブログにも書きました。

  中学校でコロナの感染者が (2月5日)

そして今度は18日の木曜日です。またもや学校からのお知らせ(ホームページ)があり、前回同様、同校の教職員の方が感染したことが判明したということです。で、翌19日の金曜日は休校となりました。

そのホームページには、これについて、濃厚接触者がいるかどうかは保健所による調査の結果を待たなければならないので、その結果によっていつ学校を再開するかはこのページでお知らせしますと書かれていました。そして今日の日曜日の午前10時に、待ちかねていたそのお知らせが掲載されました。

保健所の調査の結果、濃厚接触者はいなかったので、明日の月曜日から通常の登校としますとのことでした。あぁ、やれやれ

2週間前も濃厚接触者はいなかったのですが、それでもあの時はモミィが私立高校の入試の直前だったので、大きな不安に襲われました。まぁ結果的には元気に試験を受けることができて事なきを得ましたが、今回また学校から感染者が出たということで、再び不安を感じているところです。今度は公立高校の入試を控えていますのでね。

入試前に続けて学校で新型コロナウィルスとは。

入試が終わるまで、心配のタネは尽きませんわ。

新型コロナウィルスの感染者数が全国的に減少しつつある中で、大阪では吉村知事が今月末にも国へ緊急事態宣言の解除を要請するとのこと。でも、ちょっと気が早いんじゃない? と思ったりもします。まだまだ気を抜けない状況であることは間違いないでしょうから。

今はワクチンに期待していますけど、これもまだもう少し先の話ですしね。
当分の間は今までどおり、しっかり感染予防対策を取るとともに、自粛も継続しなければ、と自分に言い聞かせています。

 

 

 

 

 

 

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橋本聖子さんは 「男みたいな性格」 ?

2021年02月19日 | ニュース・時事

今や「時の人」となった橋本聖子さんですが、7年前にフィギュアスケートの高橋大輔さんに「無理やりキスをした」というセクハラ報道が今回また取り上げられましたね。それで昨日の就任会見の中で改めて謝罪をしました。こういう有名な人が注目されるポストに就くと、いろいろと古傷に触れられるので、なかなか大変ですね。

僕も有名人にならなくてよかった~
僕の “華麗なる人生” も、叩けばいくらでも埃が出てきますからね。
あっはっは。

あ、すみません。
くだらない冗談を言ってる場合じゃない。

ところで、
聖子さんのこの件について、自民党の竹下亘・元総務会長という人が、
「橋本(聖子)さんはああいう性格です。しかもスケート界では男みたいな性格で、ハグなんてのは当たり前の世界です。それをセクハラだと言われたら、これはかわいそうだなと
と発言したのですが、そのすぐあとに竹下氏の事務所が、
「『男みたいな性格』というのは、正確には『男勝り』と言いたかった」
と訂正したそうです。

えっ?「男みたいな性格」ではなく「男勝(まさ)り」と言いたかった?

聖子さんを援護する発言なのはわかりますが「男みたいな性格」を「男勝り」に訂正したら援護になるの? あるいは「男みたいな性格」は不適切で「男勝り」だったら適切な表現になるっていうこと? わからんわ~

竹下亘という人はかつての首相だった竹下登さん(DAIGOの爺ちゃん)の弟とのことですが、ホント、意味がわかりませんね。最近は政治家のいろんな発言がマスコミに頻繁に取り上げられていますが、今回のこの発言と訂正も、いったい何なんでしょうね。

まあ、とにかく今のこんな時期には「男」とか「女」とかがつく表現(単語)は使わないほうが無難、ということになってきそうですね。

そういえば、先日、モミィの中学校の国語の試験で、
「男みたいな」と「男勝り」との意味の違いを述べよ
という問題が出ていました。

というのは、ウソです。
すみません。
またアホなことを。

では、おやすみなさい。
明日は土曜日ですね。

皆さま酔い週末を、
じゃなかった、良い週末を!
(もうええわ)

 

 

 

 

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森会長の後任問題や 『茶髪裁判』の判決問題など

2021年02月17日 | ニュース・時事

今朝の新聞に、東京五輪組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言に抗議する署名が15万を超えたとありました。と同時に、次期会長が誰になるのか注目されており、今日の第2回目の検討委員会で後任会長を内定するとのこと。山下泰裕さんが最右翼と目され、それ以外にも橋本聖子さん、小谷実可子さんらが候補に上がっていますが、誰が会長になっても何かが大きく変わることってないですよね。しかしまあ、森会長の「女性は話が長い」という発言が、これほどまでに世界中から非難を浴びるような大騒動に発展するとはね~。
まさに「口は災いの元」ですわ。

さて、話は変わりますが

ある裁判の判決の話です。

大阪府羽曳野市にある府立懐風館(かいふうかん)高校というところの元女子生徒(21歳)が、茶髪を黒く染めるように厳しく指導されたことで「精神的苦痛」を受けたとして慰謝料を求めた訴訟の判決が昨日、大阪地裁でありました。判決は「髪を黒染めするよう指導したことに違法性はない」というもので、この部分については学校側の言い分が通った形です。

この女子生徒が生まれながらの茶髪だったのか、または染めたのかについては、学校側は髪の根元が黒かったので茶髪は染めたものと主張し、結局それが裁判所に認められました。しかし一方で、頭髪指導によって女子生徒が不登校になった際、学校側は教室に生徒の席を置かなかったり、クラス名簿から名前を外したりした。このことについては学校側の「行き過ぎ」として府に33万円の賠償を命じたという。そんなニュースです。

  

やはり、僕らの世代から見ると、高校生が髪を茶色に染めるのはどうかなぁ、という気がします。しかし、生まれつきの茶髪なら、本人が嫌がるのに黒に染めさせるというのもおかしいですけどね。

一方では「大人は自由に染めているのに高校生だからダメというのはおかしい」という声もあるようですが、やはり校則は基本的には守るべきでしょうね。でないと、校則違反が当たり前になってきそうですし。

かと言って、どんな些細なことも校則で決めて「校則だから」とむやみに生徒たちを規制するのも問題ですけどね。ただ、今回の場合は、放置していると他にも茶髪に染める生徒たちが出てくることは十分に予想されるので、やはりその辺はきちんとケジメを付けておかなければならなかったと思われます。

モミィなどは、中学校のいろんな校則とか先生の指導方法に対して、よくブツブツと不満を言っていますが、まぁ、子どもたちの言い分もあるんでしょうけど、学校としても、指導が甘くなると、なし崩しに秩序が乱れていくので、これまたやむを得ないかと

悩ましいモンダイですよね。

ところで、この府立懐風館(かいふうかん)高校というのは、わが市の隣の羽曳野市にある高校なのに、聞いたことありませんでした。モミィに尋ねると「どこかとどこかの高校がひとつになったみたい」とのこと。調べると、羽曳野高校と西浦高校という2つの高校が合併したそうだ。な~んだ、そうだったのか。2つともよく知っている学校だった。最近は学校同志の合併が増えたので、昔あった学校の名前が消えてしまうことが多いです。

このことはモミィたちの学校でも話題になっているそうですが、昨日、モミィから聞いたところによると、この裁判を起こした元女子生徒は、わが藤井寺市にある中学校の生徒だったとのことでした。ちょっとビックリです。

と、ここまで書いていると、冒頭の森会長の後任を選ぶ検討委員会が先ほど終了した、とのニュースが入ってきました。しかしまだ次期会長の名前は発表されていません(正式発表は明日以降だろう、とのこと)。誰がなるのかは関心があるものの、繰り返しますが、誰が会長に就任しても同じようなものじゃないかな、と思います。それより、こんなコロナ禍の中で、オリンピックそのものが開催できるのか? そちらほうが気になる人のほが多いと思うんですけどね。

 

★追伸

今日の夕方、次期会長候補は橋本聖子さんで一本化された、と報じられました。

 

 

 

 

 

 

 

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高校入試の結果は?

2021年02月13日 | 日常のいろいろなこと

きょう、わが家に、
モミィが受けた私立高校の入試の結果が、速達で届きました。
封筒を開けてみたら、結果は「合格」でした。

体調を崩さず元気に試験を受けられたことだけで十分ですと、前回のブログで書きましたが、やはり受験した限りは合格してくれるに越したことはありませんよね。

やれやれです。

これで、3月10日に行われる公立高校の入試についても、迷うことなく希望校を受けることができます。

ほんと、よかった~




 

このブログを始めた頃はまだ2歳だったモミィ。
それが今では、なんとまぁ高校受験の年齢です。
この時からもう13年の歳月が過ぎたのですね。

ホンマにねぇ、早すぎますわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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モミィの高校入試で思い出す 「あの日のこと」

2021年02月11日 | 思い出すこと

「女性蔑視」の発言で物議をかもした東京五輪組織委員会の会長・森喜朗センセイがやっと辞任するようです。あれだけ世間日本だけではなく海外からも激しく非難されたら、もう辞めるよりほかありませんよね。まったく今回の東京五輪はコロナやらこんな騒動やらと、ケチがつきまといますね。いったいどうなることやら。予定通りの開催は無理でしょうから、どこまで規模を縮小してやるのか?きっぱりと中止か延期にするのか? 僕は「きっぱり」のほうがいいんじゃないか、と思うんですけど。

さて、そんなことで世情が騒然としている中ですが

昨日の10日、大阪府では私立高校の入試が行われました。モミィも大阪市阿倍野区にある高校を受験しました。早いものですね~。このブログを始めた時はモミィは2歳でした。それが今では高校の受験生ですからね。

で、昨日モミィは元気に「行ってきま~す」と家を出たので僕も妻もホッと胸をなでおろしました。もしも風邪を引いたり体調を崩したりしたらどうしよう、という心配をしていたのです。それには忌まわしい思い出がありましたから。

私立高校の受験といえば
「あの日のこと」を思い出さずにはいられないのです。もう30年以上も前。長男(モミィのパパ)が私立高校を受験した時のことです。

長男は前夜から高熱を出し、妻が一晩中看病しました。しかし熱は下がらない。その日は大事な受験の日だからお医者さんにも行けない。受験する高校は大阪市天王寺区にある清風高校でした。かなり難しい高校で、体調万全で実力を発揮しても合格するかどうかわからない状況なのに、高熱に浮かされたまま、長男はフラフラの状態のままで家を出て行きました。

そして夕方に帰宅した時も熱は引いておらず、すぐに妻が布団に寝かせました。
「あんな心配だったことは、人生の中でもめったになかった」
と、今も妻は語り草にしています。

そんな状態だったのですが、信じられないことに合格しました。おかげで次に公立高校のほうは、当時の学区の中では難関校だった松原市にある生野高校にチャレンジすることができ、その結果も合格でした。松原市といえば僕は松原市役所に勤めていたので、生野高校はすぐ近くです。合格発表の日、職場の人たちが僕に「近くなんやから、息子さんの結果、見に行っておいで」と言ってくれたので、歩いて高校へ行き、合格発表の貼り紙を見て長男が合格をしたことを知り、思わずパチパチと手を叩きました。

まぁ、そんな悲喜こもごもの思い出がよみがえってきます。

それが、今度は長男の娘であるモミィが高校受験ですからね~。嫌でもあの時の長男の様子が目に浮かんできます。だからモミィも熱なんか出したら大変、と受験の日まで真剣に心配していたのです。

そういうわけで昨日の朝、モミィが元気に出て行ったのを見て、僕たちは心から安堵したわけです。正直なところ、結果はどうでもよろし。まずは元気に受験できたのだからそれで良し。と、そんな気持ちで満たされていました。

さて、その昨日の夕方ですが。
「だだいま~」と帰宅したモミィに、「試験、どうだった?」と聞いたら、「あぁ~」と大声でため息をつき、「あかんわ。むずかしかったぁ~」と言って、あとはわけのわからないことをワイワイとわめいていました。だいたいモミィはよくしゃべるのですが、起承転結がないので、内容はさっぱり理解できないのです(笑)。

でも、僕も妻も、むろん合格すれば嬉しいに決まっていますが、たとえ結果がダメだったとしても、さほどガッカリしないと思います。繰り返しますが、元気に試験を受けられたことが何よりだったんですからね~。もう、あの長男の時のような思いは二度としたくありませんので。

合否の通知は明後日の13日(土)、速達郵便で送られて来るそうです。

結果は、またご報告しますね。

 

 

 

 

 

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20年ぶりに冷蔵庫を買い替え

2021年02月08日 | 日常のいろいろなこと

先日、冷蔵庫を買い替えました。
「退屈しのぎ」にもならないような話ですけど。

 ………………………………………………………………

これまでの冷蔵庫は20年も前に買った古いものです。そろそろ新しいものに替えたいと妻が言ったので、イオンの2階のジョーシンへ行き、冷蔵庫のコーナーに展示されているものを見て回っていると、そこへ店員さんが「何かお探しでしょうか?」と声をかけて来ました。

そして店員さんに、持参してきた今の冷蔵庫の説明書を見せ、「ウチの冷蔵庫のスペースは狭いので、サイズが心配です」と言うと、店員さんがあれこれ調べてくれ、結局、日立の冷蔵庫がサイズ的にいけそうだということで、購入することにしました。

数日後、配達をしてもらい、古い冷蔵庫を回収してくれたあと、新しい冷蔵庫を入れてくれたのだけど、これがピッタリ収まったので、よかった~


 
 
わが家のキッチン。
 このスペースに新しい冷蔵庫がギリギリ入りました。

その新しい冷蔵庫ですが

僕は旧式の冷蔵庫しか知らないので、ビックリすることばかりでした。

古い冷蔵庫は、一番上が冷凍庫で、真ん中が冷蔵庫、下が引き出し式の野菜室、という形でした。しかし新しいのは、一番上が冷蔵庫。真ん中が引き出し式の野菜室、下が引き出し式の冷凍庫です。まぁ、今はこれが普通の型みたいですけど。

でも、これまでの習慣というのは恐ろしいもので、冷凍室が一番下なのに、これまでは一番下が野菜室だったので、野菜を取ろうとして、つい一番下を開けてしまい、それが冷凍庫だったのに気づくということを何度も繰り返しています。長年の癖はなかなか抜けませんね~(笑)。

また、冷蔵庫を開けたまま中をじ~っと見ていたら、一定の時間が来るとピーッという警告音がするんですよね(古い冷蔵庫にはそれがなかった)。そんなことにも感心してます。

それと、僕が最も注目したのは氷です。古い冷蔵庫の時は、冷凍庫の製氷皿に水を入れて氷を作り、それを容器に移し入れていました。チューハイやハイボールをよく飲むので、氷は僕にとっては毎日の必需品です。

ところが新冷蔵庫ではその手間が省けました。

一番上の冷蔵室の隅に「給水タンク」というのがあり、そこに水を入れておくと、自動的にそれが一番下にある冷凍室の隅の「貯氷コーナー」というところに氷となって落ちるのです。つまり、給水タンクに水さえ入れておけば、自動的に氷ができる「自動製氷機」です。これは毎日のように氷を大量に使う僕には、とても便利なのです。

  
これは日立冷蔵庫の冷凍室の図です(ネットより)。
その左側に「貯氷コーナー」あります。


ただ、ちょっと薄気味悪いことがありました。それは

時々、冷蔵庫から「ゴトゴトゴト!」という不気味な音が聞こえてくるのです。何かと思えば、給水タンクから冷凍室の「貯氷コーナー」に氷が落ちて行く音なんですね。慣れない最初の頃は、その音にぞ~っとしました。

それが氷ができて冷凍庫へ落ちていく音だったとわかった時「あ、そうか」とナットクしましたが、それでも、しばらく「ゴトゴト」と音がするとギョッとしたりしましたね。

まぁ、どんな電気製品でもどんどん改良されていますが、20年ぶりに冷蔵庫を買い替えると、改めてそれを実感します。まだまだ使いこなせていませんが、これから説明書を読み、いろんな機能についての知識を深めたいと思っています。

それにしても、
チューハイやハイボールに入れる氷が、冷凍庫の中で自動で出来るというのが嬉しいですね。ゴトゴトゴトっていう不気味な音はしますけど。ふふっ。

冷蔵庫を買い替えた一番のメリットは、
もしかして、この自動製氷システムと巡り合えたことかも。

 

 

 

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中学校でコロナの感染者が

2021年02月05日 | 日常のいろいろなこと

昨日(2月4日)、モミィが通っている中学校で、教職員の方1名が新型コロナウィルスに感染していることが確認されました。それで今日、学校は臨時休校になりました。もちろん感染した方の氏名はわかりませんが、少なくともモミィが習っている先生ではないということです。

う~ん。
とうとうモミィの学校でも感染者が出たんだ。

夕方に市のホームページと中学校のホームページを見ると、いずれも次のようなことが書かれていました。

「先ほど、市の保健所より疫学調査(濃厚接触者に関する調査)の結果、当校の生徒ならびに教職員他、関係のあった方々の中に濃厚接触者はいないことが分かりました。(中略)。学校としましては、明日(2月5日)を臨時休業とし、校内の消毒を行い、生徒が安心・安全に学校生活を送れるよう対応してまいります。月曜日より学校を再開いたします」

そして一夜明けた今日、再び学校のホームページを見ると、

「学校については、来週月曜日より通常登校となります。生徒の皆さんは、月曜日は安心して登校して下さい」

と書かれていました。まずは一安心、というところでしょうか。しかしそれでも決して油断はできませんよね。

でも、まさかモミィの学校で感染者が出るとは。やはり、コロナウィルスはいつどこで誰が感染するか予想がつきませんね。モミィは5日後に私立高校の入試を控えている身なので、この大事な時期に万が一のことがあったら大変です。3月には公立高校の入試もありますし。

しばらくは、これまで以上に不安を抱えながらの日々が続きそうです。わが家でも、今後さらにコロナ感染防止策の徹底をはかっていかなければ、と改めて肝に銘じているところです。

 

 

 

 

 

 

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画定申告は e-TAX(電子申告)で

2021年02月03日 | 日常のいろいろなこと

 
 毎年1月に、税務署から通知が来る。


今年もまた確定申告の時期が来ました。まぁ僕の場合は、年金から引かれている所得税のいくらかを還付してもらうだけの申告ですけどね。

最初の頃は申告会場まで行って、長い長い列に並び、税理士さんにやり方を教えてもらって申告書を提出するという方法で、かなり面倒だったのですが、その後は自分でパソコンを打ち、印刷した申告書を税務署まで持参する方法を続けました。税務署のある富田林市まで、片道約10キロの道をウオーキングして持って行くと、並ぶことなく、すぐに受け付けてもらえました。

そして去年はさらにレベルアップ(笑)。
パソコンから税務署へ直接送信する「電子申告」をしました。e-TAXと呼ばれるもので、これをするためには税務署へ行って「利用者識別番号」を交付してもらうと同時にパスワードを登録する必要があります。で、事前にその手続きをしてから、国税庁ホームページの申告書作成欄をパソコン画面に出し、年金の源泉徴収票に記載された額や、健康保険やら医療費やら生命保険やらの数字や、振込先の銀行名、口座番号などをパタパタと打ちこんで送信しました。すると数週間後に還付金が振り込まれていたんですよね。は~い、成功!

それが去年のことでした。

そして今年も1月下旬に源泉徴収票などの各通知が届いたので、また電子申告をしようと思ったのですが、思わぬ事態が生じました。それは

税務署に登録した僕のパスワードが見つからない。それを書いたメモもないし、パソコンやスマホにも残されていない。いろんなパスワードやIDは必ず記録して保存しているはずなのに、確定申告のパスワードだけがどこにも記録されていない。ありゃまぁ。どうしよう?

「利用者識別番号」というのは、税務署から来た「確定申告のお知らせ」の通知書の中に書かれていたが、パスワードはむろん書かれていない。困った!

仕方なく、パスワードがわからないまま、パソコンの確定申告の画面に打ちこみ始めたけれど、すぐに「利用者識別番号とパスワードを記入してください」という画面が出た(ま、当たり前の話ですけど)。

その下に「パスワードを忘れた場合はこちら」というのがあったので、それをクリックしたら、「パスワード変更届け出」という画面が出た。「変更届け出」という名称だが、新しいパスワードを記入するわけでもなく、単に忘れてしまったという通知です。

そこへ、いろいろと本人確認のような欄に記入し、それを送信した。すると「受け付けました」という「送信結果」が画面に出て、20ケタもある受付番号もそこに書かれていた。でも、それからどうするのかということが書かれていない。

よ~く見ると、その画面の下のほうに、小さな文字で、
「具体的な処理状況については所管の税務署にお尋ねください」
と書かれていた。な~んだ。結局、電話するんかい。

そこで税務署に電話をし、出てきた人にわけを話した。20ケタの受付番号を言うと調べてくれて「〇〇さんですね」と僕の名前を確かめ、「では後日、仮パスワードをご自宅に郵送いたしますので」と言って電話は切れた。

そんなことがあった数日後に、税務署から通知書が届き、書面には仮のパスワードが記されていたのでした。

そこで再び国税庁ホームページの申告書作成欄の画面を出し、仮パスワードを記入したら無事ログインに成功。その次のページに進むことができ、そこで新しい自分のパスワードを打ち込み、そのあとは例年と同じようにいろんな項目に記入して、最後に「送信」をクリック。そうすると、
「送信に成功しました」
というメッセージが出てきたのです。あぁ、やれやれ。

それにしても
去年登録したパスワードがなぜどこにも残っていなかったのか? 僕はそういうことには注意深い人間だったし、妻も「不思議ねぇ」と首をかしげていました。きっとどこかに書き残していたはずだったのに。

やっぱり、物忘れがひどくなってきたんでしょうか? わからんけど。

ぐすん。

 

 

 

 

 

 

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