僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ピサの斜塔を支えるヒト

2015年01月31日 | 旅行

寒中、お見舞い申し上げます。
寒いですね~ ぶるぶるぶる。

ついこの間、お正月を迎えたばかりなのに、
今日はもう1月31日。明日から2月。早い!

スーパーのチラシには節分の恵方巻きの広告。
そして、店頭にはバレンタインデーのチョコ。
さらに昨日なんかは、TVでひな祭りの宣伝。
天気予報では桜の開花時期予想までしている。
本当に、落ち着く間もないせわしなさですね。

今年もまた、あっという間に1年が過ぎそうです。


さて…
先週土曜日のブログで「ゾロ目の年はどうなる」
という、自分の
誕生日にまつわる話を載せました。

その文の中で、55歳のゾロ目の誕生日の日には、
イタリアのピサの斜塔へ行った…と書きました。

すると驚いたことに…

「ピサの斜塔へ行った記事を書いてくれ~」

と、皆さんからの要望が殺到いたしました。

…ほんまかいな? 

(えへへ~。ウソに決まってますがな)

ということで(笑)ピサの斜塔ぶらり歩き…
…みたいなのを、近々載せようと思ってます。

好きなようにしてください…との声アリ)

ピサの斜塔は Pisa と表記し、ピサ…ですよね。
これとよく似ているのが pizza で、あの食べ物のピザ。
最近はピッツァと表記されることも多くなってきました。

もう一つ、まぎらわしいのが visa です。つまり、ビザ。
入国を許可する「入国査証」のことですが、僕は未だに
ピサの斜塔なのか、ピザの斜塔か、ビザの斜塔なのか…
頭がこんがらがって、その度に辞書で確認する始末です。
ややこしいですわ、ほんまに。


で、これは次回の「ピサの斜塔」の予告編です。

ピサの斜塔を僕が支えています(ダハハ)。


            


   

           お…お…重たぁい!

 


それではみなさん。 よい週末をお過ごしください!

 

 

 

 

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「アクセス状況」 のこと

2015年01月30日 | 日常のいろいろなこと

このブログの右端の下のほうに
「アクセス状況」というのが出ていますが、
これをあえて表示することで、それを励みに、
せっせと更新しよう…と自分に言い聞かせています。
長く更新しないと、アクセス数も減ってきますものね。

閲覧数は、いつも、だいたい1,000前後で、
訪問してくださる方の数は、250前後です。
ランキングは、訪問者数で決まると思うのですが、
約21万件のブログ中、2,000位台がほとんどです。
それだけの方が見てくださっていると思えば、
気持も自然と前向きになっていきます。

ところで一昨日(28日)の訪問者数を見て驚きました。
いつも250前後の数字が、595に増えていたのです。
順位も2,000位台が多いのに、この日は669位でした。
その日は記事も更新していないのに…不思議な話です。

そして昨日は396で、200ほど減りましたがそれでも多いし、
順位も1,150位と、1,000位台に入っています。
まぁ、明日か明後日にはいつもの数字に戻るのでしょうけど、
でも「何だったんだろうな~?」と、首をかしげてしまいます。

ちなみに、3年半前(2011年)の8月のことでしたが、
このアクセス数でびっくり仰天したことがありました。

閲覧数が10,568で訪問者数が8,530という…
何かの間違いではないかという数字が出たのです。
その時はタレントの島田紳助が引退したことを書きました。
これが受けたのかも知れませんが、それにしても…
ランキングも約162万ブログ中で、なんと13位でした。
そのあと、数日経ったら、また元に戻りましたけど(笑)

実はその2ヶ月前にも「異変」がありました。
その日だけ閲覧数が5,735で、訪問者数が3,219だったのです。
前日の10倍以上で、ランキングは約160万ブログ中で54位でした。

その時にアップした記事は、~禁酒から1ヶ月経ちました~
…という話題を綴っただけのものでしたが…。

今回は、それらに比べると数字は小さいけれど、
記事も更新していないのになぁ、と不思議です。

ホント、何がどうなっているのやら…      

 

 

 


 

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白鵬にも 「外国人差別」 ?

2015年01月29日 | ニュース・時事

白鵬の続きですが。

前回は、史上最多の33回の優勝を決めた時の表彰式での、
白鵬の微笑ましいインタビューのことを書いた。

すると一夜明け会見で、13日目の稀勢の里戦について…
取り直しとなった一番だったが、その判定について、
「ビデオを見ればわかるが、自分が勝っていた。子供でもわかる。
なぜ取り直しなのか?」 そう言って審判部を痛烈に批判した。

これが問題視され、白鵬の親方が審判部長に謝罪したという。

確かに、審判を批判するのは不適切なことなのだろう。
(特に「子供でもわかる」という発言は、ちょっとねぇ)

サッカーの本田選手も、先日アジア杯で審判を批判し、
何十万円もの罰金支払い処分を受けたばかりである。
審判を批判することはスポーツ界では「重罪」なのだ。

しかし、それでも白鵬の気持ちは、僕はよ~くわかる。

去年夏場所、白鵬が1敗、稀勢の里が2敗で千秋楽を迎えた時のこと。
結びの一番、白鵬と日馬富士が土俵に上がると、館内は沸いた。

しかし、その沸き方が、あまりにも異様だったので驚いた
「日馬富士! 日馬富士!」の大合唱が館内に轟いたのだ。

白鵬が敗れたら、稀勢の里との優勝決定戦に持ち込まれる。

観客が決定戦を見たい気持ちはわかり過ぎるほどわかるが、
それにしても、露骨過ぎる「はるまふじコール」だった。

結果は、白鵬が日馬富士を土俵に転がし、優勝を決めた。
館内には、ガッカリ…というため息が漂った。
しかしガッカリしたのは白鵬のほうだっただろう。
自分が優勝を決めると観客が失望するのだから。
そんなに嫌われているのか…と情けなくなっただろう。

表彰式で白鵬は「君が代」を口をつぐんだまま歌わず、
それだけでなく、翌日の一夜明け会見も拒否したのである。
会見拒否は前代未聞のことで、それが去年5月のことだった。

その前の年の11月の九州場所にも、驚くような出来事があった。
稀勢の里が白鵬を破った時に、観客たちが万歳三唱をしたのだ。
ほぼ全観客が立ち上って、怒涛のような万歳三唱を繰り返した。
長年、相撲中継を見てきたが、こんな光景を見たのは初めてだ。

万歳三唱といい、「日馬富士コール」といい、
白鵬は、大いに気分を害していたはずだった。

今回の審判批判には、そういう伏線があったと思うが、
もう一つ、「判定」についての審判不信の原点として、
白鵬が尊敬して止まなかった大鵬の件があるのだろう。

かつて大鵬は、判定で相撲人生を狂わされたことがある。
有名な話だが、1969(昭和44年)春場所の2日目、
大鵬は破竹の45連勝を続けていた。このままだと、
双葉山の不滅の記録である69連勝も夢ではない…
と相撲ファンが期待する中で、思わぬことが起きた。

相手力士の戸田に攻められた大鵬が土俵際で辛うじて残し、
2人一緒に土俵下へ落ちた相撲で、軍配は大鵬に上がったが、
物言いがつき、その結果「行事差し違え」で大鵬が敗れたのだ。
ビデオを見ると、明らかに大鵬の足は土俵に残っていたのに…
「世紀の誤審」と言われ、それ以後、ビデオ判定が採り入れられた。

当時大鵬は、大相撲界に君臨していた出羽一門の所属ではなく、

少数派のニ所一門だったからだと…陰でささやかれていた。
角界の力関係も、こういうこととは無縁でないと言われる。

大相撲では日本に帰化しても慣例上「外国人力士」とされるそうだが、
白鵬は、やはりこれまで、多くの差別を身に感じてきたようである。

あの朝青龍みたいに傍若無人に振る舞うわけではなく、
日本人以上に日本人らしさを感じさせる白鵬なのに…
それでも稀勢里戦での万歳三唱や日馬富士コールなどが起きる。

どんなに頑張っても、モンゴル人というだけで差別される…
そんな理不尽な思いが、白鵬をカッカリさせているのでは、と思う。

だから、白鵬の胸の内から、今回の審判批判も飛び出したのだろう。

「命がけで相撲を取っているのだから」との言葉も口にした。

だから僕は、一概に白鵬を責めるのもどうか、と思うのだ。

むしろ外国人力士に押されっぱなしの日本人力士の弱さのほうが、
よほど責められるべきでないのか。しっかりしろよ、と言いたい。

 

 今、この時から3年近く経った2017年の12月です。
  この際、以下の文を追加します。

このブログを書いたときはたしかに白鵬を気の毒に思いましたが、
いま、日馬富士の暴行事件で相撲界は大揺れで、白鵬はこの事件の
「黒幕」とも言われ、それ以外にも問題行動が増え続けています。
「オレが一番」という意識が強く傲慢になっているのは明白で、
最近の白鵬については、顔も見たくないほどイヤな印象です。

この当時は、まさか白鵬が朝青龍の再来になるとは
思いも寄らぬことでした。

  

 

 

 

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白鵬 さすが~のインタビュー

2015年01月26日 | ニュース・時事

昨日は大阪女子マラソンを見たり、
大相撲初場所の千秋楽を見たり、
テレビにお守(も)りをしてもらっていた。


大阪女子マラソンはガメラというウクライナの選手が3連覇。
年配の人なら誰もが怪獣「ガメラ」の映画を思い出すだろう。

そしてなじみ深い「ガメラマーチ」。

♪ 強いぞガメラ 強いぞガメラ 強いぞガメラ~ ♪

長らく忘れていたその歌が、自然に口をついて出た。


一方、大相撲のほうは、13日目に早々と優勝を決めていた白鵬だが、
昨日の鶴竜戦では寄り切った後、フラフラと土俵下によろけ落ちた。
まさに精根尽き果てるまで戦い、33回の史上最多優勝を全勝で飾った。


表彰式でのインタビューの終わりのほうで、アナウンサーが、
「心技体のうち、特に心の部分の強さが試された場所でしたか?」
と質問すると、白鵬はちょっと照れくさそうに、
「強い男の裏には…賢い女性がいる…と。(館内、笑いと拍手)
 …そんな意味で、賢い奥さんに感謝したいです(大拍手)」
そう言った。


ふ~む、カッコいいなぁ。

男性なら、一度でいいから言ってみたい言葉だろうし、
女性なら、一度でいいから言われてみたい言葉でしょうね~

ま、言われる女性のほうは、相手にもよるでしょうけど…


 

 

 

 

 

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「イスラム国」人質事件

2015年01月25日 | ニュース・時事

こういうことは言いにくいのですが…


「イスラム国」に拘束された日本人2人のことである。
今日、その1人(湯川氏)が殺害された…とのことで、
もう一人の人質である後藤氏が、画像のメッセージで、
今度は身代金ではなく、ヨルダンで死刑囚となっている
「イスラム国」の女性を釈放せよ、そうすれば自分は
自由の身になれる…と英語で語ったとのことである。

それが後藤氏本人の声かどうかは見解が分かれているようだが、
いずれにしても、湯川氏は殺害された可能性が高いとのことだ。

だが、殺害されたと言われている湯川氏には気の毒だが、
自分の意思で、そういう危険地域へ行っているのである。

後藤氏にしても、湯川氏の安否確認のためにそこへ行っている。
「自分の身に何かが起きても自分の責任です」とも言っていた。
どれほど危険な地域かは、十分過ぎるほど認識した上のことだろう。


  …………………………………………………………………


6年前、新潟へ行った時、二葉中学校の前を通った。
二葉中学校というのは、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが
通っていた中学校で、その下校時、拉致されたとのことだった。
海岸の近くの、ごく普通の、広い道路だった。
そこでめぐみさんは、姿を消した…。

いつもの通学路を歩いていて、拉致された中学生と、
自分から危険とわかっていて海外へ行った40歳代と、
どちらが、よりひどく人生を踏みにじられたか…?
言うまでもないことだと思う。

今回のニュースを見ながら、これだけ2人のことを懸念するのなら、
北朝鮮に拉致された人たちはもっと国を挙げて心配しなければならない。


自己責任はあくまでも自己責任である。
どんな特殊な状況があっても、それは変わらない。

ごく普通の日常生活で降って湧いた災難ではないのだ。


今、この緊迫している時に、こういうことは
言うべきでないのかも知れませんが。

 

 

 

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「ゾロ目の年」はどうなる…?

2015年01月24日 | 日常のいろいろなこと

昨夜のサッカー・アジア杯。見られました?
日本代表がまさかの敗退でア然。う~ん、悔しい。

PK戦にもつれ込んだ時点で、僕は半分あきらめていた。
90分プラス延長30分の戦いでは、ほとんど日本が攻めていた。
なのに1点しか取れなかったのだから、負けても仕方がない。

PK戦では日本代表の「双璧」と言われる本田と香川が外したが、
本田は120分間ずっと、好守の要となってよく動いていた。
やはり足が疲れていて、キックの精度を欠いたのだろうか?
香川のほうは、チャンスをことごとくつぶしていた。
どうも日本代表の試合となると、香川はパッとしない。

PK戦の失敗自体は仕方ない…とは思いながらも、
ぜひともアジア王者の座を守って欲しかっただけに、
こんなに早々と敗退してしまったのは甚だ残念である。


 ………………………………………………………………


…さて、今月、誕生日を迎えてまたひとつ年を取った。
66歳。ゾロ目の年である(笑)。


ゾロ目だから、この1年は、何かいいことがあるのかな~
と思って、これまでの自分の「ゾロ目年齢」を振りかえってみた。

11歳のゾロ目の年は、小学生だったからよく覚えていない。

22歳の年は、3月に結婚した。大学を卒業する直前で、
新婚旅行から帰ってきて数日後、卒業式に出席した。
式で周囲の面々に「僕、先週結婚したんや」と言うと、
みんな「またぁ~」と笑って、1人も信じてくれなかった。
(ま、僕はホラで人を笑わすのが趣味でしたからね~)

33歳の年は、初めてフルマラソン大会に出場して、完走した。
兵庫県の丹波篠山で行われた「篠山マラソン」だった。
ゴールの手前で飛び出してきた小学生の息子たちと、
一緒に走ってゴールインした。

44歳の年は、勤務先だった市役所の人事異動で、
憧れていた広報担当の部署に配属された年だった。
それからの6年間、広報紙を発行する仕事に携わった。
各地域へ出向き、取材をし、写真を撮り、文章を書き、
住民の皆さんに市のいろいろな情報を提供する…
…とてもやりがいのある仕事だった。
そのスタートとなったのが44歳の時だった。

そして55歳の年は…と調べてみれば、1月に、
妻とイタリアのフィレンツェへ旅行している。
僕の誕生日も、その旅先で迎えたのだけれど、
その日は、フィレンツェからピサの斜塔まで、
列車に乗って日帰りで行った日であった。
55歳の誕生日→ピサの斜塔。…ということでした。


…とこうして見ると、「ゾロ目年齢」の年は、
良かったことの印象が強く残っている年のようだ。

では、この66歳ではどうなるのか…?

誕生日から数日後、2ヵ月の一度の心房細動に関する検査の日、
ということで、病院へ行って、いつも通り検査を受けた。
診察のとき、医師から検査結果が伝えられたが…
「特に異状はありませんね。しかし…」
「しかし…何でしょうか?」
「肝臓のガンマの数値がかなり上がっていますね~。
 年末・年始に飲まれる機会が多かったと思いますが、
 肝臓を悪くすると命に関わりますのでお気をつけください」
…と、アルコールの摂り過ぎを注意されてしまった。


わが人生6度目の「ゾロ目年」の始まりは、
「飲み過ぎに注意!」のイエローカードでした。とほほ。

 

 


 

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奇跡の年賀状 

2015年01月22日 | 思い出すこと

  

    やわらかに 柳あをめる  
    北上の  岸辺目に見ゆ  
    泣けとごとくに   啄木

  (岩手県渋民村・石川啄木の歌碑。1969年撮影)

  

今年いただいた年賀状の中に、
1通だけ、見知らぬ方からのものがあった。

差出人住所は青森県十和田市。お名前は女性名。
そのお名前には、まったく心当たりはなかった。

「え…誰だろ?」と差出人のところをよ~く見ると、
(旧姓・羽入)と小さく書かれていた。

「あっ、あの…?」と思いながら裏返して文面を見たら、
あ~、間違いない、…あの「羽入さん」だった。
いや、ご本人ではなく、ご家族の方だったが…。

…懐かしい思い出が、よみがえってきた。


 ………………………………………………………………


もう46年も昔、1969年(昭和44年)の話である。

20歳だった僕は、大阪から北海道の最北端まで行き、
大阪に戻る…という70日間の自転車旅行をした。
そのことは、これまでも何度も書いてきたし、
その自転車旅行だけを綴ったブログも掲載した。

僕にとってこの旅行は青春そのものであり、思い出は尽きない。
その中のひとつに、こんなエピソードがあった。


北海道からの帰途。本州に戻り、やがて岩手県へ。
時期は8月の初旬だった。

岩手県・渋民村の啄木の歌碑の前でのことだ。

僕が歌碑の前の屋根つきベンチで野宿の準備をしていたら、
年配のおじさんが自転車でやって来た。
その前に、道路で僕はこのおじさんを追い越している。

「あ、先ほどはどうも」と挨拶を交わした。
ごく普通の自転車に乗っておられたが、
東北一周しているところだと言われたので驚いた。

おじさんは周りを見て、悲しそうな表情を浮かべ、
「今日も、写真屋さんはいないのですね」と言われた。
「私がここを訪れるのはこの30年間で今日が4度目です。
でも、いつも写真屋さんはいないので、写真がありません」

あまりに残念そうな様子だったので、
「僕のカメラで撮りましょう。カラーじゃありませんけど」
そう言ってカメラを取り出した。
おじさんは「いやぁ、有難いです」と目を輝かせた。
「ではそこに立ってください。行きますよ~ パチッ」
何枚か撮り終え、おじさんと住所を交換し合った。
青森県の十和田市に住まれている、とのことだった。

「大阪に帰ったら、写真は必ずお送りしますので」
「ははっ。よろしくお願いいたします」
…と、羽入さんは深々とお辞儀をされた。

「では、気をつけて行ってくださいね」と僕は見送った。
「はい。あなたも、ご無事で故郷へ帰られますように」


    
     歌碑の前で。羽入さん。


大阪に帰り、数枚の写真を羽入さんのご自宅に郵送した。

すると、折り返し、礼状が届いた。
筆で書かれた、まるで時代劇で見るような手紙である。

以前、ブログにも書いたけれど、もう一度掲載します。

 

 


拝啓 いつの間にか秋がやって参りました。
去る十六日急用のため夕方から夜にかけて、
十和田の実家に帰りましたところ、
○○さんからの写真が届いておりました。
三十年前から夢にまで見ていたあの場所での写真は
全く偶然に知り合った大兄から頂くことになりました。
厳に謹んでお礼を申し上げます。
カラーでなくても、あの山、あの川、あの場所が好きなのです。
本当に有難うございました。
(後略)


そして冬には青森のリンゴを、
ダンボール箱いっぱいに送ってくださった。


それから10年以上経ったある日…
突然、自宅に羽入さんがやって来られたのには驚いた。
「兵庫県の壮年マラソンに出場してきました。
大阪に知人がいますので、今夜はそこに泊まるのですが、
ぜひお目にかかりたく…」と、訪ねてくださったのだった。
兵庫までマラソンに来られるとは…本当にお元気な方である。

2人で当時の話を中心に、1時間ほど歓談した後、
羽入さんは、御丁寧なご挨拶とともに、わが家を辞された。


自転車旅行のブログで、このことを書いたら…

八戸市にお住まいのTさんという学校の先生をされている方が、
たまたま僕のそのブログを熱心に読んでくださっていて、
当時僕が自転車で走った青森、岩手などの現在の様子を、
僕のところに、メールで写真を送ってくださったり、
いろいろと興味深い情報を送っていただいたりした。

そして、そのT先生が、わざわざ羽入さん宅をお訪ねになり、
娘さんに会われて、僕のそのブログを印刷したものを渡された…
とお聞きし、びっくりすると共に、T
先生に恐縮する一方だった。

その後、羽入さんの娘さんから、僕の住所が知りたいとのことで、
T先生へ問い合わせがあり、先生からその旨のメールを受けた僕は、
むろん異存はなく、先生に、自宅の住所をお伝えしたのである。

そうしてこのお正月に「旧姓羽入」様からの年賀状が届いたのだった。


 ………………………………………………………………


46年前、石川啄木の歌碑の前で羽入さんとお会いしてから、
長い長い年月を経て、娘さんからの年賀状をいただいた…。
不思議な感覚である。

文面は…

明けましておめでとうございます。
お元気でしょうか。
T先生より自転車旅行記のコピーをいただき、
家族全員で拝見させていただきました。
父は3年前に空へ向かいましたが、
〇〇様と絆を深めることができ、
今でもうれしく思っていることでしょう。
ありがとうございました。
機会がありましたら、大阪へ行ってみたいと思っております。


羽入さんは、3年前に亡くなられていた…。

その娘さんから、心温まる年賀状をいただいた。

46年の歳月が、まるで一瞬の夢のように感じられた。

「ぜひ一度、お会いしたいです」
お会いして、父上・羽入さんのお話を聞かせていただきたい…。

返礼の年賀状で、僕は、心からの思いを伝えた。

 

青森県八戸市のTさんへ。

 思いも寄らぬ「自転車旅行・
後日談」を数多く生み出していただき、
 本当にありがとうございます。いつも、心から感謝しています。

   
  
   

      
  
 


 

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つまようじ男やらナッツ姫やら

2015年01月20日 | 映画の話やTVの話など

昨日のワイドショー番組は「三大ネタ」で沸いていました。

ひとつは、申し上げるまでもなく「つまようじ男」。
「悪質動画少年逮捕『無能警察』大胆挑発素顔」
…というようなTV番組欄のうたい文句でしたが…
早く捕まれっ! と思っていたので、逮捕は何よりでした。

あの、モコモコした口調で次々と動画を流し、
英雄気取りで「逃走風景」を流す男にはぞっとした。
たぶん、日本中の人たちが眉をひそめたに違いない。
19歳の少年だから顔写真を出せないということだが、
指名手配した段階から、顔写真を公開すべきだろ。
こんな場合は、難しく考える必要はないんじゃないか。

男は「捕まっても少年だから罪は軽い」とも言っていた。
そういう魂胆が何とも腹立たしい。
そんな「配慮」をするから少年犯罪は増える一方だ。
「少年法を改正するために英雄になろうと思った」
とつまようじ男は言っているらしいが、意味わからへ~ん。

今の19歳といえば大人だし、やっていることも悪質で、
今後の社会に及ぼす悪影響ははかり知れない。顔写真を出せ~

ま、ネットで「つまようじ男」と検索をかけたら、
氏名や顔写真、出身校までも出ているので、
それを見ればわかることですけど…。


その次は「ナッツ姫」でござります。
つまようじ男だのナッツ姫だの、なんのこっちゃと思いますが。
「ナッツ姫初公判…仰天暴言全容」というのが番組欄の紹介文。
このナッツ姫という「通称」は誰がつけたか。うまいですね。
僕は「姫」といえば「あんみつ姫」しか浮かびませんけど…

露骨に金と権力に物を言わせる人間…というのは、
日本では軽蔑されるので、あまり表面には出てこないが、
韓国ではまだそういうのがまかり通っているようです。
報道されている機内での「姫」の言動には呆れ果てます。
やはり、韓国の権力者の意識の低さを感じさせますね。

それにしても、あちらのマスコミはすごいわ~
姫を「さらしもの」にして記者らが罵声を浴びせるのですから。
日本なら、警察が容疑者をマスコミと接触させないようにし、
容疑者もフードで顔を覆ったりしてそそくさと過ぎ去って行く。
そこのところが、えらい違いです。


さて、三つ目は離婚の話題。
「いい夫婦が離婚へ。24歳年下の三船美佳に高橋ジョージ『何で?』」
…とまあ、ワイドショーには欠かせない離婚話。

こちらはまあ、夫婦にありがちな話です。

妻は夫の無神経な言動に普段から耐え続け、
夫はそんな妻の気持ちに全く気づかないまま。
妻はついに離婚を決意し、夫はびっくり仰天する…。
高橋ジョージの「何で?」は、そんな意味です。


…ということで、ちょうど時間となりました。

これから所用で、電車に乗って京都へ行きます。

今日は、僕は「つまようじ男」ならぬ「電車男」です。

(これも意味わからへ~ん)

 

 

 

 

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翌日はディズニーランドへ

2015年01月12日 | 旅行

僕たちが泊まったのはヒルトン東京ベイホテルでした。
ディズニーリゾートのオフィシャルホテルのひとつです。
去年4月に行った時も、同じホテルに泊まりました。


初日、舞浜駅に着くとまずウェルカムセンターへ行くのですが、
そこには各ホテルのカウンターが並んでいます。
どこも大勢の客が列をなし、一番奥のヒルトンは特に人が多いです。
順番が来ると大きな荷物を預け、ついでにチェックインもします。
軽い荷物だけ持ってパークへ行き、遊び終わって夜になると、
あらかじめ手渡されていたキーで部屋に入るだけです。

チェックアウトの時も、フロントへ行かず、
キーを入れる箱があるのでそこに入れるだけ。便利ですね。

部屋のあちらこちらに、子どもが喜びそうな絵が描かれています。
そして、いろんな「秘密」が隠されているということです。

   

 

この鏡などは、横のボタンを押すと…
こんなお姫様の顔が浮かび上がってきます。  

 

 

さて2日目は東京ディズニーランドに行きました。
昨日に続き、穏やかに晴れた暖かい1日でした。
その前日までは、ものすごく寒かったのですが、
東京では2日間とも天候に恵まれ、実にラッキーでした。


ランドに入るといきなり出くわしたのが、フェアリー・ゴッドマザー。
悲しみにくれていたシンデレラを、魔法で美しいドレスを着せ、
カボチャを馬車に、馬を御者に、そしてネズミたちを馬に変え、
「12時の鐘が鳴り終わったら魔法が解けるのよ」と教え、
舞踏会へ送り出した妖精のおばあさんである。
記念撮影をしたあと、モミィはサインももらっていました。
ちなみに今日のモミィは、以前ここで買ったデイジーの扮装です。

 

 

モミィの大好きなポップコーン醤油味ですが、
売店にはこれだけ大勢の人が並んでいます。

 

 

何しろここでは、ひたすら並ぶ、並ぶ、並ぶ…
行列に並ぶのが嫌いな人は、ディズニーリゾートを楽しめませんね。
ま、僕もどちらかと言えばそのタイプですが、もう慣れました(笑)。


ところで、モミィが大好きなアトラクションに、
「プーさんのハニーハント」というのがあります。
大人気なので、まず予約を取らなければなりません。
そこで最初に行ったのがこの予約。
長い行列に並んだあと、午後1時40分からの時間帯で予約できました。

実は最初にモミィと来たとき(3年前)は、
2日間ともディズニーランドで遊びましたが、
初日、プーさんのところへ行くと「150分待ち」と言われ、
びっくりたまげて、その日はあきらめました。
150分 → 2時間半でっせ~。げげげ~ですわ。

翌日は朝から予約をして、午後5時半頃の
プーさんの予約が取れたのですが、あいにく

その日は悪天候で、午後から猛烈な暴風雨となり、
パレードをはじめ多くのアトラクションが中止になり、
やむなく、僕らもお昼過ぎにパークから出ました。
そして去年、今度こそプーさんを!…と予約に行くと、
この日はプーさんは、何かの都合で閉館されていました。がっかり。
どうもプーさんには縁のない僕たちだった。
でも、今度こそ、午後1時40分は大丈夫だろう。


さて、ディズニーランドに来れば必ず最初に行くのが、
「イッツ・ア・スモール・ワールド」です。
しかしこの日は残念なことに閉められていました。
「本日は改装のためお休みしています。またおこしください」
という看板が掲げられていた。

この建物の前は当然ながらいつも長蛇の列なのですが、
この日だけは誰もいない珍しい風景でしたので、
その前で写真を撮りました。
案外貴重なショットかも知れません。

 

 

そのあと、モミィの好きな「アリスのティーパーティ」に乗りました。
これは「ふしぎの国のアリス」に登場するお茶会がテーマとのこと。
他の遊園地はコーヒーカップですが、ここではティーカップなのです。
これもモミィは大好きで、クルクルと面白がってハンドルを回すので、
僕も妻も、降りたときは目が回ってフラフラでした(笑)

 

 

そして、お正月ということで、新年のパレードがやってきました。

 

 

ミニーちゃんたちもお正月の晴れ着姿です。

 

 

昼食の時間となり、トゥモローランド・テラスという
パークで最も大きなファーストフードの店に入りました。
ここではこのミッキーフェイスのパンが人気だそうです。
モミィもこれを買って食べていました。

 

 

食事を終えて1時40分予約のプーさんまでの間、
うろうろ歩いたりショップに入ったりして時間をつぶしました。

そして時間が来て、待望の「プーさんのハニーハント」へ。
中にはいろんな物語が絵入りで書かれていますが全部英語です。

 

この「プーさんのハニーハント」というのは、
ハチミツを入れる壺(ハニーポット)に乗り、
プーさんの世界でハチミツ探しの旅をする…というものです。

ハニーポットが来たので写真を撮りましたが、
乗ってからの撮影は禁止とのことでした。

 

 

詳しくはこちらをご覧ください。こんな感じです。

http://www.tokyodisneyresort.jp/attraction/detail/str_id:fl_pooh/

 

プーさんが終わると次は…
Mickey's PhilharMagic(ミッキーのフィルハーマジック)。
ミッキーが指揮をするオーケストラに、いろんなハプニングが起こる…
そんな映像ですが、3D映像用メガネをかけて見るので、
いろんなディズニーのキャラクターが目の前に飛び出してきます。
本当にこの3Dをメガネをかけて見ると、びっくりしますね~
ここも撮影禁止なので、興味のある方はこちらをどうぞ。

http://www.tokyodisneyresort.jp/attraction/detail/str_id:fl_philhar/

もちろん、子供もメガネをかけます。これはモミィでぇす。

 

 

外に出ると、そろそろパレードの時間。
シンデレラ城の見える場所で立って見学をしました。

前で座っている人たちは何時間も前から座っていましたが、
今日は寒くないので、よかったですね~
でも、うしろで立っていてもよく見えますけど。

 

  

  


パレードが終わるとぞろぞろと人が動き始めます。
僕らはシアターオーリンズという場所で、
「ミニー・オー!ミニー」という野外ショーを見ました。

 

詳しくはこちらをどうぞ。
http://www.tokyodisneyresort.jp/show/detail/str_id:al_minnie/

 

次に空飛ぶダンボに乗ったあと、
そろそろ夕食の予約時間の5時25分が近づいてきたので、
「ポリネシアンテラス・レストラン」へ向かいました。
「ミッキーとミニーのポリネシアン・パラダイス」
という夜のダイニングショーを希望していましたが、
この時期はランチショーしかないということで、
事実上は夕食になりますが、こちらを予約しました。
「リロのルアウ&ファン」です。
ルアウというのはハワイの言葉でパーティの意味だそうです。

http://www.tokyodisneyresort.jp/show/detail/str_id:al_lilo/

ここディズニーランドにはアルコールはいっさいありません。
去年もここでのディナーショーで、ビール抜きの夕食でした。
ま、このところ飲みすぎていたので、
ちょうどよかったかも(←と、やせ我慢)
食事をしながら、舞台のショーを楽しみます。
舞台中央にいる紅白の衣装がリロです。

  

 

 ミニーにギュッと抱きしめられるモミィ。

 

 
このあと、いくつかのキャラクターがやってきて、
モミィだけでなく、僕までも抱きつかれたりしました。
これは、リロとの2ショットです。

 

 

最後は子供たちも舞台に上がって一緒に踊ります。
モミィも上がって楽しんでいました(ほぼ中央、こちら向き)。

 

 

レストランを出た時は午後6時半を回っていた。
すでに日が暮れて空は真っ暗。パークは7時閉館です。
(昨日のディズニーシーは午後10時まででした)

出口のほうに歩いて行くと、シンデレラ城が光り輝き、
お城をスクリーンに仕立てて「美女と野獣」のアニメが…。

「美女と野獣」といえば、秋のエレクトーンコンサートで、
モミィが弾いた曲です。その曲が流れている。
家で何百回と練習した曲なので僕も耳に残っています。

しばらく見とれていたら、最後に花火が打ち上げられ、
シンデレラ城が幻想に包まれたように光彩を放っていました。

 

 

これがディズニーランドのフィナーレでした。

僕たちは人で溢れる中をぞろぞろと出口へ歩いて行った。
あぁ、これで2日目も無事に終わったぞ~。


モノレールに乗ってホテルへ戻る時の気持ちは、
朝、会場に向かう時のそれよりも、ず~っと心地良いものです。


モノレールから降りると、ホテルはすぐ目の前。
送迎バスも出ているが、僕たちは歩いた。
ホテルの夜景が、これまた幻想的でした。

 

 


 

 過去2回、ディズニーランドへ行った時のブログです。

         

2012年4月(モミィが小学1年生になる直前の春休み)

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/480aafcfd518db58b5d183abc6ad3b25

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/200a4a495e7a82aba4ba3c71032c49a3

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/a6b43df667d6270137d799e2edd709c6

 

 2014年4月モミィが小学3年生になる直前の春休み)

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20140412

 

 

 

 


 

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まず東京ディズニーシーへ

2015年01月10日 | 旅行

1月4日から6日まで東京ディズニーリゾートへ行ってきました。
モミィを東京ディズニーに連れて行くのはこれが3回目です。
前回と同様、初日にディズニーシー、
2日目にディズニーランドへ行きました。


京葉線の舞浜で降りて、まずモノレールの駅へ。
正式には「ディズニーリゾートライン」というそうですね。
構内へ入ったところに、お正月らしい飾り付けがありました。

 

 

ディズニーシーに入るといきなりドナルドダックが…。
モミィは持参のノートにサインをしてもらいました。

 

 


キャラクターに会うと、こうしてサインをもらえるのです。
(これは映画「アラジン」のアブーです)

 

 


そのあと、港の客船を背に開催されるステージショー、
「テーブル・イズ・ウェイティング」を見るために
船のほうへ向かいました。

 

 

世界一周旅行から帰ってきたミッキーが、
世界中のおみやげを披露する…というレビューショーです。

 

 

 


次は水上ショー。プロメテウス火山の前に船が現れました。

 

 

ミッキーやミニーが、お正月の晴れ着姿で、皆さんにごあいさつ。

  

 


次は薄暗い屋内施設で、ジャンピン・ジェリーフィッシュ(クラゲ)。
クラゲから吊り下げられた貝殻に乗って上がったり下がったり。
2人1組なので僕は1人で乗った。ちょっと恥ずかしかった~。

 

 


次は「ジャスミンのフライングッカーペット」という乗り物に。
映画「アラジン」に登場する、空飛ぶじゅうたん…だそうです。

 

 


次はアリエルのグリーティンググロット。

「マーメイドラグーン」という洞窟の中に、
人魚姫のアリエルがピンクの貝殻の前で待っています。
で、アリエルと一緒に記念撮影ができます。
順番が来てモミィがアリエルの隣へ行くと、
アリエルがなにやらモミィに話しかけています。

 


モミィは頷きながら、話していたので、
撮影のあと、何を話していたのかと聞いたら、
アリエルが英語で、
「ハワユー?」と言ったので
「アイムファイン サンキュー」と答えると、
「オー ノー!」と笑顔で叫び、次に 
「ハウ オールドアーユー」と聞いたので、
「アイム ナインヤーズオールドと答えたそうです。
アリエルは大喜びだった…ということでした。
モミィも英語でお話ができたと言って大喜びでした。

 
 


そのあと、早い目の夕食をとって「ビッグバンドビート」
というレビューショーのところへ行きました。
ブロードウェイふうの華やかなレビュー…とのこと。

さて、どこで並んでいいのかと思って係員に聞くと、
「1階席は座席指定になっているのであちらで抽選してください」
…とのことだった。競争率はものすごく高そうだなぁ。
「あぁ、抽選なの? ふ~む。当たるかなぁ」
と言いながらそちらへ歩いて行こうとしたとき、
「あのぉ、これから抽選に行かれるのですね」
と、男の人が近づいてきた。
「これ、チケットがちょうど3枚ありますので使ってください」
とチケットを差し出した。
割に怖そうな顔つきの男性だったので、僕はちょっと引いた。

一瞬、「ダフ屋か?」と思い、お金を取られるのでは…
…と警戒しつつ、「はぁ…?」と僕がきょとんとしていると、
男性は僕の顔をのぞきこみ「日本人ですよね?」と言った。

僕が戸惑っていたので日本語がわからないと思ったのか…?
「えっ、日本人…ですよ。もちろん。日本人ですがな」
そう言うと、「どうぞ、これ、使ってください」
と、3枚の指定席券を僕たちにくれた。
「あ、ありがとうございます」とあわててお礼を言っている間に、
その男性は人ごみの中に消えて行ってしまった。
なんとまあ、親切な人である。一瞬でも疑ってごめんなさい。


そのチケットの座席は前から4列目で、舞台が目の前だった。
おかげで1920~40年代のスウィングジャズや、
キャラクターたちの歌やダンス、そしてミッキーの、
迫力に満ちたドラム演奏などを間近で満喫することができました。


会場では撮影禁止だったので、下の2枚はHPからの写真です。

   

 

 

…ということでシアターを出るととっぷりと日が暮れていました。

今日の最後は、夜の水上ショー「ファンタズミック!」
花火、水、炎、レーザー光線、ウオータースクリーン…
などの特殊効果で圧倒的な迫力を出していました。

 


 

朝の4時半に起床し、長男に新大阪駅まで送ってもらい、
6時40分の「のぞみ」に乗り、東京駅経由舞浜駅に着いたのが9時半。

駅前のウェルカムセンターでホテルのチェックインをして荷物を預け、
モノレールでディズニーシーに着いたのが午前10時。
そこから午後8時まで10時間…。疲れました~。

でもまぁ、穏やかなお天気になって、よかったです。
ホテルの部屋に入ると、ベッドにごろ~んと大の字に。

あぁ、やれやれ…の初日でした。

 

 

 

 

 

 

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ぎょえっ~ 体重が…!

2015年01月03日 | 日常のいろいろなこと

今年いただいた年賀状の中でも、
空白部分に自筆で
「ブログ、読んでいます」
…って書かれているのが、何枚かありました。

こういうのって、正直言って、すごく嬉しいです。

あぁ、この人にも読んでもらっているんだ。
今年も頑張らなくっちゃ~と、大いに励まされます。

………………………………………………………………


さて話は変わり、正月早々びっくり仰天したことを報告します。

体重ですわ…体重。

体重が、めちゃ増えましてん(泣)


年末の最後の約1週間は一度もスポーツクラブ・コスパへ行かず、
大和川堤防に走りにも行かず、運動不足が続いていた。
なのに食べる量や飲む量は、いつもよりかなり多かった。
でも体重はコスパでしか計らないので、その増加に気づかなかった。

いま思い返してみると…
24、25日のわが家のささやかなクリスマスで、

モミィが「パーティをしてご馳走を食べよう!」と盛り上げるので、
いろんな料理を作って食べ、ついでにお酒やビールも飲みまくった。
「メリークリスマス!」な~んて調子よく言ってますけど、
…僕は飲む口実を作っているだけなんですよね。


26日はウダウダ会の「大幹部」さんたちのメンバーに誘われて、
共通の知り合いが1月に開店する居酒屋さんへ…。
この日だけ、特別に臨時オープンをしてもらい、
ここでも食べまくり、飲みまくり…だった。


翌27日はさすがにボケボケだったが、食べる飲むだけは欠かさない。
28日も知人の方と居酒屋へ。雰囲気が楽しくて、飲食が進んだ。


29日はまたボケボケだったが、食欲だけは衰えず…。

30日は家族とともにスーパーへ食材の買出しに行った。
昼から料理を作り、夜は「レコード大賞」を見て長時間の飲み食い。
大晦日は、用事を全部済ませて「紅白」を見てまた食べて飲む。

元旦は次男夫婦と孫が来て正月の「宴会」だ。

2日は長男の車で、みんなで道明寺へ初詣。
そのあとお寿司屋さんに入って食べて飲む。
帰宅してからも、惰性のように、また食べて飲む。


そして今日、1月3日。

さすがに胃の調子が悪い。なんとなく気分もすぐれない。
これも自業自得です。今日は朝も昼も、胃腸薬を飲みました。
そこで、めったにないことですが、家の体重計に乗ったのです。
すると…

近年、見たことのない数字が出た。


ぎょぇ~~~!!!(驚嘆)


クリスマス前にコスパで体重を計った数字から3キロ近く増えていた。
わずか10日余りで3キロ増! えらいこっちゃぁ! 


これはもうゼッタイに飲食を控え運動をしなければ。
つまり、明日から、生活習慣を元に戻し、
増えた体重だけ、減らさなければならない。


と思うのだが、そうもいかない。明日からは…

一家3人で2泊3日で東京ディズニーランドに行く。
ホテルにはバイキングもあるし、また食べ過ぎ飲み過ぎになりそう…


あぁ、旅行するのが怖い。
大阪に帰ったら、ますます体重が増えていることが予想される。

意志が弱いですからね~ 僕は。


でもまぁ、何ヶ月も前からモミィが楽しみにしていますし、
気合を入れ直して、明日から行ってきます。

くれぐれも食べ過ぎ飲み過ぎに注意して…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今年もよろしく~

2015年01月02日 | 日常のいろいろなこと

 

  あけましておめでとうございます

 

      


      いつもブログをお読みくださっている皆さま方、
  ありがとうございます。 厚くお礼を申し上げます。

   皆さま方にとりまして、今年が素敵な年でありますよう
  心からお祈り致しております。

 

    
    
今年の年賀状に使った写真です。
     東京ディズニーランドのモノレール駅です。


     
今年もよろしくお願いしま~す。

 

さきほど、こちらのブログをアップしました。 こちら 

いつかも紹介させていただいた二つめのブログですが、
試行錯誤の末、これまで体験した海外旅行にまつわる
さまざまなエピソードを中心に綴るブログにしました。
このブログで過去の旅行の整理したいと思っています。

こちらのほうも、またちょっとのぞいていただけたら嬉しいです。

 

 

 


   

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