僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「なつぞら」 の天陽くんが大河ドラマの主役へ

2019年09月30日 | 映画の話やTVの話など

NHKの朝ドラ「なつぞら」が終わりました。楽しいドラマでしたね。まぁ、BSではその前の時間帯に「おしん」があるので、それも見ていますが、次々と厳しい試練に見舞われるおしんに比べ、「なつぞら」のなっちゃんは、周りはいい人たちばかりだし、仕事もトントン拍子に運ぶ。その点で、今ひとつ物足りなさを感じることはありましたが、それでもやはり爽やかで、感動シーンも多かったですね。

むろん広瀬すずはよかったですけど、妹の千遥(ちはる)役をしていた清原果耶(きよはらかや)が僕は特に好きでした。この子は2002年生まれで、なんとまだ17歳。モミィが2005年生まれで来月14歳だから、およそ3歳しか違わないとは驚きです。

以前、朝ドラの「あさが来た」で、「ふゆ」という女中の役で出ていた時から、どこかキリっとしていて、かつ憂いも帯びてという好印象でしたが、ネットでその子が当時13歳だったと知り、ビックリしたものです。そして今年、NHKの「螢草(ほたるぐさ) 菜々の剣」という時代劇ドラマの主人公を演じたのですが、このドラマも本当に見応えがありました。菜々を演じた清原果耶は最高の演技でしたね。

    
「なつぞら」で千遥役を演じた清原果耶。

「なつぞら」の次は「スカーレット」という女性陶芸家が主人公のドラマで、今日が第一回目です。焼き物で有名な滋賀県・信楽が舞台ということなので、信楽もこれを機に観光客が増えそうですね。僕も行ってみようかな。

ところで、「なつぞら」で、なつの幼なじみで美しい死のシーンを演じ、ネットで大きな反響を呼んだ「天陽くん」を演じた吉沢亮さんが、次の次の大河ドラマで主人公を務めるそうですね。題名は「青天を衝けで、渋沢栄一の役。あの、次の新しい1万円札の「顔」となる渋沢栄一です。

来年の大河は、ご存じのとおり「麒麟が来る」という明智光秀の生涯を描いたドラマですが、光秀を演じるのが長谷川博己さんで、言うまでもなく、今年3月に終わった朝ドラ「まんぷく」で萬平を演じた人です。

その「まんぷく」の長谷川博己が2020年の大河ドラマに主演し、その次の「なつぞら」に出た吉沢亮が2021年の大河ドラマに主演するってねぇ。朝ドラと大河ドラマのつながりというのが、何かおもしろいですね。

 


ちなみに、渋沢栄一の新しい1万円札が出るのは2024年だそうです。1万円札が聖徳太子から今の福沢諭吉になったのが1984年(昭和59年)なので、今回は40年後ということになります。

 

 

 

 

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ラグビー・ワールドカップで日本が快挙

2019年09月29日 | スポーツの話題

前回の9月29日はふたつの話を一度にアップしましたが、カテゴリー等の整理の都合上、29日と30日の2日に分けて掲載し直します。新しい話ではありませんので念のため。

  ………………………………………………………………………

昨日(28日)の夕方。ビールを飲みながらテレビのニュース番組を見ていたが、CMになったのでチャンネルをラグビーW杯の日本対アイルランド戦に変えた。ラグビーへの関心は大してないけれど、日本が出ているので少しだけでも見ておこうと思った。でも、相手は世界最強国のひとつで今大会の優勝候補と言われているアイルランドなので勝てるはずがない、と思っていた。

テレビ画面には試合開始後40分を経過したところで「12対9」でアイルランドがリード、と出ていた。へぇ~。意外と頑張ってるなぁ、日本。

過去の対戦成績が9戦全敗という国を相手に、わずか3点差というのは日本の大健闘だろう。で、試合をそのまま見ることに。

12対9のまま得点は変わらず、時間が経っていった。ラグビーのルールはよくわからないし、試合時間も知らない。しかしまぁ、どちらが有利に攻めているかは見ていればわかる。じっと戦況を見守っていると、日本も結構攻めている。そんなとき、日本がトライし、キックも入れ7点。16対12と逆転し、さらにそのあと、ペナルティなんとかで3点を追加して19対12になった。これは!

まさか? ほんまに勝つの! 

試合時間は70分を過ぎていたが、いったい何分になれば試合が終了するのかわからない。そのうち、アナが終了まであと何分、と言ったので、80分で終わることを知った。時間を見るとあと数分だ。これはもう、本当に勝ちそうだ。スタンドの大歓声が地鳴りのように響いているのがこちらまで伝わってくる。

そして、日本選手たちが両手を挙げて乱舞した画面を見て、試合が終わったことを知った。ぱちぱちぱち。

歴史に残る快挙だそうである。4年前のW杯でも南アフリカを破って大きなニュースになったことは覚えているが、こうして日本で行われているW杯で、リアルタイムでこの試合をテレビで見られたことは幸運だった。

これで日本は2戦2勝。次は10月5日にサモアと、13日にスコットランドと戦うそうだが、もう1つ勝てばグループ2位以内となりベスト8に進出できるということなので、こうなればもう「ラグビーは見ていてもよくわからへん」と言っている場合ではなく、わからないままでも応援しなければならないでしょ。にわかラグビーファンとなって10月5日を楽しみにしています。

ドーハで行われている世界陸上選手権は真夜中なので見られないし、ワールドカップ・女子バレーボールは日本は7位と低迷、きょう最終戦を迎えるが盛り上がりに欠ける。それと、プロ野球は、大阪人なのに巨人が大好きという「隠れジャイアンツ」の僕ですが、先日巨人が久しぶりにリーグ優勝を果たし、次のクライマックスシリーズのファイナルステージ(10月9日)まで試合がないので今は小休止。こうなるとスポーツ番組の楽しみはラグビーかなぁ。

10月5日の試合にサモアに勝って、ぜひベスト8への進出を決めてもらいたいものですね。


 
 29日の朝刊の一面

 

 

 

 

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ソウルの 怪奇 “ いだてん爺 ”

2019年09月25日 | 旅行

前回、昔の韓国旅行でのいくつかの体験談を書きましたが、旅行の中で最も珍妙かつ驚きの体験をした話は、まだ書いていませんでした。

珍妙と言えば、ソウルで、街の中をぶらぶら歩いている時に急に足を引っ張られてビックリしたことがあります。何ごとかと思えば、道に座っている靴磨きのおっさんが、僕の片足をつかまえて「靴を磨かせてくれ」と言ったのです。人生、いろいろ「足を引っ張られる」こともあるかと思いますが、本当の足そのものを引っ張られるなんて、後にも先にもこれ一度だけですわ(笑)。僕は「いりまへん!」と断ってすぐにその場から離れましたが、転んで怪我でもしたらどうするんや。無茶なことするわ、この靴磨きのおっさん。

それともうひとつ。商店街のような賑わった通りを歩いていると、今度は横からいきなり腕をつかまれ、店の中に引きずり込まれそうになりました。相手は店の男で「ここで何か買ってくれ」と僕の腕を引っ張ったのです。これまた日本では考えられない荒っぽい行為でした。

とまぁ、いろいろあったのですが、最も珍妙なことが起きたのは、ソウル駅の前の地下街での出来事でした。

真昼の地下街はビジネスマン風の人たちが多く歩いていた。僕はこの近くにあるはずの南大門へ行きたかったので、地下街の一角にあったソウル駅周辺の案内地図の前で立ち止まり、勉強してきたハングル文字を読みながら、南大門の方角を確認し、そして再び歩き始めた。

そのとき、何か妙な動きをする男が後方にいることに気づいた。

僕が案内図の前で立ち止まっていた時、後方にその男が立ち止まっていたのは知っていたけれど、僕が歩き出すと同時に、その男も後ろからついて来るように歩き出したのだ。僕が振り向くと、その男はすっと横を向き、 「関係おまへん、何にも関係おまへんで」 という顔をしている。それでも一定の距離を保ちながらついてくる。その仕草がいかにも怪しく見えた。そして僕は、今度は急に立ち止まって後ろを振り向いた。すると

あぁ、やっぱり 。その男もピタッと立ち止まったのである。そして男は再び、「怪しいもんやおまへん、おまへん」という仕草で横を向く。その動作がますます怪しい。

見ると、その男はかなり年配者であった。老人と言ってもいいほどだ。体つきは小柄で、風貌はちょっと怪異だった。目の焦点が合っていない。

前を見ると、地下道は前方で突き当っており、T字路になっていた。通路が右と左とに分かれている。「よぉし、まいてやれ」。僕はまた歩き出した。そして突き当りを右に曲がるが早いか猛然とダッシュして、50mぐらい全力疾走し、左側にあった上り階段の方に体をひねり、ダダダダ~っと跳ぶように駆け上がって、地上まで残り数段の所まで行った。僕はマラソンランナーのはしくれだったし、毎日走っていたので脚力には自信があった。

「フン。どうだ爺ちゃん。参ったか!」 と階段の下を確認しようと振り返ると

僕のすぐ後ろ、目と鼻の先とも言える階段の2、3段下に、その男がこちらを向いて立っていたのである。呼吸ひとつ乱さず、じいっと、焦点の定まらない両目を、僕のほうに向けて

「うそっ!」 僕は驚きのあまり腰が抜けそうになった。どうにか胸を張るようにして、その男に「なんだよ!」という顔をしてみせた。男は無表情のままだ。僕はすぐにまた男に背を向け、残りの階段を一気に地上まで駆け上がった。

地上に出て、少し先に信号があったので広い道路を走って渡った。さすがにもう、その男はついて来なかった。

そして、いま渡って来たの道路の向こう側、地下の出入口付近でその男が立っているのが遠目に見てとれた。

やれやれ。ホッと胸をなでおろした。

いったい何のために僕を尾行するような真似をしたんだろう? それも信じられない足の速さで。まるで忍者だ。

今もその時の光景が鮮やかに目に浮かぶ。ホント、不気味だった。

日本人とみて、何か文句を言ってやろうと思ったのか、それとも客引きだったのか? でもそれだったら話しかけてくればいい。黙ってあとをつけるようなことはしないだろう。どういうつもりだったんだろう?

それにしても、僕が地下の通路と階段を全力疾走したにもかかわらず、影のようにピタッとついてきたのにはビックリ仰天しました。ホント、謎だらけです。

そして謎のまま、数十年の歳月が経ちました。

この正体不明の男のことは、

ソウルの怪奇いだてん爺

と名付けて、死ぬまで忘れることはないでしょう。

 

 

 

 

 

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韓国に関する僕のイメージ

2019年09月23日 | 旅行

いま、日韓関係がさまざまな形で取り沙汰され、「史上最悪の関係」とまで言われるほどになっています。でも、それは政府同士の関係を言っているのであり、両国の国民同士の関係は悪くないということもよく言われている。そのへんは実際どうなんだろうなぁ、と、このごろよく思う。

先日の新聞記事によると、日本人の高齢者の多くが「韓国嫌い」で、「若い世代と大違い」 とありました。やっぱり、世代によって大違いなんでしょうかね~

まあ、今の若い人たちは、「日韓問題」と言っても、たぶん関心が薄い人も多いだろうし、過去の歴史問題で、韓国の政府やマスコミが日本を批判し続けているということなんかにも、わりと無関心だったりするんでしょうね。

僕は高齢者ですが、それほど韓国嫌いではありません。大統領の文在寅(ムン・ジェイン)は大嫌いですけど。この大統領が日本を責めることで国民の人気を得ようとしているのだから、両国が仲良くなれるはずありませんよね。

ところで僕の場合、たとえばスポーツ、特にサッカー、野球、女子バレーボールなどで相手が韓国だと、テレビ観戦していても異常に血が騒ぐ。最近では、高校野球の日本代表が韓国代表に敗れたり、女子バレーW杯では先週、韓国に逆転負けを喫したりして、「うぅっ、残念!」と悔しがったりしています。でも、だからといって韓国という国自体が嫌い、というのとはまた少し違いますけどね~(よく似たものか?)。

  …………………………………………………………………………

さて、僕自身のことを言えば、40歳前後の頃に、韓国語を熱心に勉強したことがあり、その成果を試すため「韓国語の武者修行」と称して約1週間、韓国のあちらこちらを歩き回ったことがあります。

最近また、あの頃の韓国旅行のことをよく思い出します。楽しい思いも、嫌な思いも両方したけれど、あれから約30年経った今でも、深く心に沁み込んでいる旅でした。

今日はその旅の話ですが

釜山、慶州、ソウルの3か所を巡ったのですが、何せ「語学修行」ですから、ホテルの予約はいっさいせず、現地に着いてから、ガイドブックに載っているホテルに電話を入れてそこへ宿泊する、という具合でした。

 

 
 韓国内は、釜山から慶州、
 ソウルと全てバスで移動しました。


 
 仏国寺で。 慶州にある韓国を代表する寺院です。
 

旅行中、歩いている時に何人もの男たちから声をかけられました。何を話しかけてくるのかと言えば、内容はだいたい二通りです。

ひとつは、日本人と見たら文句をつけてくる男たち。みんな老人で「日本人は韓国人に悪いことばかりしてきたから嫌いだ」という意味のことを、わざわざ近づいてきて言い、す~っと向こうへ行くのです。

そして、もうひとつのパターンは、
「いいカノジョいるよ。遊ばない?」
と日本語で言いながら寄って来る客引きの男たち。ソウルで一番の繁華街・明洞(ミョンドン)というところでは、昼間なのに、ホント何人の男たちから声をかけられたことだろうか。確かに当時は韓国人女性を目当てに訪韓する日本の男が多かったのも事実なので、僕もそう見られたのでしょう。もちろん無視しました。ホンマですよ!(ここ、強調)。

また、慶州の鉄道の駅の窓口で、駅員にソウル行きの特急列車のチケットのことを聞くと、その駅員は僕のぎこちない韓国語にイラっとしたのか「オプスムニダ(無い)!」と怒鳴って、ピシャリとガラス戸を締められました。そんな気分を悪くするようなことも何度かありました。

でも、親切な人もいました。ソウルの満員の地下鉄の中で、僕は大きな荷物を抱えて立っていたのですが、座っていた男性がすっと立って「どうそ、ここへ」と言ってくれました。せっかくなので座らせてもらったのですが、あの時はうれしかったですね。

また、慶州からソウルへ行く長距離バスの乗り場が分からず、通行人の男性に尋ねたところ、かなり距離があったにもかかわらず、その男性はそこまで一緒に歩いて連れて行ってくれました。そういう親切な人たちも、多くいるんですよね。

百貨店や土産物屋さんなどのお店では、女性の店員さんがとても愛想がよく、僕がカタコトを話すと笑顔でペラペラペラ~っと返してきます(何を言ってるのかわからなかったけど)。

中国の北京では、ほとんどブスっとした応対で、釣銭をポイと投げられたり、店員同士おしゃべりをして客に見向きもしなかったり、というケースが多かったし、パリでも、大衆的な店の店員さんは物を買っても不愛想な応対が多い。その点、あの時の韓国旅行では、いろんなお店の人たちが笑顔で親切に応じてくれていたことが印象に残っています。

ま、30年ほど前はそういう感じでした。今はどうか知りませんけど。

ところで話は変わりますが、慶州からソウルへの長距離バスに乗った時のこと。バスに乗ると、すぐに「乗客の皆さん、シートベルトを締めてください」という車内放送がありました。

しかしその当時は、日本でもシートベルトは今のように義務化されておらず、そもそも運転手席や助手席でもないのに、バスの客席でシートベルトを締めるなんて思いも寄らないことだった。それで僕もベルトをせず、座っていた。するとバスがグングンと加速を始め、猛スピードになった。日本でこれほどスピードを出すバスなど乗ったことがない。さらに、道路自体がきちんと整備されていないのか、ガタガタガッタンとすごい振動だ。僕は椅子からピョンピョンと宙に跳ねてひっくり返りそうになった。あわててシートベルトを締めたことは言うまでもありません。あの運転はひどかったし怖かった~。どんなことでも、日本と同じように考えていてはダメだという一つの典型ですね。

韓国へ行ったのはそれ一度きりなので、今でもその時のさまざまな体験が、僕の韓国のイメージとして残っています。

ところで、30年前に勉強した韓国語は、日本語と語順が同じということもあり、とても覚えやすいんですよね。覚えやすいし、発音もしやすい。つまり、会話がしやすい。今でもけっこう覚えています。それに引き換え、最近勉強したイタリア語ですが、旅行からまだ2か月も経っていないのに、ほとんど忘れちゃいました。とほほ。

 

 

 

 

 

 

 

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小4男児殺害事件 犯人わかってるやん!

2019年09月19日 | ニュース・時事

17日にさいたま市で起きた小学4年生男児の殺人事件。朝も昼も、ワイドショーで大々的に取り上げています。

事件のことはもう皆さん、十分ご承知だと思います。

https://www.asahi.com/articles/ASM9L2RN8M9LUTIL001.html

この子の親は、母が42歳の教員。父は10歳年下で、32歳で無職。それも殺された子の実の父親ではなく、血のつながりのない義父。10歳年上の女性と結婚して、自分は無職で、そこに小4の男児がいる。そういう家庭だった。この日も、母親は仕事で、父親は家にいたという。小4男児は、父親の供述によると、学校から帰った後、塾に行くと言って出た、ということなのだ。つまり、その時点で家には父親がいたわけね。

以上は、きょう9月19日のいま午後4時前の情報です。

これ以上事件の詳細はここでは書きませんが、きょう、各テレビ局の朝と午後のワイドショーを見ながら、コメンテーターたちが異様に口ごもっていたのが印象的でした。

つまり

この事件の犯人はどう見ても父親でしょ。 たぶん、日本中の人たちがそう思っているんじゃないですか。 むろん、テレビのコメンテーターたちも。 でも彼らはそんなことは、自己保身からか微塵も言わない。 万が一、違っていれば、二度とテレビに出られなくるからだ(CM中か番組終了後の私語では言ってるんでしょうけど)。

被害者の4年生の子供の死体が発見されたのは、集合住宅の自宅の横の収納スペースだし、靴は履いていないし、子供が背負っているはずのリュックはそばに置いてあった。男児は「塾に行くと言って出て行った」と父親が言っているようだけど、この子はどうも外へは出ていない。住宅から一歩出たら人通りの多い道路があり、しかも深夜ではなく夕方だ。そんなところで誰も目撃していない殺人事件が起きたわけないし、おまけに死体は自宅のすぐそばにあった。靴も履かずに。

テレビで解説する元警察の人も「どこか屋内で殺され、そこに運ばれたのでしょうね」と言っていた。「どこか屋内」ってねぇ。わかってるやろ。自宅や。

テレビを見ていても、どの局のコメンテーターも、だれ一人として「父親はその時どうしていたんでしょうね~」とか「お父さんが何らかの事情をご存知かも知れませんね」のような父親についての言及は、まったくしていない。

ワイドショーのメンバーも、ふだんはグタグタと回りくどい言葉を垂れ流しているが、今回のケースでは、テレビを見ている誰もが思っていることを、一言も口に出さない。ホントに臆病なヤツらばっかりなんだね。

つくづく、そう思いました。

でもね。もし、この「父親」が犯人でなかったら、これはもう人権問題なので、僕は責任を取って、このブログを辞めます(勝手に辞めたらええやん?と言われるなぁ)。

ま、責任を取るほどの大したブログでもないし、辞めたとしても、また別のブログを立ち上げたらおしまいですけどね。へへ。

 

 

 

 

 

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イオン藤井寺 オープン!

2019年09月13日 | 日常のいろいろなこと

以前から何回も書いて来たわが町藤井寺のイオン・ショッピングセンターが、ついに完成しました。

思えば5年半前の2014年2月28日に当時の「ジャスコ」が閉鎖され、その時は翌年の2015年の12月に新しくイオンが完成するということだったので、多少の不便は我慢して、その日を心待ち焦がれていました。しかし、何のことやら、待てど暮らせど古い建物はそのままの状態。やっと撤去されたと思ったら、今度は何も建てずにそのままの放置状態が数年続きました。藤井寺にはほかにショッピングセンターのようなものはなかったので、不便で仕方なかったのです。

そして4年経った去年になって、はじめて建設の動きが出始めた。

これが去年7月に撮影したものです。 

 

この時は看板に、2019年春完成、とありましたが、ずれ込んでやっと「9月14日オープン」という確定にこぎつけたようでした。 

ところで今日は9月13日なので、本来なら明日オープンということになりますが、数日前にこんなチラシが入りました。


 

「ソフトオープン」という言葉の意味がよくわかりませんが、書いてあるのを読むと、14日にグランドオープンするが、それに先立ち、12日(木)と13日(金)の2日間、「地域の皆さまに一足早くご案内させていただきます。ぜひこの機会にイオン藤井寺ショッピングセンターへご来店いただけますよう、ご案内申し上げます」とありました。つまり近隣の各家庭にこのチラシが配られたようで、僕たちにとっては、12日が実質的なオープン日になる、ということでした。

そこで、昨日の12日、朝の9時半ごろ、妻と2人で出かけました。 

 

 
外観もこんなふうになっていました。
ま、それより一刻も早く中の様子が見たい!


 

 
1階は、もうすでにお客さんでいっぱい。
突き当りが食料品売り場になっており、
手前はフードコートで、いろんなお店がひしめくように入っていました。

2階には「上新電機」や「ニトリ」「GU」「百均のダイソー」「ココカラファイン」のほか、ゲームセンターや幼児たちの遊び場などもあり、どこもまぁ、とにかく大勢の人たちが詰めかけていました。もし「地域の皆さん」だけが集まってこの数なら、14日のグランドオープンはいったいどれだけの人が押し寄せるのか


 
食料品店売り場のレジも人、人、人でした。

 そして今日、新聞の中にこの宣伝冊子が入っていました。正式には明日14日がオープンの日ですからね。これは、かなり広い範囲の家庭に配られたものだと思います。

 

 

僕たちは昨日の夜にも、モミィと一緒に3人でまた行きました。さらに今日もまた、雨の中、9時過ぎから昼まで行っていました。つまり2日で3回行きました。

どこにどんな店や商品があるのか? エスカレーターの場所は? トイレはどことどこに? 1回や2回行ったくらいではわかりませんものね。しばらくは「偵察」を続けなければ(笑)。

また明日も「グランドオープン」の様子を見に行きます。もちろん。

なにせ、買い物とウオーキングと涼しい憩いの場所という、3つを兼ねている貴重な施設なですものね~

 

 


 

 

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松原市議・田中厚志 議会欠席して沖縄旅行

2019年09月12日 | 議会&役所

僕が大阪府の松原市役所で38年間勤めた、ということは、このブログで何度も書いてきました。

22歳の時に市役所に入り、2年間「市史編さん室」という部署に配属され、その後、24歳の時に課税課の固定資産税係というところに異動しました。そしてそれから2年経った26歳の時に、また異動の辞令。なに、それ? 2年ごとに部署を変えられるってわけ?

「異動ばっかりやがな」と、僕はどこの課でも役に立たない人間なのかとガッカリしながら、もらった辞令を見ると、今度は「議会事務局勤務を命ず」ということでした。

そして今度は、その議会事務局に、26歳から42歳まで、なんと16年間も在籍したのです。短かったり、極端に長かったりと、わけわかりませんよね(笑)。

で、その42歳になって、総務課の文書法規係というところに異動。で、これもまた2年でした。

そしてその次は、広報課で、市民の皆さんへ広報紙を編集してお届けするという仕事に6年間従事しました。これは文章を書くのが好きだった自分に向いていました。そして気がつけば50歳。1900年代最後の年、つまり1999年でした。何だかあっという間でしたね。

そして次に人事異動の命を受けた部署は、再び議会事務局でした。

それから10年間。定年退職まで議会事務局で仕事をしました。要するに若い頃の16年間と、退職までの10年間の、計26年間、僕は松原市議会事務局で仕事をしたわけです。38年間の職員生活のうち、26年間を議会事務局で過ごしたのですから、やはり退職後10年になる今でも「松原市議会」という言葉を聞くと「えっ?」と胸がザワザワします。

  ………………………………………………………

というようなことで


 

昨日の朝日新聞夕刊に、その「松原市議会」の議員の記事が出ました。テレビのニュースでも報じられましたし、市役所の現職の人からメールもいただきました。何のことかと言うと

松原市の田中厚志という42歳の議員(大阪維新の会)が、市議会の本会議を欠席して、妻と2泊3日の沖縄旅行に出かけていた、というニュースでした。

「体調が悪い」と仮病を使って欠席の連絡をし、議員として最も大事な本会議を欠席して、妻と旅行へ行くという、あきれ果てた行動に、ネット上でも大きな批判が寄せられています。

 https://www.mbs.jp/news/kansainews/20190910/GE00029543.shtml

僕も松原市議会事務局を退職して10年になるので、今の松原市議会議員は17人の中で6人しか知らない。あとはほとんど会ったこともないし見たこともない。今回の田中厚志というのも初めて聞く名前である。調べてみれば、最近初めて議員になったそうだ。僕らから見ればまさに「こわっぱ」である。

沖縄に行きたければ本会議が終わってから行けばいいものを、なんでそれを仮病で欠席してまで行きたいのか、理解に苦しむ。要するに、議会で最も重要な本会議、というものの意味がまだわかっていないのである。つまり自分の立場の認識不足。

「オレ1人ぐらいおらんでも、別にどうってことないわ」というような安易で無責任な気持ちがあるから、そんなことをするわけだ。高い議員報酬をもらっていながら、ロクに仕事をしない議員は、僕が現役の頃にも何人かいた(誰とは言いませんけどね~)。逆に、市民のために奔走する熱心な議員も多くいた。議会事務局というところは、そういう議員の姿がよく見える部署なんですよね~。

今回の田中厚志というのは、最近初当選したばかりの、まだ新米の議員である。まぁ、事務局が議員を指導するというのはなかなか難しいことだが、議員というものがどれほど重要な立場なのかということを、わからせるような話は、新人議員に対して、ある程度はしなければならない。実際、僕は事務局として議員に言いにくいことも、はっきり言って、そうしてきたつもりだ。

といっても、悪いのは事務局じゃなくて本人だから、この自覚のなさは彼の性格かもしれない。だとすれば、今回、頭を丸めて反省をアピールしているけれど、またいつ同じようなことをするか、知れたものではない。僕はテレビで彼が頭を丸めているのを見て、思わず笑ってしまった。イメージを回復しようとしてこんなことをするのは、世間を舐めている証拠であろう。

それにしても、僕も、これまである程度応援してきた「維新の会」なんだけど、なんか、不祥事が目立ちますね。国会を欠席して男性秘書と旅行に行った疑惑で維新の党を除名された上西小百合や、北方四島の国後島訪問の時に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか?」と発言した丸山穂高議員も、維新に所属していた。困ったもんですね~。維新も。もう、知らんわ。

今回の維新の会出身の松原市議・田中厚志のような不届きな議員は、即刻辞職すべきである。でないと、同じようなことをする議員がまた出てくるだろう。「あおり運転を厳罰化してほしい」という声が多い昨今だけど、同じように、税金で報酬をもらっている議員が、市民を裏切るこういう行為をして、それで許されていたら、今後にも示しがつかない。これも「厳罰化」が必要ではないか。

松原市議会事務局に、通算26年間在籍してきたものとして、心の底からそう思うのです。

 

 

 

  

 

 

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八戸市のT先生のこと ~10年前のブログです~ 

2019年09月10日 | 思い出すこと

前回、八戸高校の短歌部の皆さんが高校日本一になったことを書きました。その指導をされているのがT先生なんですが、そのTさんから、初めてメールをいただいた時のことを思い起こしました。そして、今からちょうど10年前に、このブログで詳しく書いていたことを思い出しました。

初めてTさんという方から、驚くべきメールをいただいたことに、当時、僕も一言で言い表せないほどの感激をしたことは、今も忘れられません。

今回のことがあって、改めて当時のブログを読み返し、懐かしさに浸っています。で、もう一度、当時の2本のブログをここに紹介させていただきたいと思います。僕にとって、とても記憶に残る記事だったし、それを記録として再度ここにご紹介したいと思う次第です。

いずれも2009年8月のブログですが、初めてT先生からメールをいただいたのは、その何年か前のことでした。

まずこのブログから。

 八戸の奇跡

 

そして、それから数日後の、これもTさんに関するブログです。

啄木歌碑を巡る冒険

 

懐かしいです。
当時、yukariさんもコメントをくださっているのも、懐かしいですね~
 

 

 

 

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八戸高校・短歌部の皆さん おめでとう~!

2019年09月06日 | ニュース・時事

今日は僕にとって、とても嬉しい話題をお届けいたします。

これまで、何度かブログでご紹介しました青森県八戸市のTさんから、数日前にメールが届きました。Tさんは、僕の20歳の頃の「北海道自転車旅行記」のブログを読まれたとのことで、その時にご連絡をいただいてから、何度もメールをやりとりをし、もう10年以上の年月が経ちます。

八戸市で高校の先生をしておられるTさんは、僕の自転車旅行記を読まれたあと、その「ゆかりの場所」というか、僕が訪れたいろんな場所に実際に行かれて、逐一現況をご報告下さるという、嬉しいというか、信じられないというか、そういうメールを、写真入りでいただき続けていました。

そのTさんなのですが

短歌をご趣味にされていて、高校でも短歌を生徒さんに教えておられる、とのことでした。

そして、驚いたことに、Tさんご自身、NHKのEテレで毎週日曜日の午前6時から放映されている「NHK短歌」に応募をされ、何度か入選されてテレビで取り上げられていました。Tさんからメールをいただき、教えていただいたとおり番組を見て、画面にまさしくTさんのお名前と作品が出ているのを見て「いやぁ、すご~いわぁ」とテレビに向かって拍手をしたものです。

そんなTさんから今回いただいたメールですが、その内容は

盛岡市で、このたび全国の高校生たちが短歌の腕前を競う「短歌甲子園」の決勝戦があり、団体戦で青森県立八戸高が初優勝を果たした! ということでした。つまり、Tさんが教えておられる短歌部の生徒の皆さんが、高校日本一になったのでした。パチパチパチ!


 
 中央の3人が優勝した八戸高校の生徒さんたちです。

https://www.iwate-np.co.jp/article/kyodo/2019/8/18/325584 

こちら、動画もあります。
http://www.news24.jp/nnn/news16383932.html

青森県立八戸高校の皆さん。短歌部の皆さんをはじめ、学校のみなさん全員の誇りですね。本当におめでとうございます。すご~い! ホント、すご~い。

僕が自転車旅行をしたのは今から50年前(1969年昭和44年)です。その旅行記をブログに書いたのがそれから38年後の2007年でした。その時、たまたまそのブログをお読みくださり、前述したように、僕が当時走り回った東北から北海道のいろんなところを訪ねて、そこの人たちやその場所の現在の状況を教えてくださり、さらに写真までも僕の所に送り続けてくださったのがTさんでした。

実際にはまだ、お会いしたことのないTさんですが、本当に、人生の出会いというのは奇跡そのものですね。これだけでもブログをしてよかったと思っています。Tさん。今さら何ですが、本当にありがとうございます。

八戸高校の生徒のみなさんも、いい先生に巡り合えて幸せでしたね~

 

 
余分ですが、50年前の八戸での写真です。蕪島から八戸港を撮りました。
手前にウミネコがいます。蕪島は「ウミネコの島」と言われてましたっけ。

 

 

 

 

 

コメント (4)
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