僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

明日は衆院選の投開票日

2021年10月30日 | 日常のいろいろなこと

明日31日は衆院選の投開票日ですね。
日の経つのが速いということを前回のブログで書きましたが、今回の選挙も、もう明日が投票日とはね~。速い、速い。

昨日(29日)は妻とウオーキングを兼ねて八尾まで行き、ランチをしました。少し回り道をして2時間ほど歩いたのですが、八尾の中でも一番賑わっているのが近鉄八尾駅前。そこへ差し掛かったら、大勢の人たちが集まっており、何ごとかと思って見ると、ちょうど選挙演説の最中でした。

僕らが住む藤井寺市も、この八尾市も、同じ大阪14区ですが、今回は自民党、共産党、維新の会の3つの党から候補者が出ています。

今まさに近鉄八尾駅前で演説を行っているのは自民党でした。そして候補者は男性なのですが、マイクを通して聞こえてくる声は女性の声。候補者本人ではありません。誰なんだろう? と足を止めて見てみると

それは自民党の政調会長・高市早苗さんでした。ついこの間、自民党の総裁選に出たあの高市さんが応援演説をしていたわけです。それで多くの人たちが集まっていたのでしょうね。高市さんは、「大阪14区の有権者の皆さま、どうか〇〇候補に1票を投じていただきますようお願いをいたします」と手を振ると、周りにぎっしり詰めかけた聴衆が大きな拍手を送っていました。やはり高市さんはテレビでもお馴染みだし、人気者なんでしょうね。

ネットに、昨日のその応援演説の写真が出ていました。

 

そして今日(30日)は選挙演説最後の日ですが、高市さんは福岡県で応援演説をしていたとのこと。日本全国を飛び回っているんですね。

ということで、明日は衆院選挙の投開票日。午後8時前から、テレビはどこのチャンネルも選挙の特別番組を放送します。

投票が締め切られるのが午後8時で、それから各投票所の票がその自治体の開票場所まで運ばれていくのですが、いつもその午後8時の時点で「当選確実」が速報としてテレビ画面に出ますよね。票がまだ開票場所にも届いていないのに「当確」が出るんだから、票を車に乗せて運んでいる人や、体育館などで開票作業の準備をしている人たちは「なんのこっちゃ」という心境でしょうね。

テレビ局は全力を挙げて出口調査でのデータを集め、選挙速報を流しているそうですが、それがほぼ100パーセント当たるんだから、それもそれで、すごいなぁと感心せざるを得ません。

では、明日は投票に行って、午後8時からその結果をテレビで見ましょう。

ちなみに、
NHK大河ドラマ「青天を衝け」は、明日は午後7時10分から55分までに変更され、日曜劇場の「日本沈没」はお休みなので、ご注意ください(笑)。

 

 

 

 

 

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年を取ると時間の経つのが速く感じるのはなぜ?

2021年10月26日 | 雑記

毎日が飛ぶように過ぎてゆく。
最近、いよいよそのスピードが増してきている。
「あれは2年くらい前のことかと思っていたら、5年前やったわ」
というようなことが、しょっちゅうある。

このブログも、できれば2日に1回は更新したいんだけど、ふとパソコンの画面を見ると、もう2日間も3日間も更新していなかったことに気がつき、「えっ、もうそんなに日が経ったの?」と驚いたりすることが多い。本当にあっという間に日が経つんですよね。

それだけ変化に乏しい日々だからかも知れない。特にコロナ禍以来、行動範囲が狭まって、ほとんど遠くには出かけていないので、余計に月日の経過が脳に刻み込まれないのかなぁ、と考えたりする。

で、そんな時に、新聞に載っていた作家の柴崎友香さんの、こんな文章が目に入った。

「年を取ると時間が経つのが速く感じるのはそれまで生きてきた時間と比べるからだ、と聞いて納得したことがある」
と書かれていたのだ。

たとえば、50歳の人にとっての1年は今まで経験した時間の50分の1だけど、20歳の人にとっては20分の1。小学生の頃から20歳くらいまでは、1年というのは、変化に富んでいることもあってすごく長い時間だったけど、歳を取るにつれ、その時間の感覚が徐々に短くなってくる
というような内容だった。

これを読み、僕も「な~るほどねぇ」と、なんだか長年の謎が解けたような気持になった。

でも、やっぱり長く生きていると、それなりに多くの経験を積んできているわけで、僕自身は過去の記憶の積み重なりを思い浮かべることで結構楽しくやっています。

そしてさらに、そんな「記憶のいろいろ」をこのブログで、文章や写真の形で載せるのも大きな楽しみです。

人生いろいろ、記憶もいろいろ。

あぁ、このブログも、ますます「昔ばなし」が増えていきそう!


 

 さっそく何か楽しい思い出の写真を、と考えて
 カリフォルニア州のヨセミテ国立公園での1枚。
 サンフランシスコから車で約4時間の場所です。
 壮大な景観が今も鮮やかに記憶に残っています。
 (2004年1月の写真です)
 

 

 

 

 

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向かいのお家が完成間近

2021年10月23日 | 日常のいろいろなこと

去年の10月、つまり1年前のことですが、わが家の前にある住宅や倉庫が取り壊されたことをブログに書きました。それらが取り壊されている時の写真を3階のベランダから撮った1枚がこれです。

  

道を挟んで右の家、左のトタン屋根の倉庫、そして奥の数軒の家が全部取り壊されました。

あれから1年。
しばらく空き地の状態が続いたけれど、この夏に左のトタン屋根の倉庫の跡地が売約済となり、基礎工事が始まった。ここはわが家のすぐ向かいで、道を挟んで玄関が向き合う、つまり目と鼻の先になる家なので、どんな家が建つのか、またどんな家族が引っ越して来られるのか、かなり興味がありました。

 
この白いコンクリートの基礎部分が、元の倉庫があった場所です。
 

コンクリートの基礎工事が終わった後、かなりの期間そのままの状態で置かれていましたが、10月に入るとようやく建物の工事に入り、すると驚くほどトントン拍子に家の形が出来上がっていきます。

 

そして数日前、わが家の玄関から撮った写真がこれです。

 
 もう、ほぼ出来上がり?
 中がどうなっているのかわからないけど。


ところで、それよりかなり前、夜にピンポーンと鳴ったので「は~い」と返事したら、モニタに男の人の顔が映っていて、その人が「向かいの者ですが」と言ったのでちょっとビックリ。向かい? 誰だろう?
向かいは、まだ建築が始まったばかりで家の輪郭さえ、ない。

妻が玄関へ行き、しばらくして大きな紙袋を持って戻って来た。

「いったい誰やったん? 向かいの人って言ってたけど」と聞くと、妻が「前に建つおうちに住む方みたいよ」と言った。ふむ、やっぱり。

その人は「この家に住むものですが、工事中はいろいろやかましくてご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」とあいさつに来られたようだった。
「こんなお菓子もいただいたわ」

妻が持っていた大きな紙袋は、その人からいただいたものだそうで、中にはお煎餅などのお菓子がいっぱい入っていた。
「へぇ~? まだ家もできていないのに挨拶に」と僕は驚いた。

その人は、「うちはまだ1歳の小さな子がいるので、何かとうるさいとは思いますが、よろしく」とも言われたという。まぁ、わが家にも、うるさい娘が一人いるので、お互いさまですけど(笑)。

そんなことで、いつ完成して引っ越してこられるのかわからないが、来月ぐらいだろうか。うちの周りは、僕らもそうだけど、年配者の家庭が多い。小さな子供さんのいる若い夫婦って珍しいので、ちょっと楽しみですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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妻の実家跡を訪ね歩き

2021年10月18日 | ウォーク・自転車

10月18日の今日、妻と大阪市内に出かけた。

前回は本町から心斎橋、難波を通って阿倍野まで歩いたことを書いたけれど、今日はコロナが収束しつつある中での「ウオーキング&外食」の第二弾です。

今回は、大阪市城東区の、妻が生まれ育った場所を歩くことに。

 ……………………………………………………………………

地下鉄中央線の緑橋駅まで行き、そこからウオーキングの開始。

妻が生まれ育った家は、緑橋駅からJR鴫野駅へ向かう場所で、東中浜という所にあったけれど、今はもう人手に渡って全く違う建物に変わっていた。

「え~? こんなになっちゃったの?」
長い間、ここに来ていない妻が驚いているのを横で見ながら、僕自身も、20歳の時の自転車旅行のあと、妻の両親に挨拶するため、初めてここへ来た時のことを思い出していた。もう50年以上も前のことだ。

結婚後、妻の実家として、ここには何度も来たけれど、妻の両親が亡くなり、長兄もここを引き払い(その後亡くなり)、土地・家屋ともに売却されたので、僕らも来ることがなくなった。もうずいぶん昔のことですけどね。

考えてみれば、妻も僕も、この場所に来るのは何十年ぶりだろうか。

妻は感慨深そうだった。
そりゃそうだろうね。
自分が生まれ育った場所なんだから。

さて、そのあと、
国道沿いの道をJR鴫野駅の方に歩き、駅の近くにある「城東中央病院」の前まで行った。この病院は、かつて妻の二番目の兄が院長をしていた病院で、妻も高校を卒業後、この病院で受付事務をしていた。僕が妻と知り合った時もその仕事をしていたし、結婚後も、長男が生まれるまではそこで働いていた。

懐かしい病院だけど、今はもう経営者も変わり、妻とも関係のない病院になっている。久しぶりに見たその病院の玄関から中をのぞきながら、2人で「へぇ~、この病院、懐かしいねぇ」と言い合っていたら、横から看護師さん風の女性が、「何かご用、ございますか?」と親切そうに言ってくれたので、「いえ、あの~、見ているだけですので」と答えて、そそくさとその場をあとにした。

さて、
そこからさらに歩いて京橋まで行き、環状線に乗って天王寺へ。

時間は12時を過ぎていた。
お腹もペコペコです。

天王寺駅ビル「MIO」の10階の和食店に入り、僕は天ぷらの盛り合わせとポテトチップスを注文して、冷たいビールをぐ~~~い!

あぁ、おいしい~
お腹も空いていたし喉も渇いていたしね。

という、今日の「出歩き」でした。

帰りの電車の中で、友達にこのことをメールしたら、すぐに、
「嫁さん孝行したなぁ」という返信が来ました。

今日のウォーキングは、嫁さん孝行、でしたか?

 

 



 

 

 

 

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「ぴえん」 とか 「チルる」 とか、意味わかりますか?

2021年10月14日 | ズレズレ草

今の若者言葉というのは、ホントに何を言ってるのか皆目見当がつかない。

この間モミィが、妻から何かについて注意をされた時「ぴえん!」と叫んだ。
横から
僕が、「はぁ、なに、それ?」と聞くと、モミィはニタっと笑い、「知らんの? 『ぴえん』っていうのはな、泣いてるねん」と、解説してくれたけど。
そんな言葉、古い人間の僕にはわかりましぇ~ん。

でも今のモミィの場合は「泣いている」ようには見えなかったけどね~

まぁ、「ぐすん」とか「しくしく」とかをわざと口に出し、自分が悲しんでいることをアピールする、というのと同じようなものなんでしょうか? 

ところでこの間、「チルる」という言葉をテレビで知った。
これも、もちろん若者言葉で、なんのこっちゃ意味わからん。
まさか桜の花が散るのを「桜がチルる」なんてもんじゃないだろうし。

聞けば、「チルる」というのは、「くつろぐ」とか「ゆっくりする」とか「のんびり楽しくやる」という意味なんだそうです。
「きょう時間があれば、2人でチルらない?」な~んてSNSなんかで友だちを誘うのに使われたりするという。
それもモミィに聞いたら「チルる」の意味は知っていた。
「わたしは使わんけど、友達はラインでよく使ってるよ」とのこと。
やはり女子高生だから、若者言葉はよく知っているね。
(このごろ、モミィから教わること多いです)

それにしても、
「チルる」なぁ

コロナ以来、家族以外との「濃厚接触」はなく、もちろん友人・知人とも会ったりしていないので、今度その人たちにメールをする時には、「コロナが収束したら、一度チルりませんか?」という文面で送ってみようかな (笑) 。

「意味わからんわ。あんた、コロナで頭がオカしくなったんちゃう?」
と言われるのがオチかもね。

ところで今、自分の胸に手を当てて考えたのですが、
「チルる」というのは、前述したように「くつろぐ」とか「ゆっくりする」とか「のんびり楽しむ」という意味を持つ言葉だということですよね。これって、今の僕の日常生活に結構近いのではないか、と思ったり。

よ~し。
友だちから「元気ですか?」とメールが来たら、
「はいはい、元気にチルっています」と返事をしてみよう。
(やっぱりコロナでアタマが狂った、と思われるか)

ということで、この記事をお読みいただいて、少しはチルっていただけたら、この上もない幸せです。

は? しょうむないからチルれんわ、ですって?

ぴえん!

 

 

 

 

 

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サッカーW杯予選 日本がオーストラリアに勝った

2021年10月12日 | スポーツの話題

つい先ほど、サッカーワールドカップ・アジア最終予選で、日本がオーストラリアを2対1で破った。ぱちぱちぱち。

アジア最終予選は12か国が2つのグループに分かれ、そのうち各グループの2位までの国が本大会に出場できる。3位になったら、アジアのプレーオフに勝利して、さらに大陸間プレーオフに出場という険しい道のりになるので、ぜひグループの2位までに入りたいところだ。

しかし日本はこれまで3戦して1勝2敗で勝ち点3と振るわない。1位はオーストラリアとサウジアラビアがともに3連勝で勝ち点9。まだまだ試合はあるといえ、今日もし日本が負けたらこのあとの6試合をほぼ全勝しなければならない、という苦境に立たされるところだった。

しかも試合場所はホームの日本。
文字通り「絶対負けられない試合」だった。

午後7時過ぎからテレビの前で応援していたら、試合開始から10分も経たないうちに、田中が果敢なシュートでゴールを決め、日本が先制した。
「やった~」と拍手喝采。そのまま前半戦が終了し、いよいよ後半。
「どうか、このまま終わってくれぇ」
と祈る気持ちで見ていたら、なんとまぁ、後半の20分過ぎにフリーキックを与え、相手に見事なシュートを決められて同点にされた。あぁ~~(ためいき)。

このまま引き分けると勝ち点は1。ほぼ負けに近い状況となる。しかし負けるよりはまだマシだから、
「逆転されちゃだめだよ。勝ってほしい。でも難しいかな~」
と、横で一緒に見ていた妻にぶつぶつとつぶやく。
(う~ん、引き分けが精一杯か)というのが、正直な胸の内だった。

その悪い予感が吹き飛んだのが後半40分過ぎ。
10分ほど前に交代で出て来た浅野が強烈なシュートを放ち、それをゴールキーパーがはじき、ポストに当たった瞬間、ボールは相手の選手の脚に当たり、それがゴールに転がり込んだのだ。記録はオウンゴールだけど、実質的には浅野が決めたゴールだった。

2対1。
やったぁ!

そしてその7、8分後に試合が終了。日本が勝った。

同点にされた時はガックリしたけれど、粘って勝利を得たのは今後の戦いに大きなプラスをもたらすのではないか、と思わせる試合だった。

プロ野球のほうは、僕が応援する巨人が9月以降さんざんな成績で、連敗連敗また連敗と情けないありさま。今日は6時から巨人・阪神戦があり、ちょっと中継を見てみたが2対0でリードされていた。とにかく点が取れない。昨日まで6連敗で、今日は負けたのか勝ったのか知らないが、知りたくもない。もう、今年のプロ野球は終わったんだ(と、僕は思っています)。

で、ここはもうサッカー日本代表の応援に力を注がなければ。

日本は2勝2敗で勝ち点が6となり、上位2カ国と少し差を縮めた。
このあとは11月11日にベトナム戦、同16日にオマーン戦があり、場所は共に相手の国でのアウェイ戦となるが、ぜひ連勝して勝ち点を伸ばしてほしい。

7回連続ワールドカップ出場をめざし、がんばれニッポン!

 

 

 

 

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「旅サラダ」 で懐かしのスペイン・サンセバスチャンが

2021年10月10日 | 旅行

テレビを見ていて、思わず身を乗り出す時があります。旅の番組で外国の街や自然の風景が映り、それが自分が行ったことのある場所だったら、思わずテレビ画面に吸い込まれてしまいますね。

昨日の土曜日の朝の「旅サラダ」もそうでした。
スペインのサンセバスチャンが映ったのです。

1995年(平成7年)の秋、妻と二人でパリへ旅行し、そのついでに、当時、妻の甥のヒロユキが料理の修業で行っていたスペインのサンセバスチャンまで足を延ばしたことがあります(以前、このブログにも書いたことがありますが)。

パリからTGVに乗って南へ南へと向かい、約6時間でエンダイヤというところに着く。ここはまだフランスだけど、すぐ隣がスペインという国境の街で、そこからバスク鉄道というのに乗り換えて国境を超え、スペイン・バスク地方のサンセバスチャンへ行ったのでした。

この街は、コンチャ湾という風光明媚な海に囲まれ、「美食の街」だということです。

この街で甥のヒロユキと再会し、最初の夜に彼が連れて行ってくれたのが、旧市街地にある「バル」だった。

「BAR(バル)」という看板のかかった居酒屋のような店がいくつも軒を並べている。そのうち、ヒロユキがよく来るという「ホセ・マリ」という店に案内してもらった。お客さんたちは、みんなカウンターの前に立って、にぎやかに飲んだり食べたりしている。カウンターにズラリと並んでいるのは、薄切りのパンの上にサカナなどを乗せている、いわばパンのお寿司のようなもので、それをそれぞれ勝手に取って食べている。客たちは食べてはしゃべり、飲んではしゃべりしているので、とても騒がしい雰囲気である。このパンのお寿司のようなものはバスク地方の名物で「ピンチョ」と呼ばれているという。

ヒロユキが「どうぞ」とカウンターのピンチョを取って食べるよう、僕らに勧めてくれたので一つ食べてみた。「う~ん。これは、おいしい!」

パンの上にサーモンの乗っているもの、イワシの乗っているもの、エビの乗っているものなど、どれを取ってもおいしい。飲み物はワインで、地元のチョコリという白いワインや赤ワインをお代わりして気分は最高に!
妻も「おいしい、おいしい」と言いながら食べていました。

そのあと、もう1件、今度は店内で座って食べるところがいい、と僕が言ったので、ヒロユキは生ハムのおいしい店に連れて行ってくれ、そこでもハムやエビなどをアテにしてワインをグイグイ飲みました。いやぁ、最高でしたわ。

結局、サンセバスチャンで2泊したあと、ヒロユキと別れを告げて、僕らはパリに戻りました。

そのサンセバスチャンが、昨日の「旅サラダ」で紹介されていたのですから嬉しかったですね~

テレビの画像を写真に撮ったので、それを掲載しておきます。

 
スペインの旅 美食の街 サンセバスティアン」
 というタイトルです。


 
 サンセバスチャンのあるバスク地方の地図が映りました。
 フランスと隣接しているのが、この地図でわかりますね。
 この上のほうに、パリがあります。



コンチャ湾という美しい海に沿っている街です。

 
 そのコンチャ湾での、当時の僕たちの写真です。

 
 ズラリと「バル」が並んでいます。
 僕らもここで、2件だけですが「バル巡り」をしました。

 

 
 カウンターの前とか外で、飲んだり食べたりしている人たち。
 僕らもこんなところで立って食べて飲みました。

ということで、
テレビを見ていて、行ったことのある土地が映ると、すんごく嬉しいし、懐かしいし、当時のことを鮮明に思い出しますね~。妻も一緒に見ていたので、話に花が咲きました。

旅の思い出、というのは、僕らにとっては大きな財産です。


 

 

 

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続発する地震 怖い!

2021年10月08日 | ニュース・時事

昨夜の東京都周辺の大きな地震のニュースには驚いた。最高で震度5強だったとのことだけど、人命に関わる甚大な被害に至らなかったのはまだ幸いだった。

地震と言えば、26年前の阪神淡路大震災を思い出す。
あの日は、僕らが住んでいる大阪でも、かなり揺れた。

それにしても今回、ほんの2日ほどで、東北、九州、そして今回の東京周辺と、日本の北から南まで、大きな地震が勃発している。そして、このあともまだ同規模の地震が来る可能性がある、とも言われている。
こわい!

地球温暖化による世界各地での異状気象も怖いし。本当に、この世の中がこれから一体どうなるのか、不吉な予感がしてならない。

人間もこの先、何千年か何万年先かは知らないが、いずれ恐竜のように絶滅することは間違いないと言われているけれど、案外遠い未来のことではないかも知れない。

そろそろ寝ようかと思っているところだけど、
そんなことが気になって、こんな暗いブログをアップすることに。

次は楽しい話題をお送りしたいと思います。

 

 

 

 

 

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本町~御堂筋~心斎橋筋~道頓堀~阿倍野と歩く

2021年10月05日 | 日常のいろいろなこと

10月から東京や大阪などで新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除され、テレビでは週末の人出のニュースで賑わっていました。これまで自粛していた人々も観光地へ出掛け、「久しぶりです。やっぱり楽しいですね」という声も多く聞かれました。

でも一方では、感染リスクが消えたわけではないのでまだまだ油断はできない状況です。僕も怖がりだから、すぐにどこかへ遊びに行くというのには、いささか二の足を踏んでしまいます。

ところが昨日の朝、そんなテレビニュースを見ていた妻が、急に「難波へ行こうか?」と言い出したのです。僕はちょっと面食らいましたが、別に予定もないので「うん、行こ、行こ」ということになりました。

去年の11月、つまり10ヵ月前に2人で難波へ行って以来です。

今年に入って3月と5月に、僕はひとりでアベノまでウオーキングで行っていますが、それ以外は、隣接する松原市の徳〇会病院に3ヵ月に一度の診察に行く以外、電車には乗っていません。だから昨日は電車に乗るのも久しぶり。
(妻はモミィにせがまれて阿倍野へいろんな買い物に出掛けています)

終点の阿倍野へ着いたら、今度は地下鉄の御堂筋線に乗って梅田方面へ。それこそ、地下鉄に乗るなんて1年半ほどなかったことです。

別に行く先はどこでもよかったのですが、なにしろ繁華街を歩きたいというのが目的だったので、天王寺から動物園前、大国町、難波、心斎橋と乗り、その次の駅の本町で降りました。

本町から御堂筋を南に向かって歩きます。

 
 御堂筋を歩くのは何年ぶりかな。
 それにしても、人通りが少ない。

そして少し歩いてから左に曲がって心斎橋筋へ入りました。

心斎橋筋は、コロナ以前なら外国人、特に中国人観光客が日本人よりも圧倒的に多く、通りはその人たちでごった返すほど。右も左もドラッグストアが並び、どこの店も満員で、店からは中国人の人達が、山ほどの品物を抱えて出てくるというのがこの心斎橋筋のお馴染みの風景でした。

  
  心斎橋筋もやはり人の数が少ない。

去年の11月もそうでしたが、今もやはり、どのドラッグストアをのぞいて見ても客は一人もおらず、閑散としている。ドラッグストアだけでなく、ほかの化粧品店や食べ物屋さんその他、いろんな業種の店が閑散としており、シャッターが閉まっている店もかなりありました。

そんな通りを歩きながら、そしてやがて道頓堀へ。
あの有名な「グリコ看板」の前も、やはり人影はまばらでした。

 

下の写真は、3年前の10月30日のブログに載せたもので、道頓堀のグリコ看板前で撮った写真です。大勢の人が「名物」のグリコ看板をバックに写真を撮っています。そしてここに写っている人たちのほとんどが外国(ほぼ中国)人です。コロナの影響の大きさが、これを見ただけでもわかりますね。

 


 
 そしてここは道頓堀。まだまだ活気が戻ってません。

さて、道頓堀を過ぎたころ、お昼ご飯の時間になったので、千日前の「たよし」という居酒屋風の店に入りました。ここはこれまでもよく来ているお店で、妻と一緒に天ぷら盛り合わせやお刺身が入った「たよし定食」を頼み、僕はビールを注文。緊急事態宣言が解除されてビールも出してくれるのが嬉しいですね~。久しぶりにお店で飲むビールはやはりたまりません。おいしい! まぁ、「家飲み」でもおいしですけどね(笑)。

 

食事を終えて、そこから日本橋界隈を歩き、通天閣の下を通り、天王寺公園を経て阿倍野のキューズモールというところへ行き、そこの2階にある大きなフードコートで休憩し、妻は大好きなコーヒーを飲んでいました。

僕は何も飲まず、足を休めながら回りを見ると、高校生風の女の子たちが沢山いて、みんな何かを食べたり飲んだりして楽しそうに談笑している。ここはモミィが通う高校も近くにあり、モミィもたまに友達とここに来るということで、たぶんこんな感じでワイワイと騒いでいるんだなあ、とその光景が目に浮かびました。

まぁ、緊急事態宣言が解除されたと言っても、昨日見た限りでは、まだまだ人出は少なかったようですが、それでも、久しぶりに都会の賑わいに触れると、その刺激によって脳が活性化されたような気もしました。

家にこもっていても特に苦痛は感じない僕ですが、こうして街に出たら、それはそれで、またいいものですね。

 

 

 

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