僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

自分はあと何年生きられる?

2023年01月27日 | 心と体と健康と

こんなお気楽なブログを書きながら毎日を過ごしていますが、最近、ちょっと体調が変というか、何となく違和感を覚えています。

24時間鳴り続けるうるさい耳鳴りと、月に数回起きる心房細動(不整脈)は相変わらずですが、それに加えて、腰痛やら、腕や脚の筋力が低下したようなだるさがあったり、喉がかすれたようになったり、食欲が衰えてきたり。(缶チューハイだけはしっかり飲んでますが)

何かのストレスとか気のせいのようなものだったらいいのですが、来週の金曜日に数ヵ月に一度通っている徳洲会松原病院へ行くことになっているので、そこで詳しく診てもらおうと思っています。

やはり最近は、年齢と言うものをしみじみと感じますね~
永遠に元気で過ごすつもりだったのに(笑)。

そんな少し落ち込んだ心境になると、昨今に報じられる著名人の死去のニュースが、他人事ではない気がしてきます。

一番最近では、元プロ野球・大阪南海ホークスの門田選手。糖尿病などの影響で体調を崩したとのことで、それが原因で亡くなられたようでした。74歳。僕より1学年上で、大好きな選手の一人でした。

去年は俳優の渡辺徹さんが61歳の若さで亡くなり、
映画監督の崔洋一さんが73歳、
元プロ野球の村田兆次さんが72歳、
漫才で「とおるちゃん!」と言っていた酒井くにおさんが74歳、
元ドリフターズの仲本浩二さんが81歳、
落語家の三遊亭円楽さんが72歳、
俳優の古谷一行さんが78歳でと…。
いずれも僕の好きだった芸能人やスポーツ選手でした。
ほとんどが70歳代というのが、また気になりますよね。

こういう訃報を聞くと、
自分はあと何年生きられるのかなぁ? 
な~んて、思うこのごろです。

最近、僕は時々自分の歳が自覚できなくなる時があり、
「え~っと、何歳やったかなぁ?」なんて考えたりします。
これって、老人ボケ?

人は知らん間に、年を取っていくのでしょうね。
それも、あっという間に。

 

 

 

 

 

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道路標識に「かっぱに注意」と?

2023年01月22日 | 雑記

村上春樹のエッセイを読んでいたら、こんなことが書いてありました。

道路沿いに掲げられていた「かっぱらいに注意」という看板の「らい」が何者かによって塗りつぶされていた。
という話です。どういう人がそんなことをするんでしょうね。
まぁ、それだけの話ですけど。

看板とかの文字の一部が消えていると、思わず笑ってしまうようなことが多いですよね。

ある地方の道路標識に、
「スピード出す」というのがあったそうです。
ここはスピード出してもいいのか? と思ったりしますが。
「スピード出すな」の「な」が塗りつぶされていたそうです。

これも、何かで読んだのですけど、道路沿いに、「猫まぐれ」というラブホテルのネオンがあったのを見て、ある人が「変わった名前だなぁ」と思って近づいて確かめたところ、
「猫の気まぐれ」というホテル名だったそうです。
6文字のうち、「の気」という2文字のネオンが消えていたってわけですね。
まぎらわしいネオンの消え方はしないように(笑)。

また、
「なぞの保育園」
という施設の標識がありました。
よ~く目を凝らしてみたら、いちばん前に付いていた「は」という一文字が、剥げ落ちていたのでした。
つまり「はなぞの保育園」だったわけ。
それなら驚くことはありませんよね。
でも「なぞの保育園」ってなるとねぇ。どんなんや?
保育園の関係者の方も、お気を付けくださいね。

ということで、本日はこれだけです。
おやすみなさい。

ヤマなし・オチなし・意味なしブログでござりました。

 

 

 

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「年賀状」で送られてきた素敵なカレンダー

2023年01月18日 | 日常のいろいろなこと

もう1月も中旬を過ぎてしまいましたが、話をお正月に戻します。

お正月の年賀状のことなのですが。
4年前、思うところがあって、翌年以降の年賀状を辞退することにし、
「今年をもちまして年賀状を最後にさせていただきたいと思います」
と書いて、これまで年賀状を交わして来た皆さんに送りました。しかし、その後もまだ年賀状を送ってくださる方が、少数ですがいらっしゃいます(一応、寒中見舞いをお返事代わりに出していますが)。

で、今年の元旦も、僕と家族への年賀状が一定枚数届いたのですが、
その中に

「年賀はがき」ではなく、「封筒に入った年賀状」があったのでした。
送ってくれたのは、このブログでも何度か紹介しましたあの絵手紙の名人、
 doiron(ドイロン)君だったのです。

これがドイロン君から送られてきた封筒です。


  
 (都合上、ほとんど塗りつぶしています。ごめん)

封筒に赤く「年賀」と書かれ、貼られている切手は「お年玉くじ切手」でした。切手の一番上に6桁の数字が並んでいました。

へぇ~。こういうのが、あったんや。
年賀状と言えば「はがき」しか知らなかったので、
この「封筒年賀状」には正直言って驚きました。
こういうのをもらったのは、初めてでしたから。

中を開けると、まず、
「謹賀新年 今年もよろしくお願いします」
と、通常の年賀はがきが入っていました。
そして同封されていたのは、
doiron(ドイロン)君が作成したカレンダーだったのです。

 
 これがその表紙です。
 全部で8ページの構成になっています。


 
 そして表紙をめくると12ヵ月分の絵のページがあり、
 その次のページから1月が始まります。
 ドイロン君らしいほっこりする絵手紙ですね~

 
 
  そして2月と3月。

 
 ず~っとページをめくっていくと、ここは9月です。

という素敵なカレンダーを送ってもらいました。

1月から12月まで絵手紙を見て、な~んか、心が元気になりました。

前述のように、年賀状といえばハガキ! 
と思っていた僕の発想は単純でしたね。

「年賀状」という言葉を広辞苑で引いてみると、
「年賀のために出す書状」とあり「はがき」とは書いていません。
な~るほど。そういうことね~

それにしてもドイロン君は退職してからも、絵手紙をはじめ、また、こんなカレンダーの作成もそうですが、実にいろんなことにチャレンジしています。

僕は彼から、
「愉快に、のびやかに生きる楽しさ」と、
「立ち止まらず歩き続けることの大切さ」
を教わっているような気がしています。

 

 

 

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阪神淡路大震災から28年

2023年01月17日 | 思い出すこと

きょうは阪神淡路大震災が起きた日で、新聞・テレビ等でも大きく報じられていました。以前もこのブログに掲載したことがありますが、この日を忘れないために、また掲載します。

1995年(平成7年)1月17日。
あの日の朝。
震源地からかなり遠いわが家でも、大きな揺れがありました。
午前6時前。まだ真っ暗の中、ガタガタガタっと猛烈な揺れを感じて目が覚め、恐怖に駆られ、布団にもぐったまま収まるのを待ちました。

僕自身、人生で経験した最も恐ろしい地震でした。

収まった後、すぐにテレビをつけて震源地は神戸だと知りました。僕が住む大阪南部では、大きな被害もなく、震度4ということでした。あれだけ揺れたのに。

あの日から28年の歳月が経ったのですね。

当時から保存していた震災当時の新聞記事を掲載します。
 

  
   1995年1月17日(地震当日)の夕刊一面。  

 

  
  同じ1月17日夕刊の社会面。
  高速道路が途中で折れて、バスが落ちかけている写真などもありました。
 

  
  翌18日(水)朝刊。
  地震発生から半日が過ぎても燃え続ける神戸市街。


 
  1月18日夕刊。
  激しい地震で家が倒れ、焼け野原になった神戸市街。

  
 
 1月19日(木)朝刊。災害の全貌が、徐々に明らかになってきました。
 写真は、活断層が動き、地表に生じた亀裂が一直線に延びたさま。


 
  1月19日夕刊。
  19日になっても、三宮中心街の高層ビルで火災が発生しました。
  (写真は、煙に包まれる高層ビル)
  救助に当たった自衛隊や機動隊は、生存可能者を優先しました。
  生き埋めになった遺体の捜索・搬出まで手が回らないので、
  それらを、地元住民の手で行なった地域も少なくなかったそうです。

  
 
  1月20日(金)の朝刊。
  写真は、倒壊したビルの中から57時間ぶりに救出された子ども。
  この9歳の男児は、救出の瞬間「まぶしい」とつぶやいたそうです。
  新幹線の新大阪~京都間は、この日から運転が再開されました。


 
  1月21日(土)朝刊。
  当初、震度6と発表されていましたが、気象庁の詳しい調べで、
  神戸の三宮地区と淡路島北部は震度7だったと判定されました。
  僕が生まれた昭和24年に震度階級「7」が設けられて以来、実際に
  震度7が確認されたのは、これが観測史上初めてということでした。
  (16年後の2011年3月、東日本大震災の時の宮城県も震度7でした)

  

 
  1月24日(火)朝刊。震災から1週間が経った。
  死者はついに5,000人を超えたと報じられた。

この震災で亡くなられた方は、最終的には6434人とされています。

地震は自然災害の中でも最も恐ろしいもののひとつですが、
さらにもうひとつ、地震に関する情報を報道で知りました。

日本の地震被害として最大の10万人を超える死者を出したと言われる関東大震災から、今年は100年になる、ということです。
1923年(大正12年)の9月1日に起きたのですね。

今年1年、穏やかに過ぎてくれますよう、改めて祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

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変なメールにはご注意を!

2023年01月14日 | 日常のいろいろなこと

去年の1月。ちょうど1年前ですが、スマホに変なメールが入っていたのでそれについて書きました。

「オトナの関係を持ちませんか? というメールが」

そして今年もまた、この1月に変なメールが届いたのです。

1月11日の朝、7時過ぎでしたが。
「おはようございます」という件名で、
お元気になさってますか。久しぶりにご飯でも行けたらと思うのですが、今もまだ忙しいですか?

という文面のメール。
登録していない相手で、メルアドだけが出ています。
もちろん誰なのかわかりません。しかし、
「今もまだ忙しいですか?」はないでしょ。僕は毎日ヒマだから(笑)
そのまま放置しておいたのですが、その日のお昼の12時半頃にまた

「お忙しい中すみません」という件名で、
実は来週ちょうど連休がとれそうなんですよね。
久しぶりにお会いしたいので予定だけでも教えてもらえますか?

という文面でした(忙しくないちゅうねん)。

「なんや、これは?」
何かの詐欺でしょうか?
むろん、放っておきました。

すると、次は午後6時50分ぐらいに3通目が来ました。

「返事がないけど何かありましたか?」という件名で、
もしかして体調不良とか
心配なので返事だけでももらえませんか。

という文面でした。

ということで、その3通だけだったのですが、何でこういうメールが送られてくるのでしょうか? 

メールの文章自体は、変なものじゃありませんけどね。
いかにも親しい間柄であるかのような書き方は、なかなか巧みです。

でもね。
う~ん。

「オレオレ詐欺」でもなさそうだし。
ひょっとして、
つまりお誘い詐欺?

まあ、とりあえず、その3通目が来た後、「迷惑メール報告」というところをクリックして、それ以降、その怪しいメールは来なくなりました。

やはり、だましてお金を奪ってやろうという魂胆だったのでしょうか。

皆さまも、変なメールにはくれぐれもご注意くださいね。

 

 

 

 

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~初詣~ よもやま話

2023年01月11日 | 日常のいろいろなこと

先日のブログで、1月4日に初詣に行った話を書きました。       
コロナ禍のため、それまで元旦か2日に初詣に出掛けていたのを、ここ数年は大きくずらして1月10日ぐらいに行っていました。初詣というのは「松の内」に行けばいいとされていますものね。               

ところで、その「松の内」というのが、大阪などの関西は15日までなのに、関東では7日までとされているそうです。
地方によって違うというのは、最近まで知りませんでした。

きょう、妻が道明寺天満宮の近くにある藤井寺市民病院へ定期検査へ行ったところ、やはりまだ「松の内」ということで、天満宮には初詣のお客さんが多く来ていたそうです。

さてその初詣のことに関してなんですが、1月4日に知人の女性からいただいたメールに、とても興味深いことが書かれていました。

彼女は1月2日に、4カ所の初詣神社巡りをしたそうです。

〇島神社から〇津神社、そして〇国神社と、てくてく歩いて巡った後、最後に来たのが葛井寺(ふじいでら)でした。この葛井寺は、西国三十三所第五番札所で、ご本尊は日本最古の十一面千手観世音菩薩(千手観音)です。
わが街・藤井寺の地名はこのお寺とゆかりがあり、場所も近鉄藤井寺駅からすぐのところにあります。

彼女は四カ所の初詣巡りの最後にその葛井寺を訪れたわけですよね。

そして彼女のメールにはこう書かれていました。

「最後の葛井寺でパンパンやっちゃいました~。おまけに二礼二拍手一礼フルコースで。令和五年初失敗!」
とあって、最後に、
「本年も宜しくお願い致します」
と締めくくられていました。

一瞬、意味がわからなかったのですが、読み返してみたら、な~るほど。
神社とお寺では参拝方法が違うのですよね。

神社では、最初に深いお礼をし、そのあと2回柏手を打ち、最後に一礼をして本殿から下がる。いわゆる「二礼二拍手一礼」ですよね。

彼女はそこまで3つの神社を巡ってお参りをしたので、
当然、すべて「二礼二拍手一礼」をしてきたわけです。
ところが最後の葛井寺はお寺ですから…

お寺の場合は仏さまに向かい、合掌して頭を下げます。
そして、そのあと一礼して、本堂から下がる。

つまりお寺ではパンパンと手は叩かないのですよね。
「二礼二拍手一礼」はしない、というのがお寺の参拝ですので。

ところが彼女からは、
「パンパンやっちゃいました~。おまけに二礼二拍手一礼フルコースで
という「嘆きのメール」が送られてきた次第です。

しかし、3つの神社と1つのお寺に初詣に行く姿勢は尊ぶべきだと思います。
たとえお寺で、間違ってパンパンと手を叩いても、心は通じているはず。

言われてみれば、僕も以前、このお寺でパンパンと手を叩いたことがあった
のを思い出しました。

僕はそのメールに対する彼女への返事の中で、
「3つの神社を回った後だから、ついうっかりやってしまったんでしょうね~。仏さまも微笑んでいらっしゃったことでしょう」
と書きました。

「お参りをする心」が一番大切なんですものね~

 


 藤井寺市のシンボルでもある葛井寺。
どちらを読んでも「ふじいでら」です。

 

 

 

 

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成人の日を祝うのは18歳か20歳か?

2023年01月09日 | ニュース・時事

きょう1月9日は「成人の日」ということで祝日です。
モミィも学校が休みで、今日は妻と二人でアベノへ出かけました。
いま午後ですが、家で僕一人、このブログを書いています(笑)。

しかしねぇ。
成人の日といえば、1月15日というイメージが強いですよね。
こんな、1月9日という日が、成人の日とはねぇ。
ま、いつからか1月の第2月曜日になったので、しゃ~ないですけど。

そしてまた、
おまけに民法改正で昨年4月から成人年齢が18歳に引き下げられ、今回初めて迎える成人の日なんですよね。
ということは?

 
つまり、いわゆる「成人式」を祝える人は今年から18歳?
それだと、今年20歳の人と、今は19歳で来年20歳になる人は、自治体等が行う成人式には出られない、ってことになりますよね。

そんなアホな、と思っていましたが、新聞によると、大阪市では今年以降も20歳を祝う式典を開催する予定だということです。
名称は「成人式」から「20歳のつどい」のようなものに変えたそうです。

しかし、全国の自治体の中には、来年以降18歳対象の成人式のみ実施していくところもあるようです。まぁ、1月の「成人の日」は受験シーズンなので、実施時期は大幅に変更するそうですけど。

ところで
「18歳で成人」となると、うちのモミィは今年の10月に18歳の誕生日を迎えます。つまり「成人」になるわけですよね。普段の様子を見ていると、いつまでも子どもっぽい感じですけど、もう今年に「成人」とはねぇ

ビックリしますわ。

 
 今年の元旦、中一のケイと仲良く食べているモミィ。
 とても今年「成人」になるとは見えませんけど(笑)。

18歳に成人となると、選挙権もあるし、自分で契約もできるということで、いよいよ大人の仲間入りです。でも、お酒は20歳にならなければ飲んだらダメなんですよね。そのへんが、何かややこしいですけどね~

でも、70歳以上は「成人」から「老人」となって飲酒は禁止!
な~んていう法律だけは、作ってほしくないですわ。
(できるわけあれへんけど)

そんなんができたら、日本中で高齢者の大暴動が起きまっせ~

は~い。
以上、きょう、74歳の誕生日を迎えた僕の、ひまつぶし日記でした 

 

 

 

 

 

 

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初詣 道明寺天満宮で思い出すこと

2023年01月07日 | 思い出すこと

先日4日、新春恒例の道明寺天満宮へ初詣に行きました。

ここは毎年初詣に来るのですが、実はこの天満宮は僕にとって特別な記憶に残っている場所なんですよね。

で、またまた古い話になるんですけど

僕が小学1年生の時に母が再婚し、知人に預けていた僕を迎えに来た。そこから3人暮らしが始まった。住んだのは大阪市東住吉区の加美というところの狭いアパートの一室。新しい父親は商売をしていると母から聞いたけれど、実際は商売と言っても店舗はなく、露天商だった。店を出す場所は日によって異なり、父の地元だった柏原をはじめ、八尾、堺、羽曳野、松原、そして四天王寺さんも毎月21日に店を出し、父母は大阪のいろんな場所で露天商を営んでいました。僕はそういう親の仕事を「昼店、やってんねん」と人に言っていました。学校や近所の友達にはそういう子は一人もいませんでしたけどね。

父の露天商仲間は何十人もいて、一応父はそのグループの組長をしていました。(よく『暴力団』と間違われましたが、まぁ露天商はテキヤと言われたりしていましたからねぇ)。

僕も小学生の時は、休みの日は必ずついて行き、まわりの露天商の人たちから「のぼるちゃん、のぼるちゃん」と、可愛がってもらっていました。

そしてお正月の3日間に店を出していたのが、道明寺天満宮だったのです。
だから僕は、毎年お正月は父母といっしょにそこへ行き、店の後ろに座ったり、周辺をうろついたりしていました。
つまり僕の正月というのは「道明寺天満宮」そのものだったわけです。

今もここは、昔同然に屋台が出ているけれど、たこ焼きや唐揚げ、カステラなどの食べ物やボールすくいなど遊戯系の店ばかりです。でも両親が出していた頃は、今よりもっと店の種類が多く、食べ物などの他に、日用品や着物の生地、小間物、化粧品をはじめ、いろんな店がありました。で、うちの親は小間物と、財布やバンドの皮製品を扱っていました。

何しろ当時は昭和30年代で、まだスーパーマーケットもなかった時代です。
だから、どの地域で昼店を開いても、お客さんが多く、父の店にも常に人だかりがして、僕も中学ぐらいになると手伝ったこともありました。

今はもう、お正月以外には露店は少なくなっていますが、僕はお正月にこの道明寺天満宮に来るたびに、「あぁ、うちの親が小間物なんかを出していた露店はこのあたりやったかなぁ?」と、当時を思い浮かべるのです。

さて、年月を戻し
先日4日は、モミィが友だちと遊びに行くのに昼過ぎに家を出たので、僕らの初詣は午後からの出発になりました。

天満宮まで直接歩くと約50分程度ですが、少し道順を変えてみました。

大和川沿いの美しい風景を見ながら堤防の道を行くと、


中央からやや左の白く細長い建物が最近完成した柏原市役所です。
さらにそのすぐ右側に見えているのが二上山です。
前回ブログの「初日の出」で紹介させていただきました。
それにしても、空の雲の形がすごかったです~
この川の右側の向こうに道明寺天満宮があります。

僕等は写真の手前にある橋を渡り、
テクテク歩いて天満宮へ向かいました。


 
 そしてここが道明寺天満宮の入口付近です。
 お参りを済ませて帰るところです。
 妻が立っている横に露店が並んでいますが、
 今はほとんど食べるものばかりですね。


こういうお店が並んでいるのを見ると、
例によって少年時代を思い出します。

でもね。
そのころ、果たして初詣をしていたのか? 
したのを忘れたのか、本当にしていなかったのか?
そんな記憶は全然ありませ
ん。

まぁ、とてつもなく古い昔のことですからね~

さて、
また来年も、元気でテクテクと歩いて、
ここへ初詣に来られることを祈るばかりです。

 

 

 

 

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今年もよろしく~

2023年01月02日 | 日常のいろいろなこと

今日は1月2日ですね。 新年も、もう2日が終わろうとしています。
皆さま、あけましておめでとうございます。

また新しい年が始まり、またひとつ年をとります(笑)。
まぁ、まだぼちぼち生きているんだから、年を取ろうが何をしようが別にいいんですけどね~

昨日の元旦はいいお天気でした。
朝、毎年見る「羽鳥真一モーニングショー」で、初日の出(はつひので)が富士山に出る生中継を、今年も見ました。

 
 「ダイヤモンド富士」と呼ばれているそうです。

これが6時50分台だったので、わが家の東の方角に信貴山から二上山があるので、そこから出る初日の出を見ようと、7時ごろに家を出て、ぶらぶらと大和川の堤防へ行きました。

僕が30代から50代まで、毎日毎朝、マラソンの練習で走っていた大和川の堤防コースですが、最近はご無沙汰なので、久しぶりに行きました。

 
 向こう側に向かって大和川の上流です。 山の向こうは奈良県です。
 初日の出を撮ろうとしている人たちが何人かいました。


 
  は~い。 初日の出で~す。 午前7時16分。
  右端に見えている山が二上山です。  

 今年も、もう「人生設計」というほどのものもありませんが、まぁまぁ健康で、ごく普通に暮らせていけますように、と、キラキラのお日さまに手を合わせました。 


さて、
このブログを始めたのは2007年の12月でした。

あれから15年の歳月が経ちました。
このあと、いつまで続けられるかわかりませんが、
今年も何とかグズグズしながらも、続けられたらと思います。

そして昨日の元日。
恒例になった次男の家族が来ました。

次男夫婦の一人息子の圭とは半年に一度会うぐらいですが、このブログでも書いたように、今年はサッカーをしている時に半月板を損傷する大怪我をして、今も軽い練習程度しかできないそうです。

その圭君とは毎年お正月に写真を撮るのですが、

 
   これが3年前の元旦。

 
  これが去年の元旦。

 

 そしてこれが昨日です。
 圭君は今年、中学1年生になりました。

 

 

 

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