僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

みなさま、良いお年を

2019年12月31日 | 日常のいろいろなこと

今年もまた大晦日がやってまいりました。
ちなみに、大晦日といえば紅白歌合戦ですね。

しかし今年はモミィが、「紅白はおもしろくないわ。『ガキの使い』を見たい」と言い出した。友だちは誰も紅白などは見ておらず、みんな「ガキの使い」を見ているので自分も見なければ話を合わせられない、ということだった。

「ガキの使いやあらへんで」は、僕は番組自体の存在は知っていたけれど、今まで見たことがなかった。どうやら、今日の夜はそれに付き合わされそうな雰囲気である。

例年のように紅白歌合戦を見ながらビールを飲む、という夜は送れない。

ところで、今年の紅白歌合戦の出場歌手を見ると、まぁ毎年少しずつだけど、僕らの世代が知っている歌手が少なくなり、知らない名前の出場者が増えてきました。特に横文字が多くで、読めない歌手あるいはグループが多い。これも時代なんでしょうね。

僕は、今年の出場歌手の一覧を見て、好きな歌手を挙げるとしたら、まぁ女性歌手のほうで言いますと

やはり演歌歌手ですよね。

まず、石川さゆり。
「津軽海峡冬景色」は紅白のトリとして定番になりました。10年前、仕事を退職した年に、妻と東北旅行へ出掛けましたが、その時、青森でこの「津軽海峡冬景色」の歌碑を見て感激したことが忘れられません。

次に、水森かおり。
彼女が「鳥取砂丘」でデビューした年、ちょうど父が亡くなり、母が一人暮らしとなりました。それで、時々母を誘ってカラオケに行ったのですが、母が一番好きだったのが「鳥取砂丘」でした。しかもその歌詞が、
「♪ 一人で~生きて、行けるでしょうか~」
というものでした。亡き父を偲んでいたのかどうかはわかりませんが、それを聞いて涙が出たのを思い出します。以来、僕も水森かおりのファンになり、水森かおりが歌っていた「五能線」にも乗ったものでした。

次に、若手演歌歌手でいま一番好きなのが、丘みどり。
演歌もいろいろ若い歌手が出てきていますが、丘みどりが一番好きです。

それと演歌歌手以外では、グループですが「いきものがかり」がいいな。今、NHKで以前の朝ドラ「ゲゲゲの女房」の再放送が放映されており、わが家では録画してずっと見ているんですけど、その主題歌「ありがとう」を歌っているのが、いきものがかりなんですよね。あれって、とてもノリがよくていい歌ですよね。

まぁ、今夜の紅白歌合戦は、「ガキの使い」のおかげで、リアルタイムでは見られませんが、録画しているので、明日、次男夫婦と息子のケイが来るので、食事をしながらバックミュージックとして流します。ちなみに、次男も、息子のケイが「ガキの使い」を見るので紅白は見られないみたいです。いつも、我が家に来て、紅白の録画を見るのが楽しみだと言っています。

さて、今は31日の午後4時半。妻もそろそろ掃除や片づけも終え、このあとはゆっくりテレビを見ると言っています。僕も、このブログを書き終えたら、あとはビールを飲んでくつろぎます(笑)。

あ、ところで、いま気がついたのですが、紅白に出場する僕のお気に入りの女性歌手4名の名前は、ぜ~んぶ、最後に「り」がついていました。

石川さゆり
水森かおり
丘みどり
いきものがかり

ですよね。
それだけの話ですけど。ハイ。

それがどうしたの?
という寒~いネタで今年は終わります。

相変わらずしょうむないことばかりで、すみません。

今年もこれまでお読みくださいまして、ありがとうございます。
来年も変わりませずよろしくお願いいたします。

それでは皆さま、どうか良いお年を!

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年もあと1日になりました

2019年12月30日 | 日常のいろいろなこと

いよいよ今年も明日で終わりです。1年って早いですね~
と、いつも年末のブログに書いています。

今日、12月30日は父の命日です。もう17年も前のことになりますが、あの日のことは忘れもしません。仕事納めも終わり、さぁ年末年始の休みが始まったぞ~と朝からビールを飲み始めた瞬間に母から電話が入り、入院中だった父が亡くなったことを知らされた。葬儀屋さんから、お正月は火葬場が休みだということを聞いたので、その日にお通夜をして、大晦日に告別式を行った。

ところで、妻のお父さんは、もっと以前ですが、12月29日に亡くなり、30日がお通夜、告別式が31日の大晦日でした。

つまり僕たち夫婦は、両方とも父親の告別式が大晦日だったという、珍しい共通点があります。偶然のなせるところですが、昨日は妻のお父さんを偲び、今日は僕の父を偲ぶ、という2日間です。

さ~て。新しい元号「令和」が始まった今年ですが、この1年を振り返っても、記憶力も衰えているし、さほど身辺に大きな出来事もなかったし、どういう1年だったのか、すぐには言い表せません。いま、思いつくのは、モミィが中学2年生になった4月に地元の中学校に転校したこと、8月の夏休みにパリとローマへ旅行したこと、くらいでしょうか。自分のこのブログを読み返せば、また今年1年間のいろんなことを思い出すかも知れませんけどね~

まぁ、ほどほど健康に1年を過ごせたことが何よりだと思っています。

ではまた明日。
どうぞ、良い大晦日を!(そんな挨拶、ある?)

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンタクトレンズで熱が出た?

2019年12月26日 | 日常のいろいろなこと

今月のはじめ、妻がモミィを連れて眼科へ行った。元々近視なので眼鏡をかけており、年に一回程度、定期的に目の検査に行っている。

2人が家を出たのは午前10時頃だったのに、帰宅したのは午後2時半を回っていた。「遅かったねぇ。どうしてたん?」と僕が聞くと、「コンタクトレンズをつくってもらっていたので」という返事が返って来た。

モミィを見ると、なるほど眼鏡をかけていない。
「もうコンタクトレンズをつけてるの?」と聞くと、
「うん」と、コックリとうなずいた。
眼科が2階にあり、1階がコンタクトレンズを扱っているお店で、そこでレンズをはめたりはずしたりの練習をしていたので遅くなったとのことだった。

聞けば、1日使うと捨てて、翌日はまた新しいレンズをつける、とのことだったが、う~ん、それは知らなかったなぁ。これまで僕の周辺にコンタクトレンズをしている人はいなかった(またはしていることを知らなかった?)ので、実際にそれをじっくりと目にしたこともなかったし、そんな使い捨てみたいなレンズがあることも知らなかった。今日はとりあえず1ヵ月分を購入してきたとのこと。

価格は6,000円だったというので、
「へぇ、1ヵ月に6,000円もかかるの?」
と、僕は少し驚いた。高いものなんですねぇ。

コンタクトレンズは目に負担がかかるので、いきなり丸1日つけっぱなしにするのではなく、最初は数時間からつけはじめるのがいい、と言われたそうだ。

そうして、モミィのコンタクトレンズ生活がはじまった。

ところで、
それから数日後。朝、起きてきたモミィが、
「頭が重たい」と言って半泣きになり、テーブルにうつ伏せた。
妻が体温計で熱を測らせると、38度以上あった。珍しい。

モミィは小学校の6年間、うちの母が亡くなった時を除き、一度も学校を休んだことがなく、中学に入っても無遅刻無欠席を続けていた。つまり病気で学校を休んだことがない。

ひょっとしてインフルエンザ?

だったら大変だと、すぐに妻と近所の医院へ行ったが、診断結果はインフルエンザではなかったので取りあえず一安心。2日間家で静養し、熱もすぐに下がったので、3日目には学校へ行った。

妻の推測では、これは、もしかしたらコンタクトレンズをし始めたことと関係あるのでは、ということだった。当日のモミィの第一声が「頭が重い」ということだったし、慣れるまでに体調に異変を起こすこともあるそうなので、たぶんそういうことではなかっただろうか。

今はもうすっかり慣れて、毎日鏡を見ながらレンズをはめている姿が日常のわが家の光景となりました。

モミィも14歳になり、着る服や髪型にもこだわるようになっています。眼鏡からコンタクトレンズに変えたのもその一つでしょうね。とにかく彼女の今の最大の関心事はおしゃれなのです。「ニコラ」という中学生向けファッション雑誌も毎月買って熱心に読んでいます。


 

 

ついこの間まで公園へ遊びに連れて行ったら喜んですべり台やブランコに乗っていたのにねぇ。
もう「お年頃」ですわ。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天皇誕生日」 をめぐるお話

2019年12月22日 | 雑記

先日の病院での診察が終わった時、医師がカレンダーを眺め、
「では次回は来年2月24日の月曜日ということでいいですか?」
と言われたので、はい結構です、と返事した。
いつも次の受診日は約2か月後の月曜日なんですよね。

診察室を出てしばらくして、看護師さんから次回の予約票をもらった。その予約票には、予約日時として「令和2年2月24日(月)9:00」と記されていた。そしてそのあと、院内で処方される薬をもらって病院を出た。

ところが

家に帰って、来年のカレンダーにそれを書き込もうとしたら、2月24日は赤い字で書かれている。えっ、その日は祝日?

よく見ると前日の23日の日曜日が「天皇誕生日」で祝日だった。はぁ、なるほど。今の天皇陛下が令和天皇として初めて迎えられる誕生日で、今後はこの日が天皇誕生日となるわけね。そして僕の受診日であるはずの24日の月曜日は振替休日だったのです。

しかし休日であれば病院は、急患を除き一般診療は行われないはず。なのに医師はカレンダーを見ながら「2月24日でいいですか?」と言い、僕もまさかその日が振替休日なんて知らなかったので「はい」と返事した。
これはいったい、どういうこと?

僕はすぐに病院へ電話で問い合わせた。

電話に出た女性が、
「あっ、では確認しまして、折り返し電話させていただきます」
と言い、そしてそのあと電話がかかってきて、
「申し訳ありませんでした」と詫び、
「日を変更させていただきます」
ということで、別の日を改めて予約日とした。
新しい予約票は、数日後に郵送でわが家に届いた。

それにしても、僕も気がつかなかったなぁ。
2月23日が新・天皇陛下の誕生日で祝日になっていたとは。
しかもその日が日曜日なので、翌24日は振替休日となる。

医師はカレンダーを見て24日を次回の診察日に決めてくれたのだけど、そのカレンダーには何も書かれていなかったのだろうか? 
古いカレンダーだったりして。

  ………………………………………………………………………

「天皇誕生日」と言えば、僕らの世代はいまだに「4月29日」のイメージが強い。それが昭和から平成に移った時、その日は「みどりの日」となり、さらに今では「昭和の日」に名称が変わった。むろん今も祝日である。

で、平成天皇の誕生日は、といえば、12月23日。
つまり明日ですよね。

去年までこの日が「天皇誕生日」として休日だったのに、今年のカレンダーを見ると「平成の天皇誕生日」とは書かれているものの、休日ではない。なんで?
「平成の日」として休日にすればいいのに。
「昭和の日」があるんですからね。

なんでだろう~ なんでだろう~ ?
(古いわ、そのギャグ)

ど~も。失礼しました!

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禁酒のあとに来る反動

2019年12月20日 | 日常のいろいろなこと

禁酒には必ず「反動」というものが来る。
「あれだけ我慢したんだからね~」という、
自分をほめてやりたい気分みたいなものがね(えへへ)。

で、病院へ行った翌日の17日のお昼、さっそく反動が出た。

その日、僕と妻は、義姉と一緒に梅田の大丸百貨店の14階にあるバイキング料理店へ行った。僕は検査があったので、義姉にはそれが済むまで待ってもらっていた。そしてその日義姉に「昨日の検査結果はどうでしたか?」と聞かれ「はい。上々でした!」と答えると「じゃぁ、今日は飲まなくてはね」と言ってくれました。まあ、言われなくても飲みますけど(笑)。

そんなことで、そのバイキング店でビールの飲み放題を注文しました。

この店のランチバイキングは以前は2時間食べ放題で、飲み放題は90分だったのが、最近は食べ放題のほうがなんと5時までとなったのです。僕たちが行ったのは12時頃で、席に案内してくれた人が「どうぞ、5時までフリーですからごゆっくり」と言ってくれました。もっとも「飲み放題」は90分のままですけど、それでも90分間で生ビールをどれだけお代わりしたことか。数え切れませんわ。

とにかくバイキングですから、いろんな料理がズラ~っと並び、多くの人がお皿を持って料理を取っています。僕が天ぷらを取ろうとしたら、横にいたおばさんが僕に向かって、
「いやぁ、楽しいですね~。こんなにいろんなものがいくらでも食べられて、ホントに嬉しい! 嬉しい!」
と、メチャ笑顔で話しかけてきました。

そして僕が席に戻って食べたり飲んだりし始めると、そのおばさんが戻って来て、隣のテーブルに座った(僕らの横のテーブルの人だったんだ)。おばさんはもう一人のお連れの女性に、「ウキウキするわ。楽しいね~」とまた嬉しそうに言い、さらに、
「きょうはここで5時までおるで!」
と高らかに宣言していました。
これは本当に5時までいそうな感じでしたわ。

90分の飲み放題のあいだ、僕はイヤというほどビールを飲んだ。妻も義姉も90分間でお腹がいっぱいになったようなので、店を出た。

2人はどこかへ寄りたいと言うので、いつもなら一緒に梅田界隈をウロウロするのだが、酔ってしまった僕は先に帰ることに。

東梅田から地下鉄で、終点の八尾南というところまで行き、そこからバスに乗って家の近くの停留所で降りたのですが

バスを降りる時、運転席横の機械にICカードを通したが、反応がない。
運転士の人が、
「あれ? 乗られた時にカードをタッチされてませんね。どちらから乗られたのですか?」
と言ったので、
「えっ? 八尾南ですけど」
と僕は答えた。
なんだか頭がボンヤリして、よくわからない。
運転士の人は、
「ふ~む。では」

と僕のカードを手に取り、何やら操作してから返してくれた。
つまり、僕はバスに乗って何もせず、そのまま座席に座ったようです。
「これからは、乗った時にカードをタッチしてくださいね」
と、運転士の人は、やさしく言ってくれた。ごめんなさ~い。

それが病院での検査の翌日のことでした。
間違いなく、禁酒の反動ですよねぇ。

そして、その次の日も、さらに次の日も、
♪  飲んで~飲んで~飲まれて飲んで~」
と、反動が収まらない毎日です。

やっぱり、休肝日をつくらないとね。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肝臓の検査結果は?

2019年12月18日 | 心と体と健康と

今週の月曜日(16日)。
病院へ行った。
先日のブログに書いた件ですけど。

前回(つまり2ヵ月前)の定期健診で、アルコールによる「ガンマGTP」をはじめとする肝臓の数値が相変わらず高かったことから、医師が、「原因はお酒かなぁ? 次回、もしお酒を節制されても今日と同じような数値であれば、肝臓の精密検査をしましょう」ということで、「次回まで節制してくださいね」と言われた。このことは、ブログに書きました。そして「2週間禁酒」な~んてのも、書きましたね。

そして今週月曜、モンダイの検査の日。
まず最初に血液検査から行われます。
そのあと循環器科へ行き、順番を待つ。
検査から1時間半ほど経って、名前を呼ばれた。
検査結果はどうだったんだろうか?
と、ちょっとドキドキ。

診察室に入ると、まず医師が、
パソコン画面で僕の検査結果らしきものをのぞき、
「え~っと、お酒のほうは、節制されました?」
と聞いた。


「えっ?」と僕。
それはどういう意味?
結果が、また悪かったのか?

2ヵ月間、ほとんど飲み続け、直近の2週間だけ節制した。
そんな程度だから、やはり数値は下がっていなかったのか?
と、僕はそう思い、
「いや、まぁ、節制って、それほどのことは」
と、しどろもどろになりながらも、
「でも、ちょっとだけ、したつもりですけど」
と、何だか悪い予感を覚えながら答える。

とにかく、医師の前にあるパソコン画面に数値が出ているのだけど、それがこちらからは見えないのだ。数値はどうだったんだ!

と、戸惑っていたら、医師が、
「いやぁ、数値がとても下がっていましたので」
と言い、
「かなり節制されたのかな~と」

どひや~ん。
パチパチパチ。

先生。もっと早く言ってよ。
数値は下がっていたんだね。
それもかなり。
あぁ、よかったぁ。

そこで医師は検査結果をコピーした紙を僕に渡してくれた。
見ると、肝臓のガンマ数値は、前回は150を超えていたのに、
今回はなんと66という、僕にしては極めて低い数値。
今年1年間を見ても、すべて150前後だったのに。
それが66という、ここ数年なかった低い数値になっていた。

直前に少~し節制しただけなのに、それでこんな数値とは。

「今後も節制を続けてください。お酒は心房細動にも悪いですから」
と、医師は言った。

それにしても
前回の診察・検査(10月半ば)のあとも、結構飲んだ。
節制したのはこの2か月間のうち、最後の2週間だけ。

そんなことだったのに。

うれしいことはうれしいですが。
なんとなく不思議でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抗不安薬や睡眠薬を飲み続けると…

2019年12月08日 | 心と体と健康と

まず「2週間禁酒」の続報ですが。

12月2日の月曜日から「禁酒」を初めて1週間が経った。
と言いたいところですが、あぁ、1日だけ飲んでしまった。
だから7日目で6勝1敗である。まぁ大相撲なら好成績だけど。
明日の月曜から日曜までの1週間は「全勝」をめざさなければ。


ところで話は変わりますが、
今朝の朝日新聞の一面トップ記事を見て、ビックリしました。

 

見出しにある薬というのは睡眠薬や抗不安薬のことで、
記事の内容は

睡眠薬や抗不安薬を高齢者が使うと、転倒や認知機能障害が起こりやすくなるという。やめられなくなる依存も起こしやすく、死亡リスクが上がるという報告もある。

で、日本老年医学会というところが、これらの薬について「使用するべきではない」「可能な限り使用を控える」と求めている。

ということでした。

中でも80歳代の人が最も多く服用しているとのことだが、僕は耳鳴りの苦痛を少しでも和らげるのに、2007年から、つまり50代の頃から12年間、デパスという安定剤(抗不安薬)を服用し続けている。今でも1日2錠~3錠分、いつもの徳洲会病院で処方してもらっている。

だから今日の新聞一面に報じられていた記事は、僕にとっては他人事ではない。おまけに、その記事の横に「代表的な睡眠薬・抗不安薬の商品名」というのが一覧で示されていたのを見たら


    

僕が飲んでいるデパスが一番上に出ていた。
これが一番上とはね~。イヤな感じだわ。

僕は耳鳴りのせいか、とにかく眠りが浅いので、これまではデパス以外にも睡眠導入剤のマイスリーという薬を処方してもらい、毎晩それを飲んでいた。そして日中にデパスを飲んで気分を安定させていた。心房細動(不整脈)に関する薬に加えて、この2種類の薬も医師から処方してもらっていたのである。

でも、やはり睡眠薬と抗不安薬の両方を服用し続けるのもあまり良くないかな、と思い、まぁデパスでも夜に飲めば少しは眠くなるので、それ一本にしぼろうと決め、睡眠薬は数年前にやめました。

だから今は、昼も夜もデパスが頼り。そんな状況なのに

今朝の記事を読んで「ゲゲゲッ」となりましたわ。

デパスのような「ベンゾ係」の抗不安薬や睡眠薬は、加齢が進むと、薬の効果が切れると胸が息苦しくなったり頭痛がしたりすることがあるという。また、「ベンゾ系は依存性が強く、薬が切れると不安感に襲われパニックに陥りやすい」との指摘も記事に書かれていた。

このまま僕も、デパスを飲みながら年を取って行くと、こういう症状に見舞われたりするんだろうか?

そう思うと、すご~く不安になってくるんだけど、
その不安をまたデパスで解消しようとしたりして。
(なんや、それは?)

まぁ、あまり深く考えないことにしよう。
なるようにしか、ならないし。

では、これからデパスを飲んで寝ます。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2週間禁酒にチャレンジ!?

2019年12月06日 | 日常のいろいろなこと

数ヵ月とか1年とかであればまだしも、わずか2週間だけ禁酒しようというのを「チャレンジ!」などと大げさなタイトルにするのもどうかと思ったのですが。でも普段はたった1日でも禁酒ができない自分なので、2週間というのは強い意志と勇気を奮い立たせる必要があるんですよね。

心房細動で2ヵ月に一度、検査・診察を受けている病院へ、10月に行った時、いつものように血液検査の結果を見ながら、担当医であるK先生が、僕の肝臓の数値を見て「今回はいつも以上に高いですね」と言った。肝臓の数値というのは3種類あり、γ-GTPと、AST(GOT)と、ALT(GPT)ですが、僕は特にγ(ガンマ)GTPの数値が常に基準値の範囲をかなり超えています。この日は、それが前回よりさらに高かったみたいです。

γ-GTPはアルコールに敏感に反応し、肝障害を起こしていなくても、普段からよくお酒を飲む人は数値が上昇し、健康な人であれば一定期間禁酒すれば正常に戻ります。それでも戻らなければ肝臓に何らかのトラブルが起きている可能性が高い、とのこと。僕の場合はお酒が原因だと自分では思っています。4年前にもここで同じようなことを言われ、2週間禁酒したら、数値がグンと下がったことがありましたし。 

で、今回も担当医から「毎日どれくらい飲まれますか?」とお酒に関する質問があり、僕がだいたいのところを答えると「それはちょっと多いですね」と言い、「では次回までお酒を節制してください。そのうえで、まだこの数値が高ければ肝臓の精密検査をします」ということになった。

「次回まで節制」ということだったが、病院は2ヵ月に1回である。2か月間節制せよということかと思うけど、この「節制」というのが僕は苦手なのだ。缶ビールでもハイボールでも、ロング缶1本でやめておけばいいんだけれど、1本飲めば2本目が欲しくなる。時には3本目を開けたり、4本目までも

よ~し。では2か月間は1日1本だけで済まそうと思ったけれど、全然実行できない。検査日は12月16日なので、10月中は「まだまだ検査は先のことだし」と、全くやる気が出ず、11月に入っても相変わらず。「じゃぁ11月の中旬から1か月間節制するぞ」と厳しく自分に言い聞かせても、これもダメ(意志が弱すぎるわ)。

そうこうするうちに12月に入ってしまった。もう節制では間に合わない。完全禁酒をしなければと、12月1日に飲んだのを最後に、翌2日から検査日までの2週間禁酒を決意したわけです。

そして2日、久しぶりの禁酒に成功し、4日までの3日間は続いたものの、昨日は美魔女ならぬ「酒魔女」に背中を押され、つい飲んでしまった。やれやれ。これぞ文字通り「3日坊主」。ホンマにあかんたれですわ。

あぁ、もう検査日の前日まで今日を入れてあと10日しかない。「節制してくださいね」と医師に言われ「ハイ、わかりました」と返事した手前、せめてこれからの10日間、アルコールを口にしてはいけないのだ。

いけない。
あかんで。
絶対やで。

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生100年時代は 「美魔爺」 で行こう!

2019年12月03日 | ズレズレ草

最近はよく「人生100年時代」なんて言ってますけど、いやまぁ、大変な時代になってきたものです。100歳まで生きるって、どんなんや? 

と、思っている僕ですが、年々日本人の平均寿命も延び、今年の9月には100歳以上の人の数が初めて7万人を突破したという記事も載っていました。これからもどんどん増え続けていくのでしょうね。まぁ、長寿社会というものが、本当に幸せな社会なのかどうかは、僕にはよくわかりませんけど。

100歳と言えば、かつて「きんさん・ぎんさん」という双子のおばあちゃんが話題に上がったことがありましたね。テレビで紹介されてから、あれよあれよという間に全国のお茶の間の人気者になりました。

お二人は100歳になってあちこちのメディアに出演したことで、結構お金も入ったようです。
ある時、記者から、きんさん・ぎんさんに、
「お金を何に使われますか?」という質問がされました。
すると、お二人の答えは、
「老後に備えて、たくわえます」 でした。

ふ~む。やりますね~ お二人にとって、100歳はまだ老後じゃないんだ。
こういうことが言えるからこそ、ご長寿なんですかね。

もうお一人。
泉重千代さんという、120歳まで生きてギネスブックで世界最長寿と認定されたお爺ちゃんがいましたね。江戸時代に生まれ、明治、大正から昭和の終わり近くまで生き抜いた方でした。

この泉重千代さんにも、驚くようなエピソードが沢山あります。

煙草を初めて吸ったのが70歳の時、だそうです。
またお酒も70歳から飲み始め、50年間晩酌を続けたという。
70歳から50年も酒が飲めるとは! メチャ羨まし~い。

さて、その重千代さんの言葉で、最も有名なのは

あるインタビュアーが好きな女性のタイプを聞いたところ、
世界最長寿である泉重千代さんは、こう答えたそうです。

「好きなタイプはやっぱり、年上の人だなぁ」

うふふ。

きんさん・ぎんさんや泉重千代さんのこういう楽しい話を聞かせてもらうと、自分の高齢化への抵抗感も少しは和らぐ気がします。

さて、今夜、みゆきさんへのコメントにお返事させてもらった時に書いたのですが、「美魔女」という言葉に倣って、僕もこれから美しく老いて行こうと一念発起し、「美魔爺」という言葉を思いつきました。

「美魔爺」です。

めざせ、美魔ジイ!

何だか「ヒマ爺」に聞こえるな~
こんな文章を書いてるんだからね。
やっぱり「ヒマ爺」かな、僕は

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肺炎球菌ワクチン接種と 「お父さん」

2019年12月01日 | 日常のいろいろなこと

今日から12月ですね。
あっという間に、もうお正月がやって来ますよ!
いつも同じことを言いますが、ホント、早いですわ~

さて前回ブログで、肺炎球菌ワクチン接種を受けたことに触れました。10月に気管支肺炎にかかった時、念のため肺炎球菌ワクチン接種を受けておいたら? という妻の勧めで11月の中旬に受けたのでした。

きょうはそれに関連した話ですが

このワクチン接種は通常1万円ほどかかるのですが、高齢者を対象に、生涯に一度だけ市町村から助成金が出るそうなので、先に市役所へ行きました。

市役所の担当課で接種券と予診票というものをもらい、そこへ住所・氏名・生年月日・今かかっている病気など、いろんな項目に書き込みをしてから、それを持って医院へ行くというわけ。そして医院へ行ったのですが、ワクチンを取り寄せなければならないので、今すぐにはできないということで、申し込みだけして帰りました。

そして数日後に電話があって「いつでも結構ですからお越しください」との連絡を受け、再び医院に出向くという流れでした。ちなみに、市の助成を受けたら、僕が医院に支払う費用は4,100円でした。助成額は市町村によって違うようですけど。

ところで僕が行った医院は、これまで滅多に行ったことがなかったのですが、家から近いのと、妻が通っている医院だったのでそこへ行きました。こういう予防接種なんていうのは、どこで受けても一緒だしね~

そして妻がその医院に行く日に、僕も一緒に行くことにした。そして医院に着き、2人が受付に顔を出したら、受付のおばさんが隣にいた妻を見て「あら」と言い、 次は僕の顏をじ~っと見て、
「〇〇さん(妻の名前)のお父さんでしたか」
と言ったのだった。

「お父さん?」
僕は受付のおばさんに言われた意味がわからない。
僕が妻の「お父さん」なんて。そんなアホなこと。
「いえ、あのぉ、オットですけどぉ」と、僕は言った。

おばさんは一瞬、怪訝な表情をしたけれど、すぐに事務的な口調に戻り、簡単な手続きが終わって僕と妻は待合のソファに座った。

僕は妻の耳元で、そっとつぶやいた。
「僕があんたのお父さんやて? あの人、何言うてるの?」
すると妻は、クスッと笑い、
「ここの受付の人たちは主人のことをお父さんって言うのよ」

はぁ。なるほど。な~~~~るほどねぇ。そういうことだったのか。
大阪の古い人は、「おたくのご主人?」と言うのを「おたくのお父さん?」と言うし、 同様に「おたくの奥さん」と言うのを「おたくのお母さん」と言うんだったっけ。

すると待合で座っていたら、また年配の看護師さんが、診察室の前で、患者のお爺ちゃんに向かって、
「今日はおかあさんと一緒じゃないの?」
と言っているのが聞えた。これも普通は「奥さんと一緒じゃないの?」と言うところなのにね。ま、患者さんのほとんどがかなり高齢な人たちなので、看護師や受付のおばさんも、昔ながらの大阪弁で患者さんと気楽な会話をするのがこの医院では当たり前のことになっているようだ。

思えば、僕は幼稚園まで京都市内で生まれて育ち、その後離婚した母に連れられて大阪へ出てきたが、母は大阪弁に染まることなく、死ぬまで京都弁で話していた。その影響を受けたのか、僕も大人になってからも(というか、今でも)バリバリの大阪弁というのは使えなかった。

だから、他人に対して「奥さん」を「おかあさん」とか、「ご主人」を「おとうさん」とか言ったことがなかった。

そういえばこれまで、周りには自分の主人のことを「うちのおとうさんがね」と言う女性や、奥さんのことを「うちのおばはん」とか「おかん」とか言う男性も多くいたなぁ、ということを思い出しました。

それにしても、 肺炎球菌ワクチン接種に行った医院で、受付のおばさんに「お父さんですか」と言われたあのときは、ほんまにビックリしましたわ。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする