ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

亀和田武さん5

2017-02-07 18:30:00 | 日記
亀和田さんは、甲斐さんが「神田の舗道に敷石がない理由」を
お知りになったことに触れられた水上はるこさんの記事…

「甲斐よしひろは、その話を聞いてひどくショックを受けた
それまでの彼は、ラジカルな政治の歌こそ
俺の本領であると意気込んでいたそうだ

【ストリート・ファイティング・マン】もぶっ飛ぶような
過激な歌を歌ってやるぞ…燃えたぎっていた熱気は、一瞬にして青ざめた

カルチェ・ラタンの敷石の下には、想像への海が広がっていたというのに
少年の舗道には、伝説のための伝説しか残っていなかったのだ」

…を引用なさって「おそらく、この時の断念が
今日の甲斐バンドを創った一つの契機にはなっている

一度も断念したことのない思想には
時代の核に切り込めるだけの鋭さが本質的に欠如している

知的なミュージシャンほど陥りやすい
安直な、言葉の矮小な意味でのメッセージソング、プロテストソングへの転落を
この時点で甲斐よしひろは免れ得たと言えるだろう」と記されてます

最新著作の中で「10代後半の少年にとって
もっとも心わくわくするポップな出来事が学生運動だった

誤解を招く言い方になるが、私たちはベトナム人民や成田の農民のために
無理してまで機動隊と闘ったのではない
楽しくて仕方ないから、街頭に踊り出たり、バリケードに立てこもったのだ

大の学校嫌いだった私が、大学に入るや
バリケードに連日、泊まるようになったなんて
いま思えば笑ってしまう」と振り返っておられますが

それでも「他に面白いこともないから
せめて闘争くらい先頭でやってみようか」と
実際に敷石を手にされ、その時期を過ごされた方と

「俺たちは、火事場の跡に来たんだなって思った
焼け野原に立たされて、今から何をやればいい?という感じだった」
「遅れて来た全共闘少年」とでは、リアルさが違いますよね

後に甲斐さんは、中島みゆきさんの【世情】を聴かれ
「俺はノンポリだけど、中島みゆきには
60年代の敗北感があるんだよな」とおっしゃってました

ちなみに、亀和田さんが絶賛なさっている、前述の水上さんの記事には
甲斐さんお気に入りの「4人のイニシャルY」の話も掲載されてます(笑)

そうそう!亀和田さんと同じようなスタンスで
学生運動に参加されていたというNさんが
早朝、バリケードから出た亀和田さんに

「ブルジョアの豪邸荒らしに行こうぜ」とおっしゃって
亀和田さんは「押し込み強盗⁉
コイツならやりかねない」と思われたそうだけど

実際は、豪邸の玄関先の牛乳箱から
牛乳を2本失敬するにとどまったらしく(笑)

その時に、トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」の中で
ジャン・ピエール・レオが、空腹のあまり
盗んだ牛乳を飲むシーンを思い浮かべられたんだとか…

ナンか聴いたことがあるなあと思っていたら
別の章で再びジャン・ピエール・レオが登場し

「黒いトックリのセーターが今も記憶にあざやかな少年を演じ…」との文章
…というか「トックリ」という単語で
某「九州少年」が話されていたことを思い出しました(笑)

それはさておき…自称「60年代のしっぽ」の方がおっしゃった
「俺の曲にはラブソングが多いけど
それは、花屋の前で駅の階段を降りて来る女を待つような
ジメッとした、女々しい、貧血気味のラブソングじゃないよ

男と女の間には、もっとドロドロしたタフな部分ってあるじゃない?
どんなに傷ついても、翌日になるとケロリと忘れちゃうようなタフさがね
そういうリアルな部分を歌いたいと思ったね」という言葉についても

亀和田さんは「甲斐よしひろは一歩抜けている」と評されてますが
それは「【HERO】の提出が、決して一発主義的な
あるいは、機会主義的なものではなく
甲斐の透徹した認識によるもの」であり

「商業主義と自己主張のギリギリの接点での勝負
右に転べば四畳半ソングに堕し
左に落ちればコマーシャル・ポップに落ち込むという綱渡り的状況
時代との総力戦…こういった事柄に関して
甲斐よしひろは極めて意識的な男である」と説明なさってます

この当時の亀和田さんは「基本的にミュージシャンは
その詩と曲と唄とによって評価されるべきと信じて」おられたようで

「雑誌、TV等の発言によって
ミュージシャンを判断しても何の益もないのだ
いわゆるインテリ歌手が陥る罠が実はこの辺にある

彼らは喋り過ぎる。自己分析をやり過ぎるのである
彼らの歌う曲が全て整合され、了解可能な
予定調和的なものになってしまうのだ

フォーク出現以降の倒錯した
歌手 vs 評論の関係が、この誤解の典型である

井上陽水が麻薬所持でパクられ、裁判所で述べたコメントを引き合いに
陽水の音楽を叩くという図には
姑息なジャーナリスティックな機会主義しか窺えない」と記されてます

この章の最後に亀和田さんが「状況は悪くはない
どんなに悪い状況でも走り出そうという
甲斐バンドのようなグループが存在し
なおかつ、それに支持を送る少年少女たちが存在するという状況は
決して悪くはない

つまり、甲斐バンドも俺たちも決して孤立してはいない…こういうことだ」
…と、書かれたことを田家秀樹さんが取り上げられた部分を見ると

ベストテンの「水割り事件」があったり
甲斐さんが「梅川事件」について語られたりして
マスコミから「問題児」「反逆児」と呼ばれていらした頃のことらしい(汗)

後に亀和田さんご自身が、音楽純粋享受派としての立場で
「[血と汗と涙の甲斐バンド]みたいなレッテルを貼られていたこのバンドを
何とか別の角度から評価し論じてみたいという欲求があった

だって、いつもいつも[【HERO】の向こうには情況が見える]だの
[時代を歌うバンド]だのじゃ可哀想だし、アンバランスだもんね

余計な混ぜ物を入れないで、純粋に音楽的価値でのみ評価する
あるいは[血と汗と涙]や[時代と情況と社会]に代わる切り口によって
このバンドを語ることにエネルギーを傾けた

それまで、あまり論じられることのなかった
甲斐バンドのセクシーなフィーリング、お洒落な側面
ユーモアの表現などを繰り返し書いた動機は

僕なりに彼らの音楽を[社会という容れ物から引き上げて
音楽って場に戻してあげよう]という試みだったのだと思う」
…と分析なさってます

これは、甲斐さんもよく引用される大瀧詠一さんの
「音楽は音楽でしか語れない」という言葉を
聴き手側から援護したものじゃないかと…

が、その後、亀和田さんは「こうした[音楽を音楽として楽しむ]やり方に
つまらなさと限界を感じ始めている

時代やファッションや流行や、といった
ショーモナイ混ざりものが、ゴチャゴチャと固まって出来たのが
そもそもロックだったのではないか

クラシック音楽を評価する視点そのものが時代によって変化している
モーツァルト存命中は名声を欲しいままにしていた
サリエリのその後の凋落ぶり

[古典]でさえも、時代と離れて生きて行くことは出来ないのだ
それも、自分を産み落とした時代と
自分を享受する時代の両方から

という訳で、僕は音楽を聴く時
その曲が抱え込んでいるものなら何でも
貪欲に聴いてしまおう、という立場に宗旨変えしている」

と、おっしゃいつつ「しばらくすれば、今度はこの聴き方に嫌気がさし
もういっぺん時計の振り子が元に戻るという予感もあるのだが…」と…(笑)

でも、セカンドアルバムのライナーノーツに
「僕は変わりゆくことが望み」と記され

水上さんが「理想主義に走ったミュージシャンの多くが
いつかその理想に葬り去られたのに対し
現実に向かって目を見開いた時
初めて、人間の中の才能が生きるということを知っているのだ」

…と評されたミュージシャンの曲を聴き続けて行くには
聴き手の方も、その聴き方が変化して行くのは当然でしょう?

奥さんの個人的な見解によると…
ある時期、亀和田さんに勝るとも劣らない
甲斐バンドフリークでいらした田家さんが
甲斐さんから離れてしまわれたのは

ご自身のイメージなさっている甲斐バンドや
理想の甲斐さん像といったものから
甲斐さん達が「ズレてしまったこと」が耐えられなかったんじゃないかと…?

亀和田さんが、今も甲斐さんの曲をお聴きになり
ライブに足を運ばれているのは
甲斐さんの変化、進化を楽しんでおられるからかも知れませんね
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