ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

亀和田武さん9

2017-02-11 17:21:00 | 日記
甲斐さんと懐メロ談義で盛り上がり
佐野修さんのモノマネで勝利された亀和田さん(笑)

その「ポップミュージックとの出会い」は、小学4年生の3学期
転校先の「ネギと桑畑の町」で、ラジオから流れて来た
坂本九さんの【悲しき60才】だったそうだ

今、このタイトルを見ると、ガチで悲しくなるけど(笑)
歌詞の内容は、貧しい若者が美しい奴隷の女性に恋をして
彼女と結婚するために、金の亡者と呼ばれるほどの大金持ちになり
彼女を迎えに行くと、今や悲しき60才になっていた…というものです

「それまで聴いたこともない明るくテンポが良くリズミカル」で
「中東調のポップなメロディに悲喜劇が混ざり合った
調子のいい日本語が乗っかっている
そして何よりも、弾むような躍動感のあるボーカルがカッコいい

聴き始めて10秒後には、ラジオのボリュームを上げていた
生まれて初めての体験だ
曲が流れている間じゅう、ドキドキしっぱなしだったのも初めてだ

それまでテレビの歌番組を見て、夢中になるような歌手はいなかった
そう、この時、私は初めて身体と頭が勝手に動き出すような対象に出会ったのだ」

…と、おっしゃってますが、後半の記述は
奥さんが初めて甲斐バンドの【バス通り】を聴いた時と全く同じらしい(笑)

その後は「ポップミュージックの虜」になられ
「[ザ・ヒットパレード]や[ピアス・ナインショー]などの歌番組は
毎週欠かさずに観た
しばらくすると、それだけでは満足できなくなった

レコードで、坂本九や森山加代子
そしてダニー飯田とパラダイスキングの歌を聴きたいという欲望が湧いて来て」
お父様の反対にも怯まず、粘り勝ちで(笑)レコードプレーヤーをゲットされ

初めてのレコード…A面はパラキンの【遥かなるアラモ】
B面が九ちゃんの【夢のナポリターナ】に
「その日、寝るまで、AB面とも30回は針を落とした」んだとか…(笑)

当時のシングル盤って、こうしたカップリングがありましたねえ(笑)
定価290円でも「子供にとっては高い買い物だった」と亀和田さん

「月に1枚を、選びに選んで、悩みに悩み抜いて購入した
駄作を買った日は、がっくり落ち込んだ
でも本当はイカシタ曲かも知れないと、10回は再チャレンジした」(笑)

奥さんは、このくだりを読んで
甲斐さんが湯川れいこさんの番組に出演された際に
湯川さんが「お金ないとそればかり聴き続けてるし
好きになっちゃうんだよね(笑)」とおっしゃると

萩原健太さんが「買ったからには好きになるまで聴き続けるって感じ(笑)
どうでもいいような曲もB面に入ってるんだけど…(笑)」と話されていたことや

貸し本屋さんでマンガを吟味し、いったん店を出て
焼きイモをほおばりながら、どれを借りるか考えたという
「九州少年」の姿を思い浮かべたみたいです(笑)

ともあれ…「45回転のシングル盤は、どの曲も3分以内で終わった
欧米のオリジナル曲に、甘く切ない訳詞を添えた、2分45秒で完結する
恋と涙のバーゲンセールのような世界に
どんどん耽溺」なさった亀和田さんは

「この曲、カッコいいな、そう思って歌詞カードを見ると
まず9割が漣健児の手掛けたものだった
彼の名前を見つけ、好みの歌手であれば
何はともあれ購入する習慣まで根づいてしまった」そうですが

「甘くてメロウで感傷的なメロディの曲が
チャートの上位を独占していた60年代前半は
その後、ポップスの歴史において最も低レベルの時代と見なされ」

「中学3年のクラス会」で「舟木一夫や三田明、西郷輝彦といった
青春歌謡が好きだったSくんが
[あの頃はビートルズをよく聴いたよな]と懐かしそうに当時を回顧し

[俺たち、やっぱりビートルズ世代なんだよね]という
全くの歴史の捏造を口にした時
私は黙って笑みを浮かべるだけだった」という

あとがきに「ビートルズを世界で一番憎んでいる男、それが私だ」
…と記されているのは、Sくんみたいに
「誰もがビートルズが出現する前に流れていた
ポップミュージックを忘れていた

プレスリーの絶頂期とビートルズの出現に挟まれた
たかだか5年の間に流れていた音楽」は
「一夜にして懐メロと化してしまった」

「私が偏愛していたメロウで切ない洋楽やその日本語バージョンが
世の中から消えてしまったという衝撃」が
亀和田さんにとっての「ビートルズ・ショック」だったからだそうだ

それはともかく…
「一人の人間の書く物を、夢中になって追いかけた」亀和田さんは
ビートルズ登場前の「ミュージックライフ」…

「漣健児の訳詞を歌う日本人ポップス歌手の近況が7割
ビルボードやキャッシュボックスのチャート紹介と
欧米の新人歌手に関する情報が3割という
当時の私には願ってもない誌面構成」…を愛読なさったらしい

漣さんと「ミュージックライフ」の編集長の草野昌一さんが
同一人物だとお知りになったのも、その頃みたいですが

甲斐さんファンの方にとっては、当時の甲斐バンドの所属事務所
「シンコーミュージックのお偉いさん」であり
甲斐さんがカバーされたスリーファンキーズの
【浮気なスー】の訳詞者の方って、イメージでしょうか?

ちなみに、亀和田さんは「ミュージックライフ」の
読者投稿欄にも丹念に目を通されていたそうですが
80年代の後半に発売されたアンソロジイ本を読まれた際

抜粋された投稿の一つに「ウエスタンの好きな17才の純情な高校生
好きな歌手は、ジミー時田、井上高
好きなバンドは、マウンテン・プレイボーイズ

それにウエスタンのバンドを作りたいのだけど
ギターのうまい人お便りネ
男女を問わず早く早く、お便りチョウ」という投稿があり

「ライフ風」文体に心惹かれて?この高校生の名前をご覧になったら
「椎名誠。こう記されていたのだ(笑)
なんだ、椎名さんも愛読者だったのか

そのことも感慨深いが[…お便りチョウ]の一節には
明らかに後年の椎名風テイストが見てとれる
あのユニークな変拍子の文体のルーツを辿れば
60年代前半のミュージックライフに行き着くのか」と思われたらしい(笑)

余談ですが、ビートルズが来日した当時
亀和田さんの高校で唯一のビートルズ・カットだったTくんが
学年一の美少年Sくんに「ビートルズの公演、観たいだろ?
チケットなんて無くても平気だから」と武道館に連れて行き

楽屋口に回って、ドラムのスティックをポケットに差し
ガードマンに「ブルーコメッツのバンドボーイです」と言ったんだとか…(笑)
楽屋の袖から、タダでビートルズを観たって凄くね?(笑)

甲斐バンドのライブでも「甲斐の婚約者です」と言って(笑)
楽屋に入り込んだ女性がいらしたみたいだけど

ケータリングのイタリアンスパを召し上がっているところを
当の甲斐さんが発見され「そぉっとスタッフを呼びに行った」らしい(笑)
彼女の目的は何だったんでしょうね?(笑)
コメント
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