読書な日々

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『オペラは手ごわい』

2015年02月02日 | 評論
岸純信『オペラは手ごわい』(春秋社、2014年)

大学などの研究機関に属していないで、執筆だけで生計をたてている、オペラ研究家のようで、メインとなる収入源が何かは知らないが、公演パンフレットなどに作品紹介などを書きまくっている人によるオペラ論のようだ。

プロローグとあとがきでは、筆者がオペラを研究するようになった経緯や、どういうスタイルで研究しているのかを紹介しているので、面白い。

高校生の頃に魔笛冒頭の四重唱をピアノ伴奏したのがきっかけになってオペラにのめり込むようになり、数々の公演に通い、NHKFMでカセットテープに録音し、楽譜を集めてスコアを研究するという生活が続き、大学は法学部に入ったが、オペラ漬けは変わらず、河合楽器に入社してからも、海外に派遣されれば、その地でオペラを見て過ごすという日々で、無理がたたって、仕事を辞めたちょうどその頃に、はじめて音楽記事の仕事が舞い込み、それ以来オペラに関する記事を書くことを生業にしているという。

この人のスタイルは楽譜第一主義、とにかくすべてのスコアを研究して、そこから評論するということらしい。そのために、ある作品の出版されたスコアをすべて収集して読み込み、さらに公演もできるだけすべて観劇し、過去の公演はDVDその他の媒体を使って目を通し、研究書もできるだけ読むということだと書いている。

その徹底ぶりには目を見張る。いわばオペラ研究者の鑑みたいな人だ。そこから素晴らしい研究も生まれるのだろう…

しかし、そういう人の書いた本が面白いかと言えば、ムムム…。必ずしもそうでないのが研究というものの難しいところ。

第二章のマイアベーアから始まって、スクリーブ、オベール、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、ワグナー、グノー、ビゼーなど19世紀のフランス・オペラが中心に論じられており、どこから読んでもいいと本人がコメントしているくらいだから、どこから読んでもいいのだが、どこから読んでもいいということは、一つの流れになっていないということでもあり、大きな歴史の流れの中に個々の作曲家や台本作家や作品を位置づけて、論じられていないということでもあり、そのせいかどうかは知らないが、まったく瑣末なことをグダグダ書いているだけのようにしか思えないのだ。

ほぼ同じ時代を扱っている岡田暁生の『オペラの運命』と読み比べてみるといい。新書版であるこちらは、量的にはずっと少ないけれど、オペラがどんなふうにして出来て、どんな時代の影響を受けてそういう形になったのかがよく分かる。オペラというものがよくわかった気になる。

残念だけど、こんな本を読むだけ時間の無駄のような気がする。

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