読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『ルイ15世 ブルボン王朝の衰亡』

2019年02月27日 | 人文科学系
グーチ『ルイ15世 ブルボン王朝の衰亡』(中央公論社、1994年)

イギリスの歴史学者によるルイ15世の統治時代についての歴史書である。最近ポンパドゥール夫人関係の本をいろいろ読んできたが、それの一つとして読んでみた。タイトルにはポンパドゥール夫人は書かれていないが、ルイ15世の統治時代のことについて書こうとすれば、ポンパドゥール夫人を抜かすわけにはいかない。

この本の優れているところは、これらの章で、登場人物たちのちょっとしたエピソードなどで埋めないで、行政機構の仕組みとか統治の仕組み、とくにフランスの場合には宗教(イエズス会とジャンセニスト)、教会(ガリカニスムとローマ法王)、国務顧問会議や大臣たち、地方行政、徴税の仕組みなどが分りやすく書かれているので、非常に役に立つ。

とくに第1章「ルイ14世の遺産」、第4章「フランスの顔」などは、非常に優れた解説である。やはりこういうことはフランス人が書くよりも、自分の国の制度とまったく違うことを意識できる外国人、とくにお隣のイギリスの歴史学者がいいのかもしれない。イギリスの制度と比較して論じている箇所もあり、イギリスの制度は最も進んでいたわけで、その点でもわかりやすい。

かつて、フランス語の参考書はイギリス人の書いたもので優れたものがあった。お隣の国だが、似ていてまったく違う英語圏の人がフランス語を理解しようとするときに一番解説が分りやすくなるのと同じだろう。

そして、エピソード的なことやゴシップ的なことが好きな人には、ダルジャンソン侯爵の日記とかリュイーヌ公爵の日記とか、登場人物たちの手紙などがふんだんに挿入されているので、これまた興味深いと思う。

翻訳について書くと、全体としては非常にわかり易い訳だが、ときどきわかりにくい訳が出てくる(って、東大教授の訳に、私も偉そうなこと言うてるな)。そして英語圏の翻訳者の落とし穴だと思うが、人名の訳の仕方がやはりヘン。ショアズール→ショワズール(この訳者はワを全部アと書いている)、デュ・ドファン→デュ・デファン、フルーリ→フルリー(これなんかフランス語訳でもこう書く人がいるから仕方ないが)、ブローリ→ブロリー、サックス→サクス、など。


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「裸の王様」の安倍首相

2019年02月20日 | 日々の雑感
「裸の王様」の安倍首相

安倍晋三のもとで戦後最長の好景気が続いているという。しかしその実態は、1.2%成長だという。昨日のBSフジのプライムニュースでも、経済の専門家が二人出演していて、小泉の時のイザナミ景気に比べても、経済の底力自体がほぼ0.数%だし、2015年を100としたときの経済指標が50以下に落ちたときを不景気として認定していないので、長く続いているように見えるが、戦後最長などと言わないほうがいいとコメントしていた。

昨日は内閣府のお偉いさんも出演していて、そいつに気を使っていたのか、統計不正のことにはまったく触れていなかった。実際の統計によれば、1.2%どころかマイナス成長率だという話も聞く。しかも日銀が円をじゃぶじゃぶ垂れ流しての結果がこれだ。

実際にはマイナス成長なのに、厚生労働省が安倍の三本の矢発言を忖度して、プラス成長になるように操作しただけのことだろう。それを真に受けて、「戦後最長の好景気」だなどと自慢している安倍は、素っ裸なのに素晴らしい服を着ていると家臣たちから褒められて嬉しがっている裸の王様と同じだ。

東京オリンピックもカジノも大阪万博も、どれもこれも、庶民の暮らしとは無関係の景気刺激策で、儲かるのは大企業だけ。そしてそれだけならまだましだが、そのために使った税金は私たち庶民の負担にのしかかってくる。大阪維新は、大阪万博だ、カジノだ、と言って、天下とったように我が物顔で振る舞っているが、いずれしっぺ返しを受けることになるだろう。

安倍政権のもとで国家統制も強まっている。天皇代替わりの5月に10連休を決めた政府。天皇が代わるからといって、どうして10連休にしなければならないのか。長時間労働はまったく規制しないで、過労死がいつまでたっても減らない、長時間労働、低賃金、不安定雇用、正規と非正規の労働条件や賃金格差はそのままにほったらかしておいて、10連休だけは国民に押し付けてくる。

10連休のあいだに病気になったらどうしてくれるのか。学期の途中でそんなに休んで、勉強の進度が遅れるじゃないか。商店も休めというのなら商売あがったりだ。

教育機関、医療機関、役所、商店、それぞれの機関がそれぞれの都合や考えで営業日と休業日を設定して成り立っているのに、10連休にしろと押し付けてくる。休みたい時に休んで、どうしていけないのか?

政府はこうして国家統制をしたいだけなのだ。国が決めたとおりに休め!住民が反対しようが、政府が決めたとおり辺野古を埋め立てろ!住民が住めなくなろうが、地震や津波が確実に襲ってこようが、政府が決めたとおり原発を使い続けろ!政府のやることに文句ばかり言ってくるジャーナリストは記者会見場から締め出せ!

これだけ情報が発達した現代で戦前回帰なんてありえないと思っているかもしれないが、こうして戦前回帰がもう始まっている。




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『鉄道絶景の旅』

2019年02月17日 | 日々の雑感
BS朝日『鉄道絶景の旅』(#206、2月14日放送)



偶然に私の生まれ育った町が話題になった番組を見た。この日放送された回は岡山の宇野港から山陰の境港まで、つまり瀬戸内海から日本海まで、山陽・山陰を縦断するというものだった。こちら

途中から見始めたので、岡山県の部分は見れなかったが、たまたまチャンネルを合わせた時に、「根雨」というナレーションが出て、私が見慣れている根雨駅が写されたので、びっくり。

根雨駅で降りて、日野川にあるオシドリの集合地そばの観測小屋が取り上げられた。私が住んでいた頃には根雨にオシドリが飛来しているなんて見たことも聞いたこともなかったから、へーと思うだけだ。町の様子は画面からは分からないが、今ではすっかり過疎で鄙びな町になっている。

観測小屋のボランティアの女性に「他におすすめの場所はありませんか」とスタッフが尋ねると、「金持神社」を紹介。「金持神社」と書いて、「かもちじゃんじゃ」と読む。絵馬も見せていたが、宝くじの高額当選祈願がほとんど。別のところには「…億円当たりました」なんて絵馬がたくさんあったが、本当だろうか?

こうやって見ていると、根雨の名所なんていっても、オシドリ小屋と金持神社か、なんて思っていけど、周辺の駅は素通りだったことを考えると、私のふるさとの根雨でスタッフが降りて、名所を紹介するなんて、すごいことなんだろうな。

上の地図(日野町のサイトから)で、根雨駅の向かいにある日野町役場は、私が子どもの頃には根雨小学校があった場所で、左上の日野病院の側に移転したので、そこに役場が移った。左下にある近藤家というのは、かつて「たたら」で栄えていた分限者の屋敷。私が子どもの頃は、小学校から家までの通学に毎日近藤家の屋敷の前を歩いていた。祇園橋というのは京都の祇園を真似て作ったという。橋むこうの根雨神社では毎年秋に祭りがあって、だんじり行列があったものだが、はるか昔に廃れた。

番組では、根雨を出ると、米子駅で境線に乗り換え、富士見駅で降りて、JR後藤工場で車両が修理されている様子を見てから、境港に到着。ここはもちろん鬼太郎ロード水木しげる博物館で全国的に有名。町全体で水木しげるにおんぶにだっこ状態。

根雨の街のことをたくさんの写真とともに紹介してくれているブログがあるので、そちらを見てもらうほうがいいでしょう。

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『かの名はポンパドール』

2019年02月16日 | 作家サ行
佐藤賢一『かの名はポンパドール』(世界文化社、2013年)

パリのさる占い女がジャンヌ=アントワネットが国王の愛妾になると占ったという逸話から始まって1764年に死去するまでを描いた小説である。小説だから読みやすい。読みやすい上に、もともと西洋史学を大学院で勉強し、ほとんどの小説をフランス物で書いてきた著者(小説『フランス革命』なんてのもあるくらいだから)にしてみれば、資料を渉猟するのも、お手の物だろう。きちんとした下調べのもとに描かれているから安心して読める。

例えば、ポンパドゥール夫人が国王のために作った「小部屋劇場」と言われる14人ほどしか収容できない小劇場で『タルチュフ』から様々の牧歌劇などを上演してルイ15世を楽しませたという話も演者や、いついつ何を上演したかなどもさり気なく書き込んであり、興味深い。

また面白かったのは、オーストリア継承戦争が終わったエクス・ラ・シャペルの和約のあと、その成果が僅かだったことで、国民が不満を募らせる事態になり、かつてポンパドゥール夫人を宮廷に引き込むのに後押しをしてくれたモールパがポンパドゥール夫人を中傷する文書ポワソナードの張本人であったことを知った彼女とモールパとのやり取りの場面もモールパという人物をよく理解した上で作られており、さもありなんと思わせてくれた。

しかし政治がらみの問題などでは、常識的な描写にとどまっているところもある。これが小説作法の限界かもしれない。最後にフランス語をよく知っている著者なのに、なぜ「ポンパドール」としているのか理解できない。「ポンパドゥール」と書くべきだろう。

ナンシー・ミットフォード『ポンパドゥール侯爵夫人』(東京書籍、2003年)

翻訳は2003年の出版だが、原書は1954年の出版である。2000年頃から、ポンパドゥール夫人に関する著作が増えてきていることを思うと、早すぎた著作と言えるかもしれないが、第二次大戦後にパリに移住したとのことで、フランスの資料を相当に調べた上での著作だと思われる。

そしてこの本の優れたところは、そうした資料的なことだけではなくて、随所に当時の政治的社会的宗教的な重要事項の、つまり時代背景についての解説があり、それが簡潔なのだが、実に的確であることだ。

とくに第15章の「教会と、高等法院と、役人と」以降は非常に優れている。驚いたことに、1750年前後にフランスを賑わした高等法院(ジャンセニスト派の牙城)とイエズス会(王室を支配していた)との紛争であった「ウニゲニトゥス回勅」問題や秘跡拒否問題、さらにはそれをてこにした高等法院のストライキ問題などが非常に分りやすく書かれている。専門書にも負けないほどの詳述ぶりである。

第16章の「同盟の逆転」では、当時のヨーロッパの同盟関係、力関係などの説明から、どのような思惑でフランスが宿敵オーストリアと同盟を結ぶにいたったのかが、逸話中心ではなく、政治論としても読めるほどの視点から描かれている。

本当にこの種の本でこれほどの内容が読めるとは思わなかった。


デュック・ド・カストル『ポンパドゥール夫人』(河出書房新社、1986年)

これはフランス人の歴史学者による評伝である。非常に細かい所まで記述されている。ポンパドゥール夫人と同時代人で、日記や回想録を書いた人々(バルビエ、リュイーヌ公爵、ダルジャンソン侯爵)の著者は当然用いられており、随所にその抜粋が織り込まれているので、資料集として手元に置いておくのもいい。

しかし非常に詳しい記述の本であるにもかかわらず、またなぜ国王がこういうことをしたのか、ポンパドゥール夫人がこういうことをしたのかについて、その背景を記述しているにもかかわらず、ある出来事についてはそれをしていなかったりと、編集方針が恣意的な印象を受けた。というかやたらと詳しすぎて全体が見えてこないということ。

例えば、1751年はカトリックで全贖宥と呼ばれる、100年に一度というような重要な年であった。ポンパドゥール夫人をヴェルサイユから追放させるために、また1749年に導入されていた全階級からの20分の1税を撤廃させようとして聖職者たちはこれを利用した。結果的には聖職者たちの勝利で、ポンパドゥール夫人追放はできなかったが、20分の1税は聖職者階級から徴収を中止させた。

ところが翌年の初めにルイ15世がお気に入りのアンリエット王女が亡くなった時にもポンパドゥール夫人追放のために利用したにもかかわらず、これについてはまったく触れられていない。

もう一つ、登場人物が非常に多くなるのは仕方がない。しかし、素人には爵位などをつねに明記してもらわないと誰のことなのか分からないことが多い。例えばダルジャンソンは兄弟でルイ15世の重臣を努めた。伯爵と侯爵がおり、爵位を付けてくれないとどちらのダルジャンソンなのか分からないのだ。

非常に参考になる本であるだけに、そういった細部までの注意を向けてもらいたかった。

訳者は、著者の訳し方を研究者に依頼してフランスの大学教授に尋ねてもらっているほど用心深いのに、当時有名な金融家のパリス兄弟を「パリ」と訳しているのはどういうことなのだろうか。


クロスランド『侯爵夫人ポンパドゥール』(原書房、2001年)

このだけは以前読んだことがあって、このブログでも感想を書いている。これも非常によく出来た本で、どうでもいいようなゴシップが書いてない分、必要最小限のことが書かれている。著名な芸術家たちからダンス、朗唱、歌などの教育を受けて優れた才能を見せたことや「小部屋劇場」のことなどもそうである。こちらを参考に。


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『ファーストマン』

2019年02月15日 | 映画
映画『ファーストマン』

『ファーストマン』を難波で観てきた。子どもの頃から、将来は天文学者かロケット開発者を夢見ていたこともあり、『アポロ13号』という映画が出来たと聞いた時には、すぐに見に行っただけでなく、3回くらい映画館で見たし、その後もテレビで放送があると、その度に見てきた。本当にあれは名作だと思う。

今回はアポロ13号の事故の七ヶ月前の初めての月面着陸の話である。見に行かないわけがない。しかし今回の作品は期待はずれだった。

第一に、アポロ11号の打ち上げから月面着陸までの過程が最後の10分程度しか描かれていない。つまり初めての月面着陸は付け足しで、それに至るニール・アームストロンの精神的肉体的苦闘がメインになっている。娘カレンの死(小児がんだったみたい)をずっと引きずっているように描かれている。またアポロ1号の乗組員の火災事故死では、向かいの家に住んでいる昔からの友人が犠牲になったことも大きな心痛を与えた。、

第二に、肉体的精神的苦闘の描き方が、それが真実なのかどうかは知らないが、アームストロングの視点からのものになっており、つまり暗い。とにかく陰気の一言。シンバルロックを回避するための訓練とか数Gに耐える訓練とか、ロケット発射して大気圏を出るまでのものすごい振動などをそのまま映像にしようとしているので、画面がグルグル回るし、振動がものすごいしで、見る方は耐えられない。

第三に、しかも演劇で言うところのカタストロフィーがない。最後の10分の月面着陸でそれまでの苦闘が償われるような描き方になっているかというと、ぜんぜんそんなことがない。

第四に、悪いけど、主演のライアン・ゴズリングの顔があまり好きになれない。

だから、『アポロ13号』とは違って、この映画は何度も見る気になれない。



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最近思うことなど

2019年02月13日 | 日々の雑感
最近思うことなど

1.最近テレビのニュースなどであおり運転の映像が流れることが多々ある。車というのが包丁と同じように、一歩間違えば人を殺す武器になることを考えるならば、あおり運転というのは、包丁を手にもって眼の前の人を威嚇しているのと同じことであり、それ自体が恐ろしい犯罪である。よって、あおり運転した者は、その結果としてされた側は身体的物理的な被害がなくても、精神的な被害を受けているのだから、即刻、免許永久剥奪にしなければならない。現在の司法や警察はまだまだあおり運転というものを軽く見すぎている。

2.NHKの朝ドラで、ついにインスタントラーメンの完成にこぎつけたらしい。いわゆるチキンラーメンというやつ。私が小学生の頃にできたので、私も買って作ってもらい食べようとしたが、あの匂いに吐きそうになり、食べられなかった。当時の私は肉が食べられない人だった(匂いとか食感のせいで)ので、そういうこともあって食べられないのだろうと思っていた(他の会社のインスタントラーメンはとくに問題なし)。ところが、それから30年もたって、私が40才くらいのころ、友人と山に行った時、その友人が山の上でこれを食べるとうまいと言って、作ってくれたのが、チキンラーメンであった。私も大人になって肉を普通に食べるようになっていたので、もう食べれるだろうと思って口をつけようとした途端、だめだった。なぜだろう?

3.池江璃花子が急性白血病になったという報道を見て、多くの人が同情を禁じ得ないと思う。本当につい最近までどんなに泳いでも疲れないんじゃないかと思うほど、元気だった子が白血病とは。報道によれば、白血病というのは若年層のがんのトップだというし、回復の可能性もかなり高いという。自分も白血病になって回復した経験がある渡辺謙の励ましのエールを聞けば、彼女も心強いだろう。

4.大阪の堺市長の竹山修身が後援会パーティーでの収入を収支報告書に記載していなかったことが発覚した。本人は意図的ではないと言っているが、単年度だけではなくて、複数年度で虚偽記載がなされているし、そもそもこの手の法律違反は意図的かどうかは問題ではない。政治家を何年もやっていながら、政治家のこの手の法律違反があちこちで指摘されているのを目にしていながら、自身のそれに注意を払っていなかったとしたら、それ自体が政治家失格である。大阪維新の会の対抗馬としての価値はあったが、こんなことをするようでは、もう対抗馬としての価値さえもなくなった。もう辞めろ!

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天牛堺書店の付箋

2019年02月07日 | 日々の雑感
天牛堺書店の付箋


数日前に駅前に行った時に、いつも利用している天牛堺書店に行こうとしたら、店が閉まっていて、何やら張り紙がしてあるので、それを読んで、びっくり。天牛堺書店が倒産したという。その日の夕刊にはこれを知らせる記事が載っていた。

あの天牛書店が?と思ったけど、記事によれば、天牛書店と天牛堺書店は会社的には別物らしい。たぶん息子に暖簾分けしたものが堺市を中心に店舗を展開していたのだろう。天下茶屋駅、堺東駅、三国ヶ丘駅、なかもず駅、北野田駅など、南海高野線の主な駅にはたいてい店舗があった。

しかももともと古本屋がメインなので、3日くらいおきに古本が均一値段で回転しており、時には200円、400円、800円、1300円というように、値段ごとに入れ替えが行われていた。毎朝店頭にたくさんの本を並べて、閉店時間にはダンボール箱にしまい込む作業は男性の店員が行っており、たいへんそうだなと思いながら、見ていたが、つねに本が入れ替わるので、それを見るのが楽しみで、ちょこちょこ自分にとっての掘り出し物を買っていた。

そこへもってきてこの倒産である。たしかに本が売れなくなっていることは私にでも分かる。そもそも私自身が昔はよく本屋に行って、本を買っていたが、今ではアマゾンがほとんど。かつては旭屋書店とか紀伊国屋書店のような大きな本屋に行くのが、なんか宝探しでも行くような感じで、すごく楽しみだったが、今は滅多に行かない。

数日後、また店舗の前を通りがかったら、何やら付箋がたくさん貼ってある。それを見て驚いた。この店舗でお世話になったとか、よく利用していたのに残念だとか、また復活を望むというような内容が書いてある。

ほんと、私も復活を望む一人なので、なんとかやり直してほしいと思う。

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前川喜平講演会

2019年02月04日 | 日々の雑感
前川喜平講演会

堺市であった前川喜平の講演会に行ってきた。タイトルは主催者が勝手に決めたものだという断りがあったが、「さらば面従腹背―憲法と教育 文部行政のあり方―」というものだった。

加計学園問題で安倍首相が嘘を付いていることは明白だというような安倍首相批判、公務員や議員には憲法遵守と尊重の義務があるというような話などの後に、文部行政の話になった。

その中で教育行政への政治の介入は最も避けなければならないという話になり、東京の七生養護学校事件の判決が東京高裁で出て、それは教育に乱暴に介入した議員たち、それを守るべきであった教育委員会への厳しい断罪であったという話があった。

さらに、国政レベルでは、中曽根が首相時代に臨教審を作って、右翼的な方向―教育勅語復活的な方向へ教育を持っていこうとしたが、この臨教審がどういうわけか、教育の自律のほうへ方針を舵取りしてしまったことから、子どもの個の主体を大事にするという教育方針から、ゆとり教育という試みも行われたという説明が行われた。

要するに、私たち文部官僚は、臨教審の方向に基づいて、教育の自律を守るためにやってきたという話である。しかし第一次安倍政権時代に教育基本法が改悪され、道徳教育が必須科目になり、道徳教科書をはじめとして、危険な状況になっているという話だった。

それは公演後の質問コーナーで芋縄さんという、堺市の小学校に子どもを通学させている母親が話していた道徳の授業の実態からも察せられた。

私の感想は、これが自民党政権の裏側をずっと追ってきたジャーナリストかなんかの講演なら、もっとすとんと心に響いただろうけど、これまで面従腹背をしてきたが、官僚を辞めたので、好きなこと言えるようになったという人物の話だけに、眉唾に聞こえたということだ。

首相の時に何もやらないで、というか推進してきておきながら、今頃になって「その気になれば原発全廃はできる」などとたわごとを言っている小泉元首相のように思えてならない。面従腹背しないで、言うことをきちんと言って、戦ってきた人は山ほどいる。そういう人たちはこれほどもてはやされることはないのに、これまで定年退職するまで面従腹背をしてきた人物をどうしてこんなにもてはやすのか?ネットを見たら、毎日のようにあちこちで講演をやっているみたい。超売れっ子だ。私には理解できない。

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