読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『外国語としての日本語』

2018年06月27日 | 評論
佐々木瑞枝『外国語としての日本語』(講談社現代新書、1994年)

仕事を辞めたら何をするか、最近いろいろ書き出している。もちろん固い決意でやろうと考えているものばかりではなくて、やれたらいいな、やってみたいな程度のものも書き留めている。

その中の一つに日本語教育の資格を取るというものがある。最近は日本に来る外国人が非常に多いので、仕事にするとかでなくて、ボランティアで教えるということでも、機会があるのではないかと思う。

じつは私が住んでいる街の最寄り駅の文化センターみたいなところに、日本語教室というのもあって、ボランティアで教える人を募集していたこともあったのだが、やってみる勇気もないうちに、教室自体がなくなってしまった。あまり生徒がいなかったのだろう。だが、この辺のスーパーでも外人さんがパートをしている姿を見るし、けっこう外人さんもいるようだ。

およその外観を、と思って、この本を開いてみたのだが、けっこう大変。この人も何度も書いているが、日本語文法というのは、私たちネイティブはまったく意識しないから、これは…なのに、こちらは○○なのはどうして?と聞かれても答えられないことが多い。そもそも形容詞の使い方だって、これこれの規則がある、というように、人に教えられるような知識を持っていない。

やっぱり難物は動詞だ。これはどの言語でも同じことだと思う。フランス語だって、過去分詞はer動詞は簡単だが、不規則動詞は一つづつ覚えるほかない。

この本は、実際に外国人学生に教えてきた経験をもとに書かれており、いろんなケースがエピソード的に挙げられているので、よけいに大変だなと思ったのかもしれない。

日本語教師の資格は、教員養成の大学を終了するか、文部科学省かなんかの試験を受けて合格する、かのどちらかである。試験を受けるのに、多くの人が民間の養成機関(専門学校みたいなところ)に通っているのだろう。合格するまでに100万円近くいるのだろうか。そんなお金はないから、独学でやるか…

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『収容所のプルースト』

2018年06月22日 | 評論
チャプスキ『収容所のプルースト』(共和国、2018年)

書評欄で絶賛されていた本を読んでみた。収容所とスノッブで有名なプルーストという取り合わせがちょっと衝撃的。

この収容所というのは、ナチのユダヤ人強制収容所ではない。1939年にナチスはソ連と不可侵条約を結んだ。そしてどちらも早いもの勝ちというようにポーランドに侵攻し占領した。その時にソ連側の強制収容所に送られた人の話である。

この収容所に入れられたポーランドの将校たちが自分たちの精神状態をなんとか維持するために、冬には零下40度にもなるという地で、それぞれ専門の話などをしたという。この人は、もともと画家を目指していた人で、若い頃にパリに6年間滞在しており、その時にプルーストの『失われた時を求めて』を熟読したことから、プルーストの話をすることになった。

原著も翻訳も一切ないなかで、自分の記憶だけを頼りに話していく。その時に用いたメモが本の中ほどに挿入されている。

プルーストの『失われた時を求めて』。私も一度挑戦してみたことがあるが、すぐに止めてしまった。ワンフレーズの長いこと、長いこと。数ページにわたっていることもある。

そしてかなり昔だがプルーストを主人公にした映画を見たことがある。その印象が上にも書いたようなスノッブのプルーストというイメージを強めるだけのものだった。

ところが、この本ではまったく違うプルーストが紹介されている。スノッブどころか、そういうスノッブな貴族たちの姿を客観的に描き出しているプルースト。自然主義と印象主義の共存しているプルースト。体が病弱で、最後は執筆しながら死んだプルースト。

プルーストに詳しい人たちには当り前の姿なのかもしれないが、世俗的なイメージしか持っていなかった私には新鮮な驚きがあった。

『失われた時を求めて』、せめて「スワン家の方へ」だけでも読んでみたいという気になっている。

この本は訳者が2003年にパリのポーランド書店で見つけたものらしい。やっと出版してくれる出版社が見つかったようで、今年の出版になったという。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪地震の一顛末

2018年06月18日 | 日々の雑感
大阪地震の一顛末

私も今日の大阪地震の経験者ということになったので、私の経験を記録しておこう。

月曜日は9時から大阪北部にあるK大学で授業があった。一番コマ数も多い、大変な曜日である。

じつは昨日(日曜日)の朝起きる時にまた「めまい」が起きて、以前(6年前)と同じ突発性のめまいと思われたので、以前参考にした新聞の切り抜きを出してきて、もう一度熟読した。めまいを恐れて安静にしていないで体を動かすこと、そしてリハビリをせよと書いてある。

頭や体を右に回したり左に向けたりするリハビリなのだが、めまいをぐっと我慢しながら、これをやって、なんとか収まった。吐き気がずっと続いていたが、それもなんとか昼ぐらいには収まり、ちょっとフラフラしながらも月曜日を迎えたのだった。

先週の月曜日に起きた腰痛(椅子から立ち上がる時に非常に痛む)もなんとか軽い違和感程度にまで回復してきた。

本当になんやかんやあった一週間であった。そういう不安を抱えながらの月曜日で、なんとかいつもの電車に乗って、天下茶屋駅まで来て、地下鉄に乗り換え、いつもどおりの位置に座って、動物園前駅に着いた途端、今まで聞いたことがない警報の音がする。ちょうど8時であった。

電車が止まってすぐに車掌が、今しがた起きた大きな地震の警報がなったので、しばらく止めて様子を見ると言いだし、何回かのアナウンスで止まる直前に震度6の地震が大阪北部で起きたこと、地下鉄は堺筋線、御堂筋線が完全に止まっていることがわかった。

復旧には時間がかかると言ったアナウンスの後、今度は、全員電車から降りて外に出るようにという指示があった。私の車両には、まったく動く気のない人がたくさんいたが、乗務員がやってきて、無理やり、駅から出るように指示したので、出ていかざるをえなくなった。

地上に出ても、場所がよく分からない。グーグルマップでやっと新今宮の近くだと分かり、しばらくして大学のHPを見たりしても、なんの変化もない。9時になって電話をしたが混み合ってつながらない。教員専用のサイトを開くと、1・2時限は休講とのこと。

だが帰ろうにも、南海もJRも止まっているので、どうしようもない。風よけになる場所を探し、マルハンというパチンコ屋の上にびっくりドンキーという量販店があり、そこでトイレ休憩をして、風をしのいだ。

外は、勤務地に行くと思われるサラリーマンやウーマンたち、学校が休講になったので帰ろうとする高校生たち、どこに行ったらいいのか分からない外国人旅行者たちが行ったり来たりしている。

10時半になって終日休講のアナウンスが出たので、帰ることにする。すぐ近くを走っている阪堺電車という路面電車だけはずっと走っているので、これに乗ることにした。

恵美須町駅というところから我孫子道まで行って、浜寺公園行きに乗り換える。そして大小路で降りて、そこから南海シャトルバスで堺東駅まで行ったら、すでに南海線は動いていた。ちょうど区間急行が来たので、それに乗って最寄り駅まで帰った。帰宅したら、12時すぎ。テレビではどのチャンネルも大阪地震のことをやっていた。



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『エマニュエル・マクロン』

2018年06月13日 | 評論
アンヌ・フルダ『エマニュエル・マクロン』(プレジデント社、2018年)

39才という若さ(それまではジスカール・デスタンの47才だったとか)でフランス共和国の大統領に上り詰めた人のモノグラフィーである。著者は国立政治学院を出たジャーナリスト。

高校生の時に24才も年上の同じ学校の教師と恋愛関係になり、最終的に結婚したということばかりメディアでは喧伝されて、いったいどんな少年時代を過ごし、大統領としてどんなことをしようとしているのかイマイチ分からないので、読んでみた。

並外れた集中力と好奇心をもち、周りの人を虜にする統率力をもつ子ども。医者をしていた両親の影響力よりも、校長をしたこともある祖母の影響力を大きく受けたという。

学歴についてはだいたい予想していた通りだった。小学校だけは公立に通ったが、中学からは地元のカトリック系私立校ラ・プロヴィダンス高校に入り、リセ最後の1年間をパリの超名門公立校アンリ4世高校で学び、バカロレアに合格後、そのまま同校グランゼコール準備級(CPGE)に進学。高等師範学校を志望するも試験に2度失敗し、パリ第10大学に入学し、さらに国立政治学院、国立行政学院(ENA)というエリートコースを終了した。

2008年、ロチルド家(ロスチャイルド家)の中核銀行であるロチルド & Cieに就職し、2010年には副社長格にまで昇進した。

2012年から大統領府副事務総長としてフランス大統領フランソワ・オランドの側近を務めるようになり、2014年には第2次マニュエル・ヴァルス内閣の経済・産業・デジタル大臣に就任した。

2014年にオランド政権が目指す主要な経済改革政策を盛り込んだ「経済の成長と活性のための法律案」(通称「マクロン法」)を議会に提出するが、反対意見が多く、成立の見通しがたたないなか、首相のヴァルスが、年に一度しか行使できないフランス共和国憲法49条3項に訴え、国民議会の表決を経ることなく法案を採択させた。

この「マクロン法」は商店の日曜日営業の日数を増やすとか長距離バス路線の自由化などの規制緩和を主要内容としたものだという。

2017年の大統領選挙では、これまでのような左翼社会党、右翼国民運動というような枠組みをぶち壊した「前進」という独立系の候補者として運動し、保革両方から大きな支持を集めた。

しかし最近のニュースを見ると、こうした規制緩和に対する国民の猛烈な反発にあっているようだ。だいたいみんなそうなんですよね~。サルコジもオランドも、そうだった。この若き政治家がどんな活路を見出すのか、注目だ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『世界青春放浪記』

2018年06月09日 | 作家ハ行
ピーター・フランクル『世界青春放浪記』(集英社、2002年)

国際的な数学者にして、大道芸人という変わった人、テレビでときおり見かけるが、いったい何をして生計を立てているのか、さっぱりわからない人、ピーター・フランクルの青春記。

なんでこんな人の本を読んでみようという気になったのか?ヒラノ教授の本を読んでいる時に、ちらっと触れられていたからだったと思う。

読んでみてびっくり。両親はアウシュビッツ生還者。数学が抜群にできて、ハンガリーの科学アカデミーの会員にも選ばれているという。しかも数学を大学で講義する程度の力なら11ヵ国語を使えるという。たぶんこの本も自分で書いた…のかな。

東ヨーロッパの国々というのは、私には本当に想像がつかない世界なのだが(悪い意味ではない)、そういう世界で生き延びてきた人々は、日本は天国かもしれない。その風貌が、そんな厳しい世界を生き抜いてきたようには見えない。

アマゾンを見れば、結構な数の本を出版している。その印税だけでも食べていけるのかもしれない。

私にとって興味深かったのは、1975年からパリの学園都市にいたという部分。私もその数年後に一夏を過ごしたことがあり、興味深かった。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パリの女は産んでいる』

2018年06月06日 | 評論
中島さおり『パリの女は産んでいる』(ポプラ社、2005年)

最近はこうしたフランスをリスペクトした本をよく見かける。曰く『フランスの子供は夜泣きをしない』、曰く『フランスの子供はなんでもよく食べる』、曰く『フランス人は子供にふりまわされない』、『フランス女性は十着しか服をもたない』などなど。

中島さおりさんの本は『哲学する子どもたち』というのを読んで感想を書いている。こちら

これは小学校から大学受験にあたるバカロレアまでの話だったが、今回は恋愛と出産・子育てというところに焦点が当てられている。著者自身がフランス人と結婚し、フランスで出産・子育てをしてきた経験や彼女の友人たちの話をもとにして書いたものなので、日仏のシステムや文化の違いが分かって面白い。

第一の違いは、フランス人女性が結婚・出産・子育てという一番大変な時期でも「女を捨てない」ということだろう。最近の日本の女性たちも子育てをしながら女性としての輝きを失わないようにしようと一所懸命だ。でもそのために決定的に欠けているのが、夫の協力だろう。

フランスでは日本に比べてはるかに労働時間の短縮のための施策が充実しており、夫が家事を分担する時間が長い。私の息子など、傍目にも心配になるほどの長時間労働で、子どもが二人いるが、妻の母親の協力がなければ、やっていけない。週末に夫婦ででかけたいからおばあちゃんに孫を預けるという程度の話ではなくて、おばあちゃんが夫代わりになってくれているのだ。そういう若い夫婦は日本では多いだろう。

第二の違いは女性が女性に関わることを自分で決めることができるようになっている、すなわち女性が自立しているということにある。はっきり言えば、出産の自由を女性が持っているということだ。それはピルの使用によって、自分の意志でいつ出産をするかを決められることにかかっている。結婚していても、未婚でも、出産や子育てが、制度的にも精神的にも差別を受けることはないという。

手厚いサポートが出産・子育てを応援してくれるし、子どもが学校に行くようになっても、大学を出るまで教育費は無料だ。もちろん子どもの数に応じて累進する子ども手当もある。

その結果、出生率がヨーロッパでもダントツに高い。法律で中絶が認められている国では一番高いと思う。

フランスは第一次世界大戦で戦場になったこともあって、多数の死傷者を出した。そのため第二次世界大戦ではあっという間にドイツに負けてしまったが、あれは戦傷者をださないための政府の取った方針だったのではないかと思うくらいだ。それでも多数の死傷者が出たので、今日のEUにあたるドイツやヨーロッパ諸国との協力関係を築くとともに、国内では、協議離婚を認め、妊娠中絶を認め、事実婚を法的に認め、出産・子育てをしやすい国を目指してきた。

だから、現在の日本が直面しているような、人口が急激に減少して、労働人口が減少して、国家が立ち行かぬようになるという不安はない。目先のことしか見ていない人たちがリーダーをしている日本は、フランスを見習うべきだろう。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた金剛山ハイキング

2018年06月03日 | 日々の雑感
またまた金剛山ハイキング

夏のような天気になったので、またまた金剛山に登った。今回は、久しぶりに上さんも一緒だった。

やっぱり家で昼ごはんを食べて、1時過ぎに河内長野駅に到着。バスが1時30分なので、しばらく日陰で待つ。今日は、日向は暑いが、空気が乾燥しているので、日陰は爽やか。

バスには私たち以外には若い人が一人いるだけ。前回同様、貸し切り状態で登山口に到着。

トイレを済まして登り始める。上さんは膝が心配なので、ゆっくり目に歩く。元気な人達に次々と追い越されるが、そんなことは気にしない。今日は一合ずつ小休憩を取る。

そんなことで割と体が楽に社務所前に着く。1時間15分かかった。前回が1時間だったから、体が楽なわけだ。

今日は見晴らしもよくて、家の近くの池やPLの塔などがよく見えた。

簡単なおやつ休憩をして、3時30分ころに降り始める。あれこれ雑談をしていたので、下りの一番の難所である急坂もなんだか膝に負担を感じないで降りれた。4時25分くらいにバス停前に到着。

4時42分のバスの発車まで10数分あったので、座って帰れた。晩ごはんには上さんのご所望で缶ビールで乾杯した。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『工学部ヒラノ教授の青春』

2018年06月01日 | 作家カ行
今野浩『工学部ヒラノ教授の青春』(青土社、2014年)

「ヒラノ教授」シリーズの大学院修行時代を回想したもの。

東大大学院を出て、電力中央研究所に就職したが、ここでの研究に馴染めないでいた頃に、アメリカのカリフォルニアにあるスタンフォード大学に留学することになる。当初は2年の予定だったが、3年に延長してもらった結果、博士号を取得して凱旋し、さらに数年後にウィスコンシン大学に招聘されて1年を過ごした経緯が書かれている。

アメリカの大学院生の勉強がすざまじいという話は知っていたが、一日15時間も勉強しなければならなかった。とくにヒラノ青年の場合は、博士論文を書いて博士号を取得するということが(自分自身による、自分自身への、自分自身のための)絶対命令になっていたからであった。

これはつまりアメリカで大学の教員になる場合に通らなければならない道を示している。すざまじい競争社会だというのがよく理解できる。これに比べたら、日本は本当に天国みたいなところだろう。ただ日本でも若い時にそれなりに頑張らないと就職はできない。

私みたいに、ただただコンスタントにやっただけでは、かなり年がいってから、それなりに成果は出せるだろうが、大学に就職はおぼつかない。よほど運がよければ別だが。やはり20歳代から30歳代に頑張って、学会で評価されるような研究でもしなければならない。

ただアメリカの大学の世界とは雲泥の差があることがこの本でよく分かる。それにしてもヒラノ青年は、妄想やら、幻視やら、様々な精神的発狂寸前の状態になっていたのに、よく完全にいかれるところまで行かずに済んだなと思う。毎晩アルコール漬けになって、逃れたのだろうか。体力的にも耐えられたからだろう。

それにしても奥さんや子どもたちがよく着いてきてくれたなと感心する。なんと言っても奥さんの苦労―もちろんこれは人によってさまざまなのでなんとも言えないが―はいかばかりかと思う。

最近「ヒラノ教授」シリーズをよく読んでいる。このまま全巻読破となるのだろうか。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする