読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「それでもボクはやっていない」

2007年01月30日 | 映画
『それでもボクはやっていない』(周防正行監督、2007年)

タイミングよくテレビの「うちくる?」で周防監督をゲストにしたり、『しこふんじゃった』をJ-comでやっている。このあたりのやり方は本当にうまくなりましたね。

「うちくる?」では周防監督の線の細い感じというかオタク的な雰囲気からとてもスポーツ系とは思えなかったのだが、じつは中学から野球をやっていて、いまでも現役で、四番でピッチャーと紹介していた。見かけによらないというのはこういう人のことをいうのだろうね。また彼の初監督作品が「変態家族、僕の兄嫁さん」とかいうタイトルだというのも面白い。でも内容は小津監督へのオマージュが込められているとか。じつにおもしろかった。

さて、「Shall We ダンス?」から11年目にしてやっと出来上がった今回の作品は、リアリティーにこだわったという監督の発言もあったが、たしかによく見る俳優さん以外はわりとほんまの人を使っているのかと思わせるようなところがあった。しかも現行犯逮捕されてから留置場にいれられ、孤立無援の中で、意に反して犯人に仕立て上げられていくさまは、本当に恐ろしい。警察権力というものの怖さを、こういうものを見て、知っておいたほうがいい。徒に供述しないで黙秘を通したほうがいいというのは、あの供述書の作り方からも分かるだろう。

痴漢の場合現行犯逮捕だから、あんなふうにすぐに犯人としての扱いをされることになるのだろうが、重罪人と同じように移送するときにもものものしく手錠とロープで拘束されたままというのも、まったく人権無視もはなはだしい。

結局、この映画では主人公は3ヶ月の有罪判決を言い渡されることになるのだが、この映画を見ると、人を裁くことがいかに恐ろしいことかよく分かる。日本は死刑が廃止になっていないが、死刑に反対する人たちの考えも理解できないわけではないなと思うようになる。万が一にも有罪判決に間違いがないとは言い切れないのだ。そういう判決によって命を奪い取われてしまうということが、本当にあってもいいことなのかどうか考えてみる必要がある。無期懲役が本当に無期懲役になっていないから問題なのではないか。死刑判決で本当に死刑になってしまうか、無期懲役で十数年で刑務所を出て来れるか、中間がないのが問題なのだ。極端すぎるのだ。

それにしても周防映画の常連さんである清水美沙がおばさん役で出ていたが、「しこふんじゃった」の清水美沙は本当にきれいだったな。水も滴るは男についていう言葉だけど、なんかきらきら輝いているようなみずみずしいような、きれいさだった。「Shall We ダンス?」でもちょい役だったけど、色っぽい感じだったのに、この作品ではおばさんになりましたね。まぁあれから十数年たっているのだからしかたないか。

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「プラットフォーム」

2007年01月29日 | 現代フランス小説
Michel Houellebecq, Plateforme, Flammarion, 2001, J'ai lu, 6404, 2002.
ミシェル・ウエルベック『プラットフォーム』(2002年)

ウエルベックのことを知りたいと思ってヤフーとかで検索して出てきたサイトやらブログを読んでいてへんなブログに出会った。なぜか知らないがあの「さかなクン」の写真が載っている。でも彼のブログというわけでもなさそう。この人パリに在住のようで、しかも東大の野崎の教え子かなんかのようで、彼からウエルベック特集をしているある雑誌を送ってくれと頼まれたらしい。そこでキオスクの若者と話したことがかかれているのだけど、その若者によると、ウエルベックはナショナリスト、西洋中心主義者で、臆面もなくそういう世界観を『プラットフォーム』という作品は表現しているとか。

たしかにウエルベックはこの作品で売春ツアーを登場させることで、彼が『戦線を拡大せよ』以来ずっと問題にしてきた性と人生の意味の関係をずっと複雑にしてしまったと思う。たんに一人のフランス人の来歴と思想という、まったく限定的なもので済んでいたものが、売春ツアーとそれを目の仇にするイスラム原理主義によるテロ(?)という、否が応でも今日の世界情勢のなかに何らかの位置取りをせざるを得ない問題へと作品を展開させてしまったからだ。それは、まさにプラットフォームを踏み外したというべきか、新しいプラットフォームに降り立ったというべきか、いずれにしても、これまではたんに個人の考えの吐露で済んでいたものが、世界を相手にせざるを得なくなったと言っていいだろう。

もちろんウエルベックにすれば、みんなが言いたくても言えなかった本心を言ってみただけのことだと言い放つかもしれないが、こういう言い方は極右で知られる国民戦線のルペン党首がよく口にする言い方なのだから、同じ立場にあると多くの人から見られる可能性がある。ウエルベックもそれくらいのことは想定内のこととして書いたのだろうし、あるいはそれを逆手に取るくらいの意図があったのかもしれない。

父親が何者かに殺され遺産が入ってくることになったミシェルは年末・年始に休暇を取ってタイ旅行をする。もちろん全てのツアー客がそうではないが、彼は売春が目的でやってきたのだ。バンコクでも、またそこからバスで出かけるエクスカーション先でもマッサージパブなどがある。ツアー客同志のあいだで売春を巡ってけんかになることもある。

帰国便に乗るまえの空港でミシェルは一人でこのツアーに参加していたヴァレリーと親しくなる。パリに帰ってから二人は再会しあっという間に性的な関係になる。ヴァレリーは旅行会社でツアーを企画する仕事をしている28歳で、上司でもあるジャン=イヴをミシェルに紹介し親しくなる。ミシェルは彼らがヌーヴェル・フロンティエからオロールという会社に移って新しいツアーの企画を考える手伝いをすることになる。ミシェルが提案したのが売春ツアーなのだ。ドイツの旅行代理店との提携に成功し、最初のツアーは予約が殺到する大盛況となる。そのために無料で招待されたツアーでタイのクラビーのビーチでテロリストたちの襲撃にあい、ヴァレリーをはじめとする多くの死傷者がでる。ジャン=イヴは無傷だったが、解雇され、ミシェルは外界との関係が上手く取れくなってしまう。

全体の半分くらいを占めているかと思うくらい、何度も出てくるセックス描写、でもこれ自体はそれまで孤独な人間だったミシェルにとって至福の喜びを描写しているわけで、まぁそこまでとは思うけども、主人公の幸せを描いているわけで、いいんじゃないと思う。

しかし他にもいろいろ社会のゆがみを描いているものもあるのだ。ジャン=イヴは妻のアンジェリーナとうまくいっていないこともあって、新しく子どものベビーシッターになったユーシャリスティーという15歳くらいの少女と性的関係を結んでしまうし、彼の部下になったある有能な女性社員は会社から自宅のあるパリに帰るために乗ったRERの電車の中でアンティル諸島出身らしい若者達にレイプされてしまう。アンジェリーナはSMの館でサディストの女を演じている。ミシェルとヴァレリーとツアー先の女性やカップルとの3P、などなど。

社会の現実を描き出すには、たしかに理論的なアプローチの仕方もあるが、それでは見えてこないリアルなところを描き出すのに文学というものの存在価値もある。たとえば、底辺のフランス人の置かれた現実というものは、あれこれの理論的な論評を読むことで、移民問題や失業問題などの歴史的社会的流れというものが理解できたとしても、リアルで現実的なもの、生身の人間のものとしては見えてこない。しかし、すでにブログに書いたが、ダニエル・サルナーヴの『レイプ』なんて小説を読むことによって、そうした理論的著作では欠落してしまう部分が見えてくるのだ。もちろん現実のある断面だけを切り取ってきたようにして提示することしかできない文学は、問題の全体を射程においてものごとを提示するという点では理論的著作に及ばないにしても、作り物であるということを逆手にとって、決して理論的著作では提示できないものを提示できるという強みがある。この意味でも文学というものははやり問題提起をするものであってほしいと思う。ウエルベックのこの作品もじつに刺激的だといえる。

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図書館

2007年01月28日 | 日々の雑感
図書館

図書館をよく利用する。駅前再開発で、市立図書館が新しくできた。平日は夕方6時半までやっているし、けっこう本もたくさんある。インターネットで予約もできる。この図書館になくても、市立のほかの図書館にあれば、取り寄せもしてくれる。本当に便利になった。

本はたくさん借りるが、図書館で本を読むということはあまりしない。でもときどき行って本を読むこともある。それで気づいたのだが、本当にうるさいのだ、図書館というところは。たまたま私が行ったのが、土日だったからだろうか?

おじさんが居眠りしているのはいいとして、中学生や高校生が勉強のためにきたふりをして、自習用のテーブルを占拠して、喋っている。あきらかに待ち合わせに使っているおばさんの携帯が鳴り出し、大声で喋りだす。近くに職員がいるのに何も言わない。小さな女の子が、歩くたびに「きゅきゅ」と音の鳴る靴を履いて歩き回っている。そんな靴を履かせて図書館に連れてくるな!おまけに職員までカウンターで大きな声で電話の対応をしている。

図書館に静寂を求めることは不可能なのだろうか?

近藤喜文監督『耳をすませば』で本好きの雫という女の子が主人公としてでてくるが、私なんかは自慢じゃないが、小中高とほとんど図書館というものを使ったことがない。一番図書館を使ったのは小学校かもしれない。友人の影響で星のことが好きになり、そういう関係の本を探して借りていたように記憶している。私の一番のお気に入りは、ニュートンの伝記だった。偉い人シリーズかなんかだったのだろう。ニュートンがケンブリッジに入って俗世を避けて研究していたこととか、ペストの流行を避けて田舎に帰ってリンゴの落下を見たことがきっかけになった万有引力の法則を着想したことだとか、板ガラスを市で買って来て、凹面鏡を作り、反射望遠鏡を作ったことだとか、何度も読み返したことを覚えている。

それと社会科の時間にそれぞれが一つずつ外国の国を担当して、今でいうプレゼンをやる授業があった。私はポーランドが担当になったが、まったく何も知らない国だったので、図書館で本を借りて調べた。それでポーランドがちょっと好きになったということがある。

中高のあいだはほとんど図書館には行った覚えがない。そもそもどこに図書館(室)があったのかさえも思い出せないほどなのだ。高校は県下でも有数の進学校で旧制中学からの高校だからけっこう充実した図書館だったのではないかと今になって思うのだが、本当に残念だ。

大学で図書館を使わないではさすがに卒業できないだろう。なんせ卒業論文というものがあるのだから、それを一冊も図書館の本を読まないで書くことはちょっと無理のような気がするからだ。

私が勉強した大学はそうとう伝統のある大学だったので図書館の本も充実していた。レトロな感じの建物も気に入っていたし、開架図書のフロアもよかった。だが大学院に入って書庫に入れるようになると、階段を上がったり下りたりには閉口した。その後立て替えられてワンフロア(実際にはツーフロア)に収まるような立派な図書館になったので書庫で本を探すのも楽になった。その頃にはすでに電子化されて、パソコンで検索ができるようになったので、じつに便利になった。

もちろん大学の図書館はじつに静かだ。ちょっとでも喋っていると職員に注意される。それぐらいでいいのだ。たしかに市民向けの図書館と大学の図書館は性格が違うから、一概にどうこうとは言えないが、「きゅきゅ」と音の鳴る靴を履いた子どもを連れてきていたら、親に注意ぐらいしてもいいだろう。携帯電話が鳴って喋りだしたら注意ぐらいしてもいいだろう。そのうち、市立図書館は駅前広場のようになるに違いない。

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余部鉄橋

2007年01月27日 | 日々の雑感
余部鉄橋

最近、週刊誌とか新聞などで、余部鉄橋の記事をよく目にする。日本で一番高い鉄橋がこの冬が終わると撤去されて立て替えられるということの記事だ。

たんに日本一高い鉄橋というだけではなく、日本海の荒波を作り出す強風が原因で、列車が鉄橋から落ちてたくさんの犠牲者を出したこともあるからだし、それが冬の日本海の荒波が鉄橋を洗い流してしまわないばかりに荒れ狂う姿とともに、なにかしら自然の脅威のなかに一人身を呈してがんばっているというようなイメージがあることも、こうした関心の理由になっているのかもしれない。

私も米子から大阪や京都に行くときに何度かこの鉄橋を通っている。とくに受験の時にはまだ何も知らないので、京都や大阪に行くのに、山陰本線を走る特急「あさかぜ」に乗るのが乗り換えもいらないし、一番いいと思い込んでいて、(じつはできたばかりの「やくも」で岡山まで行き、そこで山陽新幹線――当時は岡山が終着駅だったのだ――に乗り換えて、新大阪とか京都に行く方が早いということを知らなかった)何度か利用した。もちろん2月で一番寒い季節だから、この鉄橋だけでなくずっと雪のなかを走るのだ。福知山から山陰本線を離れて、大阪まで出る特急にも乗ったような気がする。

初めて親元を離れて暮らすために受験に行くのだという思いの中には、親から離れることへのきまづい思いもいくばくかはあって、暗い感じでいたのだと思う。

しかし、一番の思い出は大学生のときに「京都夜行」に乗ったときのものだ。当時はまだ、夜の9時くらいに京都を発車して米子に翌朝の7時半くらいに着く各駅停車があった。ちょうど同じように米子を夜に出発して翌朝京都に着くものもある。通称「京都夜行」と呼ばれるこの鈍行はもちろん乗車券だけでいいから、金のない学生がよくのっていたと思う。

京都を発車する頃は通勤帰りのサラリーマンなどがたくさん乗っているが、亀岡あたりをすぎるとほとんどがらがら状態になり、昔の箱型座席なので、一人で一つを占領して(それでも大人には短い)横になり、本を読んだり、酒を飲んだりしている。いつしか眠っていしまうが、突然の「ガターン」という音ともに列車が留まる。目が覚め、なんだろうと思って、外を見ると、「香住」なんて駅。しんしんと雪が降り、ホームは真っ白。笠の着いた裸電球のところだけが、ぼーっと白く照らされている。その幻想的な映像は、忘れることができない。

そしてそこを発車すると、余部鉄橋だ。すぐ下に日本海の荒波が押し寄せるのを見ながら、おそるおそるという感じで渡っていく。

そしていつしかまた眠ってしまう。今度目が覚めるともう倉吉あたりを走っている。倉吉かどっかから乗って来た人がおいしそうに駅弁のカニ飯を食べているのを横目で見ながら、荷物を整える。赤崎を過ぎたあたりから、ちょうど米子へ通勤・通学ででる人たちが乗ってきて、だんだん混雑するからだ。そして7時半頃に米子に到着する。

この「京都夜行」に初めて乗ったのは高校生のときだ。知り合いと三人で夏休みに京都旅行をするのに乗った。マクドナルドでハンバーガーを食べマックシェイクを飲んだ。そんなこともあったなと、いまさらながら驚いている。

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「現代フランスを読む」

2007年01月25日 | 人文科学系
三浦信孝『現代フランスを読む』(大修館書店、2002年)

1998年に中央大学を休職して、在外研究のためにフランスその他に滞在していた時期に書いたものを集めた論文集というか、本人いわくエッセー集である。したがって、1999年前後の同時期におきたことが中心に論じられていている。ただ現実のこまごました事象よりも、どちらかというと理論的イデオロギー的な著作や「ル・モンド」「ヌーヴェル・オプセルバトゥール」などの新聞雑誌の論評をもとにした論評が多いので、理論的なエッセーというべきかもしれない。

それにしても、これ読むと、フランスという国家が抱える国家としてのありようというか存在意義というか、そういうものについてのフランスの指導者たち、とりわけ理論的指導者たちの主張は混迷を極めているというように、私には見える。もちろんそれぞれの論者は理路整然としたことを主張していると思っているのだろうが、対立した議論の全体を見ると、出口のない延々と続く議論のように見えるのだ。

この著作の中でおもに論じられているのは、1.フランス共和国という国家のアイデンティティーというべきものがどこにあると考えるかという問題、2.言語の多様性をはじめとする多文化主義とフランス共和国という不可分の一つとどのように両立させるのかという問題、これは現在その大きな姿を現してきたヨーロッパ連合の憲章とか今後のあり方と関わっている、3.植民地主義の遺産をどう清算するのかという問題、であると言えるだろうか。

1の問題は、フランスが君主制を否定して王族達をギロチンにかけて誕生した結果、私的世界と公的世界を完全に分離して、公的世界における完全な平等を実現しようというフランス共和国の第一原理が揺らいでいるところからきている。どんな出自であってもどんな皮膚の色をしていても、私的世界ではどんな言葉を喋りどんな宗教を信じていてもいいが、公的世界では性差さえも否定するような平等主義が徹底されなければならないという考え方は、じつに魅力的に見える。

だがそれは学校の現場などに現れるスカーフ問題や貧困の問題や低学力・学校暴力などの問題にすべて無視を決め込むという現実を生み出してもいるのだ。あるいは良心的な教師にすれば、原因が分かっていても手をこまねいているしかないということにもなるだろう。フランスでは煙草の喫煙に年齢制限がないと聞いたことがあるけど、こうした発想からきているんだな、きっと。喫煙を許すか許さないかは家庭の問題だという考えなのだ。

だが幼児虐待などにたいしては日本でさえも放っておかないで家庭に介入し、親子を分離しなければ問題の解決にならないというところまできているのに、それを私的世界には関与しないとして放っておいた結果が、大都市周辺のスラム化を引き起こしているのではないのだろうか。

2の問題は、いったいEUが何をしたがっているのか私にはよく分からない。少数派言語を復権させようということと一つの国家には一つの国語しか認めないこととどう両立し得るのだろうか?フランスで言えば、いわゆるフランス語はパリ周辺の方言だったわけで、それが共通語となった。三浦の説明によると、第二次世界大戦前までブルトン語、バスク語、オック語などの固有の言語を話す人たちがいて、現在のようにフランス語しか話さないというのはやっと戦後になってからのことだというからちょっと驚く。

バカロレアでもオック語での受験が認められるようになったというから、フランスでも地方語の復権がなされつつあるのかもしれない。だがこれが国全体に進んでいけば、いずれにしても共通語が必要なわけで、結局、共通語とされる地方語を母語とする人が一番有利なわけで、母語以外に共通語を習得しなければならない人は生まれたときからハンディをもつことになる。昔のように、地方語との交流がほとんどなくて、人口の移動もほとんどないような時代には地方語に存在理由があっただろうが、そうではない現代において、地方語の復権にどんな意味があるのか私には理解できない。

ただこの問題が国の枠を超えてEU内でのというような話になると、私にはどう考えていいのか分からなくなる。そもそも共通語がひつようなのかどうか。必要という答えを出した時点からすぐに英語なりフランス語なりの言語帝国主義に足をすくわれることになるだろう。

3の問題も深刻である。が、移民の問題でアルジェリアのことに触れたくらいで、私にはこの問題はよく分かっていない。

いずれにしても、現代のフランスが抱える問題の輪郭が見えてきたという意味で、こういう理論的な本を読むことも必要だなと思う。

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「日本語に主語はいらない」

2007年01月24日 | 人文科学系
金谷武洋『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ230、2002年)

もう20年くらい朝日新聞の日曜日の書評欄というか読書欄を読むのが習慣になっている。以前は、これ読んでみたいなと思うような書評がよくあったのだが、最近とくにここ5年くらいは、担当者との相性の問題もあるのか、あまり面白いものがない。たぶん旧弊な頭の固い私には、最近のサブカルチャー的な書評の主流とは相性が悪いのだろう。しかしたまには「おお!これは面白そうだ」と思うような本がヒットすることがある。

先週の日曜日の書評欄にはそういうものが二冊もあった。その一つが金谷武洋の『主語を抹殺した男』(講談社)である。古代史への興味から古い日本語に興味をもって初心者でも面白い本はないかなと探していたが、どうも面白くないものばかり。そういう目で図書館で本を探していたりしたから、私自身の興味もだんだんと熟成されてきていたということもあるのだろう。ところがすでに借り出し中だったので、とりあえず借りれるものということで、この本を読んだ。

かつて私は佐々木瑞枝の『外国語としての日本語』(講談社新書、1994年)を読んだことがあって、日本語を教えている人たちやその現場から見ると、学校文法というのはまったく役に立たないのだなということを知ってはいたのだが、もちろん日本語教師になろうなどという目的があったわけでもないから、学年末試験がすんで高速をとばして八ヶ岳の麓のホテルで一週間の滞在中に書いているという話や、一夜明けると車が雪ですっぽり覆われているなどという、あとがきでの話に、こんな生活できたらいいなと羨ましいような気持ちで読み終えたのを覚えているだけだ。

佐々木瑞枝はたしか上智大学かなんかで外国人留学生に日本語を教えている人だったと思うのだが、たしかにこの10年くらいのあいだに外国からの留学生は非常に増えているようだ。とくに東南アジアからの留学生が多いそうだが、彼らにとって日本語とはどんな言語なのか。もちろん日本で生活しているのだから、習うより慣れろだろうが、それでも大学の授業についていくことができるためには、相当に日本語ができなければならないだろうし、初心者にしても、文法をきちんと教えてやらないと、なんでもかんでも暗記というわけにはいかないだろう。ましてや、日常的に日本語に触れることがない外国で日本語を勉強する――ちょうど私たちがフランス語などを日本で勉強するようなもの――となると、日常会話的な練習はもちろん必要だが、子どもではないのだから、文法によって、応用力をつけることが必要になる。一つのセンテンスも文法を知っていれば、単語を置き換えることによって、応用が利く。

ところがその文法を教える段になると日本語の場合にはたいへんなようだ。学校文法というものが明治から文部省の認定によってあるらしいのだが、それが英語の文法体系をそのまま日本語に応用して作ったものらしく、まったく日本語の現実に合っていないらしい。私たち日本人は別に文法を知らなくっても不自由しないが、外国にいて日本語を勉強しようという、なんともありがたい人たちにはそういうわけにいかないのだ。

日本語は主語がいらない。まずこの文章にも主語がないというのだ。「日本語は」は主語ではなくて、主題提示なのだ。これから「日本語のことを話すよ」という意味らしい。それは述部と文法関係をもたない。また「主語が」も主語ではない。ええー!うそー!これは「いらない」という動詞文の主格補語にすぎない。ここでの基本文は「いらない」だけなのだ。うーん(と考え込む)!!

「は」がついていればなんでも主語だと思うのは間違いなのだ。そもそも「は」の前にあるものは主語ではないし、日本語には主語は存在しないということなのだ。それもけっして、最近になって新発見されてきたわけではなくて、江戸時代の学者のあいだでは常識だったが、明治新政府のもとで脱亜入欧を目指す御用知識人たちがなんとか日本語にも欧米諸国に劣らない文法を確立したいという熱意から英語文法をもとに作り出したために、ありもしない主語を無理矢理でっち上げたために、「私は魚だ」という日本語を主語はなにかという説明に、訳のわからないことを山ほど積み上げなければならなくなったという次第らしい。

それで戦前からちらほらとこの官製日本語文法に異義を唱える人たちが出てきてはいたのだが――金田一春彦とか服部四郎とか三上章――残念ながら、牙城を崩すにはいたっていない。そこでこの著者が「百年の誤謬を正す」というサブタイトルでこの本を書くにいたった。この人はカナダのモントリオールでフランス語ネイティブの学生達に日本語を教えてきた経験から、上にあげた先人たちの業績をさらに進めたいと考えている。

たしかに、私もフランス人との通訳をしたことがあるが、日本人って、なんでこんなに訳しにくいものの言い方するの!って思う場面が多かった。

それにしても主語がいらないとは面白いな、日本語って。ただこの本を読んだだけでは、では日本語の文法ってどうなているのということがよく分からないので、ほかにも読んでみようと思っている。

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「移民と現代フランス」

2007年01月22日 | 人文科学系
ミシェル・ジョリヴェ『移民と現代フランス』(集英社新書、2003年)

上智大学で受け持つ講義「現代フランス社会研究」の準備のために長い時間をかけて行った研究や調査の成果だと冒頭で説明されている。著者自身が子供時代からずっとアフリカ、フィリピン、台湾などの外国で暮らし、「外国人」であったことが、こうした問題への積極的かつ自発的な問題意識を培うことにもなったとのことである。

フランスの移民問題は、移民の数からいえばEU加盟国のなかからが多いとはいえ、もともと宗教的にも文化的にもさほどの違いがないので問題になってこなかった。やはり昨今さまざまな問題を引き起こしているのはイスラム圏とりわけかつての植民地であったアルジェリアからの移民である。

1999年の資料だと、移民は431万人。そのなかでフランス国籍を取得していない移民が275万人。さらにフランスで生まれた外国人が51万人いる。この後者の326万人の未権利状態が、さまざまな社会問題の温床となっている。

70年代の初めまでは、移民といってもどちらかと言えば、季節労働者のたぐいで、ぶどう園で冬に芽を摘む作業をしたり、収穫期に肉体労働をする労働者がポルトガルとかイタリアあたりから来る程度だったのだが、70年代にはいって安価な労働力が必要となった時期に大量に増えたのだった。その後抑制する措置に出たが、保守政権と社会党政権のあいだで対策に右往左往が見られ、決して移民にとって未権利状態を脱することが容易でない状態がずっと続いている。

この著書は、理論的に移民の問題を扱うよりも、典型的な実際の生の声をできるだけ多く紹介し、具体的な形で移民の置かれている諸問題を提起しようという体裁をとっている。したがって読みやすいが、移民の側からの問題提起がほとんどで、それを受け入れているフランス人の側の声というのはほとんど紹介されていない。

この本を読んで一番感じたのは、フランス社会の混迷ぶりであると同時に、移民の側についていえば、人数的にも最大のアルジェリアからのイスラム教徒の移民たちの問題が、フランス社会の問題である以上に、彼らの宗教・文化・生活習慣・家庭教育の問題にあるということだ。そもそもかれらがフランスに移民してくる理由が、アルジェリアにおける経済的文化的社会的貧困状態にある。またフランスに行けばなんとかなるのではないかといういい加減な甘い幻想から移民してきて、現実の厳しさに幻滅し、かといって母国に帰ることもできないという状態の中で、貧困状態から抜け出すことができなくなることにある。移民一世の場合には、フランス語を覚えようとすることもなく、人間以下の生活を耐えているが、二世になると我慢をすることができなくなり、暴力的に憎しみを発散することになる。それが例の暴動となって現れたというわけだ。

ミヒャエル・ハネケ監督『消された記憶』で描かれていたような、アルジリア人に対するフランス人の恐怖感というのは、はやり強迫観念として深く根をおろしているのだなということがこの本を読んでよく分かった。それは自分の知り合いで信頼のおける人がアルジェリア人であったことによって解けるようなものではなく、得体の知れないエイリアンのようなものとしてイメージされている。まさにこの映画のそれと同じなのだろう。

しばらくこのあたりのことを勉強してみようと思っている。

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「ガンで死ぬのが一番いい」

2007年01月21日 | 自然科学系
松田重三『ガンで死ぬのが一番いい』(現代書林、2000年)

医者の書いた「死に方」の設計図という副題がある。要するに、医学的な面からアプローチしてみて、どんな死に方が一番いいのかということを考え、ガンで死ぬのが一番いいと結論付けた本。逆転の発送というやつかな。

だれもがぽっくり死ねたら一番いいなと思っているはずだが、それは80歳も90歳もなるまで普通に生活できていて、それである日ぽっくり死んでいたというような死に方のことだが、そんな死に方はまずよっぽどのことがない限りできるものではない。まずぽっくり死ぬまで自分の身の回りのことは自分でできるということが高齢になればなるほど難しくなる。内臓は元気なのに足腰がゆうことをきかなくなって、寝たきりになることもあるだろう。

この著者が言うもう一つのぽっくり死というのは交通事故だとか脳や心臓の病気による突然死のことである。この場合は、たしかに短時間のうちに死んでしまうのだが、本人が死を想定していなかったときにやってくる死なので、そういう死に方をしたら、死のための準備ができないだろうということなのだ。

死は、当たり前だが、一度しかやってこない。だから、そういうはずじゃなかったのにという死に方はしたくない。突然死をしたら、そういう準備ができないで死んでしまうことになる。もちろん周囲の人間に看病などという面での苦労をかけることはないかもしれないが、精神的な喪失感を与えることは大きいだろうし、なによりも自分自身が死ぬ前にしておきたかったことなどが果たせないで死んでしまうことになるだろう。

ところがガンだと即死ということはなく、早くても宣告されてからひと月とか半年、長ければ一年とか二年の余命ということになるので、そのあいだに、家族とのあいだや自分自身の身の回りのことでし残したことをやっておくということが可能になるというわけである。もちろんそんなに簡単に行かないのは分かっている。第一、死の恐怖感にずっと怯えなければならないという人もいるだろう。そのためにするあれこれ――たとえば宗教にすがるとか、死の恐怖を乗り越えるためにあれこれ瞑想するとか、がむしゃらに勉強するとか――は、けっして無駄にはならないと思うのだ。そういう努力をすることによって、けっしてなんとなく生きていたときには見えなかったものが見えてくるのではないだろうか?

人間は死から逃れることはできない。ベストは、身の回りの世話をしてもらわなくても一人で生きて枯れ葉が落ちるような死に方だろうが、それは望んでできるものではないだろう。やはりもって生まれた体質+生活習慣によって左右されることだ。だからガンになる確率が高いのなら、交通事故とか心臓や脳の病気による突然死ではなく、死のための準備ができる死に方がいいという話なのだ。しかもこの著者は家系的にガンが多いらしいので、ガンになることを観念している節がある。

私の場合は、父親も父方の祖母もガンで亡くなっている。父親の場合は、そんだけ酒を飲んだら肝臓ガンにもなるだろう、というほど酒を飲んでいたから遺伝とも思えないのだが、祖母は子宮ガンが原因だったので、そういう系統かもしれない。母親のほうはこれとは反対に長寿の家系のようで、祖母は早くから腰がまがっていたが、枯れるように死ぬという言葉どおりの死に方だった。たしか90歳を超えていた。母親はその祖母の血を引いていると思う。ただ喘息もちなので見た目にはとても健康そうには見えないし、昨年骨粗しょう症で腰を痛めてからは家に閉じこもりがちなので、ちょっと心配だが、家系的には長生きするのではないだろうか。

やっと50歳すぎなのに、今からこんなことを考えているのも、きっと死に対する恐怖心からだろう。私の場合は、現在の社会的地位とか名誉とかそういうものを失うとかいうことはまったくなくて、死んで自分の肉体はもちろんのこと意識もなくなってしまう、早い話がこの世から存在しなくなってしまうのに、その後ずっとこの世界は存在しつづけることにたいする違和感だ。死の間際の痛いとか苦しいとかにたいする恐怖感というのはあまりない。自分の存在がなくなった後にもこの世の中がずっと続いているということにたいする腹立たしさのようなものが死の恐怖心としてあるのだ。

とりあえず、書斎にいっぱいある本から――どうせ、かみさんには、ゴミにすぎないので――処分していこうかと思案中である。

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「袋小路の男」

2007年01月18日 | 作家ア行
絲山秋子『袋小路の男』(講談社、2004年)

「袋小路の男」、「小田切孝の言い分」、「アーリオ オーリオ」の三篇を収録した作品集だが、前の二作は同一人物が主人公なので、続き物のような作品になっている。どうせなら三つ同じようなものを作って収録し、統一すればいいのにと思ってしまうのは、私だけだろうか?なにが面白くて、一作だけまったく関係のない短編を収録しているのか、その意図がまったく解せない。

相変わらず短編に不感症の私はどれもこれもまったくつまらない駄作にしか思えない。『沖で待つ』で芥川賞を受賞したということだけでなく、作者の言語中枢の素晴らしさに、きっとすごい作品に出会えるのじゃないかと期待して、つぎつぎと読みつづけているが、毎回毎回裏切られて、いい加減嫌気がさしつつある。

この三作品ともいったどこがいいのだか私にはさっぱり分からない。前二作は小田切孝というハンサムで不良っぽい男に惚れた「私」と小田切との切れそうで切れない関係を、好きでも嫌いでもないのに、友達でも家族でもない関係を20年近くも続けていることが描かれている。「私」の小田切にたいするそうしただらだらずるずるの関係の様子は、角田光代が描く女のぐちゃぐちゃのそれに似ていなくもないが、彼女の場合はもっと強烈なので、そのぐちゃぐちゃかげんから見えてくるものがあるのだが、こちらはまったくそういうものもない。

ただ一つ感心したのは、前二作には文章にリズムがあるということだ。もちろん五七五のような短歌的なリズムではなく、でこぼこの道を車でゆっくり走っているうちに、その上下動がなにかしらリズムに感じられてくるような場合のそれである。このリズム感がどこからきているのかよくわからない。

「地図を見るとあなたの住所は櫛の歯のような路地の奥にあった。家を見に行こってことになるんだけれど、さすがにちょっと気が引ける。こんな明け方に変だよ、見つかったらまずいよ、行き止まりだから逃げられないじゃん、そう言って何度か迷ってやめて、意気地のない自分達が癪で、腹立ちまぎれにそのへんの家の牛乳箱を開けて届いたばかりの瓶の牛乳を盗み飲みした。」

というような文章が冒頭あたりから出てきて、そこにリズムを感じたので、あれっと思い、注意して読んでいると、でこぼこ道の上下動に似たリズム感があるのに気づいた。短編ってこういうものなのだろうか?それともこの作者に固有のものなんだろうか?短編って、ちょっと詩的なものかもしれないと思い始めている。

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「素粒子」

2007年01月17日 | 現代フランス小説
Michel Houellebecq, Les Particules elementaires, J'ai lu 5602, 2006
ミシェル・ウェルベック『素粒子』(フラマリオン、1998年)

以前に読んだ『戦線を拡大せよ』(邦訳では『戦闘領域の拡大』となっているらしい)を最初に読んだのはけっしてこれがウェルベックの処女作というか初めて世に出た小説だったからではなかっのだが、意図せず、そういうことになった。そして次に読んだのが、この『素粒子』なのだが、これも意図せずに、出版の順番と同じになったようだ。作者の思考の展開を知る上では、偶然とはいえラッキーだったかもしれない。

『素粒子』のペーパーバック版の表紙にはウェルベックの上半身の写真が使われているが、これを見るとこの作者の雰囲気がよく出ている。頭のよさそうな大きな額、ちょっと冷たそうで、人付き合いの下手そうな雰囲気を表す薄い唇、たばこをくわえ、それをはさもうとする右手の指の位置から見て、普通の人がよく使う人差し指と中指ではなく、中指と薬指でたばこをはさむ癖、地味な背広に似合わないカジュアルなシャツ、そしてそのだらしない着こなし、左手首にさげたモノプリかなんかのスーパーの袋。

顔だけ見ると、フランス人のインテリによくあるような、頭の切れる作家という普通の感じだが、この上半身像から得られる印象は、どう見ても、世間に追随することなく、自分の世界を作り上げているだけでなく、世間の価値観をあざ笑い、拒絶する孤独な人間の雰囲気が、ぷんぷんしている。まさに『素粒子』のミシェルのような雰囲気がある。

『戦線を拡大せよ』では、もてない男の生きにくさを現代社会の価値観とからめて描き出していたが、この作品では、ブリュノという、ミシェルとは異父兄弟の兄にあたる、高校の国語教師によってそれを引き継がせている。だがブリュノの場合にはヌーディストキャンプで知り合った、同じく高校教師をしていて、非行に走った一人息子がいるクリスティアーヌという女性との出会いによって、ある意味で現世での幸せと彼女を失うという本当の意味での哀しみとを体験させることで、絶望感からの救いのようなものがあったと思うのだが、思い過ごしだろうか?

ブリュノという人物造形は、ある意味、戦後ヨーロッパ社会の性風俗の変化を追っていくことで、『戦線を拡大せよ』にくらべると格段の深みができている。とりわけ二人の母親であるジャニーヌをとりまく性解放の先進的な思想は、後年の性をとりまく環境の変化にくらべたら、幼稚なものともいえる。だがミシェルとブリュノが思春期に入る70年代からは、中絶法の制定を始め、均等化をめざすスウェーデンやデンマークなどの北欧系の性解放(性的自由)の主張が、経済のグローバリズムの波とともに到来し、旧来の国民総中産階層化という夢を破壊して、経済だけでなく性の競争にも激烈さを生じさせたという分析などを読むと、ブリュノや前作のティスランたちの苦しみの原因がどこにあるのかということがよく分かる。

だが、ブリュノは一度はクリスティアーヌとは別の高校教師と結婚し、子どもも作るのだが、彼女との性的関係に魅力を感じなくなり、離婚してしまう。そして夏休みになるとヌーディストキャンプに出入りし、そこでクリスティアーヌと知り合う。彼女の穏やかな性格ゆえに自分が受け入れられるという感動的な体験をして、いつしか愛し合うようになり、休暇になると一緒に暮らすようになるが、この幸福も一時のことで、あるときに病気が発病し、車椅子に縛り付けられた生活を余儀なくされたことに絶望してクリスティアーヌは自殺する。

他方、三才年下のミシェルは、パリから50キロくらい東にあるクレシーに住んでいたが、そこでアナベルという美しい女性と知り合って付き合うようになる。二人は家族も公然の付き合いであったのに、かつて大自然の食物連鎖を教えるテレビ番組をみて、ホロコーストこそが人間の使命だと思ったことのあるミシェルには彼女の肉体を受け入れることができず、大学入学とともに分かれてしまう。彼は分子生物学の研究者の道を進み、40才ころ祖母の死をきっかけに、パリの市立図書館で働くアナベルと再会をする。自分の外見の美しさから自分の体だけが目的の男たちに絶望し、心がぼろぼろになっていたアナベルをミシェルは初めて迎え入れるのだが、彼の子どもを妊娠して流産したときに子宮ガンであることが分かり、あっという間に死んでしまう。

ブリュノもミシェルも一応の幸せは手に入れた(と私は考える)のだが、それでこの小説を終わりにしないところが、ウェルベックの冷徹で怜悧な思考ゆえだとすれば、それはやはりこの作家自身が、外見どおり、絶望の中に生きているゆえだろう。

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