読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

2021年読書のベストファイブ

2021年12月30日 | 日々の雑感
2021年読書のベストファイブ

今年の読書は40冊。ここ数年は毎年のように読書日記と銘打っているのに、この読書量!とか書いているが、今年もまったく同じことになってしまった。しかも今年は本当にこれは良かったと思うものが少なかった。読書量もさることながら、私自身の集中力も根気もずいぶんと落ちてしまって、読書を楽しむことができなかった。そして何よりも政府のコロナ対策とか東京オリンピック強行への批判に気持ちが行ってしまったことが大きい。

今年のベストファイブは以下の通り。最近気がついたのだが、集英社新書には優れたもの、警世の書が多くある。激戦区の新書判でこの分野で一人奮闘している感がある。

松本薫『銀の橋を渡る』(2021年、今井出版)
これは米子の作家のものなので、文句なく一冊に入れる。今作は環境問題への米子市民の取り組みを米軍占領時代とも絡ませて描き出している。本当にドラマ化してほしい。

堤未果『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書、2021年)
「デジタル改革」は決して国民を幸せにするものではないということを、先進国アメリカの例にとって解説したもので、国民が主体的にこの問題に取り組んでいかないと、日本のお役所はどうせデジタル改革なんかできやしないと高をくくっていると、アメリカに乗り込まれてしまうことになる。

岸本聡子『水道、再び公営化!』(集英社新書、2020年)
麻生太郎の高笑いが聞こえるようだ。麻生の娘の夫がやっているフランスの水道資本が日本の自治体を食い物にしているのだ。地方自治体はどんどん金詰まりになり、民営化という路線が市民に通りやすくなっている。しかしその道は豊かな日本の水が市民を殺すことにもなるような道だというフランスでの実例を挙げて警鐘を鳴らす書。

齋藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)
今年の売上ベストテンに入る本だそうだ。よく売れていると言っても、それがどれだけ理解されているのか、心もとない。日本では私たちが政治に関わることがあまりにも限られている。この本を買って読んだ人たちがどれだけこの内容に感心しても、それを実践していかない限りは何も変わらない。

柳美里『JR上野駅公園口』(2014年、河出書房新社)
平成天皇と同じ年に生まれ、その息子の令和天皇と同じ日に息子の誕生を迎え、東京オリンピックの前年に東京に出稼ぎにでかけ、2011年の三陸沖地震で孫娘を津波で亡くすという、昭和から平成へと移り変わる日本の「典型的な」人物を造形して、底辺に置かれた日本人の哀しみを描いている。KK問題が週刊誌やユーチューブで喧しい昨今、天皇制について考えさせる小説になっている。


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『俳優人生』

2021年12月21日 | 作家ナ行
中村敦夫『俳優人生』(朝日新聞社、2000年)

またまた中村敦夫だ。調べていたら、こんな回想録を書いていることが分かったので、借りてきた。

何度も書いているが、私にとって中村敦夫は「木枯し紋次郎」以外にはない。だから、この本でも興味深かったのは、ちょうど真中の第5章まで。あとは私自身がテレビドラマとか映画をまったく見ていないので、関心を惹かれなかった。

それにしても「木枯し紋次郎」だ。私自身、なぜあれほど惹かれたのだろうか?高校2年生から3年生の頃。私は鳥取県米子市の進学校にいて、でも勉強はまったくできなくなって、落ちこぼれ状態になっていた。クラスではまったく口を聞かない。唯一の人間関係はボート部の連中とだけ。

そんな鬱屈した毎日に、ボロボロの三度笠すがたで、自分の力一つで孤独な渡世を渡り歩いている姿が魅力的に見えたのだろうか? 映像もリアルで、紋次郎が怪我をすれば、硫黄を使って傷の手当をしたり、常備している飲み薬かなんかを飲んだり、わらじを自分で編んだり、手当をしたりする場面が、つまりリアルな日常生活が描かれているのも興味深かった。

音楽も湯浅譲二や武満徹が活躍し始めた時期で、斬新な音楽がバックで使われ、テーマ音楽となった上條恒彦の『だれかが風の中で』も映像とぴったりだった。何もかもが斬新に見えた。


この本を読むと、大映京都撮影所で取り始めたが途中で大映が倒産して、京都の亀岡など周辺地域で撮影していたようだが、私は笹沢左保の原作本まで買って読んでいたので、てっきり関東の奥地で撮影していたのかと思っていた。

9作目くらいで起きたアキレス腱断裂の事故のことは当然知らなかったが、最近BSかなんかで見ていたら、紋次郎が脚を怪我して温泉宿でずっと投宿している回があったが、あれなんかはきっとそういう時期のものだったんだろう。

それに龍谷大学のラグビー部の部員を使って畑の中を走り回る場面を撮ったと書いているのも、あれだなと思い当たる。追いかける側のやくざ連中がやたらとマッチョで、いかにもラグビー部員という感じがすぐに分かるほどだった。

上にも書いたように、孤独な中で過ごした高校生時代の私の支えてくれたのは、この紋次郎を演じた中村敦夫のプライドと自立心のようなものだったのかもしれない。

『俳優人生―振り返る日々』へはこちらをクリック




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『チェンマイの首』

2021年12月19日 | 作家ナ行
中村敦夫『チェンマイの首』(講談社、1983年)

朝日新聞に私の履歴書みたいなコーナーがあって、著名人の履歴書をインタビュー形式で連載しているのだが、最近は中村敦夫が登場している。

もちろん私のような世代にとっては中村敦夫は「木枯し紋次郎」である。その後国会議員にもなったらしいが、そのあたりのことはあまり詳しくなかった。

これを読むと、「木枯し紋次郎」のドラマで大成功してから、しばらくして、東南アジアを旅行して、小説を書こうと取り組んだという話を知った。その第一作がこの『チェンマイの首』という作品だ。

一度でも小説を書こうとしたことのある人なら分かるとおもうが、自分が知らない世界のことをリアルに書くのはとてもむずかしい。言葉が出てこないものだ。

しかし、中村敦夫の第一作は、彼がどれほどの回数タイを見聞きしたのか知らないが、じつにリアルに描かれている。彼自身がハードボイルド小説の大ファンでよく読んでいたという経験も功を奏しているのかもしれないが、やはり付け焼き刃ではなくて、子供の頃から身についたものなのだろう。それくらいの筆力を持っている。

そうした筆力のほかにも、タイの事情に詳しいので驚いた。東南アジアで唯一立憲王政をとっているタイは比較的安定した落ち着いた国だとばかり思っていたのだが、東南アジア諸国の例にもれず貧富の格差が大きく、しかも軍部が支配しているという点で、似たようなもののようだ。それに学生運動がこんなに過激だということも知らなかった。

あまりに古い本なので図書館でも書庫入りしていたが、こうして読むことができるのは図書館あればこそだ。

『チェンマイの首』 (講談社文庫)へはこちらをクリック


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『ビニール傘』

2021年12月12日 | 作家カ行
岸政彦『ビニール傘』(2017年、新潮社)

「ビニール傘」と「背中の月」という二篇の短編が入っている。どちらも、未来も展望もない現代の若者たちの悲しい人生を描いている。

これが真面目に働いても年収300万にいかないような若者たちの多くが置かれた現状なのだろう。非正規雇用なら200万にも達しないのかもしれない。

そうした若者の視点が向けられるのは同棲している男や女のこと。ここで描かれている男女は決して同棲相手と喧嘩するわけではないし、どちらかといえば仲良くやっているほうなのだろうが、彼らに展望もなにもないのは、ちょうど「背中の月」で、主人公が通勤電車から見る廃屋にあったであろう、戦後に若者だった田舎出の男女の生活史のような物語だ。

まるで私の両親を描いたかのような(もちろん私の両親は田舎から大阪に出てきたわけでも、食堂をやっていたわけでもないが、人生のあり方としてよく似ている、大学に入った息子の入学式に晴れやかな思いでやってきたという話は、ほぼ同じなので驚いた)、この物語を、この小説の主人公たちは生きることさえもできない。

私はとくに「背中の月」を読みながら、又吉直樹の『劇場』を読んでいるような既視感があった。同じような、人生の切り口、物語の語り口を持っている。こういうのが流行りなんだろうか。

『ビニール傘』へはこちらをクリック

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『図書室』

2021年12月05日 | 作家カ行
岸政彦『図書室』(新潮社、2019年)

「図書室」は小説で、「給水塔」は著者の学生時代を回顧したエッセーになっている。この小説やその他の小説が芥川賞や三島由紀夫賞の候補になっている。

「図書室」はアラフォーの女性が小学生時代の図書室通いやそこで知り合った同学年の男子との交流と年末に彼と実行した「世界の終わりの過ごし方」のことを回想する形の物語になっている。

私は、大阪出身でない著者がここまでネイティブの(しかも子どもの)大阪弁を駆使できることに驚異を覚える。

母子家庭で、母親が夜にスナックで働いて育てている。母親も少女が15才のときに突然死する。それでもグレることもなく、かといって立身出世的なことを夢見るでもなく、普通に底辺層の人間として育ち、短大を卒業して、法律事務所で働き、何人かの男と付き合ったり、同棲したりして、アラフォーになり、小学生の時の図書室のことを回想する。

すごく面白いのだが、読みながら熱狂してくることも、ワクワクしてくることもない、この静かな小説は、いったい何なんだろう? 私は大阪市内に住んだことないが、この小説に出てくる毛馬門とか淀川の河川敷だとか、言うまでもなく梅田駅だの紀伊国屋書店だの、といった地名はよく知っているので、知っているところが小説の舞台になっているという興味だろうか。

その点では「給水塔」というエッセーは、私が学生時代を過ごした吹田、とくに千里山が出てくるので、何とも興味を掻き立てられる。しかも彼が学生時代を過ごした関大は、ちょうど彼が学生を始めたころに私も教え始めた頃なので、「岸政彦」って学生が私のクラスにいなかったかなと思いだそうとしたくらいだ(そんなもん思い出せるはずがないし、私は社会学部では教えていないことに気づいた)。

ただよく知っているところだけに、著者の勘違いも気になる。関大のある周辺をやたらと千里ニュータウンと書いているのだが、確かに大阪市内の下町のごちゃごちゃしたところに比べれば、「高級住宅街」かもしれないが、このあたりは千里ニュータウンではない。千里ニュータウンは千里山を超えたところからの、駅で言うたら南千里から北のほうになるので、ちょっと訂正しておきたい。

『図書室」へはこちらをクリック

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