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『自称詞<僕>の歴史』

2023年08月24日 | 評論
友田健太郎『自称詞<僕>の歴史』(河出新書、2023年)

こんな興味深いテーマの研究が今までなかったことが驚きだ。日本語で自分を呼ぶ言葉である自称詞のなかでとくに<僕>という言葉に焦点を当ててその歴史を辿った本である。面白い!

すでに『古事記』や『日本書紀』にも<僕>が使われているというのは驚きだ。

そしていったん途切れて、江戸時代の元禄年間になって<僕>が再び使われ始めたという。

そして幕末から武士のなかでも学問をしていた下級武士のあいだで「対等な関係」と示すものとして<僕>が使われるようになり、それが明治時代初期には学者、知識人、学生、文化人のあいだでエリート意識の反映として<僕><君>になったという。

明治時代でも中頃から終わり頃には、学問をしている自分を示すためには<僕>、しかし社会に出たら<私>と年齢や身分によって使い分けていたというから、ほとんど昭和時代の使い方と同じではないかと思った。

現代では、子どもの頃には<僕>か<おれ>、大人になると<僕><おれ><私>を公私の行き来とともに使い分けるという感じだろう。それはそれで割りと理解しやすい。

問題は、二人称だ。日本語では一人称と二人称の境界が曖昧だと、どこかに書いてあったが、そのとおりで、とくに二人称は使いにくい。

<あなた>…妻が夫をよぶのに使う以外に使うことがあるだろうか?
<君>…これを使うとちょっと他人行儀の感じになる。例えば部下が失敗をしたとき、「君な、こんなこともできないのか?」とか、初めてのデートで「君ってさ、映画は何が好き?」とか。
<お前>…いろんなシチュエーションがあるが、やはり上から目線になる?子ども同士ならちょっと乱暴だけど、気のおけない関係で。

ああ、面倒だ!とにかく二人称は使いにくいから、たいてい相手を名前や所属や地位で呼ぶのが一番無難ということになる。「部長って、子どもさんいらっしゃいますか?」

そして関西限定で究極の二人称が「自分」だ。私が学生の頃に流行っていて、初めて「自分はどこの出身?」と言われたときには、少々まごついたが、この「自分」が私(つまり二人称)のことを指していると理解できるから、日本語ってすごいなと思う。さすがに「自分」以外の「自称詞」は通用しない。さすがに「私はどこの出身?」とか「俺はどこの出身?」とは言わないのに、「自分」は「君」の意味で通用するのだから、不思議だ。

学生同士でたぶん初対面か二回目くらいの相手に「君」や「あなた」や「お前」は変だからということで、使われ始めたということだろうが。

この本の第1章では、いい歳をしたスポーツ選手なんかが<僕>を使いだして、<僕>のもつ意味合いが微妙に変化しているということが書いてあるが、私が学生の頃からそうだったが、<僕>なんて使う男は世間知らずという伴示的意味が付くと思っているので、もう私らには使えないな。

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