村上龍『69sixty nine』(集英社、2004年)
初版は1984年から85年にかけて雑誌に掲載され、1987年に出版されている。今回は、映画の公開にあわせて、新装版というかたちで出版されたものを読んだ。
この映画を私は観ている。妻夫木が「ケン」で、安藤政信が「アダマ」だったのはぼんやり覚えているのだが、佐世保の高校生の話という以外には内容はほとんど忘れていた。
映画は2004年だが、どういう経緯で観たのかもすっかり忘れている。調べてみたら、長山エミを水川あさみ、レディー・ジェーンを太田莉菜がやっていたようだし、バリケード封鎖のときに緊張して校長の机の上にウン・をやった中村を星野源がやっていたみたいだけど、もちろんまったく記憶にない。
ヘラヘラした感じの「ケン」に妻夫木がぴったりだし、ハンサムで真面目な「アダマ」には安藤政信がそのままの配役のように思った。
1969年、東大闘争の年、東京の高校生でなくても、田舎の高校生でも進学校ではけっこう政治的な運動があったらしい。例えば私が71年に進学した山陰の高校でも、一つ上の学年の人たちが、69年や70年になにやら政治的な動きがあったという話をしているのを聞いたことがある。
そんなだから、米軍基地があった佐世保あたりでそのような学生がいても不思議ではないが、この小説は、右も左もわからない、人生というものがまだ何も分かっていない高校生の、それでも何か世の中や大人にたいする不満や不安を形にしたいという思いと、女の子にもてたいという想いが渾然一体となった行動をよく表している。
まさに高校生特有の生態を示しているといえる。私たちの世代でいえば、せいぜい、バンカラを気取って、高下駄を履いてみたり、ボロボロにした学生帽をかぶってみたりする程度だったが、もうこの小説の高校生はぶっ飛んでいる。
高校生ってこういう馬鹿なことをするいきものっていう感じがあって、いやあるいはこの小説がそういうイメージを作ったのかもしれないという気になっている。
妻夫木聡主演の映画のDVDはこちらをクリック
初版は1984年から85年にかけて雑誌に掲載され、1987年に出版されている。今回は、映画の公開にあわせて、新装版というかたちで出版されたものを読んだ。
この映画を私は観ている。妻夫木が「ケン」で、安藤政信が「アダマ」だったのはぼんやり覚えているのだが、佐世保の高校生の話という以外には内容はほとんど忘れていた。
映画は2004年だが、どういう経緯で観たのかもすっかり忘れている。調べてみたら、長山エミを水川あさみ、レディー・ジェーンを太田莉菜がやっていたようだし、バリケード封鎖のときに緊張して校長の机の上にウン・をやった中村を星野源がやっていたみたいだけど、もちろんまったく記憶にない。
ヘラヘラした感じの「ケン」に妻夫木がぴったりだし、ハンサムで真面目な「アダマ」には安藤政信がそのままの配役のように思った。
1969年、東大闘争の年、東京の高校生でなくても、田舎の高校生でも進学校ではけっこう政治的な運動があったらしい。例えば私が71年に進学した山陰の高校でも、一つ上の学年の人たちが、69年や70年になにやら政治的な動きがあったという話をしているのを聞いたことがある。
そんなだから、米軍基地があった佐世保あたりでそのような学生がいても不思議ではないが、この小説は、右も左もわからない、人生というものがまだ何も分かっていない高校生の、それでも何か世の中や大人にたいする不満や不安を形にしたいという思いと、女の子にもてたいという想いが渾然一体となった行動をよく表している。
まさに高校生特有の生態を示しているといえる。私たちの世代でいえば、せいぜい、バンカラを気取って、高下駄を履いてみたり、ボロボロにした学生帽をかぶってみたりする程度だったが、もうこの小説の高校生はぶっ飛んでいる。
高校生ってこういう馬鹿なことをするいきものっていう感じがあって、いやあるいはこの小説がそういうイメージを作ったのかもしれないという気になっている。
妻夫木聡主演の映画のDVDはこちらをクリック