読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『大学教授のように小説を読む方法』

2019年11月13日 | 評論
トーマス・フォスター『大学教授のように小説を読む方法』(白水社、2010年)

小説はすべて過去の小説なり映画なり神話なりに存在する元型(これをテクストという)の、作り直し、パロディー、組み換え、引用であるという文学の世界で広く認められている事実(これを間テクスト性という)から、小説の読み方を学生に示すという趣旨で書かれた本である。

アメリカの大学教授ということになっているので、ほぼ英語圏の文学が取り上げられているが、たぶんフランス語圏やスペイン語圏でも同じだろう。

元型になるもののトップは聖書とシェイクスピアだと指摘されている。聖書にしてもシェイクスピアにしても名前は知っていても、日本では、学校教育では当たり前だが、家庭でも話題になることもないし、社会の雰囲気としてもそうしたことが話題になることはないので、日本人読者にとっては、こうした読み方は鬼門である。まずバックグラウンドが欠けている。

だが、大学教授が大学の授業でこうした読み方を取り上げて授業が成り立つということは、意外と欧米の学校教育でもこうした読み方は教えていないのかもしれない。ちょうど日本で同じような読み方―たとえば、源氏物語とか神話とかを元型とするとか、しないとか―を教えていないように。

15の「すべてセックス」という章ではフロイトの読解手法が取り上げられているが、それによれば槍は男根のシンボル、聖杯は女性器のシンボルという読み替えの仕方は、ほぼここで教授されている文学の読み方の原型であると言える。

昔、ある女性から呼び出されて喫茶店に行き、「私、田舎に帰ろうと思うんだけど・・・」と言われたことがあり、私はよく意味も考えずに「そう、僕は大阪で頑張るよ」と答えたことある。それ以来、何度かこの場面を思い出し、なぜ彼女はそんなことを言うために私を呼び出しただろうかと考えてもよく解らなかった。ある時テレビを見ていて同じシチュエーションになったことがあった。女性は男性に引き止めてほしいと思っており、田舎に帰らないで一緒に暮らそうと男性に言ってほしいと思ってこうした行動に出たことが明らかなので、これを見ていた私は、ようやく分かった。そうか彼女もあの時そう言ってほしかったのかと・・・

こんな調子で日常生活でも言葉の裏を読み取る力のない私が、プロの作家の巧妙な仕掛けを読み取ることが果たしてできるのか、なんとも心もとない。


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『国家が破産する日』

2019年11月09日 | 映画
韓国映画『国家が破産する日』(監督チェ・グクヒ、2018年)

シネマート心斎橋で韓国映画『国家が破産する日』を見てきた。1997年に実際に韓国で起きた国家破産に近い通貨危機を描いた映画。

1997年に韓国は国民一人ひとりあたりの総生産が1万ドルに達し、OECDに加盟するなど見た目には急速な経済発展を遂げていたように見えるが、その実、日本がその直前に経験したようなバブル経済の状態にあり、実体はあちこちで倒産や賃金未払いや手形の不渡りが出ていた。またアメリカを中心とした大手ファンドは韓国の企業から投資を引き上げる行動に出ていた。

そうした実態を見て通貨危機を予測していた韓国銀行の通貨政策チーム長ハン・シヒョンが経済政策のトップに何度もそれを報告するが、大企業にまで広がってにっちもさっちも行かなくなるまで放置されてしまう。

いざバブルが弾けてしまうと、自前の手段で通貨危機を乗り越えることを考えるのではなくて、IMFの介入を求めて、韓国経済の構造そのものを大企業とアメリカ資本の都合のいいものに変える方向に舵取りをする。その結果、130万人という失業者、上位100社のうちの半数以上の企業の倒産という状態になる。銀行はすべて営業停止させられる。IMFの後ろにはアメリカが隠れていた。

なんだか近未来の日本を見ているような感じがしたのは私だけだろうか。

シネマート心斎橋では韓国映画を中心に上演しているが、予告編を見ていたら、今後も面白そうな映画が目白押し。最近はとんと映画を見に行かなくなったが、行ってみようかな。


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『日南X』

2019年11月06日 | 作家マ行
松本薫『日南X』(日南町観光協会、2019年)

鳥取県の西側の一番南にある、大阪市と同じ広さの日南町を舞台にした小説である。これまですでに日野町と江府町を舞台にした小説がある。

日野町のたたら製鉄の最後の隆盛期であった明治から大正時代を一人の少女を主人公にして描いた『TATARA』。(これについてはこちら

江府町の江尾という町を舞台にして、本能寺の変の少し前の時代、毛利元就が中国の覇者となるべく尼子氏と最後の戦いをしていた時代の話しで、この時代から現在にまで続く江尾の夏の風物詩である「十七夜」という夏祭りをモチーフにした時代劇の『天の蛍』。(これについてはこちら

そして今回の『日南X』で、これを依頼した日南町町長によれば、日野三部作が完成するのだが、著者には偶然の産物だったことが、あとがきで書かれている。

日南町というのは、隣の日野町の出身である私も知らなかったのだが、平成の大合併ならぬ、昭和の大合併で、5つの村が合併して日南町になったらしい。隣町に住んでいながら、二回くらいしか、しかも生山と上石見に行ったことがあるくらいで、よく知らない町。でも高校時代にも知り合いに阿毘縁とか多里から出てきた子がいたので、馴染みがないわけではない。

それに中学校時代に入っていたボーイスカウトで上石見から神戸上を経由して滝山公園に出る道を夜間ハイクした経験もある。今は日南湖と呼ばれている菅沢ダムにも何度か行ったことがある。

こうしてみると馴染みがあるような、ないような感じの土地だが、この日南町を舞台にしているということで、宅配便で届けられたら、すぐに読んだ。

今回は1992年、バブルが崩壊し、ちょうど父親が日南町の出身であった松本清張がなくなった8月4日に物語が始まる。社会派推理小説作家を物語の起点にもってきたのは、はやり、日南町にゆかりのある作家、しかもサスペンス作家が、サスペンス小説の起点にふさわしいということがあるだろうし、まだ携帯電話もない時代なので、その特徴を活かしやすいということもあったのだろう。

会見町にある赤猪岩神社で背中にナイフを突き刺された死体が発見されたが、発見者たちが近所に電話を借りに行っているあいだに消えてしまった(これなど携帯電話がある時代だと無理)というところからミステリーが始まる。その死体が数時間後に車で1時間半くらいかかる上石見にある大石見神社で発見される。上石見の花見山の麓にゴルフ場やレジャー施設を開発しようとしている大阪の不動産会社の会長であった。彼が着ていたジャケットやネクタイが、ゴルフ場開発に反対している地元の青戸工務店の社長宅から発見され、逮捕される・・・

新聞記者で米子支局の局長をしている牟田口直哉、彼の娘で、日野町にある日野ヶ丘高校(日野高校)の音楽コースの2年生の春日(はるひ)、直哉の父の妹(叔母)の長男で、衆議院議員の木庭修造の秘書をしている郡司真人、彼の妹で日野ヶ丘高校の国語教師をしている本庄早霧・・・

ミステリー仕立てなので、ハラハラ・ドキドキしながら、どんどん読み進めることができる。文章も何作も書いてきた人なので、申し分ない。火曜サスペンス劇場にぴったりの出来だと思う。いやNHKの8回くらいで完結するドラマがいいかもしれない。ほんと、映像化してほしいな。



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