読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『カミュ伝』

2022年01月30日 | 評論
中条省平『カミュ伝』(集英社インターナショナル新書、2021年)

コロナ・パンデミックが起きてから早くもまる2年がたった。同じようなパンデミックを描いていたということで、カミュの『ペスト』が脚光を浴びて、小説としての売れ行きもすごいという話だ。そして作家カミュも再び注目されるようになり、いろんな人がカミュについて書いている。

私の知る範囲で意外だったのは、このブログでもよく著作を取り上げている内田樹だ。まとまったものは読んでいないのだが、ツイッターを見ているとあちこちに書いているみたい。

そしてこれまた意外だったのが、映画評論家だと思っていた中条省平だ。この本のあとがきによれば、中学生の頃にカミュの『異邦人』を読んでハマり、いろいろ読んでいたという。そして、たまたまコロナの直前に『ペスト』を翻訳する機会があり、またNHKの100分で名著という番組で『ペスト』を話す機会があり、カミュの著作などを読み返したという。

そして書かれたのがこの『カミュ伝』なのだが、学生時代にカミュをやっていた私でさえも知らなかったことがたくさん書かれており、また知っていた地名や人名とカミュの関わりについて多くのことを学んだ。

ここまで書いて、私って学生の頃にカミュを勉強したにしては知らないことばかりだな、どうしてだろうと思い返してみると、勉強したと言っても、大学4年の夏休みくらいに卒論の論題を決めなければならない時期になってカミュの『異邦人』で書こうと決めて読み始め、大学院の修士論文を『ペスト』を中心にして書くまでの、わずか3年弱しか勉強していないのだから、そりゃ知らないことばかりだわなと、自覚した。

ただこの頃はまだカミュが人気があって、大学にカミュを研究している先生がいたということもあるだろうが、私の上に2人、下に1人カミュ専攻の大学院生がいたんだから、すごいことだ。以前にも書いたことがある、三野博司さんたちが中心になって関西を中心にカミュ研究会を作ったりしたのもこの頃の話だ。これは国際的なカミュ協会の日本支部になっている。

中条省平という人はたくさんの本を書いていることもあって、またカミュ愛が土台にあるからだと思うのだが、すごく的確にまとめてあるし、そのうえ文章が上手なので、読みやすい本だ。

評伝といえば、かつては西永良成の『評伝アルベール・カミュ』が最高峰だったが、1976年出版で、たぶんもう絶版になっているだろうから、現在ではこれが一番お勧めの評伝ではないかと思う。

もっと詳しくカミュの作品を知りたいという人は三野博司『カミュを読む 評伝と全作品』(大修館書店、2016年)もいいと思う。

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『ミチクサ先生』

2022年01月19日 | 作家ア行
伊集院静『ミチクサ先生』(講談社、2021年)



図書館で予約をしていたのだが、順番がなかなか回ってこないので、ついに買ってしまった。

夏目漱石といえば、私もほとんどの大作は読んでいるし、文庫本でうちにもある。世には山ほどの評論も書かれている作家だ。

漱石の個人的なことといえば、新潮日本文学アルバムの『夏目漱石』を読んでしるくらいの知識しかないが、どんな人間だったのか、何に悩み、何を好み、家庭内ではどうだったのかというようなことは、やはりわかりにくかった。

どうしても大作家となってからの(とくに洋行帰りからの)姿から子供時代や青春時代を見てしまうので、ジジくさい感じにしか見ていなかったが、この小説では、みずみずしい金之助が描かれている。

とくに、夏目家が名主であったことや、養子に出された塩原家もそれなりの家系であったこと、小さい頃から寄席に通っていて、顔パスだったとか、小さい頃から書画骨董に触れていてこちらの趣味が美的感覚を養ったこと、長兄の大助が漱石に大きな影響を与えたこと、妻の鏡子との関係が仲睦まじいものであったこと、などが、この小説を読むことで得られた新しい漱石像を作ってくれそうである。

エピソードなんかもかなり具体的描かれている場合が多く、日記とか手紙なんかをしっかりと調べたうえで書いているのだろうなと想像される。

なかなかいい小説だった。

『明暗』についての私の感想

『三四郎』についての私の感想

『坊っちゃん』についての私の感想

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『暁の宇品』

2022年01月08日 | 評論
堀川惠子『暁の宇品』(講談社、2021年9

副題に「陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」とある。文字通り陸軍が国外、つまり海の向こうの外国に侵略するために軍隊を送り込むためには、20世紀の前半には船舶輸送に頼るしかなかったことから、陸軍に船舶輸送全般を差配する司令部があったことを示している。

この本でも書いてあるが、船舶なのだから海軍が担当すればいいのではないかという疑問が誰しも浮かぶが、海軍と陸軍の来歴が藩閥政治によって薩摩と長州に分裂していたことから、そのような発想はなかったという。

それにそのそも最初の国外といっても朝鮮半島や中国であり、それほどの距離がなかったので、船舶輸送もそんな難しいことではなかったが、東南アジア全域を対象とした太平洋戦争では、船舶輸送の役割が重要であった。

その司令部が広島の宇品にあったことから、そこを拠点にした司令部の活動を詳細に紹介したのがこの本である。

ガダルカナル、ノモンハン、ミッドウェー、硫黄島、日本の軍隊の愚かしさをこれでもかというほど示した戦場は多くあって、それぞれに戦記、回想記、小説、論文、映画などで描かれてきた。それらにまた船舶輸送の分野が追加された、というのが読後の感想である。

資料の関係から、前半は昭和15年まで司令部のトップにいた田尻昌次、後半は篠原優という軍人を軸に描かれているが、この二人、とくに田尻は優れた軍人であったことを示すエピソードがいくつもあるが、もしそういう人の意見が軍隊内部で通っていたら、どうなっただろうか、という問いそのものが、ことは軍隊なので、虚しいというほかない。

『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』へはこちらをクリック

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