読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

2020年に読んだ本のベスト

2020年12月30日 | 日々の雑感
2020年に読んだ本のベスト

今年はコロナ禍でステイホームの日々だったこともあり、年間の読書数は60冊になった。時間はあっても気力も体力もなくなって、思うほどには読めなかった。それに最初の数ページを読んで、入り込めないと、最後まで読み通すのに苦労するようになった。だから、実際に手にした本の数から言えばもっと多いのだが。

1.松本薫『謀る理兵衛』(ポプラ社、2013年)
元禄時代の大坂の米商人と権力の闘いを描いた小説で、大坂商人の意気(粋)、人間の再生、主人を支える者の真っ直ぐな心のあり方などいろんな視点から読める歴史小説。著者の松本薫さんに期待する。

2.NHK取材班『外国人労働者をどう受け入れるか』(NHK出版新書、2017年)
コロナ禍のせいで、仕事がなくなり、かと言って祖国に帰ることもままならず、妊娠・出産した赤子を遺棄したという悲惨な事件があったが、そもそも労働者として働かせるために日本に越させておきながら、研修だから労働者ではないと言って、労働法規の範囲外に置く違法を日本政府が行っているとは。慰安婦問題、強制労働問題をはじめ、日本政府は外国人をまともに人間として扱わない政府だということがいつになったら改まるのだろうか。

3.榎本博明『教育現場は困ってる』(平凡社新書、2020年)
昨今やたらと見かける「夢はかなう」式の自己啓発が、たんにアニメとか小説とかの世界ではなくて、教育に浸透して、そのような「夢」さえも描けないという出発点から落伍している子どもたちを生み出しているということを告発している。国民教育の目的は、一人の主権者としてきちんと物事の判断ができるのに必要な基礎学力を身につけさせることにあるのであって、「夢」を描かせることではない。

4.群ようこ『また明日』(幻冬舎、2019年)
私と同世代の少年少女たちの小学校時代から現在にいたるそれぞれの人生を描いて、なんだか同窓会をしているような小説。まったく架空の少年少女たちなのに、懐かしさを感じてしまう。

5.海堂尊『コロナ黙示録』(宝島社、2020年)
コロナ禍において恐怖感や絶望感を抱いている多くの国民の代わりに無策・無能どころか犯罪的なことしかやらない政府権力者たちを批判してくれる人たちを、私たちは求めている。無能な政府を擁護する奴らは言うまでもなく、専門家と言いながら、国民目線ではなく、政府を批判するような素振りを見せても彼らの免罪をしているような発言を繰り返している奴らの無能ぶりを描き出してくれたこの小説に拍手喝采を送る。

6.山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書、2016年)
辞任した安倍とか首相になった菅とかを始めとして多くの閣僚が所属している日本会議の目指している国家のありようが、安倍やスカスカ首相によって着々と作り出されてきたということを告発した本で、多くの国民に読んでほしい。日本国憲法を最大限に尊重しなければならない立場にありながら、「みっともない憲法です」と日本国憲法を貶めるような発言をしてきた安倍、国会で嘘八百を繰り返してきた安倍、なんとかしてこいつを司法の場にひきづり出したいものだ。天皇を政治利用して、国民を戦争に引きずりこもうとしている日本会議の思い通りにはさせない。


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『イスラーム世界の挫折と再生』

2020年12月29日 | 人文科学系
内藤正典編著『イスラーム世界の挫折と再生―「アラブの春」後を読み解く』(明石書店、2014年)

世界のあらゆる国々がいちおう国民国家という体裁を取っている。つまり宗教から分離したルール(憲法)を国家基盤として、そのルールに則って国家運営という高度なものから、社会生活という日常的なものまでが動いている。

しかしイスラームの国々では、そうした世俗的なものよりもイスラームの教えのほうが上にあるという考えから、それらの行動規範が作られるというのが著者の考えのようで、そうでない国々はイスラームの教えと法制度が矛盾をきたすことになるという。

しかしイスラームの国の国民がすべてイスラーム教徒とは限らない。一人でもイスラーム教徒でない人が国民にいたら、憲法の上にイスラームの教えを置くというのはおかしなことになる。このこと一つを取ってみても、国家というものは政教分離をするべきだと考えるのだが、著者はどうもそうではないようだ。

たとえばイスラム圏では女性の地位が低い。女性の権利がないがしろにされている。これが著者のような考えでいけば、永遠に改善されないことになるが、どう考えているのだろうか。

第一章の中田考の論考も奇妙だ。ムスリム社会の現実と理念の乖離ということが問題にされているが、そもそもその理念というのは、今から数千年前に作られたイスラム教の教えであろう。なぜ彼らはそういうものを理念とするのか。たとえば非宗教的国家の場合、少なくとも近代の数百年において人間が宗教問題や国家間の争いなどの試行錯誤をすることによって築き上げてきたルールの集成である。つまり人間と国家の行動規範として最新のものだ。だからそれを国家の理念とすることは理にかなっている。

だがムスリム社会の理念はそうではない。彼らを縛るのは数千年も前の教えだが、そこで語られている教えが、それが創られて以降のムスリム社会のさまざまな戦いや諸困難の克服を反映しているわけがない。つまり現実を反映していないような理念になぜ彼らは縛られなければならないのか、私には理解できない。

また中田考は社会契約論を否定的に説明している。もちろん西欧社会においても、社会契約論自体が空想の産物で、現実の歴史において社会契約がなされたことを信じている人は一人もいないと思う。そうではなくて、社会契約論を定理として措定することによって、西欧社会の人々は社会革命を正当化したのだ。私たちの社会は主権者である人民が契約によって創った社会なのだから、契約をし直すことによって王政を倒すとか別の政治制度を制定することができるという政治革命の論理を手に入れるためのものだ。そのへんのことを中田考は理解しているのだろうか。

規範的イスラームは、生まれたときから毎日のようにムスリムの規範が染み込んだ礼拝を行うから子供のうちからイスラームの信仰告白を日々新にしている(p.35)とあるが、だからイスラームの教えは現代にも生きていると言いたいのだろうか?

それに人間が創った法律(人定法)はだめでイスラームによる立法でなければならないという考えがイスラーム世界では主流のようだが、1990年代にいくつかの国々で進められた民主化の運動が弾圧されたことが記述されている。そもそもイスラームの人々が求める「民主化」とはいったい何なのか?それにイスラームによる立法で女性の社会的地位は男性と同等になることが保証されるのか?

私にはイスラーム世界のこの混迷を解決するには、宗教から独立した国家の設立以外にないように思うのだが、どうも中田考たちの考えは違うようで、それを理解したいと思ってこの本を読んでみたのだが、私の混乱した頭はさらに混乱を深めるばかりだった。

『イスラーム世界の挫折と再生――「アラブの春」後を読み解く』へはこちらをクリック



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コロナ禍での日本政府の犯罪的行為

2020年12月21日 | 日々の雑感
コロナ禍での日本政府の犯罪的行為

左の写真は今朝の『朝日新聞』の投稿欄に載っていたもの。病院でPCR検査が必要と言われて電話しているのに、つながらない、つながってもたらい回し、病院からの電話でなければだめ、病院長が依頼してもだめ。

世界中で猛威を奮っているコロナ禍で、人によっては素早く対処しないと重症化して、亡くなってしまうというケースがたくさん報道されているのに、「規則だからだめ」って何なの?

いったどこのどいつがそんな命令を出しているのか?行政のトップが大人数での会食はだめだと国民に言いながら、自分たちは裏でそういうことを連日のようにやっているから、こんなことになっている。スカスカ首相や二階幹事長がやっているのは、無策ではなくて、国民への犯罪的行為だ。

それだけではない。これも昨日夜9時のNHKスペシャル。コロナ・ウィルスを死滅させることができる薬の開発に一番近いところまで研究を進めている鹿児島大学の研究者が、研究資金がなくて、たったの3人で研究をしているとか、こともあろうにそのうちの1人が非正規雇用の研究員で、来年3月以降は雇用し続けられないかもしれないとか。どうして国が資金援助をして、もっと素早く研究が進められるようにしないのか。信じられないの一言。

その他、コロナの薬を開発しても、治験を行なわなければならない。そのための人集めをはじめとして研究者自身が行なわなければならない状態のため、まったく進まない。どうして国がそれを協力して推進していかないのか?

外国の製薬会社の作るワクチンのためには、それこそ日本人に効くのかどうかも分からないのに、大金を積んで確保したというが、果たして日本に回ってくるのかどうかも分からない。

今から12年も前にすでに今回のコロナのような感染症がどんなふうにしてパンデミックとなっていくのか、一度パンデミックになったら、どのようにして対処するべきか、それを予想して日本や外国ではどんな対策が行なわれているか、あるいは行なわれていないかを報道した番組がNHKであったようだ。それを私も見て、このブログに書いていた。

こちら



これを読むと、アメリカは人工呼吸器やワクチンの摂取の仕方など着々と準備がなされているのに、日本は厚生労働省がまったく無責任で、人工呼吸器の備蓄など、自分たちの管轄ではなくて、地方自治体の責任だと言っている様子などがわかり、現在のコロナのパンデミックでの日本政府の無策など、すでに12年以上も前から予想されていたということがわかる。

日本政府はまったく無策という以上に、GoToトラベルなどをやって、感染が比較的少なかった地方にまで感染を広げたという意味では、まったく犯罪だ。

今すぐ彼らを辞めさせて、コロナ対策を転換させよう。


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菅内閣の支持率急低下&東京新規感染者数一気に800人超え

2020年12月19日 | 日々の雑感
菅内閣の支持率急低下&東京新規感染者数一気に800人超え

東京では17日新規感染者数が一気に800人超えて822人になった。まもなく新規感染者数が1000人の大台を突破しようとしている東京は収容する病院がないという。

しかし感染していても無症状の人も病院に収容していては病室が足りなくなることは目に見えている。そういう人たちを収容するためにオリンピックのために建てた選手村を利用すればいい。

料理を作る設備もあるのだろうから、そこで料理を作って、部屋に配膳すればいい。フロアごとで区別するのではなく、建物ごとに区別することもできる。それぞれに部屋にバス・トイレがついているのだろうから、こんな施設を有効利用しない手はないのに。よそ事ながら、どうして誰も声を上げないのかと不思議。

多くの調査で、菅内閣の支持率が急低下している。うろたえてGoTo全面停止を決めたが、感染拡大は止まらない。

政府がGoToトラベルの全面停止を発表した14日の夜に、スカスカ首相が二階幹事長ら15人という大人数でステーキ会食していたことが報道され、それへの非難が起きると、「国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省している」と発言。

「誤解」じゃないでしょう。真実だ。上の発言は、誤解を招いたことは反省しているが、大人数で会食したことへの反省の言葉ではない。当然、あちこちから非難殺到。こちら

フランスではマクロン大統領も前日に大人数と会食した結果、コロナに感染したらしい。スカスカ首相も感染するかもしれない。でもこの人たちは感染してもトップレベルの医療が受けられる。だから大した心配もしていないのじゃないか。私たち庶民は、PCR検査自体がすぐに受けさせてもらえないという心配をしているのに。

もうじき年末。年末といえばボーナス。多くの病院で医療関係者へのボーナスがカットされるという。政府といい、東京都といい、大阪府といい、どうしてこんなに医療関係者に、口先だけで、金銭的物的精神的厚い支援をしないのだろうか?誰が反対している?厚労省のトップ?

週刊ポストの記事によれば首相補佐官の和泉洋人が大きな力を持っているという。「菅さんは6月にGo To キャンペーンを取り仕切るようになって完全に復権しましたが、和泉さんはその少し前からでしょうか。ダイヤモンド・プリンセス号の失態で政策からやや遠ざけられていた和泉さんは、不倫疑惑が報じられた厚労省の大坪寛子さんとともにコロナ対策に復帰しました。アビガン、PCR検査、国内ワクチンの開発という3点セットだけでなく、あらゆる政策に口を出すようになった」という、ある官僚の話が書かれている。こちら



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『プロパガンダ戦争』

2020年12月18日 | 人文科学系
内藤正典『プロパガンダ戦争』(集英社新書、2020年)

同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授をしていて、現代イスラム地域という非常に複雑な問題を研究している人の本。

この本でも冒頭に述べられているように、かつてソ連があったことは、冷戦時代で、社会主義と資本主義、社会主義と民主主義という二項対立でものを見ればよかったので、事件や物事の理解も意外と容易に思えていたという。

だが、ソ連が崩壊し、冷戦時代が終わって、それまでの対立軸がなくなって、あちこちで起きている民族紛争、国家間の紛争、内戦、対テロ戦争などを正しく理解することが非常に難しくなっているという。

とくにこの難しさが最も特徴的なのが、中東や北アフリカで起きた「民主化運動」での各国の内乱や内戦、そしてさらにシリアでのアサド政権と反政府軍との戦いや「イスラーム国」その他のイスラム組織の軍事行動だ。そこには政府vs反政府、イスラム教のスンニ派やシーア派などの宗派同士の対立や紛争が複雑に絡み、そこへ隣国トルコやロシア、そしてアメリカが絡んで、私のような素人にはもう何がなんだか分からない様相を呈している。

そしてとくにシリアの内戦で生じた数百万人という難民がトルコなどを経由してEUに流れていき、EU内部でもフランスやドイツのような経済的に発展している国々とギリシャや東欧諸国のような経済的発展が不十分な国々との難民問題での対立、そして難民を受け入れてきたが、もうこれ以上は不可能という臨界で難民をヨーロッパに放出するというトルコとの関係によって、さらに複雑になっている。

この著者は、基本的な立場として、ヨーロッパにおけるイスラームの扱いを批判し、同じイスラム圏の国であるトルコ(エルドゥアン政権下)、ヨルダンやレバノンなど多くのシリア難民を受け入れてきた国の違いを解説しようとしている。

とくにトルコのエルドゥアン大統領については、政治というものには原理原則が必要だが、それだけではだめで地政的なバランス感覚や臨機応変の対応力が大事という意味で、高く評価しているようだ。そして多くの日本のジャーナリズムがよく調べもしないで、他国の報道などを鵜呑していることも批判している。

冷戦時代が終わったら、世界がスッキリするのではないかと思っていたが、そんな生やしいさものではないようだ。

『プロパガンダ戦争 分断される世界とメディア』 (集英社新書)へはこちらをクリック


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『大地よ!』

2020年12月13日 | 作家ア行
宇梶静江『大地よ!』(藤原書店、2020年)

何を期待してこの本を読もうと思ったのか、自分でも思い出せない。書評を読んで、興味を持ったと思うのだが。そして図書館での順番が来るまでだいぶ時間があったので、その前に息子の宇梶剛士の本を読んだ。たしかにその壮絶な半生記は、だれでも経験できるものではない話だが、ここに感想は書いていない。

そしてやっと順番が来て、この本を手に取ることができた。だが、しょっぱなから違和感を覚えながら、読み進めた。自分でもよくわからないこの違和感。なんなんだろう。

アイヌは、いわゆる先住民である。カナダのイヌイット、アメリカのネイティブ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニー、そして日本のアイヌ、つまり先住民が、いわゆる後から入ってきた民族に土地や言葉や生き方を奪われるという歴史は、世界中で同じパターンをたどっている。

たいていは文字を持たないために、知らないうちに土地を収奪され、文明社会の中で生きていくしかなくて、同化政策によって、自分たちの言葉や習俗、生活の仕方を奪われてしまう。

ある意味、密林、北極圏など、なかなか人間がアプローチできない場所に隔離状態で暮らしてきた先住民たちが外の世界の「文明社会」との接触が原因である。

そのような先住民の歴史は、どこにでもある。例えば、フランスでも、もともとはケルト人と呼ばれる先住民がいた。彼らも文字を持たなかったが、「高度な」文化を持っていた。しかし南からやってきたローマ人たちや東からやってきたゲルマン民族との侵入に敗れて、イギリスに渡ったり、フランスの西のブルターニュに行き着いたりして生き延びた。千数百年も昔の話なので、問題にならないが、ほぼ現在のイヌイットやアボリジニーやアイヌたちと同じ運命をたどったのだろう。

アイヌに対して和人が行ったことが、この本でも書かれているし、たぶんもっと詳細な歴史を対象とした本には明確に書かれているのだと思うが、この著者が言いたいことが果たして何なのか、私にはよくわからない。

では、現在の日本が抱えるいろんな問題(これだって、いろんな規定の仕方があるだろう)を、この著者がよって立つような「アイヌの精神性」によって乗り越えることができるのか、といえば、そんなことは不可能だと思う。

なにかルソーが書いたような文明批判の書として読むのは無理でも、最近では多くの人が書いている自伝だというのなら、私にも理解できる。

『大地よ! 〔アイヌの母神、宇梶静江自伝〕』へはこちらをクリック





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Goto絶対やめないそうな

2020年12月11日 | 日々の雑感
Goto絶対やめないそうな

これだけあちこちからGotoやめろと批判されても、スカスカ首相は、「絶対やめない」と言っているそうな。

そりゃそうでしょ。自分を首相にしてくれた二階幹事長が「全国旅行業協会」の会長してて、彼がGotoを取り仕切っているんだから。二階幹事長の言いなり首相なんだもーん。

安倍首相のときには、安倍がどんなに馬鹿なことをしたり、言ったりしても記者会見で、尻ぬぐいしたり、回答を逃げ回ったりしていた。安倍の言いなり官房長官だったんだもーん。

以下は15日に追加------------------

「考えていない」と言っていた「GoTo全面停止」を15日に突然のように発表したが、その理由が「これ以上行うと全てGoToに責任を負わされる」とスカスカ首相が言ったと、15日の「ひるおび」で報道。実際、GoToのせいで第三波がきたのは明白でしょう。

全面停止と言っても、その中身は12月28日から1月11日までという中途半端なもの。要するに、正月休みをちょっと長めにしてホームステイしていろよ、ということ。

多少は感染者数が減るかもしれないが、こんなことで感染が収まるわけがないことは、素人でも分かる。国民の批判に押されて、やりましたよ感を出しているだけ。GoToのせいにされたら二階幹事長に悪いから、というのが本音でしょう。

先週土曜日12日のytvの昼の今田耕司がMCやっている番組に、木村盛世という元厚労省技官が出ていて、RIKACOが「コロナはなんで老人では重症化するんですか?」と質問をしたところ、「コロナは老人が好きだから」だって。

この言葉だけで、いかに厚労省の役人どもが国民をバカにしているかおわかりだろう。どうせ難しいこと言ったって分かるわけない、だから「コロナは老人が好きだから」と言っておけばいいんだ、という感じ。

この木村という女はコロナが始まってからずっと(最初は3月か4月頃のたけしのTVタックル)PCR検査は無駄、国民の半数が抗体をもつまでほっとくしかないと言っている。これが厚生労働省の考えでもあるのだろう。

こんな奴らにコロナ対策を任せていたら、助かる命も助からない。早くスカスカ内閣を辞めさせて、まともなコロナ対策を打てる内閣にしなければ、GoToといいオリンピックといい、日本はむちゃくちゃにされる。

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Windows10システム崩壊で肝を冷やした

2020年12月07日 | 日々の雑感
Windows10システム崩壊で肝を冷やした

12月6日、Studio ftn Score Editorという「五線譜に音楽記号を自由に配置できるフリーのMIDIシーケンサー」アプリをインストールした。このアプリ自体は、別に悪さをするようなアプリではないどころか、「五線譜に音楽記号を自由に配置できるフリーのMIDIシーケンサー」という解説とおり、すごく便利なアプリだ。

プロではなくて個人が作っているアプリにはたいてい「Read me」が付いていて、インストールの仕方とか、開発の履歴などが書いてある。そこに、「アンインストールを使ってアンインストールすると、システムが崩壊してしまうという欠点があることが最近分かったので、これは絶対に使用しないように」というような説明が書いてあって、「へぇ、システム崩壊ってどんなことになるんやろ」と思いながら流し読みした。

半日ほどこれで遊んでいて、私が作った楽譜を残しておこうと思って、「名前をつけて保存」をクリックしようとしてもそれがない。解説を見ると、Pro版は所定の金額を払わないと、試用版あつかいになり、保存ができないという。

もうひとつ同じアプリだが無料版のアプリもあり、こちらはそれができるというので、それと入れ換えようと思い、Pro版のほうを、いつもの癖で、Windowsの「設定」の「アプリ」から「アンインストール」した。直後には別に何も問題なかった。それから無料版の同じアプリをインストールして、しばらく遊んだ。

そして夕方に、パソコンをシャットダウン。そして翌朝、電源オンすると、おかしい。あれあれ、Firefoxは起動して、ネットは見ることができるのに、ファイルを開いても、真っ白け。フォルダも真っ白け。システムが働いていないわけではないし、アイコンも残っているのに、文字情報だけが消えたみたい。

ワードもエクセルも中身は真っ白け。PDFは文字情報ではないので、損害はない。外付けのハードディスクにバックアップを取っているので、そちらを開いても真っ白け。

ここでXXXXが縮みあがる。もしかして、情報が全部消えた?頼みのバックアップも消えた?

すぐにMacbookを出して、外付けハードディスクをこちらにつないでみる。するとこちらは消えていなかった。たぶんWindows本体が文字情報だけを消すように状態になっていたようで、そのために外付けハードディスクの中身も読めなくなっているようだ。すこし気持ちが落ち着く。

とにかく本体をなんとしなければならない。毎週一回システムのバックアップを取っているのだから、それを使って回復すればいいと思い、「設定」→「更新とセキュリティ」をクリックするも、画面が真っ白け。文字はすべて消えているが、なんか枠だけが残っている。文字はないからどこをクリックしていいかまったく分からない。

枠だけが残っているので適当にクリックしたら、たまたま「システム回復」の場所だったようで、30分くらいして、「システム回復」したので「再起動」と出たので、再起動するも、なにやらおかしい。電源が消えるだけで、再起動しない。自分で電源ボタンを押して、電源を入れると同じ動作の繰り返しで、もとに戻らない。「システム修復ができない」という表示になる。

ここでまた「これって壊れたの?」とXXXXが縮みあがる。頭の中も真っ白け。落ち着け、落ち着けと言い聞かせる。Macbookを使ってあれこれ調べる。そういえばこういうときのために「回復ディスク」というものをUSBに作っていたと思い出し、Macbookで、使い方を調べると、わかりやすいサイトがあったので、その指示通りに、やってみると、一週間前にシステムのバックアップを取ったところに「回復ポイント」があり、外付けハードディスクをつないでシステムの回復を行う。

1時間位たってやっと元通りになる。最初は動作が遅かったが、再起動をニ・三回繰り返して通常の速さに戻った。やれやれ。

もとはといえば、するなと解説に書いてあったことをした自分が悪いのだけど、バックアップを取っておいてよかった。もしこれがなかったら、仕事に使っているパソコンであるだけに、たいへんなことになるところだった。バックアップの重要性が身にしみた経験であった。



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