読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『大阪』

2022年03月26日 | 作家カ行
岸政彦・柴崎友香『大阪』(河出書房新社、2021年)

岸政彦の大阪本なのだが、ほとんど自分のことしか書いていない。それも大学を卒業してからの数年のことばかりと言ってもいい。

新聞の書評欄だったか、あるいは読者欄だったか、ある若者が岸政彦の『東京の生活史』を図書館で借りて読んでいたら、父親が、そんな本は自分で買って、辞典のように読むのがいいのだと言って、お金をくれたというような話を読んだことがきっかけであった。

私は大阪の住人で、東京のことは知らないから、『東京の生活史』を読んでもつまらないので、大阪本はないかと思ったら、『大阪」というタイトルの本があったので、図書館で借りてみた。

たぶん『東京の生活史』とは似ても似つかない内容なのだろうと思う。きっとこちらは学術的なレベルのものなのだろうが、『大阪』は上にも書いたように、彼の回想にすぎない。

もちろん興味深いところもたくさんあるのだ。とくに大阪の良さには、いまだに差別を裏に隠した側面があるという指摘など。これはこの本に書いてあったことではなくて、知り合いから聞いた話だが、いまだに、知り合いの出自を探って、周囲の人に言いふらす人間がいるというのが、私には信じられないのだが、表に出てこないだけで、現実はそうなのかもしれない。(こういうことは東京ではすでに消えたことなのだろうか?)

私はどちらかといえば根無し草的な人間だと思っている。ここにもふるさとのことをよく書いているが、もうあちらに帰って暮らすことはないだろうし、かといって大阪の人間にはなりきれない。

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『全員悪人』

2022年03月24日 | 作家マ行
村井理子『全員悪人』(メディアハウス、2021年)

滋賀県の琵琶湖のほとりで家族と暮らす翻訳家の村井理子さんの日常エッセーで、今回は夫の母が認知症になって、まわりの人間に敵意を剥き出しにする様子を描いている。

認知症の現れの一つでけっこう多いのが、まわりの人に自分のものを盗まれたというやつである。その「犯人」が嫁、婿、世話をしに来てくれているワーカーさん、施設に入っている場合には世話をしてくれている担当者だということが多いので、厄介だ。うちのかみさんの母親も同じパターンだった。ただこの人の場合には施設を変わったら、治った。

村井理子さんの義理の母親の場合には、ものを取られたが、夫を取られたになった。ワーカーさんが夫(90才前で、脳梗塞をやって足腰がおぼつかない)に色目を使って、夫が籠絡され、不倫をしているという妄想を持つようになったという。

うちのかみさんの母親も同じパターン。ただうちの場合は夫(つまりかみさんの父親)が亡くなったので、この妄想もなくなった。

村井理子さんのエッセーの面白さは、彼女の対人関係の処し方の面白さ(もちろん文章力が前提であることは言うまでもない)から来ているので、今回のエッセーのように、義理の母親の視点から描くと、村井理子さんの文章の面白さが半減してしまう。ただただ怒りまくっている年寄のぐちを読まされていることになって、残念だった。

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『北帰行』

2022年03月16日 | 作家サ行
外岡秀俊『北帰行』(河出書房新社、1976年9

少し前の新聞の書評欄で見たので興味を惹かれて読んだ。

作者が23才、東大法学部の学生のときに出版された。

「目を覚ますと、列車は降りしきる雪の中を、漣ひとつ立たない入り江に辷り込む孤帆のように、北に向かって静かに流れていた。」という出だしから、すぐに作品世界に入っていける文章力は素晴らしいとしか言いようがない。

石川啄木の生涯を自分の生涯とダブらせた主人公が、埼玉県あたりの飯場で再会した幼なじみの卓也から、子どもの頃から淡い恋心を抱いていた由紀への手紙を託されて、ちょうど啄木がたどったのと同じ行程―東京、盛岡、青函連絡船、函館、札幌を昭和47年にたどりながら、自分の生涯を振り返り、啄木の作品批評をしていくロードムービーならぬロード小説とでも言えばいいだろうか。

思索に裏打ちされた「華麗」とでも言っていいような文体に、えっ!これが23才の若者の処女作?と驚きながら読み始めたが、だんだんと、数十年後の著者が読み返したら恥ずかしくなるのではないかと思えてくるほど理念的な言辞を撒き散らした小説だということが見えてくる。

啄木の生涯と自分の生涯を同一視している主人公の作りといい、自意識過剰な自分をもてあましているような理念先行の文章への脱線といい、それはいいから事実―もちろん小説内の事実―だけを書いてくれ!と言いたくなる。

きっとこの小説が書かれた時代状況を知った上で読まなければ、作者の意図を汲み取ることはできないのだろうと思う。1970年代始めは、60年代後半の安保反対闘争の火が消え、だんだんと人々の精神が体制に絡め捉えるようになっていった時代だ。72年にはあさま山荘事件や大企業爆破事件を嫌ほど見せつけて、国民の反体制運動への嫌悪感を掻き立てた。労働組合はだんだんと右傾化し、政治的革新運動は切り崩された時代。今までなかったほど全国に燎原の火のごとくに広がっていた戦後の民主主義の意識はだんだんと、個よりも国家を優先するようになる。

こういう時代に戦前の民主化運動弾圧の始まりであった大逆事件後の時代を批判しきった『時代閉塞の現状』を書いて死んだ啄木を自分に重ねた主人公を造形することがどういう意味を持つものか、想像にかたくはない。

そういう意識を持って書いた作者であったればこそ、大学卒業後に作家の道ではなくて、ジャーナリストの道を選んだこともうなずける。

たしかジャーナリストになった作者が三陸沖地震と東電原発事故の問題を扱った著作の紹介とともにこの小説のことを知ったのだった。

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久しぶりの天野街道

2022年03月13日 | 日々の雑感
久しぶりの天野街道

何年ぶりだろうか?かみさんと久しぶりに天野街道を歩いてきた。4月なみの気温で、少し霞んでいるけど、天候は申し分ない。

最近は毎日歩いているけど、時間的には1時間未満なので、完歩すれば2時間半はかかる天野街道の完歩はちょっと気後れがした。

30分くらい歩いて、バス道まで出る。そこでバスに乗って(距離的には徒歩30分くらいの距離を)バスに乗る。近大病院前でバスを降りて、トイレ休憩&コンビニで弁当を買う。天野街道に入って金剛寺まで歩く。それでも7Kmか8Kmは歩いたことになる。

土曜日だったが、全コースの半分を過ぎたあたりからほとんど人がいない。ほんとうに貸し切り状態で、のんびり歩けた。私はスタスタ歩くタイプなのだが、かみさんは草花やら鳥やらに気を取られてすぐに立ち止まるタイプなので、そちらに合わせているとなかなか前に進まない。

今日はそれでいいと最初からの考えだったので、スポーツ公園まで来た頃にはお腹がすいてきて、そこで昼食に。私はいつもの助六寿司(お稲荷さんが3つと巻き寿司が3つ)、かみさんはおにぎり2つを食べて、鳥のさえずりや風の音を聞きながら、ぼんやりと休憩。本当に久しぶりの寛ぎの時間。

開けた場所なのだが、山の中にいるような感じ。こんな感じが味わえる別荘でもほしいな!

30分ほど休憩をしてから、金剛寺手前の丘をひと上りして、金剛寺に到着。バスが30分くらい遅れるというハプニングがあったが、楽しいハイキングだった。


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