パスカル・ローズ『ゼロ戦 沖縄・パリ・幻の愛』(鈴村訳、集英社、1998年)
女性が、処女作で、ゴンクール賞を受賞したというので当時話題になったらしい。もともと文学大好き少女で、演劇集団を主宰し、舞台女優として活躍をしていたし、演劇の脚本も書いていたというのだから、もともと素養はあったのかもしれない。
たしかに主人公の少女時代―母親が戦闘機乗りだった夫を沖縄で亡くしてから精神に異常をきたし、厳しい祖母と彼女に頭の上がらない祖父と一緒に暮らしていた―の、屈折した心の中を描く前半はじつに筆力が相当なものだと思わせる。
「ふしだらな」娘を監禁して外の世界に見せないようにしている祖母、そのためにいつも陰気な家、それと対照的に明るくなんでも言い合えるナタリーの家族。しかしそのナタリーが自分に父親がどこでどうやって死んだのかをもっときちんと見据えるべきだと教えてくれたのだった。そこから主人公は父親がアメリカの戦艦に乗っていて、ゼロ戦の「カミカゼ」攻撃によって死んだことを知る。そしてゼロ戦にのって「カミカゼ」攻撃をして死んだツルカワ・オウシの「我、沖縄に死なんとす」という本を手に入れて読んだことがきっかけとなり、ゼロ戦の轟音が強迫観念となる。
大学に進み、祖父母が養老院に入り、母はある人と再婚したことで、パリのアパルトマンに一人で住むことになる。たくさんの学生が出入りし、そのなかのブルノと知り合い、恋人となる。ミュージック・コンクレートをやっているブルノは、兵役につき、休暇を一緒に過ごしに来るのだが、ゼロ戦の轟音、ツルカワの亡霊が主人公にとりつき、二人の関係はうまくいかない。ブルノが兵役を終えてパリに帰ってきてから他に女性を作り、離れていく。
ツルカワの亡霊が取り付いてしまってからの描写には、前半の少女時代の描写にくらべると、意味不明な描写が多いのは、少女時代がある程度作者自身の体験を基にして書かれたのにたいして、まったくの虚構によるものだからだろう。しかも現実に接触することがまったくないゼロ戦に乗って「カミカゼ」攻撃をして死んだ若者のイメージをつかみ、自分の存在の中に組み込むことはそんなに容易なことではない。
ヨーロッパの「カミカゼ」精神などとは無縁の精神構造をもった人たちにどのように理解されたのか分からないが、センセーショナルな受け取られ方をしたというから、よく読まれたのかもしれない。
女性が、処女作で、ゴンクール賞を受賞したというので当時話題になったらしい。もともと文学大好き少女で、演劇集団を主宰し、舞台女優として活躍をしていたし、演劇の脚本も書いていたというのだから、もともと素養はあったのかもしれない。
たしかに主人公の少女時代―母親が戦闘機乗りだった夫を沖縄で亡くしてから精神に異常をきたし、厳しい祖母と彼女に頭の上がらない祖父と一緒に暮らしていた―の、屈折した心の中を描く前半はじつに筆力が相当なものだと思わせる。
「ふしだらな」娘を監禁して外の世界に見せないようにしている祖母、そのためにいつも陰気な家、それと対照的に明るくなんでも言い合えるナタリーの家族。しかしそのナタリーが自分に父親がどこでどうやって死んだのかをもっときちんと見据えるべきだと教えてくれたのだった。そこから主人公は父親がアメリカの戦艦に乗っていて、ゼロ戦の「カミカゼ」攻撃によって死んだことを知る。そしてゼロ戦にのって「カミカゼ」攻撃をして死んだツルカワ・オウシの「我、沖縄に死なんとす」という本を手に入れて読んだことがきっかけとなり、ゼロ戦の轟音が強迫観念となる。
大学に進み、祖父母が養老院に入り、母はある人と再婚したことで、パリのアパルトマンに一人で住むことになる。たくさんの学生が出入りし、そのなかのブルノと知り合い、恋人となる。ミュージック・コンクレートをやっているブルノは、兵役につき、休暇を一緒に過ごしに来るのだが、ゼロ戦の轟音、ツルカワの亡霊が主人公にとりつき、二人の関係はうまくいかない。ブルノが兵役を終えてパリに帰ってきてから他に女性を作り、離れていく。
ツルカワの亡霊が取り付いてしまってからの描写には、前半の少女時代の描写にくらべると、意味不明な描写が多いのは、少女時代がある程度作者自身の体験を基にして書かれたのにたいして、まったくの虚構によるものだからだろう。しかも現実に接触することがまったくないゼロ戦に乗って「カミカゼ」攻撃をして死んだ若者のイメージをつかみ、自分の存在の中に組み込むことはそんなに容易なことではない。
ヨーロッパの「カミカゼ」精神などとは無縁の精神構造をもった人たちにどのように理解されたのか分からないが、センセーショナルな受け取られ方をしたというから、よく読まれたのかもしれない。