読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

佐伯祐三展

2023年05月30日 | 日々の雑感
佐伯祐三展(大阪中之島美術館)



パリで客死した画家の佐伯祐三展を大阪中之島美術館でやっているので観てきた。

10時開場なので、以前あべのハルカス美術館でチケットを買うのに長蛇の列に並んでえらい目あったので、今回は事前にチケットを購入。QRコードで読み取ってもらうというタイプ。

しかし10時に着いたら、もう開場していて、チケット券売機には人はほとんどいない。まぁこういうこともあるさ。



最近はどこの美術展でも必須アイテムとして使っている音声による説明を600円で借りる。録音は有働由美子元アナで、佐伯祐三と同じ大阪の北野高校の出身(要するに大阪出身)ということで、張り切って大阪弁のイントネーションで解説してくれた。



入り口周辺の自画像が展示してあるあたりは人が溜まっていたけど、あとはパラパラで、ゆっくり見ることができた。30歳で結核で亡くなったことや、実際にパリで絵を描いていたのは3年程度ということなので、ほとんど絵のタッチに変化はないが、3・4時間で一枚描いたという早描きの人。同じ場所を何枚も描くことが多かったので、それくらいで描けたのかもしれない。100枚くらい描いて、10枚くらいは売れそうというようなことも言っていたという。

最近の美術展にしては太っ腹で写真撮影がOK(ただし作品によっては不可のものもある)なので、私の気に入ったものを撮影してきた。

いまさらながら絵というのは写真とは違うということが佐伯祐三の絵から感じられる。って、なんてしょうもない感想しか出てこないことか。

昼食は美術館のなかにあるカフェ・レストランでパスタを食べた。カミさんと久しぶりの外食だった。


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大学で外国語を教えるということ

2023年05月19日 | 日々の雑感
大学で外国語を教えるということ

私は大学で非常勤講師として外国語を約40年教えて、昨年春に完全リタイアした。

私の場合も、教え始めたころは、大学の第二外国語は週2回を文法と読本(リーダー)に分けていた。たいていは別々の教科書を使用し、担当者も別々というところが多かった。

文法は名詞から始まって基礎的な動詞、形容詞、そして後期になると次から次へと新しい動詞の時制や法が出てきて、詰め込みになる。読本のほうは発音の基礎そして簡単な読み物、辞書が必要不可欠という内容だった。必ずしも文法で出てくる順番どおりに読本の文法項目も作られているわけではない。

そもそも私自身がそのような教育しか受けなかったし、○○語教育法という授業も受けたが、なんというか、教育法とは関係ない話ばかりの授業だったので、私が教え始めた当初も、そんな授業をしていた。

こういう教え方(文法と読本に分かれている方式)だと、文法のクラスなど、学生が一言もその言語を口にしないで授業が終わるなんてこともザラにあった。文法説明をして、練習問題をやって、オシマイだから。

初歩の段階はいいが、後期になって次々と新しい法や時制が出てくるようになると、もう学生だけではなくて、教えるほうが青息吐息状態になって、だんだんと嫌になってくる。

本当に私は教え始めて10年頃から、毎年いつ休講にしようかとカレンダーを眺めるのが習慣になった時期があった。週に4日授業があるとすると、今週は○曜日、来週は△曜日というように順番で休講するようになった時さえもあったくらいだ。

そんな私の転機となったのはA大学の専任教員に○○語教育法を専門とする人が採用されて、その人が教育方法を少しずつ変えていったことにある。そのA先生は、今で言うダイレクトメソッドによる模擬授業をネイティブ教員と一緒に行なってみせて、それをビデオに撮って非常勤講師にも見るように勧めていた。(しかもこの人は決してその方法を私たちに押し付けたりしなかったのも良かった。)

最初私はネイティブでもないのにダイレクトメソッドなんてと思って否定的だったのだが、実際にK先生がやっているビデオを見て、そのままの形では私にはできないが、基本的な考え方を取り入れることならできると思い当たり、実際にそれを授業で使ってみると、学生たちの反応もよく、一年をとおして学生たちの言語能力を高めるのに大きく貢献することになった。

これはK先生が授業のシステムも文法と読本というような方式から、できるだけ週2回を同一の教科書で同一教員が担当するという方式に改革し、しかも従来のように1年で昔の文法教科書を全部やるような進度設定を改めたことも大きくプラスに働いた。

まずダイレクトメソッド的手法で口頭で表現(前期の半分くらいは自分自身のことについての表現)を示し、学生とのやり取りをしながら学生に耳と口とで覚えてもらう。次にそれを板書して文字として定着させ、さらに文法説明をして練習問題をすることで応用の幅を広げる。

指定された教科書があったが、最終的に(前期の中間と期末といった節目のテスト)帳尻が合えばいいという考えで、教科書の順番どおりではなくて、独自にプリントを作成してそれを使って授業を進めたが、もちろん教科書もそのなかに組み込むようにした。

1時間30分のうち10分程度はこの言語が使われている国々の話をして、文化や社会のことにも理解を広げてもらう。

この教え方を始めて以降は(40年のうち最後の20年くらい)は、教えることにストレスがまったくなくなったし、楽しみながら授業をするようになった。もちろん学生からの評価も高く、本当に充実した仕事ができた。

学生たちに「○○語って面白いな」「もっと勉強してみたい」と思ってもらえるような授業をするにはどんなふうにしたらいいのか、そして実際にその言語を耳にする、自分で言ってみる、書く、読むをバランスよく習得するにはどんなふうにしたらいいのかを、いろんな教授法を調べる、考える、自分のクラスに合わせて工夫をする、といった努力を怠らないことが肝要だと思う。

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『東京坊っちゃん』

2023年05月15日 | 作家ハ行
林望『東京坊っちゃん』(小学館、2004年)

1949年、東京生まれの著者の少年時代の回想記である。

父方は、父親はのちに東京工業大学の先生、伯父は東京大学総長にもなったような人の家系であり母方は軍人の世界にいたような家系であってみれば、いわゆる底辺層の庶民ではないが、終戦直後のみんな貧しかった時代は、みんなこんな少年時代を過ごしたんだろうというような世界である。

小学校低学年までの子どもにとって「世界」は狭い。とくに鉄道線路を見ると、なぜかしらこの線路の向こうには何か知らない世界があるという気持ちになるくらい。リンボウ先生も道の角の柳の木までが「世界」だった時期があると書いているが、よくわかる。

田舎育ちの私には小学校と家とのあいだだけが「世界」で、とくに小学校とは反対側に向かう道路の先は異界のようなものだ。だからなんかの機会に、上級生たちに連れられてほんの数百メートル先の村まで行ったときには、なにやら怖くて、逃げ帰った思い出があるくらい。

そしてだんだんと「世界」が広がってくると、級友と学校の帰り道で今まで通ったことがない道をあるてみたり、田舎暮らしなので、山の麓のほうへ入ってみたりしながら、だんだんと冒険を企てるようになる。田舎暮らしの私なんかにとっては、せいぜいアケビの実を手にれたりすることくらいしかないが、リンボウ先生の場合には都会ぐらしなので、東京の(とくに父親が通っていたという東京工業大学のキャンパスで)冒険をしたりしたようだ。

別にリンボウ先生の思い出話にケチをつけるわけではないが、こういう幼少期の思い出話って、本人にしか意味がないと思う。こんなものを書いて金にしようとしたりする著者や編集者の気が知れない。



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久しぶりの金剛山登山

2023年05月11日 | 日々の雑感
久しぶりの金剛山登山

いまはピンク色の山ツツジやシャクヤクが真っ盛り。


そしてアケビの花があちこちに。小さな花なので、気をつけていないとわからない。晩夏にはたくさんの実をつけるだろう。


本当に久しぶりの金剛山登山に行った。コロナ禍になる以前のことだと思うから、5年か6年ぶりだろう。

しかもカミさんと一緒に行くのは、これまたはるかに久しぶりだ。いつも一人で行っていたので、あまり一緒に行ったという記憶がないくらい。

さて今回は一週間ほど前のゴールデンウィークに息子の家族(孫たちはまだ小学校低学年と保育園児)が行ったよという写真を送ってくれたこともあって、久しぶりに行ってみようかとなった。

足腰が不安なので、以前は正面登山道(直登で階段ばかりのコース)を登っていたのだが、これはやめて、バスの終点まで行って、ゆるゆるの道を上がるコース(距離的には少し長い)にした。

とにかくゆるゆると歩いた。でも千早園地の直前にすごい急坂があるので、これも少しずつ上がる。1時間10分ほどで千早園地に到着。もう12時前だし、私的にはここで弁当食べて降りるでもよかったのだが、カミさんがここまで来たんなら頂上(要するに社務所前)まで行こうというので、さらに30分ほどかけて頂上まで歩いた。

やれやれ。頂上のベンチで昼ごはんを食べて、広場で写真を取って、同じコースを戻って、2時44分のバスで河内長野へ戻ってきた。

下り坂がけっこう足にこたえた。腰も大丈夫だろうか。明日が心配だ。


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『土偶を読む』

2023年05月07日 | 人文科学系
竹倉史人『土偶を読む』(晶文社、2021年)

人類学者による土偶研究の本として結構知られているようだ(第43回サントリー学芸賞を受賞したとある)。最近、土偶の専門家たち(じつは自分から土偶の専門家と名乗っている人はいないと、本書には書かれている。専門家なんて言うと、土偶は何を意味しているのとか、彼らに答えられない質問があちこちから飛んでくるかららしい)から批判の本『土偶を読むを読む』(2023年4月、文学通信)という本が出版されたので、また話題になっているらしい。

私もまったく専門外だが、ある人のツイッターで『土偶を読むを読む』を読んだというのを読んで、それの元になっている本書が図書館にあったので借りて読んだら、めっぽう面白い。

結論から言うと、ハート型土偶はオニグルミ、中空土偶はクリ、椎塚土偶はハマグリ、ミミズク土偶はイタボガキ、縄文のビーナス(カモメライン土偶)はトチノミ、刺突文土偶はヒエ、遮光器土偶はサトイモをモチーフに縄文人が造形したという。

縄文時代は弥生時代と違ってまだ稲作が登場していないので、狩猟生活というように説明されているが、もちろん狩猟もやっていただろうが、だからといって定住していなかったわけではなくて、三内丸山遺跡のように大規模な集落跡も見つかっているように定住していた。

当然、上のような植物や貝類を季節にあわせて常食しており、それの収穫が集落の生存を左右することになっただろうから、それらが充分に収穫できるように、祈願するために土偶が用いられたという著者の仮説は道理がある。

私も最初にこの本のカバー写真(中空土偶=どんぐりの写真)を見て、冗談でしょうと思ったのだが、読んでみると、しっかりした調査・研究・推論の上にこの仮説が成り立っており、「なるほどなー」と唸らせられた。

途中に固苦しい記述もあるが、人類学者であり、土偶にはまったく興味がなかった著者がなぜ土偶に興味を持つに至ったかから始まる箇所は、体験談でも読むような親しみ感があって、どんどん惹きつけられる(この箇所は、飛ばしてもいいと書いてあったが、読んだほうが興味がわいてよい)。だからあっという間に読み終えた。(まぁ専門家でもなければ、固苦しい箇所はすっ飛ばしてもいいと私は思うし。)

最近では世界的な人気も出ている日本の土偶がいったい何を表し、何に使われていたのかということの研究がまったく進んでいないということだが、この著者によると、土偶研究の初期に遮光器土偶のあの目の部分が光を遮るゴーグルだと言った偉い研究者がいたのだが、それが完全に否定されたために、考古学者たちには土偶研究が一種のトラウマというか、タブーみたいなものになっていたことに原因があるらしい。

それに考古学会は、例の「神の手」事件(行く先々で次々定説を翻すような時代の石器を掘り出した考古学者がいたが、じつは完全に捏造―自分で埋めていた―だったという事件)があったしね。専門家たちがきちんとやらないからこういうことになるんだろうね。

本書が考古学の専門家以外の人に書けたのは、1.考古学会による実証的な研究がしっかりなされている(食べ物の分布や土偶の分布など)、2.あと足りないのは人類学的な象徴体系の知識と発想(まさに著者がこれの専門だった)ということにあると思う。つまり本書は偶然の産物ではなくて、書くべき人が書いた、書かれるべくして書かれた考えるべきだろうな。

本書を批判する『土偶を読むを読む』も読んでみたいけど、「素晴らしいのはデザインだけで、正直なところ内容には極めて失望しました」なんてレビューもあるしね。

後日談
『土偶を読むを読む』も図書館から借りて読んでみたが、まったく面白くないので、ここに取り上げることはしない。

旧石器時代遺跡捏造事件に触れた竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史』についての私のレビューはこちら

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『音楽は自由にする』

2023年05月01日 | 作家サ行
坂本龍一『音楽は自由にする』(新潮社、2009年)

米子に行く前に、新大阪駅の書店を回っていたら、店頭に置いてあって、新刊かと勘違いしたのだが、2009年、つまりいまから14年も前、坂本龍一が57歳のときに『エンジン』編集長の鈴木正文を相手に喋ったことを文字にしたもののようだ。

人の人生で私にとって興味深いのは、学生時代だ。とくに思春期と言われる中学・高校時代、そして人生の準備期間である大学時代、こういう時期がその人の人間形成にとって一番重要だと思うし、その時期にどんな過ごし方をしたかで、人生のかなりの部分は決まってしまうような気がする。もちろんそれはやり直しがきかないというような意味ではないのだが。

例えば北杜夫だって、終戦後の旧制松本高校で過ごした日々があればこそ、職業としては医師を選びながらも、作品を発表し続けていくことになったのではないかと思う。

まぁこの辺の、どの時代に関心を持つかは読む人それぞれなので、坂本龍一のYMO時代の話が面白かったという人もいるかもしれない。

以前、山本直純の青春時代の話を読んだことがあるが、戦後の何もない時代にいろんなところに首を突っ込みながら、作曲活動や演奏活動を行なった、じつに充実した青春時代を過ごしたことが書かれてあった。それと同じで、坂本龍一の青春時代もこれを読むと、本当に充実していたんだなということがわかる。

どうしてこんなにあれやこれやできるんだろうと私なんかは不思議な思いがする。私なんかは本当にひとつのことしかできないタイプなので、単線的というか、高校時代ならボート部、そしてそれを引退してから日本近代文学の読書や小説執筆の程度だ。ろくに勉強もしなかったし、趣味と言えるようなものも何もなかった。

ただ坂本龍一が成功したポイントはどんなハードスケジュールでもこなしたということにあるのだろう(もちろん才能を前提での話だが)。『ラスト・エンペラー』のベルトリッチ監督との話は、もうすごい、としか言いようがない。普通ならほっぽり出すだろう。依頼主の無茶振りにも食らいついていくだけの根性がなかったら、この世界では通用しないのでしょうなぁ。

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