小林善彦『パリ日本館だより』(中公新書、1979年)
ずいぶんと古い本なのだが、面白かった。小林大先生、こんな面白い本を書いていらしたとは、ルソーとかヴォルテールの本よりも面白いなんて言ったら、激怒されるだろうか。
1976年といえば、まだ私が大学生の頃で、はじめてフランスに行ったのが、1983年くらいだった。この本ではフランスは経済的に行き詰っているのに、他方で日本製品が大量にフランスに入ってきて、日本バッシングが盛り上がっていたということだ。ときは例のニクソンショックとかオイルショックなどの頃で、それまでの重厚長大がだめになって、日本ではいち早く軽薄短小のための技術革新に力を入れるようになった時代だ。その象徴が、1981年発売のソニーのウォークマン。もちろん普通の家庭には最先端の三種の神器があって、快適な生活が送れていた。そういう日本からフランスに行ってみれば、この本に出てくる学生も言っているように、なんだか遅れた国に来たみたいという印象をもつののあながち間違ってはいないことを私も実感した。
とはいえ私がこの本を面白いと思ったのは、当然のことながら、パリの14区にある国際学園都市の話から始まるが、そこには小林先生が館長をしていた年の数年後に私もひと夏滞在したことがあるので、懐かしかったということもある。カンボジア館は本国の都合により(例の虐殺の時期だったのだろう)閉鎖されていたと書いてあるが、たしかにそうだった。私は友人が住んでいたキューバ館にその人のつてで入れてもらっていた。一番西側にあるので、ポルト・ドルレアンのメトロの駅のほうをよく使っていたし、あの頃は西側にもレストランがあったが、現在はもう本部の建物の地下しか営業していない。その後2000年にもドイツ館を利用した。治安もいいし、住みやすいところだが、20年前に比べるとなんだか寂れていっているようで残念だった。
私がこの本をもっと面白いと思ったのはなんといっても、小林先生のフランス人論である。フランス人のものの考え方がずばり書いてあって、そうそうと思いながら読んだ。パリにはすりがたくさんいて特に日本人はお金を持っていると思われているから狙われる。そして財布を取られたりした人たちを私もよく知っているので、小林先生がこうやって本に書かれるくらいだから、たしかにその通りなんだな、もっとガイドブックなんかで注意を喚起すべきだと思う。
それにしても議論の仕方でフランス人と渡り合う方法というのは傑作だ。フランス語ができない場合とできる場合とで分けて書いてあるところなど、さすがに小林先生はすごいと思わざるをえない。逆に考えれば、私はNonと言われて、すぐに引き下がった経験が何度かあるが、そこからが出発点と考えれて、こちらの事情を話して、一点の隙間でもあれば、可能性を残しておくような努力をすべきだったのだな、そうすれば相手も多少はこちらの熱意を理解してくれたかもしれないなと反省している。いまさら反省しても仕方がないのだけど。
小林先生がこれを書いた時代と大きく変わったところは、日本の文化が多少なりともフランスで認知されてきたということだろう。日本のマンガを読んで日本語を勉強したいと思い、実際に日本語を勉強し始めたフランス人がどんどん増えてきている。もう今までのように、日本人はフランスから一方的に学ぶだけではなくて、フランス人が日本に来て日本を学ぶ時代になったといえる。しかし日本人の側にそういう意識がない。だからいつまでたっても日本人はフランスに行くことしか考えていない。フランス人を日本に来させることをこれからは考えるべきで、その意味では、私たち日本人がフランス語やフランスを勉強するためにパリ大学に留学したように、フランス人が日本語や日本の文化を勉強するために、まったく日本語を知らない段階からでも短期長期に日本の大学で勉強できるようなシステムや体制を作るべきだと思うのだが、どんなものだろうか。
最近、また別の人が館長の任期を終えて、館長だよりのようなものを出版したらしい。どんな風に書かれているのか読んでみたいものだ。
ずいぶんと古い本なのだが、面白かった。小林大先生、こんな面白い本を書いていらしたとは、ルソーとかヴォルテールの本よりも面白いなんて言ったら、激怒されるだろうか。
1976年といえば、まだ私が大学生の頃で、はじめてフランスに行ったのが、1983年くらいだった。この本ではフランスは経済的に行き詰っているのに、他方で日本製品が大量にフランスに入ってきて、日本バッシングが盛り上がっていたということだ。ときは例のニクソンショックとかオイルショックなどの頃で、それまでの重厚長大がだめになって、日本ではいち早く軽薄短小のための技術革新に力を入れるようになった時代だ。その象徴が、1981年発売のソニーのウォークマン。もちろん普通の家庭には最先端の三種の神器があって、快適な生活が送れていた。そういう日本からフランスに行ってみれば、この本に出てくる学生も言っているように、なんだか遅れた国に来たみたいという印象をもつののあながち間違ってはいないことを私も実感した。
とはいえ私がこの本を面白いと思ったのは、当然のことながら、パリの14区にある国際学園都市の話から始まるが、そこには小林先生が館長をしていた年の数年後に私もひと夏滞在したことがあるので、懐かしかったということもある。カンボジア館は本国の都合により(例の虐殺の時期だったのだろう)閉鎖されていたと書いてあるが、たしかにそうだった。私は友人が住んでいたキューバ館にその人のつてで入れてもらっていた。一番西側にあるので、ポルト・ドルレアンのメトロの駅のほうをよく使っていたし、あの頃は西側にもレストランがあったが、現在はもう本部の建物の地下しか営業していない。その後2000年にもドイツ館を利用した。治安もいいし、住みやすいところだが、20年前に比べるとなんだか寂れていっているようで残念だった。
私がこの本をもっと面白いと思ったのはなんといっても、小林先生のフランス人論である。フランス人のものの考え方がずばり書いてあって、そうそうと思いながら読んだ。パリにはすりがたくさんいて特に日本人はお金を持っていると思われているから狙われる。そして財布を取られたりした人たちを私もよく知っているので、小林先生がこうやって本に書かれるくらいだから、たしかにその通りなんだな、もっとガイドブックなんかで注意を喚起すべきだと思う。
それにしても議論の仕方でフランス人と渡り合う方法というのは傑作だ。フランス語ができない場合とできる場合とで分けて書いてあるところなど、さすがに小林先生はすごいと思わざるをえない。逆に考えれば、私はNonと言われて、すぐに引き下がった経験が何度かあるが、そこからが出発点と考えれて、こちらの事情を話して、一点の隙間でもあれば、可能性を残しておくような努力をすべきだったのだな、そうすれば相手も多少はこちらの熱意を理解してくれたかもしれないなと反省している。いまさら反省しても仕方がないのだけど。
小林先生がこれを書いた時代と大きく変わったところは、日本の文化が多少なりともフランスで認知されてきたということだろう。日本のマンガを読んで日本語を勉強したいと思い、実際に日本語を勉強し始めたフランス人がどんどん増えてきている。もう今までのように、日本人はフランスから一方的に学ぶだけではなくて、フランス人が日本に来て日本を学ぶ時代になったといえる。しかし日本人の側にそういう意識がない。だからいつまでたっても日本人はフランスに行くことしか考えていない。フランス人を日本に来させることをこれからは考えるべきで、その意味では、私たち日本人がフランス語やフランスを勉強するためにパリ大学に留学したように、フランス人が日本語や日本の文化を勉強するために、まったく日本語を知らない段階からでも短期長期に日本の大学で勉強できるようなシステムや体制を作るべきだと思うのだが、どんなものだろうか。
最近、また別の人が館長の任期を終えて、館長だよりのようなものを出版したらしい。どんな風に書かれているのか読んでみたいものだ。