米子旅行
24日25日と一泊で米子に旅行した。というか帰省したと言うべきか。今年は上さんの体の調子もいまひとつなので、一泊だけで戻ってきた。とりあえずは一人で暮らしている母親の顔を見てくるのが第一の目的であるから、とくに何をするということもない。だからたいていは大山に行ったり、去年のように松江に旅行したりすることが多いのだが、今年は一泊だけで時間もないので、早めに米子に着いて、高校時代を過ごした米子の町を歩いてみた。
といってもこの灼熱のなかあちこち歩くわけにはいかないので、元町サンロートと本町商店街を歩いて、今井書店に行って、水木しげる関係の本でも郷土のコーナーで探してみようというつもりであった。この商店街は高校生の頃に、自宅から米子東高に行くにも、また帰りに高校から艇庫のあった錦公園に行くのにも通った商店街で、今井書店やその他の古本屋などは時間があると立ち寄ったところだ。数年前にも今井書店で水木しげるのマンガを買ったことがあったので、ちょっと楽しみだった。
駅から日陰を選びながら駅前の大通りを少し歩くと本町サンロードに入る。入ってすぐのところに「小田ふとん店」がシャッターの下りたままにあった。ここは若かりし頃の親父がかつて働いていたところで、結婚してから、正職として働いているのは親父だけだったので、5人の家族を養うために、脱サラをしてここを辞め、自分で畳屋を開業した。自分は畳職人ではないから、職人を雇い、営業に回り、お袋が事務をするという風にしてだんだん規模を大きくしていった。「小田ふとん店」はまだはっきりと看板が残っているところを見ると割と最近まで営業していたのもしれない。
本町通り商店街にはいってもごらんのとおりのシャッター街で、人影もまばら。有線放送から流される、元気な音楽だけが、うら寂しさを盛り上げている。まぁこういうことはどこでもあることだし、私の目的は今井書店だからと思いつつ、歩いていくと、なんと今井書店もなくなっているではないか。なにやら若者向けのブティックというのかインテリア物を売っている店のようになっている。帰ってきてインターネットで調べてみると、たしかに店舗はあちこちあるが、どうも商店街の店舗はないようだ。人通りが少なくて、売り上げも伸びないとの判断なのだろう。第一、駐車場がないのだから、人が来ないのも仕方がない。
仕方なく、歩いてすぐのところにある高島屋に行ってみる。このあたりでは珍しい高島屋の支店がある。一人気を吐いているのかと思いきや、ここも人がまばら。そのうち閉店になってしまうのではないだろうか。とにかくもうかつての中心地は完全に空洞化している。高島屋前のバス停からバスに乗ってお袋の住む家まで行く。
翌日は、いつものとおり5時半くらいに目が覚めたので、バスの時間を確認がてら、散歩に出かける。少し歩いているうちに、昨日来るときから気になっていた粟島神社まで行ってみようという気になり、敢行。中海の一番底の部分は錦公園になっていてそこにボート部の艇庫があった。そこから毎日のようにボートを繰り出し、この粟島さんあたりまで来てスパート練習やらスタートダッシュ練習やらをしたものだ。だがこの粟島さんには上陸したことがなく、陸から来たのも今日が初めて。
かつては島だったと思われるようなおわんを伏せた形の山の上に粟島神社がある。けっこうな階段があるのだが、朝早くにもかかわらず、地元の老人や子どもが参拝に訪れている。神社の裏には「出雲大社遥拝所」という立て杭がありしめ縄のようなものが渡してあるので、出雲大社の系列なのかなと思って感心していたが、正面に戻り、階段近くまできたら、今度は「伊勢神宮遥拝所」というのもあったので、そういうことでもないようだ。(地元の写進化ヲアニーさんのブログで見ていただいたほうが、粟島神社の雰囲気がよく分かるかも→こちら)
お袋の家まで帰ってきた頃にはもう日も高くなっていて、大変な汗だくで、もう一度フロに入りなおした。バスが夕方のラッシュに巻き込まれるのが嫌なので、早めに大阪に帰ってきた。
お袋はけっこうな情報通なので、私の同級生の近況だとか、かつて住んでいた町の様子などをあれこれと話したりして、それなりに有意義な一泊だった。
24日25日と一泊で米子に旅行した。というか帰省したと言うべきか。今年は上さんの体の調子もいまひとつなので、一泊だけで戻ってきた。とりあえずは一人で暮らしている母親の顔を見てくるのが第一の目的であるから、とくに何をするということもない。だからたいていは大山に行ったり、去年のように松江に旅行したりすることが多いのだが、今年は一泊だけで時間もないので、早めに米子に着いて、高校時代を過ごした米子の町を歩いてみた。
といってもこの灼熱のなかあちこち歩くわけにはいかないので、元町サンロートと本町商店街を歩いて、今井書店に行って、水木しげる関係の本でも郷土のコーナーで探してみようというつもりであった。この商店街は高校生の頃に、自宅から米子東高に行くにも、また帰りに高校から艇庫のあった錦公園に行くのにも通った商店街で、今井書店やその他の古本屋などは時間があると立ち寄ったところだ。数年前にも今井書店で水木しげるのマンガを買ったことがあったので、ちょっと楽しみだった。
駅から日陰を選びながら駅前の大通りを少し歩くと本町サンロードに入る。入ってすぐのところに「小田ふとん店」がシャッターの下りたままにあった。ここは若かりし頃の親父がかつて働いていたところで、結婚してから、正職として働いているのは親父だけだったので、5人の家族を養うために、脱サラをしてここを辞め、自分で畳屋を開業した。自分は畳職人ではないから、職人を雇い、営業に回り、お袋が事務をするという風にしてだんだん規模を大きくしていった。「小田ふとん店」はまだはっきりと看板が残っているところを見ると割と最近まで営業していたのもしれない。
本町通り商店街にはいってもごらんのとおりのシャッター街で、人影もまばら。有線放送から流される、元気な音楽だけが、うら寂しさを盛り上げている。まぁこういうことはどこでもあることだし、私の目的は今井書店だからと思いつつ、歩いていくと、なんと今井書店もなくなっているではないか。なにやら若者向けのブティックというのかインテリア物を売っている店のようになっている。帰ってきてインターネットで調べてみると、たしかに店舗はあちこちあるが、どうも商店街の店舗はないようだ。人通りが少なくて、売り上げも伸びないとの判断なのだろう。第一、駐車場がないのだから、人が来ないのも仕方がない。
仕方なく、歩いてすぐのところにある高島屋に行ってみる。このあたりでは珍しい高島屋の支店がある。一人気を吐いているのかと思いきや、ここも人がまばら。そのうち閉店になってしまうのではないだろうか。とにかくもうかつての中心地は完全に空洞化している。高島屋前のバス停からバスに乗ってお袋の住む家まで行く。
翌日は、いつものとおり5時半くらいに目が覚めたので、バスの時間を確認がてら、散歩に出かける。少し歩いているうちに、昨日来るときから気になっていた粟島神社まで行ってみようという気になり、敢行。中海の一番底の部分は錦公園になっていてそこにボート部の艇庫があった。そこから毎日のようにボートを繰り出し、この粟島さんあたりまで来てスパート練習やらスタートダッシュ練習やらをしたものだ。だがこの粟島さんには上陸したことがなく、陸から来たのも今日が初めて。
かつては島だったと思われるようなおわんを伏せた形の山の上に粟島神社がある。けっこうな階段があるのだが、朝早くにもかかわらず、地元の老人や子どもが参拝に訪れている。神社の裏には「出雲大社遥拝所」という立て杭がありしめ縄のようなものが渡してあるので、出雲大社の系列なのかなと思って感心していたが、正面に戻り、階段近くまできたら、今度は「伊勢神宮遥拝所」というのもあったので、そういうことでもないようだ。(地元の写進化ヲアニーさんのブログで見ていただいたほうが、粟島神社の雰囲気がよく分かるかも→こちら)
お袋の家まで帰ってきた頃にはもう日も高くなっていて、大変な汗だくで、もう一度フロに入りなおした。バスが夕方のラッシュに巻き込まれるのが嫌なので、早めに大阪に帰ってきた。
お袋はけっこうな情報通なので、私の同級生の近況だとか、かつて住んでいた町の様子などをあれこれと話したりして、それなりに有意義な一泊だった。