塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

監督に求められる資質を思う

2017-10-10 02:53:14 | 日記
 監督が坊主にするのは監督の決断でしかありません。

 でも駆け出しであろうが熟練者であろうが、選手とファンから

 「あの監督は楽をしている」

 と思われてはダメですよ。

 僕も社会に出て17年、上司とか責任者と呼ばれる人間を何人も見てきましたが、清掃や用具の跡片付けや手抜きが圧倒的に多い、これでは信頼は得られませんよ。

 僕は定期的に車内の清掃や倉庫整理を行いますが、それは

 取引先に来た時、雑然とした社内では失礼である
 正確な配置が労働時間の短縮

 に繋がるためで、完全に自主的作業です。

 見ている同僚が

 「責任者がいるときにすればいいのに」

 と笑いながら暗に「ゴマすり」「太鼓持ち」を問いかけますが、自主的にやるからこそ意義があると思いますし、それは責任者が自らのシャツやネクタイを汚す気持ちでまずはすべきでしょうよ。

 といつも思います。

 サッカー監督の業務が多岐にわたるからこそ、アシスタント・コーチ、モウリーニョでいえばスティーブ・クラークやヴィラス・ボアスが誕生したのですが、彼らも誰よりも働く自分の「ボス」に影響を得ていたはずです。

 モウリーニョがファーガソンのように腰を据え置いて働く人物ではない反面、ヴィラス・ボアスがイタリア、イングランドで修業できたことも確かですし、彼のキャリアもロシア、中国へと拡大しています。

 監督は決断という決定権がある分、誰よりも働く意思が必要です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

監督が頭を丸めること

2017-10-10 02:45:15 | 日記
 日本人が責任を痛感した際、とりわけ男性が坊主で登場することがあります。

 長嶋茂雄氏がジャイアンツの監督を務めていた際、成績不振の際に頭を丸め、ジャイアンツ・ファンだけでなく宿敵のタイガース・ファンも騒然としましたよね。

 このときは坊主ではなく、幾分短くした程度でしたが、下位に苦しむタイガースの指揮官ですら坊主にすることは無く、メディアもファンも騒然としました。

 「確かに先発の決定、打順の組み換えは監督の責任だ」
 「でも選手がだらしないのは腹が立つ」

 といい、ジャイアンツという枠組みを超え、日本野球の伝説に恥をかかせた選手たちが、物凄い批判とプレッシャーに晒されたのは当然です。

 パルセイロも浅野監督が坊主にしたことで

 「選手は申し訳ないと思えよ!!」
 「意味はないよ。坊主にして勝ち点3が得られるわけではないから」

 とファンの間でも意見は紛糾しています。

 この頭を丸める、という責任の取り方は確かに日本独特で、韓国や台湾という同じ東アジアでも聞いたことは無いですよね。

 例えば1990年ワールドカップで16強で終わったブラジル代表も、指揮官のラザロニはすぐに解雇され、護衛を持付けなくてはならない形でしたが、髪を刈ることはしませんでした。

 仮に日本がロシア大会に出場できなくとも、当然ハリルホジッチ監督が糾弾はされても

 「坊主にでもなれよ!!」

 というファンはいないはずです。

 この責任の取り方は、監督がファンに向かっての謝罪の面がありますが、監督というのは絶大な権限がある反面、脆い立場であることを痛感します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする