塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

随分冷え込む千曲市から

2017-10-04 22:49:34 | 日記
 千曲市もう底冷えで、僕は今スエットパンツの下にブレスサーモを履いています。

 トレーナーにスエットパンツ、そしてボタンダウン・シャツと着ているものはほとんどが綿素材ですが、これからはウールやツイードが恋しくなりますね。

 学生時代、特に高校時代は今から振り返っても恥ずかしくてたまりませんが

 「授業で使う体操着」

 の洗い替えがありませんでした。

 体操着は授業だけでなく、部活動の卓球でもつかっていましたから、洗い替えは必需であり、どうして両親と相談しなかったのか、今思い出そうとしても思い出せません。

 しかし、当時はまだクイック・ドライや保温性という概念がありませんでしたから
 
 洗濯が面倒である
 翌日に乾いていなければ、練習への参加ができない

 という点で、洗うということをしなかったことは認めます。

 卓球は屋内ですからまだしも、サッカーや野球のような屋外競技はどうしていたのでしょうか。

 ただの高校生が、自分のスパイクに泥がついても率先して手入れをするような気持ちにはならないでしょうし、プロ化前のサッカーですからね、顧問から

 スパイクの手入れ方法と保管について
 体を冷やさないための注意点

 について連絡があったとも思えませんが。

 こうしたほんの些細な出来事でも、プロができたおかげで情報が入手でき、素材の発達で手入れが簡単になったことは良いことですよね。

 これからどんどん寒くなる一方で、寒いのが嫌な僕は残念に思います。
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達観すべきか、感情をあらわにすべきかそれが問題だ

2017-10-04 12:58:44 | 日記
 文春文庫から刊行されている池波正太郎先生の代表作は鬼平犯科帳になります。

 一方で大石内蔵助の生涯を描いた上下巻の「おれの足音」は、是非皆さんにも読んでほしい、素晴らしい作品でして読むたびに出会ってよかったと思います。

 内蔵助といえば

 1・忠臣蔵でおなじみの実在した人物
 2・播州・赤穂の家老として塩田の発展や民の生活に気を配る

 人物として知られる一方、昼行燈と揶揄される人物でもありました。

 言い換えれば

 「何をしているのかがわからない」
 「いても意味がない」

 という意味なのですが、内蔵助はそれで構わない、周囲が仕事をしやすいように気配りすることが私の役目と、立腹することは無かったと言います。

 昨日、人づてで責任者が

 「塚田は暇そうだ」

 と語っていたと聞き、思い出したのが「おれの足音」でした。

 僕が思ったことは、真意であろうが冗談であろうが責任者が間接的に部下をなじることははた迷惑だ、と思うと同時に、日本では目上に対して罵声を飛ばす、意見する風潮を嫌うという点です。

 もし目下の意見を聞く風土があれば、東芝問題は無かったと思いますね。

 同時に考えたことは、選手が指揮官を批判する、罵倒することに周囲が意義をとなえない欧州サッカーのありさまです。

 「アントニオ・コンテは人間としてクズ野郎だ!!」 
 「シメオネの下でもう一度戦いたいね」

 と優勝クラブの一員でありながら、コンテが自分に最低限の配慮が無いと感じたジエゴ・コスタの発言は大きく報じられました。

 「グアルディオラのくそ野郎!モウリーニョにびびってんだろ!!」
 
 と激怒したイブラヒモビッチもそうですが、恐らくサッカーに限らず欧州では目下が目上に、オブラートに包むことなく感情的に発言できる泥鰌があるのでしょうね。

 僕も一瞬、内蔵助のような日本的発想をすべきか、欧州サッカーのように発言に激怒すべきかと迷いましたが、やはり日本的発想に落ち着きました。

 「言いたいやつには言わしておけばよいさ」

 という考えが達観なのか、自身の弱さを抑え込んでいるのかは難しい判断ではありますが。
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改めて見直す3冠の中身

2017-10-04 01:34:51 | 日記
 「2年目に抜群の強さを見せる」

 というジンクス通り、ユナイテッドはモウリーニョの下でタフな戦いを見せています。

 一方でモウリーニョが就任1年目に「3冠」を得たと、メディアをけん制しました。

 つまりリーグ・カップ、コミュニティ・シールド、そしてヨーロッパ・リーグの優勝を指摘しているわけですが、ああ、なるほど、3冠という綴りは同じでも、見方はこうも変わるのかと感じます。

 皆が納得する3冠の例を挙げますと

 1・2013年のバイエルン チャンピオンズ・リーグとDFBボカール、そしてブンデスリーガでの優勝
 2・1999年のユナイテッド チャンピオンズ・リーグとFAカップ、そしてプレミアでの優勝
 3・2015年のバルセロナ チャンピオンズ・リーグとコパ・デル・レイ、そしてリーガでの優勝

 バルサからすれば先日独立投票が行われましたが

 「国王から杯を賜る意味はない」

 と感じているのかもしれませんが、この優勝無くして3冠は無いわけです。

 これだけの成績があれば、宿敵も納得がいくほどの影響があり、2009年のバルサは6冠という、とんでもない成績でしたしね。

 一方で2001年のリバプールが獲得したカップ戦における3冠、そして冒頭でお話したユナイテッドの3冠も、確かに優勝しないよりはした方が良いと僕も思います。

 一方でこれらは優勝の規模が小粒であることは否めませんし、何より万人が納得のいく形での説得力には欠けてしまいます。

 それはリーグ優勝という通念の争いでの勝利が無いこともそうでしょうし、カップ戦は一発勝負でどちらに転ぶかわからないという側面もあると思います。

 ただ、3冠が昔ほど珍しくなくなったのは、良い事なのかそうでないのか正直判断しかねます。
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政治に限らず体制維持には何が必要か

2017-10-04 01:25:05 | 日記
 政権が変わるということは、外交、外政を含む日本の窓口が変わるということです。

 たまに書店にいくと、急に棚の配置換えがあって混乱することがありますが、かつての諸外国から日本は

 「またも内閣総理大臣が変わってしまった」
 「現在抱えている案件は誰が鍵を握るのか」

 と見られていたものです。

 安部内閣総理大臣は盛んに希望の党をけん制していますが、過去の事例を考えて神経をすり減らしているのでしょうか。

 一方でフィリピンのマルコス政権ように、一人の大統領が政権を維持しすぎたために国民の生活が困窮する例もあります。

 日本経済新聞によればフィリピンはマルコス時代の反動で、大統領が誰が務めても一期、6年の人気しかないそうで、だからこそドゥトルテ大統領は任期中に麻薬問題を撲滅したいと考えているのでしょう。

 では、サッカーで監督が長期政権が樹立する際、ファンは

 「ああ、もううんざり!」

 と思わないのでしょうか。

 アーセナルのように、体制が限度と思われる理由の一つに、近年の優勝成績があります。

 過去5年で3度のFAカップ優勝は、「並」のクラブならば褒められても良いものです。

 一方でアーセナル・ファンは2004年の無敗優勝を含む、リーグ制覇か欧州制覇で初めて何かを成し遂げたと考えており、FAカップ優勝では自尊心を満足させられない形に陥っています。

 ファーガソン体制でも、ユナイテッドは不備がありました。

 特にベッカム、ニステルローイ、スタム、ベルバトフと最後は監督の関係が不和となり、請われて移籍したにもかかわらず、憤慨して出て行った選手は多いものです。

 それでも体制の意地が出来たのは、優勝という最良の結果があったからこそです。
 
 日本も経済なのか、福祉なのか、何かが成し遂げたという感覚がみなぎれば、国民もガス抜きができる形になると考えます。
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