明日13日から大相撲大阪場所が始まる。ところで先場所優勝した大関琴奨菊が面白い発言をしている記事を見つけた。
それは、「なぜモンゴル勢が優勝を重ね、日本出身力士は勝てなかったのか」の疑問に、日本記者クラブで行われた記者会見の席で、琴奨菊が自身の見解を語った記事。琴奨菊の意見をかいつまんで書くとこうだった。
「私たちは相撲道という道の部分で、変化をせず力と力の勝負とか、そういう固定観念がありすぎなのかなと思う」
「やはり勝負の世界は勝たないと意味がないし、そういうところにもっと貪欲さが足りないのかと」
「横綱でも、変化まではいきませんが、立ち合いで相手の間合いをずらしたりとか、そういうところを見習っていかないといけない」
「国際化時代。モンゴル人も日本人も国技を守る力士に変わりはないが、それを前提とした上で考えても、確かにモンゴル勢は勝ちにこだわる」
「自分が優勝できた要因として、この白鵬らの勝負へのこだわりを学び、生かしたこと」
この記事を読みながら、優勝した大関琴奨菊は自己の相撲欠点をしっかり学んで先場所の取組に反映していたと知った。
押し相撲一本やりの大関琴奨菊から勝ちに拘る相撲の話を聞くなどとは思いもしなかっただけに、日本人はもっと勝ちに拘る相撲に徹すべしの発言に快感。今まで、一部の相撲解説者やマスコミが相撲道なるものを持ち出し、取り口の美しさや潔さを評価した解説に違和感を感じてきた。しかし相撲は勝ってなんぼの世界。現役大関のコメントに、なぜモンゴル勢が優勝を重ね、日本出身力士は勝てなかったのかの疑問が少しだけだが分ってきた。もうこれで、朝青龍の「本当にだらしない悲しよ!悲しい!涙が出るくらい悲しい今の日本人力士」等とは、言われなくてすむのだろうか。
モンゴル力士が優勝するたびに、横綱白鵬に桟敷席から大ブーイングが出る度に、白鵬の自嘲気味な苦笑いを見るたびに、このブログでも何度も 白鵬の勝負に掛ける執念深さを書いてきた。逆に言うと、「白鵬はきたない。横綱相撲ではない」と言う巷の声を何度も聞いてきた。大勝負に横綱がまさか横に変化することはないだろうとか、あのかち上げはエゲツナイないだろうとか、我々相撲ファンをガッカリさせる相撲を何度も見せられた。力と力のぶつかり合いを期待したのに、その結果に失望したファンも多い。しかし、苦戦しそうだなと思えると、どんな手段を取っても勝ちに拘った。これが強いと言われる横綱白鵬の相撲スタイルで、評価されてきたのも事実。
相撲道とはとテレビの解説で何度も耳にする。また多くの部屋持ち解説者も「勝ち方を考えろ」と言っているし、張り差しや変化を許さない部屋もあるらしい。しかし、朝青龍に端をはっしたプロレスまがいの無謀な相撲がまかり通り、それでも勝てば喝采を受けてきた経緯もあるのも事実。そんな中で、稀勢の里を筆頭とする日本人相撲取りの 愚直なまでの真面目さは、勝利に対する貪欲さがないのではと疑ってしまう現実をずっと見せられて、もう少し、勝つことへの執念を全面に押し出してくれ!と素直に思った時期もあったが、琴奨菊の発言を期に、日本人力士は一皮むけたと期待できるだろうか。
「琴奨菊と稀勢の里」
いよいよ、明日から大阪場所初日。相撲の美学なんかより日本人の強さが全面に出た相撲を期待して、明日もテレビ桟敷に座る。
それは、「なぜモンゴル勢が優勝を重ね、日本出身力士は勝てなかったのか」の疑問に、日本記者クラブで行われた記者会見の席で、琴奨菊が自身の見解を語った記事。琴奨菊の意見をかいつまんで書くとこうだった。
「私たちは相撲道という道の部分で、変化をせず力と力の勝負とか、そういう固定観念がありすぎなのかなと思う」
「やはり勝負の世界は勝たないと意味がないし、そういうところにもっと貪欲さが足りないのかと」
「横綱でも、変化まではいきませんが、立ち合いで相手の間合いをずらしたりとか、そういうところを見習っていかないといけない」
「国際化時代。モンゴル人も日本人も国技を守る力士に変わりはないが、それを前提とした上で考えても、確かにモンゴル勢は勝ちにこだわる」
「自分が優勝できた要因として、この白鵬らの勝負へのこだわりを学び、生かしたこと」
この記事を読みながら、優勝した大関琴奨菊は自己の相撲欠点をしっかり学んで先場所の取組に反映していたと知った。
押し相撲一本やりの大関琴奨菊から勝ちに拘る相撲の話を聞くなどとは思いもしなかっただけに、日本人はもっと勝ちに拘る相撲に徹すべしの発言に快感。今まで、一部の相撲解説者やマスコミが相撲道なるものを持ち出し、取り口の美しさや潔さを評価した解説に違和感を感じてきた。しかし相撲は勝ってなんぼの世界。現役大関のコメントに、なぜモンゴル勢が優勝を重ね、日本出身力士は勝てなかったのかの疑問が少しだけだが分ってきた。もうこれで、朝青龍の「本当にだらしない悲しよ!悲しい!涙が出るくらい悲しい今の日本人力士」等とは、言われなくてすむのだろうか。
モンゴル力士が優勝するたびに、横綱白鵬に桟敷席から大ブーイングが出る度に、白鵬の自嘲気味な苦笑いを見るたびに、このブログでも何度も 白鵬の勝負に掛ける執念深さを書いてきた。逆に言うと、「白鵬はきたない。横綱相撲ではない」と言う巷の声を何度も聞いてきた。大勝負に横綱がまさか横に変化することはないだろうとか、あのかち上げはエゲツナイないだろうとか、我々相撲ファンをガッカリさせる相撲を何度も見せられた。力と力のぶつかり合いを期待したのに、その結果に失望したファンも多い。しかし、苦戦しそうだなと思えると、どんな手段を取っても勝ちに拘った。これが強いと言われる横綱白鵬の相撲スタイルで、評価されてきたのも事実。
相撲道とはとテレビの解説で何度も耳にする。また多くの部屋持ち解説者も「勝ち方を考えろ」と言っているし、張り差しや変化を許さない部屋もあるらしい。しかし、朝青龍に端をはっしたプロレスまがいの無謀な相撲がまかり通り、それでも勝てば喝采を受けてきた経緯もあるのも事実。そんな中で、稀勢の里を筆頭とする日本人相撲取りの 愚直なまでの真面目さは、勝利に対する貪欲さがないのではと疑ってしまう現実をずっと見せられて、もう少し、勝つことへの執念を全面に押し出してくれ!と素直に思った時期もあったが、琴奨菊の発言を期に、日本人力士は一皮むけたと期待できるだろうか。
「琴奨菊と稀勢の里」
いよいよ、明日から大阪場所初日。相撲の美学なんかより日本人の強さが全面に出た相撲を期待して、明日もテレビ桟敷に座る。