ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「〝正しい読み〟という神話」20240502

2024-05-02 | 参照

 

 

──竹田青嗣『新・哲学入門』2022年、講談社現代新書


しかし現実の言語体験の本質洞察からは、そもそもそうした「意」と
その正しい「了解」という関係の構造自体が存在しない
(つまり「客観-主観」という構図自体が廃棄されるべき誤謬である)。

現実言語の本質洞察が明らかにするのは、発語(テクスト)と
その了解の間の関係にはそもそも「正しい受け取り」(一致)
ということ自体がありえないこと、つまり、
そこには正しい了解の「不可能性」(断絶)があるのではなく、
むしろただ、「信憑関係」だけが存在するということである。

どんな発語であれ、受語主体がそれを何らかの発語者の「意」の表現として
受け取り、その「信憑」が成立するかぎりで、言語ゲームは成り立つ。

テクスト(作品)を読むという現実体験の本質洞察は、
われわれにつぎのことを教える。
「作家」は論理的には「死-不在」である。
しかし読み手は、作品に向き合うとき、暗黙のうちに「作家」、
つまり作品創造の源泉を想定している。すなわち、作品から動かされるとは、
そこで創作者の作品的偉力についての不可疑の信憑が成立しているということだからだ。

 

 

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