──冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』2024年岩波現代文庫
「家族や恋人やある種の友人、さらには同じ宗教を奉ずる人びと……
をむすびつける愛着が平和を生むのではない。
これらの愛着はあまりに甘美な一致を育むので、あらゆる争いの種となる」
(Ⅱ‐2 91‐92)
(革命幻想と正義)
マルセイユのヴェイユは「カイエ」(C2Ⅲ 190)に記した。
権力の犠牲者は現在の暴力の責任者ではない。
したがって彼らの手に暴力をゆだねるならば、これを正しく行使するだろう。
この根拠なき信仰が革命幻想である。ところが事実はちがう。
たいていの犠牲者もまた加害者と同じく権力の穢れをおびている。
剣の柄でふれようと切っ先でふれようと、悪との接触であることに変わりはない。
権力の頂点に押し上げられたかつての犠牲者は、突然の情勢の変化に酔いしれて、
前任者と同じかそれ以上の悪行に手を染め、ほどなく失墜する。