蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

相手を通して自分を見る

2018-01-08 | わたし
【Caution 】
この記事は、自分が考えるために書いたものなので、他の方がお読みになっても、全くつまらないものです。


家庭以外の場において、
他人の中にいる、わたしというキャラクターは、相手を映し出す鏡のようなものだと最近、思うようになった。
自分自身に色がない、実体もない。
透明人間である。

はにかみ屋さんで、目立つのが嫌いで、自己主張が出来ないからでもある。
まわりに流されてしまうのが嫌で、一人でいることを好む。
一人だから、まわりの人の相手をする必要がない分、余裕がある。
で、しっかり、まわりを観察してしまう。

仮に、誰かと関わりが出たとしても、その相手の、わたしは自由帳になる。
好きなことを描いてもらう。落書き帳かも知れない。
わたしが主張しないので、相手は、わたしに構うことなく、好きなように自分を出す。
あくまでも他人であり、分別あるオトナなので、全てをさらけ出す、とまでは行かないが、奥に隠しているものが、ちょろっと出る。

それは、意外に、自慢や、自己擁護、自己肯定、自画自賛であることが多い。
自己否定や愚痴が出ない理由は、わたしが関わる人は、マイナス思考の人を無意識のうちに避けているからだろう。
不幸自慢系は、縁がない。最初から、すり抜ける。
マイナス臭を五感で感じ、避ける。

でも、修行が足りないからか、表面はちゃんとしていても中身が腐っているものが、まだ見抜けない。
気づかないうちに蝕まれるが、気づいた瞬間に放り出して、傷んだ部分を取り除く除去手術を行う。
その瞬間は痛いが、後々のため。

人は、承認され、褒めてもらいたい願望がある。
なので、目の前にいる本人の話を静かに聞く。
ただそれだけで、承認されたことになり、気持ちが安らぐようだ。
オベンチャラやお世辞を言う必要はないし、わたしはそういう類は嫌いである。
ただ、相手の言っていることに耳を傾けるだけである。

これはカウンセリングの方法にもあるようだ。
悩みがある人は、人に悩みを伝えるにあたり、自分の考えや思いをまとめ、整理し、答えを自分で見つける。
悩みがなくても、自分と向き合い、自分が肯定されたと感じると、爽やかな気分になる。

だからかどうか知らないが、目の前の人は自分を受け入れてくれると感じると、相手は安心して地を少しずつ出す。
カウンセリングの場合は、相手が、やがて自分で自分を受け入れるまでの過程だと思う。
カウンセリングではない、一般の場合は、ボレーでお返ししたり、わたしの個性を足してラリーしたり、行ったり来たりしているうちに、新しい融合が生まれる。
これ、結構、楽しい。
自分が相手に与えた影響が、相手の持ち味をプラスして、また自分に返ってきて、新しい発見になる。

ただし多勢、わいわいガヤガヤは苦手。
わたしは、1対0、または、1対1が、快適である。

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