箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

教師の存在意義とは

2024年03月21日 07時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今の学校では、教師は忙しく、児童生徒とゆっくりと時間をとって話す余裕がありません。

 

わたしが教師になってしばらくは、土曜日にも授業が午前中だけありました。

 

それは、完全学校週5日制が導入された1992年より以前のことです。

 

土曜日の午後からの時間は、ほんとうにゆったりと時間が流れていました。

 

中学の場合なら、ゆっくりと昼食をとって午後からは部活にいそしむ。

 

そのような教員生活を送っていたのを思い出します。

 

しかし、その後は、学校に求められる教育のとりくみ課題は肥大化し、社会からの要請もあり、「これはしなければならない、あれもしなければならない」となり、業務量が増えてきています。

 

授業の準備も、学校行事の準備もあり、本来の仕事の一つである生徒との対話もままならないのです。

 

そのようにして小学校6年間を終え、思春期を迎えた生徒(中学生)は、心が揺れ動く、変化の大きい年齢になっったときに、教師に自分の悩みや困りごとを相談することを知りません。

 

つまり、「先生は相談できる相手である」という認識をもっていないのです。

 

それにくわえ、いまは教師自身も「話ができる人間関係」を求めていないかも知れません。

 

そこで、生徒にすれば「先生に相談してどうなるの?」となります。

 

生徒にとって、それだけの存在にもなっていないのかもしれません。

 

でも、わたしが知っている限り、「先生に助けられた」とか「先生に救われた」という実感をおとなになってももっている人は、じっさいにいます。

 

どんなに忙しくても、生徒の話を聴き、生徒の相談相手になることは、教師である以上は必ず求められる業務だと思います。


教師の存在意義は、ここにあります。

 



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