ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

想像だが、曽我ひとみさんは、そのようなことを言うように求められたのだろう

2012-11-01 00:00:00 | 北朝鮮・拉致問題
過日NHKのニュースで、北朝鮮による拉致被害者曽我ひとみさんが、とある集会でおこなった発言の報道に接し、私は「おや」と思いました。このブログの読者の方なら皆さんご存知であろうことを確認しますと、彼女といっしょに拉致された母親の曽我ミヨシさんがいまして、お母さんは現在にいたるまでその消息がわかっていません。北朝鮮は、彼女の入国について、確認していないという返答をしています。

人間としてあんまりこういうことを書くのは気がすすみませんが、曽我ミヨシさんがご存命である可能性は皆無だと私は思います。どこをどう考えても、彼女が生きている可能性が万が一にもあることは期待できません。彼女が行方不明になってから彼女の消息を語るものは誰もいません。今後もいないと思います。

で、彼女の発言について報じられた記事をご紹介しましょう。引用はこちら

>曽我さん、北主張の「請負業者」否定
産経新聞 10月24日(水)7時55分配

 拉致被害者の曽我ひとみさん(53)が23日、東京都文京区で開かれた集会に出席し、曽我さんと母のミヨシさん=拉致当時(46)=拉致に北朝鮮が関わったと説明している「現地請負業者」の関与を否定した。

 北朝鮮は工作員が現地請負業者(日本人)に拉致を依頼し、引き渡しを受けたとし、引き渡されたのはひとみさん1人で、ミヨシさんについては「未入国」と主張している。

 拉致当時の状況について、曽我さんは「後ろから3人の男が駆け寄って来て、植え込みの中に私と母親を引きずり込んだ」と説明。その後、北朝鮮到着まで実行犯と一緒に過ごし、誰かに引き渡されることはなかったという。

 曽我さんは「北朝鮮にいる拉致をした人が(ミヨシさんの行方を)知っているはず。説明を聞きたい」と母の早期救出を訴えた。


もうひとつ

><北朝鮮拉致>曽我ひとみさん訴え「母のこと気がかり」
毎日新聞 10月23日(火)21時33分配信

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)は23日、東京都文京区で「曽我ミヨシさんを救うぞ!東京連続集会」を開き、母ミヨシさんと共に拉致された曽我ひとみさん(53)ら拉致被害者家族会のメンバーが出席した。家族会からは、田中慶秋(けいしゅう)衆院議員(74)の法相兼拉致問題担当相辞任に関連し、次々に不満の声が上がった。

家族会は集会に先立ち、超党派の拉致議連と面会。飯塚繁雄代表(74)は「拉致問題担当相が何回も交代している状況だ。大臣が代わっても問題は消えない」と指摘。また被害者家族の横田滋(しげる)さん(79)も「日朝間の協議が本格化する前の辞任は残念。後任の方には解決のため尽力してほしい」と注文した。

 集会には約100人が参加。ミヨシさん(行方不明時46歳)は北朝鮮側が入国自体を認めておらず、消息不明のまま。曽我さんは78年8月にミヨシさんと共に拉致された時の様子や北朝鮮での厳しい生活状況を語り、「私が日本に帰って10年になるが、母のことがいつも気がかり。今日の集会で明るい光が見えてくればと願っています」と訴えた。【中川聡子】


2つの記事を読み比べると、記事の力点がぜんぜん違うのも興味深いところですが(産経新聞が見出しに「北朝鮮」と表記せず「北」としているのも、これもいつもです)、ついでなので、こちらの記事もご紹介しましょう。

>北朝鮮拉致:曽我ひとみさんが手記発表 母への思いつづる
毎日新聞 2012年09月20日 19時07分(最終更新 09月21日 12時50分)

 北朝鮮による拉致被害者で02年10月に帰国した新潟県佐渡市の曽我ひとみさん(53)が「時の流れ??10年を振り返って」と題した手記を20日発表した。「自分だけが日本に帰ってきたことへの後ろめたさ、申し訳なさで頭の中が一杯になる」と述べ、一緒に拉致されて今も消息不明の母ミヨシさん(行方不明時46歳)ら帰国を果たせずにいる拉致被害者への思いをつづった。

 手記によると、今年5月の自身の誕生日に数年ぶりでミヨシさんの夢を見たといい、元気な姿だったのでホッとしたという。拉致されていた24年間を「絶対、生きて日本に帰る。絶対、諦めない」と思い続けたと振り返り、北朝鮮に残る拉致被害者に向けて「信じて待っていれば、必ずあなた方を助けに行く人がいるはず。だから、もう少し耐えてください」と呼びかけた。【川畑さおり】


私が「おや」と思ったのは、曽我さんが語ったという次の発言です。

>拉致に北朝鮮が関わったと説明している「現地請負業者」の関与を否定した。 
 北朝鮮は工作員が現地請負業者(日本人)に拉致を依頼し、引き渡しを受けたとし、引き渡されたのはひとみさん1人で、ミヨシさんについては「未入国」と主張している。

 拉致当時の状況について、曽我さんは「後ろから3人の男が駆け寄って来て、植え込みの中に私と母親を引きずり込んだ」と説明。その後、北朝鮮到着まで実行犯と一緒に過ごし、誰かに引き渡されることはなかったという。


これって、本質的な問題じゃないんじゃないの?

あえていってしまえば、北朝鮮のそれなりの上のポジションにいる人物(組織)の指示で、工作員だか請負業者だかがお2人を拉致したわけで、それが日本人か北朝鮮の人だかというのは、正直どっちだってそんなに拉致問題解決とは関係ないと思います。北朝鮮の上層部の関与が明らかであり、また北朝鮮側もそれを認めているわけですからね。北朝鮮側の責任を追及したり非難をするにはそれで十分でしょう。

だいたい

>北朝鮮にいる拉致をした人が(ミヨシさんの行方を)知っているはず。説明を聞きたい

って言ったって、そもそもその人たちが現在北朝鮮にいるかは不明だし(すでに死亡している可能性もあり)、日本人の請負業者なら時効が成立している可能性が濃厚、北朝鮮の工作員でも、日本と朝鮮民主主義人民共和国の間に犯罪人引渡し条約が結ばれていない(国交さえも結ばれていない)のだから、犯人引渡しはされないでしょう。あるいは国交成立の際に人身提供されるかもしれませんが、ほとんどまったく期待はできません。だいたい万一日本に引き渡されたととで、犯人たちは完全否認するか、本国政府に都合のいいことしか話してくれないでしょう。そうでもなければ完全黙秘です。

>手記によると、今年5月の自身の誕生日に数年ぶりでミヨシさんの夢を見たといい、元気な姿だったのでホッとしたという。

曽我さんが手記でこのようなことを書くことを「悪い」と言うつもりはありませんが、でも新聞記事でこういうことを書くのはやめようよ。この間記事にした名古屋闇サイト殺人事件における遺品の時計の話と同じで、高度の個人的な思い入れの話は新聞で報道することではありません。そんな夢を見たところで、解決に何の足しにもなりません。

そもそも曽我さんの話す

>「現地請負業者」の関与を否定

って、せいぜい

>その後、北朝鮮到着まで実行犯と一緒に過ごし、誰かに引き渡されることはなかったという。

程度の話で、これだけではなんともいえません。もしかしたら北朝鮮当局との契約は、拉致対象者を北朝鮮まで送り届けるところまでだったのかもしれませんし。

当然曽我さんは、日本に帰国して夫と子供さんが日本に来た(彼(女)らは「帰国」という表現は妥当じゃないでしょう)時点で、知っている限りのことはたぶん警察その他に話をしているはずですから、警察はそれについてある程度の見通しを持っているのかもしれませんが、どっちみち真相が明らかになる可能性なんてないんじゃないんですか。明らかにしたところで、なにがどうなるわけでもないし。

ところで「巣食う会」のメールニュースから、曽我ひとみさんの話の部分を引用してみましょう。文中「西岡」とあるのは西岡力のことです。こんなやつが前面にでてくることに、ろくなものはありません。

>(前略)

曽我ひとみ みなさんこんばんは(拍手)。今日は、足元の悪い中、こんなに大
勢の方々がここにお集まりくださいまして、大変ありがとうございます。今日、
この場を作っていただいた救う会の方々に、改めて感謝の気持を伝えます。

 私は10年前に日本に帰国しました。10年の間色々なことがありましたが、
いつも気にかかっていることがあります。それはただ一つ、母のことです。今年
(12月で)81になります。本当に母のことを考えると、居ても立ってもいら
れない気持でいっぱいになります。

 今日、こういう場をもうけていただいたことに感謝しながら、この場で少しで
も母の救出のために何か明るい光が見えてくればと心から願っています。
ではこれから、私が拉致されたことをお話したいと思います。

 私は、1978年北朝鮮に拉致されました。ちょうどお盆の前の8月12日の
土曜日でした。私は看護師の仕事をしながら、決まって土曜日には家に帰り、日
曜日の午後にまた寮に帰るという生活が続いていました。

 ちょうどその日も土曜日で、午後家に帰りました。お盆前ということで、母が
少し足りないものがあるので買い物に出かけようということになりました。その
時、6つ違いの妹がいたんですが、妹も母と一緒にでかけたい、私も1週間会え
なかったので1週間にあったことを色々話をしたかったので、一緒に行くより母
親と二人きりで行きたいなという気持がありまして、妹とちょっとだけけんかを
した覚えがあります。

西岡 つまり妹さんを置いてお母さんと二人になりたかった。

曽我 はい。それで結局、私と母と一緒に買い物にでかけることになりました。
行きは病院であった話などを色々しながら、楽しく店まで着きまして、店で買い
物を終えてまた家に変える途中のことでした。

 歩道を歩いていたんですが、もう薄暗くなっている時間帯で7時は過ぎていた
と思います。夏場ですので、7時を過ぎてもまだぼんやりと明るいくらいの時間
帯でした。母と話をしながら歩いていましたら、何かちょっと後ろの方から人の
気配を感じまして、一度後ろを振り向きました。

 そうしたところ、男の人が三人、縦並びじゃなく、横並びで、私たちのあとを
ゆっくりとついてくるのが見えました。「なんか変な男の人たちが後ろから付い
てくるね」と母と話しながら、「気味が悪いから早く帰ろう」と、少し足早に歩
き始めた時でした。

 後ろから三人の男の人が急に駆け寄ってきまして、道端にある植え込みの中に
私と母親を引きずりこみました。その時私は口をふさがれて、袋をかぶされまし
た。一緒にいた母親は、そのとき以来一度も声を聞くこともなく、姿を見ること
も今までありません。本当に夢のような話で、自分自身もよく分からないところ
がいっぱいあります。

 その後ですが、私は袋に入れられたまま小さな船のところまで行きました。そ
の船の上にしばらくいましたが、ちょっと離れた所で日本語を話している声が聞
こえてきました。その日本語は佐渡の人が話している佐渡弁ではなく、日本人で
もない、ちょっと発音が違う、そんな印象を受けています。

 私も袋をかぶされたままの状態だったので、話している内容というのはよく分
かりません。その後、しばらくしてから大きな船に乗せられて、次の日の夕方北
朝鮮の清津というところに着きました。その時には、清津というところは分から
なかったのですが、後で時間とか計算したら清津の港だったということでした。

西岡 細かいことは後で惠谷さんに事実を確認していただきたいと思いますが、
まずこの8月12日という日は、市川さん・増元さんが拉致された日と同じ日で
す。同じ日に、佐渡と鹿児島で拉致があったわけです。

 今の話で私がまず確認したいのは、お母さんと一緒に道で襲われた。それは三
人の男に襲われた。その三人の男は日本人でしたか、朝鮮人でしたか。

曽我 日本人ではありませんでした。

西岡 それはなぜ言えますか。

曽我 北朝鮮に行った時に、その男の人たちもいたので分かります。

西岡 つまり、襲ってそのままその男たち三人も一緒に木の船に乗り、そして大
きな船に乗って清津まで一緒に行った、と。その襲った人たちだと間違いなく分
かることですか。

曽我 顔付き一つひとつと言われると分かりませんが、一緒の時間に私が着いた
清津の招待所に一緒に着いています。そして工作員の女性とも何をしゃべってい
るのか分かりませんでしたが、話していたので。

西岡 (もう一人の小船にいた)工作員の女性というのは金ミョンスクですよね。

曽我 はいそうです。

西岡 もう名前が明らかになっていますが、金ミョンスクは日本語ができたわけ
ですね。

曽我 日本語はできます。

西岡 船の中でも曽我さんと話したんですか。

曽我 少し話しました。

西岡 つまり、金ミョンスクという女性工作員が木の船には一緒に乗っていたわ
けですね。

曽我 はい。

西岡 それと男の三人がいて、一緒にそのまま北朝鮮に行ってるわけです。(日
本人の)業者は関係してないんです。誰か下請けに出したとすれば、隠れ家みた
いなところに連れていかれて、そして北朝鮮に捕まえることができたと連絡して、
接線をする。そうではなくて、現場で、曽我さんとお母さんが一緒に襲われ、そ
のまま連れていかれた。

 この事実だけでも北朝鮮の言っている「現地請日本人負業者に依頼した」、
「引渡しを受けた」と違う。引渡しを受けてないわけです。それは間違いないで
すね。

曽我 はい。

(後略)


正直このインタビューを読んだ限りで感想を書くと、

> この事実だけでも北朝鮮の言っている「現地請日本人負業者に依頼した」、
「引渡しを受けた」と違う。引渡しを受けてないわけです。それは間違いないで
すね。


とまで断言するほどのことでもないと思います。そこまで断言できるほど曽我さんは全体像を把握できる状態ではなかったでしょう。

それにしても、この時点ですでにお母さんと離れた状態だったってことは、やはり曽我ミヨシさんは絶望でしょうね。こんなことを書くのも気がすすみませんが。

さて、私はこの曽我さんのあんまり意味のない発言を聞いていて、彼女がこの集会でこのことを発言したのは、たぶんこれを強調したいから発言したのだろうなと思いました。つまりは北朝鮮非難ネタとしての文脈です。

そしてたぶんこの発言は、彼女自身の考えとかいうよりむしろ「巣食う会」その他が彼女にこのように話をしてくれと説得したのではないかと思います。繰り返しますが、曽我さん母子を誰が拉致したかという話と彼女のお母さんの生存の可能性の話は関係ありません。つまりは北朝鮮を非難するためのネタとして、拉致被害者本人から発言してもらったということでしょう。上の救う会の記事を読んでも、西岡がその話を引き出そうとしているのは一目瞭然。北朝鮮はいくら非難されても非難されたりないでしょうが、こんな何をいまさらな話をわざわざひっぱりだして、しかもそれを記事の主要な部分にする産経新聞の態度も何をいまさらです。そしてこの集会を主催した「巣食う会」自体は、正直ミヨシさんの消息なんかなんの興味もないし(誰だってみんな、曽我ミヨシさんの生存は絶望だと考えているでしょう)、いわば北朝鮮攻撃の道具として曽我ひとみさんにご登場願っているだけです。

曽我ひとみさんがお母さん生存の可能性をどれくらい期待しているのか分かりませんが(私見では、曽我ミヨシさんとやはり北朝鮮側が入国を否定している久米裕さんは、横田めぐみさんその他よりはるかに生存の可能性は厳しいでしょう)、この彼女の発言は、たぶんに建前としての言説でしょう。そう考えると彼女は気の毒だと思います。けっきょくこんなところまで徹底的に道具として使い尽くされるんだから、「巣食う会」というところは本当にひどいところです。

『ニューズウィーク日本版』(2012年10月24日号)によると、曽我さん自身は「家族会」「巣食う会」の方針にはうんざりしているが、どうも義理その他(たぶん横田滋さん同様自分の意見や意思をはっきり口にするのが苦手なのでしょう)で黙っているみたいですね。それもどうかと個人的には思います。

「家族会」はまだしも、「巣食う会」への義理なんて、そんなものを気にする必要はまったくもって皆無だと思いますが、しかし当事者はそうでもないんでしょうか。私の見たところ、「巣食う会」はそういった拉致被害者や拉致被害者家族の弱みに付け込んで、彼(女)らを利用しつくし、おもちゃにしているだけです。最高レベルにクズな連中です。

当事者である「家族会」はともかく、「巣食う会」のほうは、存在自体がどうしようもないといわざるを得ないんじゃないんですか。ほんと、いろんなところに迷惑ばかりかけている人たちです。

参考:前掲ニューズウィークの記事より:帰国者であり、被害者家族でもある曽我も、やはり揺れている。極端な主張ばかりが出る集会への参加にはあまり乗り気ではない。曽我に近い人物は、「曽我本人は拉致関連の集会で『制裁強化!』とシュプレヒコールを上げたくないと言っている」と明かす。「制裁もいいんだけど、まだ北に残っている人たちに危害が加えられたり、苦しんだりする可能性があるから」だ。曽我は自分がそうした主張に利用されることを危惧しているという。(p.30)

曽我さんの集会参加がいつ決まったかは確認していませんが、たぶんこの集会での発言は、上に引用した記事と関連しているのではないかなと私はにらんでいます。
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