経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

塩と水、物と金

2011-05-12 02:39:50 | Weblog
       塩と水、物と金

 経済を人体の生理に例えてみよう。それも簡潔に血液を例として考える。人間の血液には多くの成分が含まれるが、一番重要なものは水と塩(NaCl)だ。もちろんこの二つだけで生命が維持できるわけではない、ブドウ糖にタンパク質、さらに他のミネラルも必要だ。しかし話を簡単にするために、塩と水に絞る。生命は塩と水の平衡でもって維持されている。水が少ないか塩が多すぎると脱水状態になり、生命は危機に直面する。この場合外部から水分を補給する。逆に水分過剰になれば、我々は塩を求め摂取する。
 塩と水は、経済行為でいえば、物(生産設備、技術、人材などを含めた総体としての)と金に相当する。現在の日本経済は塩分過剰の脱水状態のようなものだ。海外への直接投資を通じて、過剰な塩分を外に放出している。雇用削減も同じだ。あたかも塩分を固体として沈殿せしめ、その機能を縮小させるようなものだ。断わっておくが、実際の生体で塩分が沈殿するようなことはない。在れば死が訪れるだけだ。あくまで比喩。
 じゃあどうすれば良いのか。水分補給が必要。人体の場合なら消化管あるいは血管から水分を補給する。経済行為においては貨幣量を増やせばいい。物あるいは資本を貨幣でもって薄める。遊休資本は活動し、雇用は促進される。なぜかはすでにブロッグで述べた。再述は避ける。現在の日本の経済で貨幣量を増やすことは、辛いものを食いすぎて喉がからからになった人に水を与えるようなものだ。案外人体と経済は似ている。塩と水の平衡で生命は維持される。物と金のバランスで経済活動は円滑に行われる。
 もう少し比喩を続けよう。人体の場合だいたい血液量は決まっている。そうむやみと増やせばいいというものではない。しかし他の動物と比べれば人間の血液量は多い。少なくとも甲殻類や軟体動物のような無脊椎動物に比べれば、人体ははるかに多量のそして機能性の高い体液(血液)を持っている。他の哺乳類と比較しても人間の血液量は多い。なぜか?脳神経組織が人間では圧倒的に発達しているからだ。大脳などは血液の袋のようなものなのだ。
 さてこの事実を経済行為に移して論じればどうなるのか。経済成長の問題に連なってくる。経済成長とは有効開発と需要の拡大だ。社会が発達すれば、社会の成員が社会に要求するニーズが増える。比較的未発達の経済では、国民が要求するものは単なる物であることが多い。かって高度成長経済と言われた時代、三種の神器なる、家電製品や自動車などがそれだ。CTなどハイテク機械もその口だ。社会がより発達すれば物への要求はサ-ヴィスへのそれに変わる。サ-ヴィスにもいろいろあるが、主要なのは教育、医療、介護などになる。つまり社会福祉への要求が強まる。社会福祉を充実させることは、身体に例えれば脳神経組織を発達させることだ。さらにきめ細かな福祉は毛細血管を増殖させるようなものだ。必要な血液量は激増する。貨幣量の増加は必至だ。そして対人サ-ヴィスは人間だけでは行えない。当然より高度な機器を必要とする。
 社会福祉についてもう一つの意見。社会福祉の発達と充実は将来の社会にとって必須のことだ。ところで社会福祉には、国家(とか他の共同体)からのサ-ヴィスの提供という側面がある。福祉を充実させるためには、国家が先行して投資しなければならない。投資、雇用増、税収増という円環が形成されるまで待てず、国家の出費が先行する。出費は蓄積するだろう。こういう時、適宜国家の出費(国債で賄うことが多いが)の一分は帳消しにされてもいいのではないのか?つまり貨幣量を増やして国債を償還し、それを人為的になくしてしまう。福祉の時代に入るのなら、このくらいの覚悟はいるだろう。あたかも動脈硬化になりかけた血管壁面から危険な物質を取り去るようなものだ。もっとも現在の医学ではこの種の技術は不完全だが。
 一昨日の読売新聞だったか、政府は国家公務員の給与を10%カットする方針と書いてあった。増税に対するのと同じく、この措置には反対だ。Aの地点からBの地点に金を動かすだけだから、単純な所得移転で、経済効果はプラマイゼロだろう。しかし市場は萎縮する。気分が暗くなる。この悪影響は大きい。政府はもっとダイナミックな方策を考えるべきだ。そもそも地震対策と景気浮揚を切り離して考えるのが、無知無能というものだ。ちなみに私は 公務員の味方ではない。しかし裏から考えると、日本の公務員のような安定した椅子に座れる者が多いから日本の治安は良いのかもしれない。
 やはり読売新聞に、電力の絶対的不足とか書いてあった。よくよく考えればこの意見もおかしい。日本に原発は80基くらいあるはずだ。その内の4基がだめになっただけではないのか。1/20の減少だ。さらに原発の総発電量に占める割合は1/3くらいだろう。なら総発電量の1/50から1/60がストップしただけではないのか。これくらいの減少はどうとでもやりくりがつくはずだ。私はそう思う。