興味津々丸

日々の暮らしをそのまんま日記を書くように綴ります。

閖上さいかい市場

2015-06-11 01:04:02 | 災害・自然

2015年6月11日(木) あの東日本大震災から4年3ヶ月が経ちました。

この4年間毎日のようにTV・ラジオ・新聞等々で津波の被害や復旧・復興の報道に触れない日はありませんでした。

それはすべて二次元の世界で五感で受けているという実感がどうしても感じられないんです。

4年が経過した今、そこに立って風を感じたいと強く思うようになりました。

今週の月曜日、8日の日に名取市閖上に行って参りました。決して物見遊山ではありません。

三次元の地に自らの足で立ち、4年の時の流れ、今の風を肌で感じ、そして目前のうつつをこの目で直視して参りました。

そこに立って過ぎ去りし刹那とこれからいつまで続くやも知れぬの様々な葛藤を思うとき、無責任な言葉で感想や意見を口にする自分のことが本当に疎ましく思えました。

 

閖上・日和山

 

 

 

 

名取・閖上の震災慰霊碑 

東日本大震災の犠牲者を悼み、後世に教訓を伝えようと名取市が建立した慰霊碑。
 慰霊碑は日和山近くの市有地に建てられた。盛り土の上に立つ白御影石の碑は植物の芽生えをデザイン。地面からの高さは一帯を襲った津波と同じ8.4メートルに設計された。
 種をイメージした黒御影石の碑には「亡き人を悼み故郷を想(おも)う 故郷を愛する御霊よ 安らかに」と刻まれた。944人の犠牲者名を記した芳名板も設置された。


8.4メートルという津波は、日和山の木の上まで、震災慰霊碑の高さまで襲ったそうです。

震災慰霊碑の前でご冥福を祈り手を合わせながら、8.4メートルという信じ難い大津波の恐ろしさを震撼しました。

しばらくその場を立ち去ることができませんでした。ちょっと大げさじゃないという人もいるかもしれませんが、まるで金縛りにあったかのようでした。


震災慰霊碑のすぐそばに津波の被害にあって建物のがわだけが残った佐々直の建物があります。

 


少し周りを歩いてみました。

今でも花を手向けに来ている方がいるんです。まだ新しいお花のようです。花を枯らさないように差し替えに来ているんでしょうね。

御霊を大切にする心と深い悔恨の思いが感じとれます。


家が流されて土台の枠だけが残ったコンクリートの上に並んでいました。

このお家のものなのかどこからか流れついたものなのかは分かりませんが、痛々しさや悲しみを覚えます。

引き取られずにこのまま野ざらしになるんでしょうね。

 


1時間以上いたでしょうか。

間もなく正午になるところなので、この場を後にして、震災の年から美田園にある仮説商店街「閖上さいかい市場」で昼食をとることにしました。

 

 閖上さいかい市場 漁亭 浜やにて

 

 

 海鮮山かけ丼  1500円

閖上復興の願いを込めた海鮮山かけ丼ぶり!浜っ子のねばり強さを!


浜やの浜丼  900円

言わずと知れたランチタイム人気ナンバーワン丼ぶり「浜やの浜丼」ここにあり!

 

浜やには震災前に何度か家族で食事に行ったことがあります。

3.11の震災のおよそ一月前にも、かみさんと娘と3人で昼食を食べに行ったばかりでした。

 

タレント、俳優、芸人、歌手、地元メディアの番組などの色紙が所狭しと壁に飾ってありました。

復興支援のためににいろんな方が 訪れているようでした。

 

日和山の麓に「閖上湊神社」「富主姫神社」の「神符 守札 授与所」とここを訪れた人が休める東屋があります。

授与所におられた巫女さんと思しき方や閖上さいかい市場のお店の店主の方々から自らが津波に襲われたときの生々しいお話をお聞きすることができました。

短い時間ではありましたが、小生にとってこの上ない貴重な時間でした。

こんな時にこんなことを言っては不謹慎なのかも知れませんが、平凡で平穏な日々を送れることが何て幸せなことなんだろうと痛切に感じた一日でした。

 

 

分かっていることとは言え、小生ごときが何の役にも立たないことを改めて感じさせられました。

せめて心から「がんばってください」と激励し続けていきたいという決意と、自分の中では絶対風化させないことを誓い、岐路に着きました。

 

 

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