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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



戦後間もない1950年(昭和25年)9月、突如大阪を襲ったジェーン台風は、沿岸地域に高潮を発生させ、被災者数45万人、死者209人という甚大な被害を与えている。

天保山大橋から桜島岸壁を見る



このとき桜島も被災していて、三菱倉庫のF号倉庫が大破、G号倉庫は全壊と大被害を受けている。

大阪市営1号上屋



しかし、1936年(昭和11年)に耐水建物として建設した当時のA,B倉庫(現在のD、E倉庫)は、数時間も軒先まで海水に浸かりながら倉庫の内部への浸水が殆ど無く、保管されていた商品が無事であったというので凄い。

D号倉庫



それ以来この倉庫は、桜島の潜水艦倉庫として業界では有名であったというが、今でも扉にD,Eと書かれたスリーダイヤマークのある古い倉庫群を見ることができる。

E号倉庫



このときの教訓からか、今の桜島埠頭には、高い防潮堤が築かれ、天保山からの渡し船が着く桜島桟橋にも防潮ゲートの部分から出入りするようになっている。

桜島桟橋の防潮ゲート



また、大阪市営1号、2号上屋の間から岸壁にでるために高い防潮堤に開けられた頑丈な防潮扉から出入りすることになる。

防潮扉



しかし、室戸台風の際に大阪港の潮位が5,3m上昇したことを考えると、果たして今の高さで十分なのであろうか不安である。

ジェーン台風の後、海の上に出ていた桜島桟橋は、1954年3月に頑丈な岸壁として復旧工事が完成している。

1号上屋前岸壁



防潮扉からその岸壁に出てみると、安治川を挟んだ対岸の天保山埠頭の客船や安治川に架かる天保山大橋などの眺望が綺麗である。



大阪市内の海岸、河川の沿岸では、室戸台風で発生したような猛烈な高潮(大阪港の潮位が5,3m、中之島でも3,7m、道頓堀で3,9mまで上昇)や大地震による津波(3m以上)への備えは、果たして十分なのであろうか。

南港の夕暮れ



ジェーン台風では、高潮への備えが十分であった湾岸地区よりも、中之島などの上流地区の被害が大きかったというのでなおさら心配である。


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