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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



最近読んだ本の中に第13代将軍徳川家定(1824~1858年)の実像が描かれていましたので、江戸時代にも多く飛来してきたと思われるアオアシシギの飛行写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>は同書からの引用です。

<司馬遼太郎は、歴史小説「最後の将軍」の中で徳川家定を精神薄弱者と表現しています(後略)>小説なのでフィクションというのが前提なのですが、司馬作品は史実を描写していると誤解する読者が多いようです。

<(司馬小説の)史料出典は、水戸藩出身の歴史家による「安政紀事」の中にある記述で、福井藩主松平春嶽も「凡庸中の極三等」と酷評(中略)これらの史料や後世の文献記述(司馬作品など)が、今日の家定に対する評価に強い影響を与えたのです>

「安政紀事」の記述には<将軍継嗣問題における(幕府首脳部の)内紛、すなわち南紀派(紀州藩主を将軍継嗣とする派)と一橋派(一橋慶喜を将軍継嗣とする派)の政治闘争>が背景にあったようです。

<水戸藩、福井藩などの一橋派の側から出た史料が、将軍家定を酷評する典拠となっていて,後世の人もこのような家定の評価が幕府の頽勢を象徴づけるものとして受け入れやすいものだった>

<家定は首を振ったり足を踏み鳴らしたりという不随意運動の発作が起きる身体障害を持っていて、その癖については家定と面会したことのある初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使タウンゼント・ハリス(1804~1878年)の日記にも記述があります>

<ハリスの日記には、(家定は)良く聞こえるしっかりした声で「遠方の国から使節をもって送られた書簡に満足する。両国の交際は永久に続くであろう」と言ったとあります>幕府内闘争に無関係だった外国人の記述なので信頼性は高いと考えて間違いないでしょう。

したがって<家定は病弱であったかもしれませんが、精神は正常で将軍としての政治的意見を持っていた>というのが本の著者による結論でした。

そういえばNHK大河ドラマ「篤姫」で、堺雅人扮する家定が篤姫に、幕府首脳部の内紛による不祥事を避けるため、わざと精神薄弱者のふりをしていると語るシーンがあったことを思い出しました。そのときには堺雅人の演技に感動した記憶があります。

参考文献: 驚きの江戸時代 目付は直角に曲がった 高尾 善希著

 



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