伊勢神宮の宇治橋から続く「おはらい町」をどんどん先に歩いてゆくと、赤福の店が向かい合う交差点があり、そこを右に曲がると美しいアーチ橋(新橋)が五十鈴川に架かっています。
交差点の左側は、1993年7月に誕生した「おかげ横丁」で、江戸時代からあった「おかげ参り」にちなんでネーミングされたようです。
新橋
「おかげ参り」は、お伊勢さんの「おかげ」に感謝する人々が、踊りながら伊勢神宮を目指した社会現象で、1553年伊勢の国司北畠晴具が、伊勢神宮に病気平癒を祈願して領内の関所を停止したことにはじまるようです。
徳川家康の天下統一以降次第に盛んとなり、1705年に380万人、1771年にも207万人、1830年には何と486万人と、驚くべき数字が非公式な記録として残されています。(伊勢神宮 著者:藤谷俊雄、直木孝次郎より)
おかげ横丁の太鼓櫓
伊勢神宮への抜け参りを妨害すれば、神罰が下るとされていた「おかげ参り」については、権力者側の公式な記録には無いようです。
おかげ横丁
その理由は、封建支配者に対する支配される側の職場放棄という抵抗運動は、支配する側にとって都合の悪い記録だったからです。
おかげ横丁
伊勢神宮という本には、「おかげ参り」とは、封建的な主従の関係から庶民が抜け出す、神事にことよせた解放運動で、この運動は次第にエスカレートし、性の解放にかこつけた相当下品な行為もあったと書かれています。
おかげ横丁
そういえば、思い当たることがあると思う人は、多いのではないでしょうか。
おかげ横丁
さて、このおかげ横丁の2700坪の敷地には、江戸末期から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物28棟が移築されています。
おはらい町にある奉献酒の白鷹の店
これらの古い建物は、神様の住まいと同じでは恐れ多いとして、玄関を長方形をした建物の短い方の面に設けた「妻入り」方式となっていることが特徴といわれています。
おはらい町の妻入りの建物
また雨風を防ぐ工夫として、外壁に「きざみ囲い」がしてあり、建築材料には、栂材が多く使用されているようで、伊勢地方特有のデザインが面白いと思いました。
おはらい町の建物
そのレトロな建物に、飲食9店舗、物販30店舗、美術館・資料館が配置され、伊勢の味、名産品、歴史、人情を体感して欲しいということのようです。
内宮に参拝する前に頂いた白鷹と伊勢万の奉献酒は、(おかげさまで)どれも喉越しが良く、伊勢参りに来てよかったと、しみじみと感じたのでした。
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