駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『オデッサ』

2024年01月30日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京芸術劇場プレイハウス、2024年1月26日19時。

 1999年、アメリカ、テキサス州西部の街、オデッサ。夜11時過ぎ、道路沿いの小さなダイナーで、ひとりの青年(柿沢勇人)が誰かを待っている。そこへ現れたのは、オデッサ警察のカチンスキー警部(宮澤エマ)。3日前に近くで起きた殺人事件の重要参考人として日本人の旅行客(迫田孝也)が事情聴取を受けているが、彼は英語がまったく話せなかった。捜査に当たるカチンスキーは日系人だが日本語が話せず、警察関係者にも日本語を話せる人間がいなかったため、地元ホテルのジムでトレーナーをしている日本人の青年が急遽、通訳として派遣されたのだ。旅行者は青年と同郷で、青年の通訳を介した取り調べが始まるが…
 作・演出/三谷幸喜、音楽/荻野清子、英語翻訳/Kennedy Taylor、英語監修・指導/宮澤エマ、鹿児島弁監修・指導/迫田孝也。日本語と英語(と鹿児島弁)が飛び交い、見せ方に創意工夫を凝らした日本語字幕をつけた上演。全1幕。

 三谷作品には当たり外れがあると考えている私ですが、3人芝居ならおもしろくないはずがない、と思っていました。が、チケットが取れず、なんとかおけぴでお譲りいただいて東京公演終盤に滑り込んできました。
 英語と日本語と鹿児島弁が…みたいなことは聞いていたのですが、どういう意味かよくわからないままに席につきました。ちなみに補助のように出された最後列で、前が被ってかなり観づらかったのですが、後ろがいないのをいいことに体勢をけっこう傾けて観てことなきを得ました。また、字幕も最後列からでもちゃんと読める大きさで出てありがたかったです。まあ字幕の演出については、おもしろいけど外してるかな、と思うものもありましたけどね…
 もっとどっかんどっかん笑う舞台を想像していたのですが、金曜夜公演ということもあるのか、客席はおとなしめだったと思います。ただ私は、コメディを観に来たのでハナから笑う気満々でおもしろくないうちから笑う、というような客が大嫌いなので、これくらいでちょうどいい空気に感じました。てかスノッブぶるつもりはないんだけれど、誰もウケていない箇所で数度ウケて笑ってしまい、妙にツボに刺さってしまいました…え? 今のみんなおもしろくないの??キョロキョロ、みたいな(笑)
 自身が海外のイベントなどでスピーチを通訳されることがあり、その体験から着想…というようなことのようですが、劇作家として、翻訳劇の在り方にいつも思うところがあったのだろうな、とも思います。だからこの作品は、欧米では駄目でも、たとえば韓国とかではそのまま翻訳上演できるのではないかしらん。韓国人は日本人よりもっと断然英語がわかるそうですが、でもたとえばソウルの言葉と釜山の方言はけっこう違うとも聞くし、どんぴしゃでスライドできるでしょう。アジア人が欧米の地で英語を話すこと、その社会で働くことへの屈託なんかについても、近いものがあるでしょうしね。逆に英語ネイティブで翻訳上演というものに慣れていないだろう欧米人にはウケませんよね、きっと。スペイン語圏とかフランス語圏とかでも違う気がしますが、どうなんでしょう…?
 日本では日本の役者が日本語で台詞を言い、しかし外国人の役に扮しているしこの言葉は本当は英語ないし外国語なんだな、と改めて考えはしないけれどしかしそういう前提なのだ、という共通認識で進む舞台がたくさんあります。これはそれを逆手に取った作品で、青年と警部が英語で話す場面では、実際の舞台のふたりは翻訳調の日本語で話し、そこに英語がわからない旅行者が加わると、ふたりはリアルに即して英語で話し、英語を解さない日本の観客向けには壁に日本語字幕が出る、という舞台のギミックが駆使されます。そして旅行者と青年は同郷なので日本語といっても標準語ではなく、鹿児島弁で話す…
 宮澤エマと迫田孝也はバイリンガルだそうなので、オンリー標準日本語ネイティブのカッキーがそらタイヘンだよな、という舞台なのでした。でもホント、そういう意味でもいろいろとおもしろく、たとえば韓国で上演しても同じこのざらりとした感触は出るのだろうか、ちょうどこういう3人の座組でないとおもしろさが出ないのではなかろうか、この作品の持ち味が通じるのは他にどのあたりの国や地域なのだろうか、などもちょっと考えました。
 私は宮澤エマの出自を知りません。名前は芸名のようでもあるし、顔もバタ臭いけれど(差別表現ですが、あえて)こういう人も多くいるし、特に何も考えていませんでした。外国ルーツで英語も未だに堪能、ということなのでしょうか? これはこの作品には強いですよね。というかこの配役を想定しての企画だったのかもしれませんが。3人とも初三谷作品ではないので、親交があり、個性や特技、能力がわかっているからこその座組だったのでしょう。
 ラブストーリーというには…ちょっと年齢差があるんじゃないの?とか事件解決で盛り上がってハイになってるだけなのでは?とかギャグっぽく描いてたじゃんホントにマジなの?と思わなくもありませんでしたが…少なくとも青年の方はこれでいろいろ考えて変わっていくのかなとも思えましたし、そういう未来や変化も思わせるような清々しさが美点の作品だったのかな、とも思いました。もちろん旅行者の正体に関するくだりは怖かったし、さすがの迫田さんだったわけですが…
 プログラムにシェイクスピアの『ハムレット』の「言葉、言葉、言葉」という台詞が引かれていますが、確かにそれがテーマの物語だったな、とも思いました。語彙でその人の知性を測るところは、私にもあります。言語は手段でしかないのだけれど、それでも…
 笑って笑ってしかし嘘寒く悲しい、けれど希望がないわけではない…そんな良きペーソスがある舞台だと感じました。楽しかったです。

 オデッサは私にとっては『ガンダム』で知った地名で特に違和感はなかったですが、まあラストの『シカゴ』チックな演出をしたかったというなら止めません(笑)。
 このあと一か月ちょっとのツアー、どうぞご安全に、がんばってくださいませ! コレはさすがに代役はいないのかな、どこかで三谷さんがやったりするのかね…とかちょっと考えちゃいました、すみません!







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