駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ヘルマン』

2024年01月25日 | 観劇記/タイトルは行
 吉祥寺シアター、2024年1月22日19時半。

 構成・演出/川村毅。全1幕。

 プログラム(というかチラシ?)にあらすじがないのもあってなんとも説明しがたい舞台なのですが、怖れていたほどワケわからないということはありませんでした。ただ、おもしろいかと言われると、どうだろう…なんか男の人ってこういうのが好きだよね、という感じが私はしてしまいました。
 でも大空さんのお役が素敵だったので、満足です。
 舞台は下手の椅子に老人役の麿赤兒が座り、その傍らに青年役の横井翔二郎が佇んでいるところに、上手から黒衣の女(大空ゆうひ)役の大空さんが現れるところから始まります。老人は晩年のヘルマン・ヘッセで、青年はその若いころの姿で、女はヘルマンの母親であるような、あるいは何か別のファムファタールであるような…な感じなのでしょうか。
 私はヘッセを読んだことがほとんどないと思うのですが、よくあることに自伝的な、あるいは自分の少年期や青春期をモデル、モチーフにしたような作品を多く書いた人のようです。でも当然作品の主人公たちは自分自身とはちょっとずつ違う。その齟齬に葛藤するようなことがメインのドラマ、なのかな…という舞台でした。
 少年123とか教師とか女1234とかその他たくさんの、作中人物ないしヘルマンの記憶の中の人物が現れ、キャストたちが何役にも扮し、踊り、舞台を記憶のようにイメージのように揺蕩います。
 ヘルマンはずっと、子供のころに友達の蝶の標本を握って壊してしまったこと、それを黙っていたことに呵責を感じていたようです。
 最終的には、老人は何かを受賞してスピーチをするのですが、その最中に心臓発作でも起こしたのか、老人が舞台から消えていくのと入れ替わるようにして、蝶というか蛾の女王みたいな格好になった大空さんがバーンと現れて、幕(イヤ暗転だったけど)、となる作品でした。『蜘蛛女のキス』みたいな、はたまたデウス・エクス・マキナみたいな大空さんが圧巻で、だからこその起用か!となりました。
 途中にも、男役というか、青年ヘルマンの友達?みたいなポジションで語る場面もあるので、その低音台詞の鮮やかさも素敵でした。
 まあでも総じて、少年のころのそうした事件だのそのトラウマだのが晩年にまで心を捕らえて云々…みたいなドラマの在り方が、なんかホント男性にありがちな感じ…と思ったのでした。実人生を生きていないというか、生きずに済んでいいご身分ですネ-、みたいな。そもそも数が少ないので比較にならないのでしょうが、女性作家だって自分のことや自分をモデルにした物語を書くことはあるでしょうが、だからってその差異にこんなふうにねちねち悩むとかこだわるとかってしないんじゃないかしらん。そんな贅沢は女性の人生、生き方には許されていない、とも言えるけど…だからこういう男性特有に思える葛藤、感傷に「ほー、さよけ」としか思えなかったので、ワケわからんということはなかったけれど格別おもしろいとも私は思えなかったのでした。それは演出家のプログラムのコメントについても同様です。それは要するに貴男のマスターベーションなのでは…とかも思ったので。
 でも、こういう作品をおもしろがって出ちゃうのが大空さんっぽいなとも思ったし(どういう経緯でオファーがあったのかは謎ですが)、こんなことでもなければ麿さんとの共演なんてないだろうし、我々も名前は知っていても彼の作品なんて観ることはなかったろうので、やはり刺激になりましたし、楽しい経験だったのでした。

 吉祥寺シアター、行ったら「来たことあるな」と思い出しましたが、『ソウル市民』を観ていたんですね。もらったチラシも小劇場系のものが多く、これまた新鮮でした。







コメント
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