三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「朝鮮戦争戦死者666人の遺体を合同安置=韓国国防部」

2017年03月29日 | 韓国で
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/12/06/0200000000AJP20131206001000882.HTML
「聯合ニュース」2013/12/06 11:55
■朝鮮戦争戦死者666人の遺体を合同安置=韓国国防部
【ソウル6日聯合ニュース】韓国国防部は6日、今年になって全国77カ所で発掘した朝鮮戦争戦死者666人の遺体を合同安置する式典をソウル市内にある国立墓地「顕忠院」で厳かに行った。
 式典には鄭ホン原(チョン・ホンウォン)首相や金寛鎮(キム・グァンジン)国防部長官ら閣僚を含め約400人が出席した。
 国防部の遺骸発掘鑑識団、陸軍や海兵隊の兵士ら延べ約10万人が今年3月から11月まで発掘作業を行い、731人の遺体を見つけた。このうち身元が確認された666人の遺体を安置した。
 2000年から韓国軍戦死者の遺体7658体を掘り出した国防部はDNA検査に必要な遺族のDNAサンプル(2万6490個)を確保し、83体の身元を確認し家族のもとに戻した。北朝鮮軍と中国軍の遺体、それぞれ648体、418体も発掘し南北軍事境界線に近い京畿道坡州市の「敵軍墓地」に安置した。
      namsh@yna.co.kr


http://japanese.donga.com/List/3/all/27/417663/1
『東亜日報』2012年5月26日
■韓国戦争で戦死の韓国兵遺骨、北朝鮮から戻る 休戦後初
 北朝鮮で発掘された韓国兵の遺骨が62年ぶりに祖国に戻った。
 1950年12月、咸鏡南道(ハムキョンナムド)長津湖(チャンジンホ)戦闘で戦死した韓国軍兵12人の遺骨は、空軍のC−130輸送機便で米国のハワイを出発し、25日午前、京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)のソウル空港に到着した。北朝鮮に埋められていた韓国軍の遺骨が返還されたのは休戦後初めて。
 政府は同日、ソウル空港で李明博(イ・ミョンバク)大統領をはじめ金寛鎮(キム・グァンジン)国防部長官、金相基(キム・サンギ)陸軍参謀総長、ジェームズ・シャーマン韓米連合軍司令官らが出席した中で、最高の礼を尽くして遺骨返還式を行った。戻ってきた韓国軍戦死者らは、韓国戦争で米軍に配属されていたカトゥサ(KATUSA=在韓米陸軍に配属された韓国兵)で、このうち2柱の遺骨は米7師団15戦車大隊所属のキム・ヨンス一等兵とイ・ガプス一等兵のものであることが確認された。
 キム一等兵は、1933年、釜山(プサン)で生まれて18歳の時に学徒兵に自ら進んで入隊した後、米7師団に配属された。その後北進攻撃をしていた1950年12月2日、長津(チャンジン)湖戦闘で戦死した。昨年死亡した実兄のキム・ヨンファンさんが09年、「弟の遺骨を何が何でも探したい」と言って国防部に提出した遺伝子(DNA)鑑識用血液が身元確認に決定的な端緒になったと、国防部は説明した。
 イ一等兵は、1916年に慶尚南道昌寧(キョンサンナムド・チャンニョン)で生まれ、34歳の時に妻と4歳、7歳の子どもを残して参戦して、1950年12月5日、長津湖近くの下碣隅里(ハガルウリ)戦闘で戦死した。同日、空港にはキム一等兵の甥のキム・ヘスンさん(54)、イ一等兵の息子のイ・ヨンチャンさん(66)と娘のイ・スクジャさん(69)が遺骨を出迎えた。


http://www.asahi.com/special/08001/TKY201205250129.html
「アサヒ・コム」2012年5月25日13時43分
■韓国兵遺骨、北朝鮮から戻る 朝鮮戦争戦死者、休戦後初

【写真】ソウル近郊で25日、朝鮮戦争時に北朝鮮側で戦死した韓国兵の遺骨を持つ兵士ら。中央は李明博大統領=AP

 朝鮮戦争(1950~53年)の際に北朝鮮側の地域で戦死した韓国兵の遺骨12体が25日、韓国に到着した。北朝鮮側で見つかった遺骨が韓国に戻ってきたのは53年の休戦後、初めてとなる。
 韓国国防省によると、朝鮮戦争当時に米軍に配属され、北朝鮮側での戦闘で死亡した韓国兵のうち12人の遺骨で、米国が2005年まで続いていた北朝鮮での米兵の遺骨発掘の過程で見つけた。米韓が共同で鑑定にあたり、韓国兵の遺骨と認定。このうち2体は身元も確認された。
 遺骨は同日午前、保管されていたハワイからソウル近郊の空軍施設に到着。李明博(イ・ミョンバク)大統領や金寛鎮(キム・グァンジン)国防相らが出迎えた。
 同省によると、北朝鮮地域や南北の軍事境界線の両側にある非武装地帯(DMZ)には、遺骨が3万~4万体残っていると推定されている。だが、関係が悪化した南北での共同発掘は見通しが立たず、米国による発掘も05年に中断して以降、再開できない状況が続いている。(ソウル=貝瀬秋彦)


http://m.yna.co.kr/kr/contents/?cid=AJP20120525001000882
「聯合ニュース」2012-05-25 11:25
■北朝鮮で戦死した韓国兵の遺骨返還 停戦協定後初
【写真】62年ぶりの帰還  ソウル空港に到着した遺骨=25日、城南(聯合ニュース) 
【ソウル聯合ニュース】朝鮮戦争の際に北朝鮮で戦死した韓国軍兵士の遺骨が停戦協定締結後初めて韓国に返還された。韓国国防部が25日、明らかにした。
 返還されたのは朝鮮戦争当時に韓国軍に入隊し、米軍に配属された兵士の遺骨12柱。韓国空軍の輸送機で米ハワイを出発し、同日、京畿道・城南のソウル空港に到着した。北朝鮮で戦死した韓国軍兵士の遺骨が韓国に戻ったのは1953年の停戦協定締結後初めて。
 遺骨は、米国が北朝鮮と合同で行った発掘作業で見つかった。12柱のうち、身元が判明した2柱は来月中に国立墓地の大田顕忠院に埋葬される。残り10柱についても国防部遺骸発掘鑑識団が身元確認を進めている。
 北朝鮮や非武装地帯(DMZ)には朝鮮戦争で戦死した3万~4万人余りの韓国軍兵士の遺骨が埋まっていると推定されるが、南北関係の冷却化で北朝鮮側との遺骨発掘に関する協議は行われていない。            hjc@yna.co.kr


http://m.yna.co.kr/kr/contents/?cid=AJP20111129001100882
「聯合ニュース」2011-11-29 10:46
■朝鮮戦争の韓国人犠牲者 米が北朝鮮に遺骨送還要求へ
【ワシントン聯合ニュース】朝鮮戦争当時、米陸軍に従事し死亡した韓国人の遺骨について、米国が北朝鮮側に送還を提起する方針だ。米国のニューベリー国防次官補代理は28日、北朝鮮側と朝鮮戦争に参戦した米兵の遺骨発掘問題について協議を行ったことを明らかにした上で、韓国軍人の遺骨送還を提起すると述べた。
 先月、タイ・バンコクで米軍の遺骨発掘事業の再開について北朝鮮と協議したニューベリー氏は、この日、ワシントンで韓国国防部の高官らとの昼食会に出席し、韓国人犠牲者の遺骨について発言した。
 同高官は「韓国には米軍に従事した朝鮮戦争被害者の記録がほとんどない。米国と定例交流を続けて明らかにしたい」との意思を表明した。
       sarangni@yna.co.kr


http://japanese.donga.com/List/3/all/27/312214/1
「dongA.com」 July. 23, 2010
■韓国戦争戦死者の発掘遺骨の合同告別式
【写真】22日、京畿道水原市の水原市民会館で行われた韓国戦争戦死者遺骨105体の合同告別式で、参列者が太極旗で覆われた遺骨に敬礼している。
 同日の告別式は、陸軍首都軍団が執り行った。遺骨は、4月5日から6月30日までの間に、首都軍団2個師団によって、水原光教山(クァンギョサン)や京畿道広州市草月邑新月里などの9つの地域で発掘された。



http://japanese.joins.com/article/825/124825.html?servcode=100§code=110
「中央日報日本語版」2010年01月07日12時50分
■【社説】韓国戦争戦死者の遺体、南北が共に発掘を
 李明博大統領が新年演説で「北朝鮮との対話を通じて(韓国戦争で死亡した)韓国軍の遺体を発掘する事業を進めたい」と述べた。
 この構想が実現する場合、南北(韓国・北朝鮮)関係の発展に大きな進展と受けとめられるだろう。南北が「真の和解」へ向かう大きなきっかけになるはずだからだ。
 戦死者の遺体を捜しだして遺族に引き渡し、国家が最大限の敬意を示すことほど、戦争の傷痕(しょうこん)をきちんと治癒できる道はない。ここでもう一つの提案をしたい。韓国軍だけでなく北朝鮮軍の戦死者の遺体まで同時に発掘しようということだ。
 この懸案は、07年11月に北朝鮮の平壌(ピョンヤン)で開かれた2回目の国防相会談で相当な進展を得たことがある。当時、合意書は「双方は戦争時の遺体を発掘する問題が、軍事的な信頼醸成や戦争の終息に関連した問題だという認識で一致し、実現の方策を話しあう方針を決めた」としている。その後、南北関係が停滞し、合意の履行が留保となった状況だ。
 しかし、李大統領が改めて意志を表明することにより新たな局面を迎えることになったのだ。南北当局が共同で韓半島全域にある南北の戦死者の遺体発掘作業に乗り出すならば、韓国戦争(1950~53)がもたらした南北間のわだかまりを解いて傷痕を治癒する上で、これ以上効果的な方策はないだろう。また、南北間の軍事的信頼づくりのきっかけになり、平和定着ムードの醸成にも大きく役立つことが自明である。
 韓国戦争の戦死者の遺体を発掘するのが政府レベルの事業になったのは2000年だ。満10年間にわたり国内で発掘が進められ、計3367体の韓国軍の遺体が見つかった。その過程で北朝鮮軍の遺体およそ400体と中共軍の遺体約200体も発掘された。当局はこれら遺体を別途に奉安し、機会ができたら北朝鮮と中国に返す計画だという。
 北朝鮮地域でも遺体発掘作業が行われれば、事情は大きく異ならないだろう。このように韓国軍の遺体を発掘する過程で北朝鮮軍と中共軍の遺体が共に見つかるのは、悲劇的だが、必然的だ。韓国戦争の当時、激戦が繰り広げられた戦闘の現場は、南北を問わず韓半島全域に広がっているからだ。遺体発掘事業が南北当局の共同事業にならなければいけない理由がここにある。
 国防部はおととい、遺体発掘事業を対北支援に結びつけて進めると明らかにした。米政府は北朝鮮を含め米軍が戦闘を繰り広げた全世界の各国に大規模な発掘費用を支払い、発掘された遺体に対しては一定の補償を行いながら米軍戦死者の遺体を捜している。
 韓国とは違って、依然として遺体発掘事業に積極的な姿勢を示さず準備もできていない北朝鮮の事情を踏まえれば、米国の前例を南北の間に適用するほかないとみられる。また、中断された北朝鮮への食糧・肥料の支援を、戦死者の遺体の共同発掘事業に結びつけることも検討する必要がある。
 一部では北朝鮮に戦争の責任を問い、あるいは北朝鮮軍によって家族が犠牲になった場合、心のわだかまりから遺体の共同発掘作業に反対するかもしれない。しかし、南北が真の和解へ向かうためにも「解寃」(多くの生命の冤と恨を解いてあげるという意味)の過程は必要だ。南北の戦死者の遺体を共同で発掘する事業こそ南北が手を結ぶ「大解寃」の道になる。



http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2007/06/06/0900000000AJP20070606000700882.HTML
「聯合ニュース」2007/06/06 11:27
■盧大統領が戦死者追悼、遺体発掘事業も継続方針
【ソウル6日聯合】盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は6日、「今のわれわれが享受する自由と平和、民主、繁栄は、殉国烈士や護国英霊、民主烈士が流した血と汗の結果だ。彼らが子々孫々まで敬われ、子孫が名誉と誇りを持って生きていけるよう礼遇することが国としての当然の責務」と述べた。戦没者らを追悼する顕忠日にあたり、国立ソウル顕忠院で開かれた52周年顕忠日記念式に出席し追悼の言葉を述べた。

【写真】追悼の言葉を述べる盧武鉉大統領=6日、ソウル(聯合)

 盧大統領は、日本植民地時代の強制連行被害に対する真相調査を遅まきながら2004年から始め、請求権支払いに対しても国レベルの支援法案を作り国会に提出した状態だと説明した。親日派の反民族行為の真相を明らかにして歴史の正義を正し、先に旅立った人々の恨みをはらすことにも最善を尽くすとした。
 また、朝鮮戦争での戦死者について、13万人余りの遺体がまだ見つかっておらず、政府はその全員を顕忠院にまつれるよう発掘事業を続けるとの方針を示した。この事業を通じ、子どもたちが国と民族に献身することを当然で誇らしいことと考えるよう導いていかなければならないと強調した。
 盧大統領は植民地統治、朝鮮半島分断、民主化運動と犠牲が続いた歴史を振り返るとともに、今後はこうした不幸が繰り返されることはないと述べている。自らを守れる力をつけ、独裁がよみがえることは想像もできないほどの、世界から認められる民主人権国家になったと評価した。さらに未来の韓国社会の発展について、「正しい戦略とビジョンを持ち、よりよい明日を目指し力強く進んでいる。特権と反則、腐敗の癒着構造を清算し、透明で公正な社会を築きつつある」と述べた。
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