浦添市史編集委員会編『浦添市史 第五巻 資料編4』(1984年3月、浦添市教育委員会発行)に、大阪の職業紹介所の「紹介」で「海軍軍属」として1942年に海南島に行った平良英太郎さんの証言が掲載されています。平良さんは、「海南島に行ったのは一九四二年の三月だと覚えている」と語っています(このブログ6月28日の「沖縄で 6」をみてください)。
平良さんの証言によると、日本では1942年3月には、国営職業紹介所(1921年に設置された市町村営の職業紹介所は、1938年に国営化され、1941年1月31日に国民職業指導所に改変・改称)が、「海南島海軍軍属募集」をおこなっていたようです。
沖縄で「募集」されたのは「南支○○島(海南島)行労務者」、日本で「募集」されたのは「海南島海軍軍属(海南警備府嘱託)」であり、賃金も前者は「日収二円八十銭前後」、後者は「初任月収百五十円」でした。
海南島に送られた朝鮮人軍属・台湾人軍属については、このブログの2010年7月6日~7月13日の「海南島に連行された朝鮮人」1~6、2011年1月17日、1月30日の「「海南島的台湾兵」」1、10、2011年2月3日~2月5日の「海南島の台湾人兵士」1~3、2012年1月3日~1月23日の「「旧海軍軍属身上調査表」・「旧海軍軍人履歴原表」」などをみてください。
佐藤正人
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